クロ

クロへの母さんからのつぶやき

◎1年前の8月16日クロが旅立ち、今年の8月17日には犬の「ちゃあ」が逝ってしまいました。ガリガリに痩せ細って牧場に倒れこんで来たのは、ちょうど15年前のお盆でした。飼い主が捜しているかもわからないので、餌と水を置いて帰りましたが、翌朝、私達を待っていました。それ以来牧場の住人となった「ちゃあ」は、人間に吠える事は決して無く番犬には不向きでしたが、馬達と仲良しで、ムサシの足に飛びついて遊んでいました。平和の使いのような犬でした。今年もアブがとても多いです。首に止まると「母さん、取って!取って!」と慌て顔で走って来るクロ。特製のハエタタキでバシッと叩くと、何事も無かったような涼しげな顔をして行ってしまうクロ。構ってもらえないと水桶の水をあの大きな顔で器用に勢いよくぶっかけるクロ。何人ものお客様が犠牲になりました。まるで駄々っ子のようでした。もう、クロのような人間臭い馬に出合えないと思うと残念でたまりません。でも、人生の終盤に、個性的で、純粋で、真っ直ぐな子供のような馬達と暮らす楽しさを味あわせてもらって、この上なく心豊かで幸せでした。クロちゃん、ずっとずっと忘れないよ。「ちゃあ」がそちらへ行ったら宜しくお願いね。母さんも、いずれクロの所へ行きます。逢えること楽しみにしていますよ。やっと言えそうです。クロ本当に」ありがとう!

◎5月4日中学3年時の担任K先生が訪れて下さいました。丁度1年前、ミニ同窓会が牧場であり、小雨の中クロに乗ってもらいました。その時の事を思い出して来られたとの事。あの日、クロは私が歩くと歩き、走ると同じように走る。私の速度が遅いので、その場で足踏みをしながら、いかにも走っている風にして合わせてくれましたね。決っして私を追い越す事はしません。そんな事のできる馬は他にはいない(欲目でしょうか)。あの同窓会がクロにとって最後のお仕事となりました。とってもいい仕事をしてくれて、母さんは鼻が高かった!クロのいない毎日はとても淋しくて面白味がありません。気が強くて我儘で甘えん坊それでいて人間にはとても優しかった。リーダーのクロがいなくなり、どうなる事かと心配しましたが、今はユウが立派にリーダーの役目を果たしています。ナナコはそのユウを頼りにしています。ムサシは相変わらずお利巧さんです。クロちゃん心配しないで下さい。母さんはいつも通りちゃんと馬たちのお世話をしていますよ。クロがいたときと同じように・・・・・・。

◎クロが旅立ってから6ヶ月。相変わらず母さんは、「クロが死ぬはずはない」と信じ、毎朝、クロの部屋のお掃除をしています。決して汚される事は無いのですが。

あれ程出て来ない日は無いくらい夢の中に現れたクロが8月16日以来、1度も出てきてくれません。せめて夢の中でもいいから逢いたいのに。

今頃クロは、天国のひるがののお父さんや、クロの事を大好きだった伸さん、そして、クロと母さんとの会話をガハガハ笑って楽しんで下さった加藤先生達と再会しているのでしょうか。叶うものなら、クロを追い返してほしい。「まだ早いよ!」って。大切なものを失った人達は、きっと皆同じ事を願っているのでしょうね。

◎クロが旅立ってから2か月が経ちました。亡くなる前夜、私達はどうして帰ってしまったのでしょうか。疝痛馬がいると、マッサージしたり、立たせて引き馬したりして回復するまで、様子を看ます。時には泊まることもあります。注射を2回打ってもらったクロはとても静かにしていました。回復しているものだと思ったのです。「クロちゃん帰るよ」と声をかけた私をクロは黙ってじっと見ていました。「母さん帰らないで」と言いたかったのかもわかりません。どうして気付けなかったのでしょう。いたところで苦しむクロを私達はどうにもしてあげられなかったと思います。でも、クロ一人苦しませたと思うとたまらない気持になります。それにしても、クロは、どうしてあんなに穏やかに優しい目で私達を見送ったのでしょうか。クロは自分の運命を本能的に悟っていたのかもわかりません。まだまだ後悔ばかりの毎日です。

◎「つぶやき」をしばらく怠っていたら、本当につぶやけなくなりました。クロは8月16日遠い遠い所へ旅立ってしまいました。22歳と6か月でした。16日早朝手足をピーンと伸ばして倒れているクロの姿を見たその時から母さんの心の時計は止まったままです。覚悟はしているつもりでした。でも実際に動かないクロを目にした途端、覚悟なんてどこかへ吹っ飛んでしまいました。息をして!立ち上がって!とクロの体を揺さぶりました。が、クロの顔は少しずつ冷たくなってゆきました。ガスが出ず、おなかがパンパンに膨らんでいました。苦しかったでしょう、痛かったはずです。なのにクロはとても穏やかで、優しい目をしていました。「クロちゃんありがとう」とはまだ言えません。現実を受け入れる事が出来るようになるまで、しばらくクロにつぶやかせてもらおうと思います。

{クロのつぶやき}

◎稲刈り目前の8月9日。今までにない大雨と台風11号。横の水路から溢れた水が建物の床下を通って母さん達の休憩部屋と私達の馬小屋との間の土間に流れ込みあっという間に母さんの膝上まで。急いで出入り口の引き戸を開けて水を外へ逃がしたのですが、出る量より入ってくる量が多くいろいろな物がぷかぷか浮き始めました。大切な物を流してはなるまいと母さんが必死で追いかけるのですが、間に合いません。今にも母さんが流されそうです。お友達から心配の電話がかかり「いざとなったらクロちゃんに乗って逃げま~す」と脳天気な返事をしている母さんですが、内心は?「母さん言っておきますが、山生まれ山育ちの私には水の中は無理ですからね!」夜遅く父さんがやっと辿り着き、一晩中水位を見守っては戸をあけたり閉めたり・・・・・。父さん達がいてくれたので私達は安心でしたが、水から逃げてきたムカデや蟻、蚊などいろいろな生き物が休憩部屋にゾロゾロ集合しそちらのおつきあいも大変だったようです。

◎いつのまにか6月半ば。4月に植えられた頼りげない稲苗が水面が見えない位成長していました。

最近、来るといつもギューッと抱きしめてくれる松坂のお姉さんの姿が見えません。(もう一人のお姉さんは毎週私達4頭をブラッシングして、タオルでピカピカに磨いてくれますが・・・)。この私が「く、く、苦しいー!」って思うほど、顔や首そしてお腹を強く抱きしめてくれるお姉さん。そのお姉さんが病気らしいのです。早く元気になってギュッと抱きしめに来てください。強ければ強いほど愛情をいっぱいもらった気がして心がとても温かくなるのです。

◎2月14日朝。母さんまだ来ない。私の腹時計では朝の第1回目の餌を食べ終わる頃。不気味な程外が静か。車も通らない。まるで時間が止まっているかのよう。「ん?」重いタイヤの音がゆっくりゆっくり近づいてきて止まった。入口に一番近いムサシがざわつく。「母さんだ!」いつもなら後から来る父さんも何故か一緒。ユウが「ヴヒヒヒーン遅いよ」と文句を言う。「ごめんごめんここまで来るの大変だった」と言って母さんが大急ぎで大扉を開けてくれた。「ワー真っ白!」足が半分近く隠れてしまうほど深い雪。ナナコは嬉しくて飛び跳ねながら走り回っている。ユウもゴロンゴロン転がり回る。我慢できなくなって私もゴロンゴロン。「気持ちいいー!」水分多めの雪おいしかった。

◎動物作家の加藤輝治先生が亡くなられてから、さっぱりつぶやく気になりません。先生から「今までのクロのつぶやきを読み返してみたんだけど、馬達の会話が面白くて笑いすぎ、苦しくなって救急車を呼びそうになったよ」と冗談混じりのお手紙をいただきもっともっと笑ってもらいたくて、私はせっせとつぶやき続けました。そして1年後先生は心筋梗塞であっけなく旅立たれてしまい私のつぶやきが原因ではないと思いますが、落ち込んでしまいました。もうすぐ先生の御命日です。これ以上怠けると「待っていますよ」と先生からの催促の声が聞こえてきそうです。来年は私達の年です。少しだけ頑張ってみようと思います。

◎5月最後の日曜日、恒例の出合で刈り取られた雑草が牧場に運び込まれました。今年は3地区。10年程前は、1地区で馬場が草で一杯になりました。ところが、年々量が少なくなり3地区でも以前の三分の一にも満たないのです。甘くておいしいススキがすっかり姿を消し、スギナ、チワラなど・・・。それでも3~4日間は食べ放題で楽しめそうです。

◎やったー!ついに脱走成功。私達は、食事の際、庭付きの各自分の部屋に入れられ馬栓棒と扉で二重ロックされます。前まえから扉のチェーンは鼻で外せるのですが、馬栓棒がうまくいきませんでした。隣のユウは逆で、馬栓棒は外すのにチェーンは外せません。ユウの外し方を何度も見て真似しているうちに、やり方がわかってきました。母さんはお昼寝中です。いつやる?今でしょ。PM2:30決行。上の馬場へ颯爽と上がっていく私にきずいたユウが「キヒヒヒヒーン」とけたたましく叫びます。ナナコは取り残された不安で「ブヒブヒブヒヒヒ」と言いながら狭い庭をオロオロ動き回っています。ナナちゃん、ごめん。すぐ戻ってくるからね。

◎馬栓棒を開ける事を覚えたわたしは、さっそく翌朝試してみました。簡単に外せます。これで母さんに開けてもらわなくても、好きな時に馬場に出ていけるのです。得意気にいつものチェーンを・・・・・。あれ?何か変。チェーンを引っかけた棒が高くなっていて鼻が届きません。昨日夕方ドリルの音がしていたから母さんが修理したのでしょう。脱走の楽しみは1日で終わってしまいました。あ~あ、次の手を考えなくては・・・。母さんとの知恵比べは当分続きそうです。

◎今年もカラス達が私達の毛を集めにやって来ました。巣作りにでも使うのでしょうか。調度冬毛の抜ける時期であちこちに沢山落ちているのですが、カラスはわざわざ背中に乗ってきてタテガミと尾の付け根部分の毛を引っこ抜き、口一杯銜えて何度も往復するのです。ユウちゃんはどうも嫌いみたいで、背中の2羽のカラスの方へ思いっきり首を伸ばして追い払おうとするのですが、残念ながら届きません。カラス達は知らん顔でユウちゃんの毛をむしり続けています(因みにナナコも私もカラスの尖った嘴が痒い体に気持ち良くて結構好きです。)カラス達の毛集めが終わる頃、周りの山々が桜色に染まります。

◎私がイタリアンを残すようになって数日後、代わりにフェスキューと言う牧草を入れてもらいました。これも穂先が無く茎ばかりでおいしくないのですが、イタリアンよりは匂いがいいので何とか食べました(実はその前に餌の7割をおいしいチモシーにしてもらったので栄養的には充分なのですが)。そんな私を真似た(?)ナナコがイタリアンを残すと母さんは「ダイエットできて調度いいわ」とナナコの要求を却下。餌の7割がイタリアンのナナコにとってこの審判はかなりきつい。2日程頑張っていましたが空腹に耐えられず思わず完食してしまいました。これで元の木阿弥。1週間残し続ければあばら骨が見えてきて、母さんがチモシーを増やしてくれるのに・・・・。ナナコは私みたいにいじめられた経験が無いから我慢する事を知らないんだよね。幸せな事かも知れないけれど。

◎最近食欲がありません。だってイタリアン(牧草)がおいしくないんだもの。私達の餌の大半をイタリアンが占めているので、それを残すと食べる量がかなり減ってしまい、私の体はあばら骨が浮き出、腰骨も尖ってきました。心配した母さんは、穂先の付いた栄養のあるおいしいチモシーを増やしてくれました。ラッキー!ところが隣部屋のナナコまでもイタリアンを残すようになったのです。何でも食べる食いしん坊のあのナナコが!です。「クロの真似をしたんだ。」と言われるのだけれど、それって私の責任なの?イタリアンに問題があるのかも知れないと、母さんは他の牧草のスーダンやフェスキュウーを考えているようです。おいしいのが来るといいな。

◎元旦素晴らしい初日の出。1月2日松坂のお姉さん方が頭の天辺から尾の先までピッカピカに磨いてくれました。4日朝、母さんが私達馬小屋の大扉を開けるとそこは、一面銀世界。何だか寒いと思ったら雪が降っていたのです。でも私達は寒さは平気。ムサシ、ナナコ、ユウそして私の4頭皆で仲良く元気にこの1年を過ごしたいと思います。

◎11月15日狩猟解禁以来毎日のように猟の車が行き交い、周囲の山々には鉄砲の音が響きわたります。最初は驚いて走り回っていましたが、今では平気です。ただ何年か前に猟犬が牧場の中に入って来た時にはびっくりしました。牙をむいて唸りながら最後に逃げた私のお尻に飛び掛かりました。が咄嗟に出た私の右後肢が犬の顔面に当たり、犬はコロコロ後へ回転して驚いて逃げて行きました。そこへ、母さんが鬼のような形相でホーキを振り回しながら走って来ました。「母さん大丈夫だよ!」それにしてもあの時の母さんの顔、犬よりも怖かったなあ。来年2月15日まで狩猟は続きます。

◎10月28日、朝から雨の降る日曜日。またもやムサシ脱走!単管3本、丸太2本計5本の馬栓棒がロープで繋がれていて容易には外せないはずです。母さんは油断していました。ロープで繋がっているので1本ずつ落とせないことがわかったムサシは、器用に棒を交差させて自分の通れるすきまを作たのです。(もっとも細いムサシだから通れたのですが)今回もムサシに軍配が上がりました。母さんの悩みが1つ増えました。

◎10月8日(祝)地元安部地区での第1回コスモス祭り。体験乗馬コーナーにユウが参加しました。子供は30人位のはずなのにリピーターが多くて120人以上の人たちが乗ったようです。ユウちゃん1人(頭)でよく頑張ったね。

10月25日(木)には、やはり地元の草生幼稚園の園児達が牧場にやって来ます。3、4、5才児全員乗ります。今度は、私(クロ)が頑張るつもりです。母さんが日を間違えて10月19日(金)だとお伝えした方が数人あるそうです。「母さんしっかりしてくださいよ!」母さんの代わりに謝ります。「本当にごめんなさい」。

◎最近、母さんが「御飯よ~って呼ぶとどこにいても一番に駆け足で部屋に飛び込んでくるナナコが、上の馬場の草を食べるのに夢中になっていてなかなか戻って来ないのです。短気なユウは、皆が揃わないと餌を入れてもらえないので母さんに(ブギブギ)文句を言っています。そんなに文句言うんだったらユウちゃんが御飯よ~ヴィキキキイイ~ンって呼べばいいじゃない」母さんが言うとしばらく考えてユウちゃんいきなりとてつもない大声で「ヴィキキキイイ~ン」って叫んだのです。効果覿面大慌てでナナコが飛び込んできました。ユウちゃん凄い!でもこれって本当はリーダーの私の役目でしょうね。

◎先日の日曜日、父さん達は湯の山乗馬クラブへパクを見に行きました。7月10日ひるがのから来たばかりだというのに、もうお客様を乗せて外乗に出たとか。いずれは30kmくらいのENDURANCE競技にも出る予定だそうです。「パクちゃん、凄い!まだ3才なのに!」興奮して帰ってきた母さん。私の顔をまじまじと見て「あなた達もパクくらい小柄だったら可愛いのにね」て。たくさん食べさせて大きく太らせたのは母さんなのに・・・・・・・・。

◎三年前、遊馬牧場で産まれた仔馬パク(和名 優榮号)がヒルガノから帰ってくることになり、母さんは大喜び。「ちょっと待って、母さん。どこへ入れるの?パクはもう子供じゃないんだよ。父馬ムサシとは牡同志だから一緒にできないし、母馬ユウとも、もう無理でしょ?」結局「うちのクラブに是非とも」とのお話で湯の山乗馬クラブに行くことになりました。横なら安心です。やっぱりパクは運のいい馬です。そして晴れ男パクが来る7月10日はきっといいお天気になると思います。「パクちゃん、お帰りなさい!」

◎淡いピンクの山桜が終わってもう随分日が経つのに、薄青みがかった山藤がまだ現れません。他所では咲いていたとか。近辺の山々に何かあったのでしょうか。植物は動物より繊細なのでより早く変化を感じ取ります。そして私達動物にもいつかは影響があるはずです。一種の滅びは全種の滅びに通じると聞きます。私達生きとし生けるものが安心して毎日過ごせますように・・・・。

◎ゴールデンウイークの前に、牧場周辺の田植えは完了しました。機械なのであっという間。私達の祖先がお手伝いしていた昔は随分時間がかかったのでしょうね。

高温多雨で草がグングン伸び私達の食欲をそそります。が柵内は食べ尽くしてもはや無く、柵外のおいしそうな草を唯々指を銜えて見ているだけ・・・・と言うわけには参りません。そこでナナコの出番。背が高く首も長いナナコは柵の上から首を伸ばして外の草を食べる事ができます。草が短くなるにつれ柵に覆い被さるように400Kg弱の全体重をかけ夢中で食べているのですが、その内にミシ、メキメキ、バキ!ついに一番植えの棒が折れました。「ナナコありがとう!」これでユウと私も外の草を食べる事ができます。毎日、どこかでこの光景。父さんと母さんは連休中ずっと柵の修理に追われていました。

父さん達と私達の追いかけごっこはまだまだ続きます。

◎近くの草生神社の桜がやっと満開。何年か前に母さんを乗せて桜吹雪の中をカッポカッポ散歩しました。(母さんお姫様気分でうっとり・・・)。いつもなら三月下旬には淡墨桜が咲き、追いかけるようにして神社の桜が咲くのですが、今年は寒かったせいか遅れていました。でもその後に咲くはずの山桜は、例年どうりほころび始め山のあちこちで淡いピンクの色が日に日に増えています。今年は両方同時に楽しめそうです。もう少しすると、驚く程高い所から下って咲く山藤を見ることができます。そしてまぶしい位の新緑の季節。草木の生命力を感じて私達木曽馬も元気一杯です(早く青草食べたいな!)

◎牧場近くの山に、一組のカラスの夫婦が住んでいます。牧場には鳩の餌のおこぼれが沢山あるし、たまにはおいしい若鳩の肉も失敬したりして、かれらにとっては最高の場所のようです。鷹や鷲が鳩を狙ってやって来ても、夫婦の見事な連携プレイで追い払うし、仲間のカラスが応援に駆け付ける事もあります。今年も巣作りが始まりました。産まれてくる子供達のために夫婦は純毛でフワフワの高級ベッドを作るのです。その毛を調達に毎日牧場へ来て、私達の背中でたてがみを引っこ抜き口一杯毛だらけにして何度も何度も山へ運びます。ユウとムサシの毛は固いのか、ナナコと私の毛だけ持っていきます。禿げてくるので母さんが追い払ってくれますが、私としては結構気持ちいいのです。遊馬牧場の春の風物詩です。

◎11年前の3月21日私達木曽馬3頭(クロ、ナナコ、ムサシ)は、馬運車に揺られて岐阜のひるがのから三重の遊馬牧場へやって来ました。私は何度も経験していますが、まだ11ヶ月の幼いナナコやムサシにとっては初めての旅。でも、2頭共着くや否や走り回ったり少し伸びてきた草を食んだり、寝転んだりして元気一杯でした。こちらはひるがのより随分暖かいので、1ヶ月もしない内に長い冬毛に覆われて縫いぐるみのようになっていた私達の体からボコボコ毛が抜け田植え間近の周りの田に飛び散って母さんはハラハラ。来年からどうしようと心配していたけれど、残念(?)ながら、翌年からは、冬毛がのびなかったのです。体が勝手に調節してくれるようです。便利なんだか、そうでないんだか・・・。

◎毎月1日は、ユウの腹囲計測日です。ユウに妊娠の可能性があったので、昨年10月から計測しています。前日の2月29日に皆の前で測った結果、208㎝(因みに、前回出産した時の同じ時期230㎝でした。)この5ヶ月間全く変化がありません。これで、仔馬誕生の望みはほぼ断たれました。それでも諦めきれない母さん翌日恒例の1日に一縷の望みを託して、しつこく測りました。やっぱり208㎝。「ユウちゃん頑張ってよ!」と言ったら、「クロちゃんこそ!」と返されてしまいました。できるものなら頑張りたいんだけど、ムサシが私を怖がるし、高齢出産だし・・・・・・。

◎2月20日は、私の19才の誕生日でした。我々の平均寿命は25才位ですから、人間で言えば60才位になるのでしょうか。ワァー結構な年なんや。自分でもびっくり。でも若いナナコと同量の餌をぺロリと食べるし、一緒に走る事もできるし、毛並みだって艶やかだし、まだまだ若いモンには負けませんよ。

◎人間世界では、いつかは何らかの形で自立して行くものなのでしょうが、私達馬は自立する事はありません。飼馬ですから。でも意志表示はします。例えば、人参や青草をもっと欲しい時、ムサシは前板を強く蹴り、ナナコは水桶をガタガタ揺すり、私は水をひっくり返してアピールします。しかも、しつこく。その結果、私達3頭は怒られ、黙ってじっと待っていたユウだけが、人間の方から察知してくれて真っ先にもらえるのです。私もユウのようにすれば可愛いんでしょうね。あ~あ人間になりたいな。

◎2月2日は、父さんの2回目の手術の日です。母さんが病院へ行っている間、私達はお留守番。各部屋に庭がつぃているので、私達はいつでも外へ出る事ができますが、ムサシだけは、脱走する恐れがあるので扉を閉められて外へ出る事ができません。ちょっぴり可哀そう。ムサシは大人しいし、遠くへは行かないから大丈夫なんだけどな。父さん、早く帰ってきて下さいね。

◎今冬一番の冷たい朝、水桶に氷が張りました。でも薄いので飲む分には支障ありません(ひるがのにいる時は、柵にぶら下がったつららをよくかじったものです。)遊馬牧場へ来た頃は、水桶の氷が厚くて割れず飲めない朝も時々あったのですが・・・・。

◎何年か前、美里という大変美しい村に都会から引っ越してきた家族がありました。幼い3人の子供達を自然一杯の中で育てたっかたのだそうです。私達を見ると、祖父が開田で木曽馬を飼っていたと言うのです。詳しく聞けば、第三春山号の飼育者であった柘植さんの事だとわかりびっくり。絶滅しかけていた木曽馬は、第三春山号によって増やす事ができたのです。柘植さんは、私達木曽馬にとって命の恩人です。そんな立派な方の孫家族が隣村に引っ越して来るなんて・・・・。家族は、よく遊びに来てくれます。最初は、あまり興味を示さなっかた末っ子の男の子が、先日「裏の畑で馬を飼いたい。」と言い出し、「さすが、柘植さんの曾孫!」と、母さんは嬉しそう。先が楽しみです。

◎年明け早々疝痛でお騒がせだったムサシは、すっかり快復して、母さんの顔を見るとおやつの催促。前掻きして訴えるのですが、荒っぽくて板壁に穴があく程です。私なんか前肢で可愛くトントンするだけなのに。聞いてくれないと、水桶の水を鼻先で思いっきり外へ放り出しますけどね。たまたまそこにいた人は全身水だらけ(目標を定めて掛ける事もありますが)。ムサシの場合は、母さんが無視すると、外柵の5本もある馬栓棒を器用に鼻で押し開けて脱走し、近所の人達が置いて下さった野菜を独り占め。不器用な私達3頭は、唯唯指(ひずめ?)を銜えて見ているだけの日々です。

◎新春早々、ムサシの疝痛。きっと食べ過ぎです。気性の荒い種牡は、一般に厩舎の奥の方でひっそりといるものですが、ムサシは大人しいので牧場の入り口にいます。(看板息子ですから)牡のくせに目が優しくてイケメンなのでファンも多く、プレゼントのお野菜を調子に乗って食べたのでしょう。私達牝と違って牡は、体に対する自己管理能力が弱いんだよね。幸い松阪から遊びに来ていたお姉さん(?)方の献身的なマッサージのおかげで3時間程で快復しました。疝痛を起こすたびに獣医さんに注射をしてもらっていた頃を思うと、ムサシも強くなったものです。

◎遊馬牧場にも連日粉雪が舞うようになり、やっとストーブに火が入りました。尤も私達は冬毛に被われているので関係ないのですが・・・・。

今年は、日本でも牧場でも大変な事がありました。来年がいい年になりますように・・・ブヒブヒ!

◎遊馬牧場で飼育されている四頭の木曽馬は、いずれも岐阜ひるがの木曽馬牧場からやって来ました。私クロの他にユウ(白優号)17才。ナナコ(百花号)12才。唯一牡のムサシ(栄山号)12才。

私達木曽馬は、何百年も昔から人と一緒に生きてきました。昭和に入り、満州事変で初めて軍馬徴発。その後日華事変でも沢山の馬達が戦地に行きましたが、1頭も戻る事はありませんでした。又、農耕に役立っていた馬達は機械化によって不要となり、気がつけば20頭余りになっていたのです。絶滅の危機を感じた開田の人達の懸命な努力により現在120頭まで増えましたが、やむを得ない近親交配の影響もあるのか、繁殖はなかなか難しいようです。私も牝の1人(馬)として貢献せねばとはおもっているのですが、こればかりは・・・・・・・・。

◎去る11月27日朝、父さんが牧場で倒れました。母さんは私たちの飲み水を取りに行っていて留守でしたが、たまたま鳩仲間がいてすぐ救急車を呼んでくださいました。何も知らない母さんは、牧場へ戻る途中その救急車とすれ違い「どなたかお気の毒に」と見送ったんだとか。病院で、父さんの心臓が2回も停止したと聞き、母さんの心臓も止まりそうになったそうです。でも12月14日無事退院しました。父さんおめでとう!早く私たちと遊べるようになるといいね。

◎私の名前はクロ(和名:千草号)。経が峰麓の遊馬牧場で飼育されている木曽馬4頭の最年長馬(18才)です。馬世界にも実に様々な事があり、リーダーの私にはつぶやきたい(ぼやきたい?)事が一杯!そこで9年程前から奈良の作家加藤輝治先生発行の動物文学誌にて「クロのつぶやき」のタイトルで、思いっきり発散させて戴いていました。けれども、昨年末長年の目標50巻発刊を目前にして先生は病に倒れ他界されました。どんなに心残りであられた事でしょう。

天国の先生にも届きますよう「続クロのつぶやき」を心をこめて送りたいと思います。

(泣いた木曽馬)

○春鈴の産んだチビも、太一の家族に見守られて日ごとに足腰がしっかりとしてきました。おでこが出ていることと、木曽馬には不似合いな細長い脚がいかにも子馬らしいところでしたが、馬柵の中に放してもらって飛び跳ねているまにだんだんとたくましくなっていくようでした。

○乳房をさぐりあてるまでは、ところかまわず鼻さきでつついたので春鈴はちょっとおどろいて、からだをゆすっていましたが、じきにくすぐったさにもなれたとみえ、目をほそめて静かになりました。そのとき、太一は、春鈴は自分が親になったことを今しみじみと感じているのだなと思いました。

○1時間以上もの、人と馬とがいっしょになったはげしい仕事がやっとおわり、「ドサッ」と子馬がわらの上になげ出されました。難産でした。おじいさんは、ずうっと馬屋にはいったままで、子馬のずぶぬれのからだをわらでふいています。子馬は30分もたたぬまに、カトンボのようなたよりないからだをぎくしゃくさせながら立ち上がり、さっそく、春鈴の乳房に食いついていきました。

○春鈴のおしりのあたりから子馬の足が見えだしたとき、応援の男たちがかけつけてくれました。ぬらぬらとぬれた子馬の足に荒縄がくくりつけられ、おじいさんが掛け声をかけて、頭をひっぱるのにあわせて、皆が綱引きのように縄に力を入れます。

○おじいさんは、古びた扇風機を荒々しい息をはじめた春鈴の顔の前の柱にくくりつけてまわしました。むうっとした午後の馬屋にすずしい風がおこって、春鈴は目を細めました。でもそれもつかのま、波のようにうちよせるお産の苦しみに、春鈴は黒目を下によせ、白目ばかりになったように目をむきだしました。

○母馬の美春も首をできるだけのばしてとなりの馬屋をのぞきこんでいます。太一も気が気でなく学校からかえっても、手伝い仕事もそこそこに馬屋の様子ばかりをうかがいました。春鈴は子馬のときから世話してきた自分のむすめのようなものでした。初産のため産気はなかなかおそってきません。高原にはめずらしい蒸し暑い日の午後、春鈴は悲しげな声をあげました。美春がさかんに馬屋の板に体をぶっつけ、入り口の横木をくわえてガタガタいわせます。

○春鈴のようすがもう今日か明日かと思えるほどさしせまっていて、人も馬も気が気じゃなかったからでした。おじいさんは、毎朝、畑へ出かける前にかならず春鈴のはちきれそうな腹をさすりながら、「もうだいぶ下がってきたのい。早い目にけえってきてやっからしんぱいすんでねえぞ。」といってやります。

○昭和4年、太一が13歳で高等小学校2年になった年、早いもので、母親の美春のしりばかりついていると思っていた春鈴も5歳となって、もうパンパンのお腹をした初産馬のかっこうになっていました。

○美春はふと気づいたように、太一の姿をさがしました。太一はいつの間にか、畑のそばのクリの古木によじ登っていました。「美春」やさしい太一の呼び声で、美春は木の下にかけより、背を差し出しました。太一をのせたものの、からだ中の血のさわぎはおさまらないで、少しゆっくりと走りださないわけにはいかないようでした。

○ガツンという手ごたえと同時に、「グオーン」と、クマのさけび声があがりました。太一が首をひねって見ると、ひづめがクマの口に命中したらしく、血が吹き出ています。いきおいをえた美春が、どんどんあとずさりしながらけりつづけると、クマは戦う気をなくしはじめ、やがて、クマは背をまるめて走るかっこうになり、一気に茂みに駆け上がっていきました。

○あるだけの力を腰と足にこめて、クマの顔めがけて蹴り上げました。逆立ちに近いかっこうになることさえあったので、美春のうしろ足のひづめには、岩でもくだくほどの力がこもっていたことでしょう。しゃにむにけりつづけるので、畑の土が舞い上がり、マメキリが茎ごとクマにむっかてとびちりました。

○相手も必死で、目を血走らせ、真っ赤な大口をひらいて、ガガッ、ガガッとおどし声をふきかけてきます。赤い口は悪魔ののろい、美春はそれにとりつかれてからだがへなへなとなってしまわないうちに、野生馬の本能にうながされて、くるっと、相手にしりをむけました。木曽馬がいちばん自信をもてるのは、このふとい鬼の金棒のようなうしろ足でした。

○太一は声にならないさけびをあげて、美春の前でたおれました。あぶないところでそれをまたいだ美春は、母グマと正面、むかいあったのです。美春は目から火が出るほどいきり立って、前足を振り上げ、クマの前に立ちはだかりました。

○そのとき、目を真っ赤にもえたたせた美春がおどり出ました。耳をうしろにたおし、唇をめくり上げ歯をむき出しての攻撃体勢です。「あっ、美春!」とつぜん、とび出した美春のすがたに、母グマもよほどおどろいたらしく、一度は背を見せたものの、手をひろげて美春に走りよる太一を見て、子グマに危害をくわえるものと思ったのか、母グマの本能に火をつけられ、黒い岩がおちてくるようないきおいで、こちらにむかてきました。

○子グマたちは思わぬ方向の茂みから、姿をあらわした母グマにやっと気づいて、マメキリ(とうもろこし)畑の中をつきすすみだしました。もう、絶体絶命です。子グマをむかえに母グマが下りだしたら、太一とまともにハチあわせしてしまいます。

○美春と一緒にとうもろこし畑に行った時子ずれのツキノワグマに出会いました。恐れていた母熊は、なんと、太一がいる近くの茂みから、黒いからだをあらわしました。

○二人とも、うっちゃらかしておいても、馬達が決してどこへも行ってしまわないことをよくしっていて、遊びに夢中です。また、木曽馬たちは、相手が近くだとにおいでかぎわけますが、耳をはたらかせると、人の足音でも二、三00メートルさきのをききわけることができます。

○今年は、太一は美春の背でふんぞりかえって、たびたび村中をあるきまわることができました。その道々、おなじように春駒にまたがってやってくる柳又の隆に出合いました。二人はさっそく道端に馬達をうっちゃらかしておいて、おいかけっこをはじめました。

○チビ、子馬の春鈴がだんだんと大きくなっていくにつれ、世話のしかたもちがってくるのもおもしろいでしょうし、ふたりのあいだにはきっと兄弟みたいな心がめばえてくるにちがいないと、おじいさんはふんでいました。

○数日がたち美春をやっと末川の川原に連れ出すことに成功しました。広い川原は、風と水とがながれていて、いつきても気持ちがあらわれてせいせいします。

○毛布さへかけていないはだかの美春の背にまたがり、まして両足をささえるいちばん大事なあぶみもつけていないものですから、太一は、右に左に大きくうれて、美春をひやひやさせたにちがいありません。

○「ヒョホーッ、ヒョホーッ!」またがってしまうと、さきほどのみじめさはすっかりわすれて、いい気な声をあげてこうふんしています。「シッ、シッ、そら、カバ、シッ。」小屋から外に出されて、いい気持ちなっているところへ、この声ですから、美春はうきうきとしてあるきだしました。

○美春の背はせいぜい120か130センチで、大人なら反動をつけてひょいとまたがってしまえるのですが、まだ少しむりなようでした。「ちくしょっ。」太一は、飼い葉桶のそばにあったバケツを伏せて、そこからようやくのっかかることができましたが、両手で長いたてがみをつかんでぶら下がるようにするものですから、美春はなみだが出るほどいたいのをがまんしなければならなかったでしょう。

○とうとう、ある日、家の人のるすを見計らって、いちばんおとなしい美春を馬屋から外へ引き出しました。美春は、八年前、あの草刈場の変を家にしらせにもどったかしこいメス馬で、おじいさんによって人をのせるくせをつけさせられていました。そして、おじいさんの見よう見まねで、美春の顔に面綱をつけると、こんどはその背にとびのろうとしましたが、二度、三度と横腹をずりおちてしりもちをついてしまいました。

○大正十三年、八歳、尋常小学校三年生になった太一は、とにかくなんでもやってみたいやんちゃざかりの年ごろなので、カバたちの飼い葉桶に切りわらをいれるという手伝いだけで、おとなしくひっこんでいるはずがありません。

○春の馬屋肥え出し、夏の草刈りと馬屋埋め、秋の馬屋肥え出し、冬の舎内飼い、そして、そのあいだをぬうよう、四度の放牧と三度の舎内飼いのくりかえし。木曽馬にめぐってくる一年の月日は、そのまま、開田村にすむ人々のくらしの月日とかさなりあっていました。

○子馬のうちはやせてもいて、まだかっこうもわるくなく、足取りもとぶようにかるいものでした。子馬が小さな崖をのぼりづらくしていると、母馬が鼻面をわき腹にあてて、押し上げているところも見ることができました。御嶽山の頂の白雪が、山ふもとの開田高原にもおりてくる十一月のおわりごろになると、二月もの山林放牧はおわり、カバ(木曽馬)たちは家にもどって馬屋ぐらしがはじまるのでした。

○早朝母馬達は、まだねている子馬の頭のところへ近づき、ぶあついひづめで、ドンドン、ドンドンと地面をたたきました。これには、寝ぞろをかきながらも子馬たちはつぎつぎと起き上がらなくてはしかたがありません。太一は、母ちゃんにたたきおこされる自分の朝を思い出して笑ってしまいました。姿を見つけて走りよってくるなん頭かの子馬がいましたが、動き出したむれの中から、「ヴフルフルッ。」と母馬がよぶと、あわててもどっていきました。

○放牧の木曽馬は、10頭あまりの親馬たちが立って作っている輪の中に、今年生まれの当歳馬や二歳馬がいて、たてがみをかんでふざけあったり、もうねそべっていたりしています。こんな形をとって親たち子どもらを夜の闇からまもっていたのです。

○明治のはじめでその(木曽馬)数は全国で10万頭をこしていました。とくにおおい開田村では人と馬のくらしは切りはなすことができず、人の一年は馬の世話によって決められているといってもよかったのです。

(8月)

◎皆さんご支援宜しくお願いいたします。

(6月)

◎13日の交配も雨で上手くいきませんでした。

(5月)

◎16日交配します。

(4月)

◎まだのようですので、5月連休中に交配します。

(3月)

◎14日(日)交配します。見学お越し下さい。

(2月)

◎2回交配を試みましたが、発情がまだのようです。来月に延期します。

◎いよいよ各日曜日に交配いたします。見学の方連絡の上お越し下さい。

(2010年1月)

◎青毛に見えますが、トチ鹿毛と言うめずらしい色です。来月交配予定です。応援お願いします。