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Device Art Symposium "The Relation Between Art and Objects"

Special Lecture "Device Art as a CREST Project"

by Hiroo Iwata

「予感研究所・2006」

特別講演『CRESTプロジェクトとしてのデバイスアート』:岩田洋夫

2006年5月7日@日本科学未来館7F:みらいCANホール

岩田:まず、最初に、なぜこういうシンポジウムが実現したのかというところから、お話しします。この『予感研究所』という展覧会自体が、実は科学技術振興機構(JST)の大元のプロジェクトの成果報告会という意味を持っています。CREST(戦略的創造研究推進事業)というプロジェクトが8つぐらいあって、そのうちのひとつの研究代表者が私なのです。

堅い話は置いておいて、私のテーマは“デバイスアート”というものを提案して、今後5年間かけて、なんとかそれをモノにしていくことを狙っています。先ほどのフータモ先生のお話で「プロト・デバイスアート」という試みが色々とあって、結局、どれも成功していないという指摘をいただきました。そういう、今までどれも成功していないものを5年後に成功させるという、大変なプロジェクトをこれからやらないといけないわけですが、その意気込みを最初に聞いていただきます。

そのあとで、このCRESTプロジェクト・チームに参加していただいている皆さんに、このデバイスアートの色々な特徴について、アーティストの視点から議論していただく、というふうに話を進めていきたいと思います。

2.1●インタラクティブ技術の価値は、体験してなんぼである。

まず私が、どうしてデバイスアートという概念を提案したか? CRESTプロジェクトに応募する際、どういうテーマにしようかと考えた時に「えいや!」とつけた名前なのですが……実はこのデバイスアートという言葉の歴史をひもときますと、かつてクワクボリョウタさんが自分のことを「デバイスアーティスト」と呼んでいたことがあったのですね。それを見て、非常にいい名前だなぁと思って、それでデバイスアートという芸術運動ができるのではないかと思ったわけです。 ところがクワクボさんご本人は、この“デバイスアート”という言葉を私が提案した時にはすでに「私はもうデバイスアーティストという肩書きはやめました」とおっしゃられていたり、そういった色々なムーブメントがすでにあるわけですが……何はともあれ、「えいや!」とつけた名前が、意外と面白い議論を呼びそうだということは、まず間違いなく言えるのではないかと思います。

そこで、なぜそういう概念を私が提案したくなったかということに関連して、今までに私が行なってきたことを、最初に簡単に紹介したいと思います。 まず私の専門はバーチャルリアリティで、なかでも触覚に対して人工的に感覚を作る研究をずっと行なってきて、もう20年ぐらいになります。そういった研究をやっている時に感じたことは、これは論文という形では発表できない、ということです。もちろん無理にやろうとすればできなくはないのですが、その研究の本来的に面白い部分は、論文という形ではなかなか伝わってこないことに気がついたわけです。

特にコンピュータ・グラフィックスみたいに視覚に訴える作品だったら、きれいな写真を論文に貼ったり、ビデオにしたりして、それなりに伝わることもありますが、触って感じる感覚(触覚)なんていうものは、絶対に論文にならないわけです。

そこで、どういう発表形態がいいか、色々と模索した結果、実演ということに着目したわけです。90年代の初頭だったのですが、発表の場をどうすればいいかということを、その後、色々と探し続けてきたわけです。

その後の細い経緯は省略しますけれど、1994年の《SIGGRAPH》からThe Edgeという国際公募形式のデモセッションが始まったわけです。これが今言うところの“Emerging Technologies”……通称“E-tech”の最初の年ではなかったかと思います。以来、私はここに12年間続けて発表することになり……今年の8月にも出しますので、通算13年という長きに渡って発表記録を更新しつつある、そういういきさつになったわけです。

2.2●インタラクティブ技術の発表形態としてのアート作品

私のバックグラクンド自体が工学なので、こういったインタラクティブな技術を作ることが本来の仕事なのですが、発表形態としてみた場合、アート作品というのは非常に大きな意味を持ちます。というのは、アート作品というのは、ほぼすべての人が体験できるわけです。まあ、中には体験できないものもありますが……たいていの場合、美術館に行けば誰でも見ることができます。

一方、論文というのは、学会という、ある意味閉鎖的な集団の中でのみしか流通しない……というわけで、これを専門的には「ピアー」というわけですが、そういう専門家集団の中でしか流通しないものは、やはりこれからの世の中で伸びていけないのではないか? 真の人類の文明には寄与できないのではないか? というふうに感じたわけです。

で、そこでインタラクティブ技術の研究成果というものを、アート作品として発表できるような場があるか? という問題につきあたったわけです。いきなり美術館に持っていって「出せ(展示してくれ)」と言っても、それは受付けてもらえません。そこで色々と探してみたら、《Ars Electronica》という芸術祭……ご存じの方も多いと思いますが、毎年オーストリアで行われています……そこでは唯一、「インタラクティブ・アート部門」という部門があります。そういう専門部門をもつ芸術祭はおそらく《Ars Electronica》だけではないかと思うのですが、それを見つけて、96年からいくつかの作品を発表して、そこで活動してきたわけです。

一方で、《SIGGRAPH》のほうのE-techでも、最初は技術展示だったわけですが、最近はアートギャラリーとの境目がだんだんなくなってきて、アート作品もE-techの方で発表するというわけで、最近では学会という活動の場を見てみても、アートとテクノロジーとサイエンスというものが、どんどんマージしているといった傾向が見られるのではないかと思います。

2.3●過去の《Ars Electronica》での活動

そこで私の過去の《Ars Electronica》での活動をちょっと紹介しておきます。左側の作品が『クロスアクティブ・システム(Cross-active System)』【図1】 と呼ばれる、96年度の作品で、2人の体験者がいます。この人(左)が体験者で、こちらの人(右)は手元に小型のビデオカメラを持っています。

このビデオカメラには位置センサーがついていて、そのカメラが撮った映像と位置というものが、こちらの人(左)に伝わります。映像はヘッドマウントディスプレイに映るわけですけど、手の動きはこのモーションベース……こういうふうに(左の人が座っている)椅子が動くわけです。

結果、何が起きるかというと、こちら側(左)の体験者はこの人(右)の手の上に乗っかって、自由にもてあそばれている、そういう感じがします。つまり感覚としてはまさに、この人(右)の手の中に自分(左)が小さくなって乗り移ってもてあそばれている……そういう一種の「感覚と行動の不整合」が起こることをテーマにしたものです。

そして2001年の《Ars~》には『フローティング・アイ(Floating Eye)』【図2】という作品を出しました。こちらの体験者は、全方位映像のディスプレイを頭に被っているわけです。実はこれ、ドーム・スクリーンでして、この科学未来館にもドーム・スクリーンはありますけれど、普通のドーム・スクリーンは劇場の形なのですが、これは頭に被って歩けます。

どんな絵が中に映っているかというと、この人が手で引っ張っている飛行船の上に全方位カメラがついています。そして、その映像が直接ここに来ます。結果何が起こるかというと、この人の見る世界というのはここ(飛行船の上)にあるわけですね。自分の目が身体を離れて空に浮かんでいる……まさに“フローティング・アイ”なのです。これもやはり「感覚と行動の不一致」をテーマにして、自分というものを再認識しようということを狙った作品です。

今回、この『予感研究所』では、この『フローティング・アイ』の別バージョンとして、全方位映像を出すところを工夫した……背面投射の全身球面ディスプレイというものを開発して、7階のイノベーション・ホールというところに展示しています。これを出した時に、非常に面白いということで好評をいただいたのですが、残念ながら画質が非常に悪かったのですね。というのも、プロジェクタの光を拡散させるので、中で反射が起こって内側に投映される映像が真っ白になってしまうのです。そのコントラストをどうやって向上させるかということを、ここ10年近く研究してきて、その研究成果が今回の『フローティング・アイ?リア・ドーム・エディション(Floating Eye-Rear Dome Edition)』と呼ばれるものです。

実は今回の展示には、全方位カメラをジオラマの上に上下させるという仕掛けを作っているのですが、そのジオラマは、この「クロスアクティブ・システム」で作ったのと同じ原理で、あたかもこのジオラマの中を飛んでいるような感じがするという、そういう作品に仕立てあげているわけです。

2.4●そうこうするうちに、インタラクティブ技術は日本のお家芸になった

私がこういうふうに、芸術祭とかで研究成果を発表しているうちに、こういうインタラクティブ技術というものが、ある種の日本のお家芸になってきたわけです。その証拠のひとつとして、《SIGGRAPH》のE-techにおける採択作品も、日本からの作品が非常に増えていて、現場に行くとリトルトーキョー状態になっているわけですね。2005年に関して言えば、すでに半分以上が日本の作品……今年(06年)もたぶん半分くらいはいっているはずです。これがオリンピックだったら、当然ルールを変えられて、日本からはそんなにたくさん参加できないようになると思うのですが、E-techの方はどんどん日本人の作品が増えているという状況です。

一方、《Ars Electronica》でも、インタラクティブ・アート部門だけ……と言ったら失礼かもしれませんが……そこだけは日本からの入賞者が毎年ひじょうに多い傾向があります。こういった技術と芸術にまたがるこれまでの私の活動を総括して得られた概念が、実はこのデバイスアートというわけです。

2.5●デバイスアートとは

ここで、私が提案する「デバイスアートの定義」について、簡単に紹介しておきたいと思います。定義するならば、「メカトロ技術とか素材技術を駆使して、テクノロジーを見える形でアートにしていく、そういうアート作品」……それがデバイスアートであると言えるのではないかと思います。 通常、技術というものはあまり表に出すのがはばかられるというか、そういう実験装置が、例えば美術館に出品展示されることは滅多にないわけですけれど、逆に技術の本質をどんどん見せていこうというところに、このデバイスアートの特徴があるわけです。

そして、私はデバイスアートには「3つの特徴」があると考えています。

まず、最初は「(1)デバイス自体がコンテンツ」ということです。普通、コンテンツというと、プラットフォームがあって、それに乗るソフト、これがコンテンツであると……普通の社会では、そういうふうに考えられていると思うのですが、実はデバイスアートでは、あるプラットフォームがあって、それに乗せるソフトを作るというのではなくて、ある意味、プラットフォーム自体が作品である……というか、プラットフォームというものがなくて、実は多種多様のデバイスの塊こそがコンテンツの本質である、という性質があります。具体例はあとで紹介します。

2番目に、先ほどのフータモ先生のお話にも出てきましたけれど、「(2)作品自身がプレイフルである」そして「商品化も積極的に行われる」という点があります。 3番目、これが日本らしいところでもあるのですが、「(3)道具への美意識/こだわりといった、日本古来の美意識との関連性が非常に大きい」という点が指摘できると思います。

CRESTプロジェクトを提案する時に、チームメンバーで色々と議論をしたわけなのですが、その過程で明和電気の土佐さんが「道具って、すごく日本的だよね」という話をして「“具”(デバイス)を使って“道”を極める、というのはすごく日本的でいいのではないか?」ということを彼が指摘してくれて、まったくその通りであるわけで、デバイスアートというものが、そういった茶道とか華道といった「道具を使って道を極める」という日本古来の文化と、かなり共通性が高いのではないかと考えられるわけです。

こういったデバイスアートの3つの特徴……これらは、先ほどの「プロト・デバイスアート」のお話の中でも、いくつかの似た例は紹介されたものの、基本的には従来の西洋芸術の世界では、少なくとも表舞台にはなかった特徴ではないかと思います。

逆に、これらを全面に出した日本のメディアアート作品が、ここ10年ぐらい世界を席捲しているという傾向から、欧米の人々からはむしろ面白い現象であるというふうに見られているのではないかとも思います。

2.6●デバイスアートの特徴(1)コンテンツとしてのデバイス

では、これら3つの特徴を順番に説明していきたいと思います。

まず第1点目「コンテンツとしてのデバイス」ということ。デバイスアートというものはツールとコンテンツが一体化しているところが、大きな特徴としてあるわけです。従来でもコンピュータグラフィックの世界では、技術者や研究者が使ったツール……たとえばレンダリングのソフトや画像表示のハードウェアなどがありますが、そういった技術の成果をアーティストが使って、その上に作品を作っていく、ということは、従来のメディアアートでもありました。けれど、ことデバイスアートに関していえば、そういったツールとコンテンツの違いがあまりない/渾然一体化しているという特徴があります。

さらに「ツールとコンテンツが一体化している」というのは、たとえば絵画の世界でも必ずしもなかったわけではないのですけれど、そのツールが機械装置によって(人間が体験する)物理世界とかかわる/密接しているというところが、かなり新しい点ではないかと思います。

このような特徴がありますので、従来のように「技術者がツールを使って芸術家がコンテンツを作る」という図式が成立しなくて、私のように工学者が作品を作ることもできますし、一方で芸術家が技術開発に深く関わることで作品ができていくわけです。

下の「他の事例は、入れ物を用意して、芸術家を招くというものである Ex. Ars Electronica Center, ZKM, EVI. etc.」という例は、実はCRESTのヒアリングの時に「他とは何が違うのか?」という問いに対して私が挙げたのですが、基本的にはこれらのメディアアート施設も、まず入れ物を用意して、そこに芸術家を招くというふうにして進んでいくわけです。けれど、私のCRESTプロジェクトでは、アーティストも工学者も渾然一体となって、同じ目標に向かって突き進むという形をとって進めています。

2.7●デバイスアートの特徴(2)作品体験がもたらすプレイフルネス

2番目の特徴「作品自身がプレイフルである」という点です。デバイスアートの作品というのは、作家のコンセプトを押しつけるという……とくに世の中一般では「コンテンポラリー・アートは分かりにくい」と言われるわけですが、たしかに非常に高尚なコンセプトを理解できなければ作品も分からない、そういったものが多いわけですが、ことデバイスアートに関してはそういうことは殆どなくて、観賞者が作品を楽しみながら、自分なりの意味を見出していくという特徴があります。

そして作品が美術館に展示されるとは限らなくて、例えばオモチャとかゲームといったものに、積極的に商品化されていく特徴もあります。

この写真は明和電気の『魚器シリーズ』ですね。それから八谷さんの『視聴覚交換マシン』。こういった作品は、プレイフルネスのひとつの代表的な例ではないかと思います。

2.8●デバイスアートの特徴(3)日本文化との関連性

そして3番目、日本文化との関連性です。先ほどもご説明しましたように、茶道と華道のような、そういう道具への美意識の点において、日本の文化に通じているというわけです。それゆえこの点は、日本のメディアアート固有の特徴ではないかと位置づけることもできます。

この特徴は、普通の西洋文明における芸術作品が、まずコンセプトがあって、そこからトップダウン的に作品がどんどんできてくるという、そういうやり方ではなくて、ある意味、ボトムアップですね……色々なデバイスを作りながら、作品がチョコチョコっとできてくる。そういうふうに方向性が大きく違う点において、メディアアート全体におけるパラダイムシフトを起こす可能性があるのではないかというふうに考えられるわけです。

これは言葉を変えると、アニメとマンガというのは、すでに「メイド・イン・ジャパン」の文化として世界に拡がりつつあるのですが、それらに続く“第3の「メイド・イン・ジャパン」”ともいえる、独自の文化輸出になるのではないかと期待しているわけです。

2.9●デバイスアートはCRESTプロジェクトになった

このデバイスアートの概念、科学技術振興機構に対して予算申請を行なって、見事に平成17年度に採択され、それゆえ私がここにいるわけですが、われわれのチームの作品が5つ、この科学未来館の中に現在展示されています。

ではこのプロジェクトが何をめざしているかというと、2つの達成目標を持っています。まず第1の目標は「デバイスアートにおける技術体系を明らかにする」ということ。これは科学であれば何でもそうですが、「まず体系を作ろう」ということが第1の目標としてあります。

そして2番目に「デバイスアートの制作と評価の方法論を構築する」。つまりどうやれば作品ができるか、そして「いい作品」とは、ないしは「世の中に受け入れられた(ヒットした)作品というのは、どういう仕掛けを持っていたのか?」を研究していこうというのが、2番目の目標です。

この2つの目標を平たい言葉で言い換えると、今までにも色々な作品は出てきたのですけれど、このままでは散発的な作品発表で終わってしまう。世の中に根を付かせるためには、しっかりとした枠組を作っていかなければいけないだろう、と。その枠組をこの5年間をかけて作っていこうというのが、このプロジェクトの狙いというわけです。

2.10●研究推進のための新しいフレームワーク:「ガジェットリウム」

このプロジェクトの目標を達成するためのフレームワークとして、「ガジェットリウム」というふうに名前をつけた、新しいフレームワークを提案しています。これは「常設展示室」と「研究室」と「ベンチャー・ビジネス」……これらが一体化したものを考えています。

デバイスアートの作品は商品化されうるという話を先ほどしましたが、研究成果が作品になって、それが商品化されるという流れも当然あるわけですし、そういったものを有機的に繋げていこうというのが「ガジェットリウム」というフレームワークです。

技術開発をするときに、作品という形態を通じてブラシアップしていくというので、一般の鑑賞者が研究開発途上のものをここで体験して、それをどんどん高機能にしていく。

このプロジェクトでは、そこでできたものを「機能モジュール」というふうに呼んでいるのですが、かなりエッセンスの部分をまとめて再利用できる、色々な人が使える形にしていく、そういうものを作り、それを「基盤技術」としていこうということを狙っています。

実はこの『予感研究所』の展示の企画をする時、クワクボリョウタさんに頼んで、この「機能モジュール」に相当する部分をなんとか展示してもらえないかということをお願いして、『I/Oツールキット』という、まさにこの概念にピッタリのもののプロトタイプが今できあがって、展示もされています。これはOn Goingのプロジェクトなのですけれど、クワクボさんがワークショップ(実習)をやっている多摩美の学生が、この『I/Oツールキット』を実際に使って色々と作業しているところのビデオも展示されていますので、ぜひ見ていただきたいです。

他の作品が「わあ、面白い!」という感じのものが多いので、ちょっと地味目な印象なのですけれど……実は今回の私のプロジェクトの中でも、このクワクボさんが作っている『I/Oツールキット』というものは、非常に重要な地位を占めているわけです。

2.11●研究チーム

さて、このプロジェクトに参加している研究チームは、ひとことで言えば、コアなE-techer(E-techに毎年出しているような工学者)とメディア・アーティストのドリームチーム的な集合体、というわけで、これら3つの研究項目に、各アーティストと工学者が渾然一体と化して、そういうチームを作っているというわけです。

まず「研究項目1:先端的インタラクティブ・ガジェットの開発」というのは、これはデバイスアート自体の高機能化/性能を上げるという研究です。2番目は「研究項目2:機能モジュールの開発」……まさにそういった要素技術をブラシアップして、それを再利用可能にするというもの。そして3番目には……先ほど「達成目標2」に挙げました「研究項目3:デバイスアートの方法論の構築」というものをめざしています。

2.12●デバイスアートが創出する新市場

さて、このプロジェクトが終わった時、どういうような成果があるのか? というのを示したのが、この一枚の図です。これはわが国のマーケットを「芸術性が高いか/低いか」と「ハードウェア的要素が大きいか/小さいか」という観点から整理したものでして、これがなかなか議論を呼んでいるのですけれど、ちょっと説明してみたいと思います。

(左下の)「芸術性が低くて、ソフトウェア的要素が大きい産業」、これが従来のIT産業ですね。それから(左上の)「芸術性が低くて、ハードウェア的要素が大きい産業」、これは従来の製造業です。電気工業、機械工業、みんなここに入ります。

一方で(右下の)「芸術性が高くて、ソフトウェア的要素が大きい産業」、これが今現在言われているところのデジタルコンテンツ……映画とかアニメとかゲームなどが、ここに入ってくるわけです。

そうすると、ここ(右上)の象限「芸術性が高くて、ハードウェア的要素が大きい産業」というところに入るものが、ほとんどない。というわけで、まさにデバイスアートがめざすのは、この部分であり、これが新しい産業を生むのではないかと期待しているわけです。

実際、今、ロボットがひとつのブームですけれど、従来の製造業、こちら側(芸術性低)ではロボットはたくさん活躍しているわけですね。ある意味では、そのロボットの(こちら側(=芸術性低)での)使い方というのは、だんだん飽和してきていて、こっち(芸術性高)にシフトしたい、という動きが顕著に見られるわけです。ですからロボットに色々なエンターテインメントをさせたり、人々を癒したり、そういう動きが出てきているわけです。

かたやエンターテインメント産業では、ロケーション・ベースド・エンターテインメント……要するに、ゲームセンター・アーケードに行って体験するような類いのゲームとか、そういうところで新しいものをやっていきたいということを考えているわけですけれど、従来のゲーム産業も、こちら側(ソフトウェア要素大)だけではなく、こっち側(ハードウェア要素大)にシフトしつつあるというわけで、このあたりが今後の日本の新しい市場として着目できるのではないかというふうに、私は考えています。 そこにデバイスアートというものができあがってくれば、今までにはなかった新しい市場ができるのではないかとも考えているわけです。

以上で私の話を終わらせていただきます。

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