パク

◎(泣いた木曽馬)加藤先生の本の内容を伝えます。良ければ購入下さい。

<第1回>

*草刈場のできごと

○大正五年のこと、産み月にはいって木曽馬にもまけないくらいのお腹をかかえた女の人が、やはり朝早くから草刈りにはげんでいました。産み月になっているのにむちゃなと思われますが、この辺ではたいてい、産まれる前まではたらくほうが、かえってよいのだと信じられていました。

座敷一ぱいに大豆をまいて、お母さんになる人にひろわせる話などは、木曽地方だけではなかったようでした。

だから、女の人も自分からかって出てきて、うんそら、うんそらと小声をあげてうつぶせ仕事にはげんでいました。

<第2回>

○「ありゃ・・・・・・」

女の人はとつぜん、ぼう立ちになってしまいました。腰の辺がうずくと思っていたら、一気にそこから下の力がスーとぬけてしまったのです。

<第3回>

○シャーと草に水がちる音が立ったかと思うまに、なにやらかたまりがすとんとおちました。まったく、ぬけおちたという感じでした。

おこったことがまだはっきりわからないで、足をひらいてかがんでいる女の人の下で、そのかたまりは、「ぎゃあ、ぎゃあ。」と声をあげだしました。腹にひびく力づよい泣き声でした。女の人はとっさに、またのしたへタヌキでもとびこんできたのかと思ったほどです。

気がたしかだったのはそこまでで、女の人の目はかすみだし気持ちもぼんやりしてきました。ただ、その目に草の山を背おったまま、馬がとおざかっていくのがおぼろげに見えました。(あんねにかわいがってそだててやっただにな、やっぱり畜生は薄情なもんずら。)とくやしがったことは、はっきりとおぼえていました。

一方、家へかえってきた馬は、おじいさんに草束を下ろしてもらっても、いつものように馬屋へはいろうとしません。それどころか、鼻の穴を大きくひらいて「ヴヒヒヒーン」とうばえ、半立ちになっておじいさんをおどろかせました。目もむき出してしきりになにかをうったえようとしていることがわかりました。

<第4回>

○「ばあさん、たいへんじゃ。よめになにかおっこたぞい。」ばあさんも朝粥だきのかまどもそのままにうっちゃっておいて、二人してかけ出していきました。ちょうどそのころ、女の人がたおれているこの草刈場へ、池の越しから下ってきたおばあさんがきかかって、赤ん坊の泣き声に気がつきました。一目で事情をのみこんだおばあさんは、ころがるようにかけていき赤ん坊を抱き上げました。へその緒も切って、すばやくぬいだ自分の腰まきでくるんでやると、泣き声はおとなしいものにかわりました。おばあさんは、霜を見そう朝早く把の沢の役場へ出むくため、ぶあつい腰まきを身につけていてほんとうによかったとそのとき思いました。しばらくして、顔の相をかえてかけつけた二人に、「よめさんももう気がおつきなさったで。それにしてもえらい大きな泣き声の赤ちゃんですのい。気張りのある若衆になりなさるにちがいねえだ。」

<第5回>

と笑っていいながら赤ん坊を手渡すゆとりが、おばあさんにもどっていました。「あれえ。」しばらくして、池の越しのおばあさんはとんきょうな声をあげて、二人のうしろをあごでしゃくってみせました。いつのまにきていたのか、10メートルばかりはなれた道で、馬が首を立てななめにむきながらもこちらのようすをじっと見ていました。馬屋の前でみせたへんな行動については、今しがたおじいさんからきいていた池の越しのおばあさんは、感極まった声をあげました。「おら、馬がしらせるちゅう話は、むかしからきかんでもなかったけんど、しんぱいして、も一ぺん見にもどるなんて、はじめてだや。こりゃ、へえ、なんちゅう馬だいのう!」四人の大人たちにまじまじと見られた胴長短脚の馬は、あの長い黒毛のたてがみをあらしのようにぶるるっとふるわせてから、帰り道をとことことあるいていってしまいました。

<第6回>

○大正5年の夏、このとき草刈場で生まれたのが、太一でした。物心ついてこの話をきかされた太一は、池の越のおばあさんがいったようになるかどうかわからんが、と思いました。(だけど、おれ、このずんぐり馬からはなれられないかもしんねな。)じつは、草刈場や田畑でのお産の話はほかにもあって、この地方の人々のはたらきずきをあらわすできごとでした。そして、もうひとつは、木曽馬の心やさしい性質をものがたるエピソードともなりました。

<第7回>

○開田村の家々では、だいたい三、四頭のメス馬をかっていました。それに子馬を産ませ二歳まで手もとでそだててから、木曽福島の馬市に出していました。中略。クロの窓に移動し加藤先生の伝えたいと思われる箇所をピックアップしてのせます。

(1月)

*遊馬で生まれました。今お父さんムサシ、お母さんユウの生まれ故郷のヒルガノにいます。会いに来て下さい。