____/A Note of "Flavius Josephus's Books of the History of the Jewish War against the Romans."

「フラビウス・ヨセフス ユダヤ戦記3 秦 剛平 著 - 山本書店」を読んで、興味深い箇所をメモとして残した。

柏木 明博

ユダヤ戦記3 山本書店 p.23 「クサンティコス の月の第十四日の除酵祭」

ヨセフス ユダヤ戦記2(II,III)土岐健治訳 日本基督教団出版局 P.112 第20章(556) 「ケスティウスの不運の後、貴顕のユダヤ人の多くが、まるで沈みかかった船から泳いで逃げ出すように、町(エルサレム)を後にした。」※貴顕:身分が高く、有名なこと。また、その人やそのさま。日本国語大辞典4第二版(小学館) P.55

「(256)実際これらの連中は、互いに加えあった以上の損害をローマ軍から被ることはなかったし、またエルサレムの都がその後に経験した不幸も、彼らの抗争のためにうけた被害と比べれば、何ら目新しいものでは無かった。都は既に陥落前にこうした悲惨な目にあっていたのであり、都にやって来たローマ軍こそ都に解放という大きな親切をしてくれたのである。(257)そこでわたしは次のように言いたい。抗争が都を征圧し、ローマ軍が城壁よりも頑強であったその抗争を征圧したのだ、と。そしてまたわたしは言いたい。わたしたちが被った不幸は同胞たちに帰因するもので、ローマ軍はただ正義の復讐を彼らに加えてくれただけだった、と。ともあれ、これらの事件を通してこの戦争をどう見るかは、人それぞれの判断に委ねよう。」-ユダヤ戦記 3 (ヨセフス著 奏 剛平訳) P.54,55

「(363)おまえたちは自分たちの命と市民の命を大切にし、祖国と神殿を救うべきだ。祖国と神殿には異邦人以上に無関心であってはならない。ローマ兵は神殿の奉仕にあずかることはできないが、敵の聖なるものに畏敬の念で接し、今でも手を掛けるのを控えてきた。それに反しておまえたちは、聖なるものの中で育てられ、許されて生きながらえればお前たちだけがそれにあずかれるのに、それを破壊することに熱心だ。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.74 奏 剛平 訳

「(445)まことに彼らは上町から火の手が上がり聖所が焼けるのを見ても、嘆きもせず、涙ひとつ流さなかった。逆にそのような悲嘆の感情はローマ兵の間で見られたのである。神殿の焼失については、先へ進んで詳述したいと思う。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.93 奏 剛平 訳

「兵士達は何の害も受けることなく城壁の下を掘り、(他方では)聖域の門を炎上させる準備を進めていた。(538)そこで恐ろしい驚愕が叛徒たちを捉えた。多くの者たちが、町はすぐに陥落するものと考えて、あたふたと町の外へ逃げ出した。逆に市民たちの方はこの事態に力づけられ、悪人どもの退却に合わせて城門を開いて恩恵付与者としてケスティウスを迎え入れるべく、城門に近づいた。(539)彼はもうしばらくがんばって包囲攻撃を続けてさえいれば、じきに町を手中に収めていたことであろう。しかし、神は悪人どもの故に既に聖女をも見棄てて、その日戦争が終わるのを妨げられたのだと、私には思われる。(540)というのも、ケスティウスは、包囲されている者たちの絶望も市民たちの心の動きにも気付くこと無く、突然兵士達を呼び戻すと、何の打撃も受けていないのに不可解にも望みを失い、街から退却し始めたのである。」-ヨセフス ユダヤ戦記2(II,III)土岐健治訳 日本基督教団出版局 P.109 第19章

「(叛徒たちは、投降者たちがローマ軍に虐殺されたと再び悪質なデマを流した。その意図はもちろん、残りの者に投降を思いとどまらせることであった。(117)事実この企みは前回と同様、しばらくの間効果を上げた。恐怖のために投降するものが絶えたからである。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.138 奏 剛平 訳

「聖所をとり囲む庭は多数の屍が散乱して共同墓地と化し、聖所自体が要塞の観を呈した。彼らはこの神聖不可侵の場所に武器を手にしてなだれ込んでいった。その手は同胞たちの流した生あたたかい血で汚れていた。彼らはありとあらゆる種類の犯罪をやってのけた。ローマ兵は自分たちの聖所が冒潰されれたかのように彼らに怒りを覚えたが、それは、ローマ兵がそのような悪辣非道なことをユダヤ人に行えば、ユダヤ人が当然覚えるように怒りであった。聖所を畏敬の念で眺めぬローマ兵は一人とていなかったのである。彼らはみな、聖所が取り返しのつかぬ災難に会う前に、無類観どもが悔い改めてくれるように祈った。ティトスはますます心を痛め、ヨハネとその手下どもに再び非難を浴びせた。「見さげはてた者たちよ。おまえたちの聖所の前に仕切り壁を立てたのは、一体誰だったか。おまえたちではなかったか。そのしきり壁に石板をとりつけ、ギリシア語とラテン語で、何びともここより先に入ってはならぬと宣言したのは、お前たちユダヤ人ではなかったか。われわれはそのために、そこに立ち入った者はローマ人であれ殺して差し支えないとしたのだ。不信仰な者たちよ。なぜおまえたちは今その神域で屍を踏みつけて平然としているのか。なぜおまえたちは外国人や土地の者の血で聖所を汚すのか。わたしは父祖たちの神々とこの場所を見守ってこられた神ーその方はもうここにはおられないと思うがーを証人として、さらに、わたしの軍隊、わたしのもとへ逃げ込んで来たユダヤ人、そしてお前たち自身をも証人として、聖所を汚すよう仕向けたのは断じてわたし自身ではないと証してもらおう。戦場を他の場所へ移しても、ローマ兵は一人としてお前たちの聖なる場所に近づいたり、冒涜したりはすまい。いやそのときには、たとえお前たちが望まなくとも、わたし自身が聖所を守ろう。カイサルの言葉はヨセフスを介して告げられた。しかし無類漢どもとその暴君(ギスカラのヨハネを指す)は、この勧告を善意からではなく意気地なさのせいだと考えて一笑に付した。ティトスは、これらの連中には自分自身に対する憐れみの心も、聖所への畏敬の念もないと見て取ると、はなはだ不本意であったが攻撃を再開することにした。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.139-141 奏 剛平 訳

「(161)騎兵隊の兵士の一人にペダニオスと言う男がいた。彼はユダヤ人がついに撃退されて渓谷の方へ追いやられ始めたの見ると、全速力で馬を駆り、逃げ惑う敵の一人ー頑健な体格の若者で、全身を武具でかためていたーの足首をつかむと、馬上に引き上げたのである。そのとき彼は疾走する馬を匠に操り、できるかぎり体を地上に落し、右腕の力と上半身の力を申し分なく発揮して見せた。彼は宝物でも手にしたかのように、この捕虜をカイサルのもとへ運んで行った。ティトスはその男を馬上に引き上げた彼の膂力(りょりょく:背骨の力)に驚嘆し、防壁を破壊しようとした男を処罰するよう命じた。ティトスは以後、聖所での戦闘と土塁の完成に注意を向けた。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.146 奏 剛平 訳

「(170)その場所で隊列を組んでいたローマ兵の大半は、彼を嘲笑った。兵士の中には確かに恐怖にかられた者もいたが、その他の者は、死にたがっているばか者と一騎打ちなどしてはならぬと冷静に考えた。彼らは、生き延びることに絶望した者はとかく渾身の力をふるい、神もすすんで手を貸すことがままあることを知っており、また勝ってもたいした手柄にならず、逆に敗れれば不名誉になり一命を落とすかもしれない決闘などに応じることは、勇敢でもなんでもなく、たんに無鉄砲なだけである、と心得ていた。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.147 奏 剛平 訳

「悔い改めさえすれば避けえたかもしれないこれらすべての災難にあっても、彼らはなお分別をもって行動しなかったからである。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.156 奏 剛平 訳

「ついで他の総督や千人隊長もやってきた。そこでティトスは彼らに聖所の攻略について意見を計った。(239)ある者は戦争の掟にしたがって焼き落とすべきだとした。ユダヤ人は聖所が残っているかぎり、世界各地からやってきて、革命騒ぎを起こしつづけるだろうというのがその理由だった。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.160 奏 剛平 訳

「(241)それにたいしてティトスは次のように言った。「たとえユダヤ人が聖所に上って戦いを仕かけてきても、わたしは連中のかわりに生命の無い物件に復讐するつもりはないし、これほどの建造物を焼き払うつもりは無い。それはローマ人の損失にもなる。聖所が残れば帝国の飾りにもなるのだ」と。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.160,161 奏 剛平 訳

「(250)もっとも神は、はるか昔に、聖所が火で焼き落とされると定めておられた。そしてついに時の車輪が一回転して、運命の火がローオスの月の十日に巡ってきた。その日は奇しくも、その昔バビロニアの王が聖所を焼き払った日でもあった。しかし今聖所が焼き落とされる原因はユダヤ人にあり、彼らこそその張本人だった。というのも、ティトスが退却すると、叛徒たちがしばらく休憩を取ったのちに再びローマ兵に攻撃を仕かけたために、聖所の見張りたちと神殿の中庭で消化に当たっていたローマ兵の間に戦闘が起こったからである。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.162 奏 剛平 訳

「殺された者は殺したものをうわまった。(276)斃(うた)れている死体の為に地面が見えず、兵士たちは逃げ惑うユダヤ人を追跡するために死体の山を登らねばならなかった。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.167 奏 剛平 訳

「(283)ついでローマ兵は外庭の中でただ一つ残っていた柱廊へ向かった。その上には一般市民の女や子供たち、種々雑多の流入者等が6000人避難していた。(284)彼らの処置についてカイサルが何らかの判断を下したり指揮官たちに指示を与えたりする前に、ローマ兵は怒りにかられて下から柱廊に火を放った。そのために彼らのある者は火から逃れようとして、またある者はそれに巻き込まれて落命した。多勢の者の中で助かった者は一人もいなかった。(285) ところで、彼らがこうして滅びた原因であるが、それは、一人の偽予言者にたぶらかされたためであった。その日、予言者は市中の者たちに向かって、神の命令にしたがって神殿に上り救いの徴をうけるように宣言していたのである。(286)実際そのころは、暴君たちのお抱えの予言者たちが多数出現し、やがて神の救いがあるからそれを待つようにと言って一般市民をたぶらかしていた。その目的は、投稿者を一人でも少なくし、恐怖や不安の虜になっている者に希望を吹き込むことだった。(287)とかく災禍にあっている人間という者はこのようなぺてん師にすぐにひっかかり、ぺてん師どもが差し迫った危難からの救いを実際に約束してやると、わらをもつかむ思いでそれにすがってしあうのである。(288)こうしてそのとき、あわれな一般市民はいかさま師や神の使者だと僭称する[得体のしれぬ]連中の言葉にだまされ、目前に迫った都の荒廃を明らかに示す徴に注意を払わず、またそれを信じようともしなかった。彼らは落雷にあって目も心もそれに奪われた者のように、神の警告に聞き従わなかった。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.168 奏 剛平 訳

「お前たちはローマ人が寛大であることに目をつけてわれわれに立ち向かった。わたしはそうとしか考えられない。もともとわれわれは第一に、おまえたちにこの土地を与えて住まわせ、お前たちの同胞から歴代の王をたてた。(334)ついでわれわれはおまえたちの先祖伝来の律法を尊重し、おまえたちの間ではもちろんのこと、異邦人との間でも、おまえたちが望めば律法に従って暮らせるようにした。(335)とくにわれわれは、おまえたちが神に捧げる献金を徴収し奉納物を集めることを認め、それらを携えてきた者に口出しや手出しをしなかった。そのおかげでおまえたちは肥えふとり、こともあろうに、われわれの金でわれわれに立ち向かう準備をした。(336)そしておまえたちはそのような数々の特権を教授する一方、それを豊に与えてくれた者たちにたいしてはそれを武器にした。おまえたちは飼いならされていない毒蛇のように、深愛の情を示した者に毒液を吐きかけたのだ。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.177 奏 剛平 訳

「(358)叛徒たちは宮殿ーそこは堅固なために多くの人々が財産を預託していたーへ急行した。彼らは、そこでローマ兵を追い払うと、集まっていた市民ー8400に達したーを全員虐殺し、彼らの金を奪った。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.182 奏 剛平 訳

「(411)「まことに神は、この戦争中われわれの味方であられた。神こそがユダヤ人どもをこれらの要塞から引きずり下ろされたのだ。いったい、人間の手や装置でこんな塔に立ち向かえるだろうか」と。そのときティトスはこれに類した感嘆の言葉を盛んに友人達にもたらした。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.191 奏 剛平 訳

「あまりにも多くの者が集まりすぎたため、まず疫病が、そして、のにちには飢餓が彼らの命を次々と奪っていった。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.192 奏 剛平 訳

「彼はそれまでソリュマと呼ばれていたこの土地をヒエロソリュマと呼んだ。(439)カナン人の住民はユダヤ人の王ダビデに追放され、王自身の民が代わってそこに移住した。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.196 奏 剛平 訳 ※エルサレムの名前の由来について

「(55)あるとき火事が発生した。火は方形のアゴラ、アルケイア、記録保管所、バシリカイ等を焼き、消火活動がはかどらなかったために火の手は猛威をふるって広がり、全市を焼き尽くした。アンティオコスはユダヤ人を放火犯人に仕立てて告発した。すると、アンティオキア人の中でユダヤ人に敵意を抱いていなかった者たちですら、この災禍のために引き起こされた混乱に巻き込まれ、たちまちその中傷に欺かれ、先に発生した一連の事件から、アンティオコスが並べ立てる嘘八百の言葉を今度は信じ、確かに自分たちはユダヤ人が放火する現場を目撃したと思い込む始末だった。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.208 奏 剛平 訳

「(114)都には莫大な財があった。そのうちの少なからぬものが廃墟の中から発見され、ローマ兵はその大半を掘り出したが、彼らはすでに財の大部分ー金や銀、その他の貴重な什器等で、その所有者たちは予測不能な戦争の成り行きを考えて土中に埋めておいたーを、捕虜たちからそのありかを聞き出して手にしていた。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.219 奏 剛平 訳

「(232)一方、彼の息子たちは若くして戦争の経験もあり、また並外れた体力もあずかって、ローマ兵と一戦も交えずにこのような災難に耐えることはできなかった。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.238 奏 剛平 訳

「(257)そして彼らは、自分たちの言っていることが嘘だ、でたらめだと指弾されると、自分たちの不正邪悪を道理を尽くして告発した者たちをいっそう手ひどくとり扱ったのである。(259)実際そのころ、ユダヤ人の間ではありとあらゆる不正邪悪がはびこり、彼らが手をつけなかった悪はなく、彼らが犯した以上の犯罪を思いつくことはできないほどだった。(260)すべての者が公私ともに悪に染まって病み、神への不敬行為や隣人への不正行為では互いに相手に負けまいと競ったのである。権力を持つものは一般大衆に不当な仕打ちをし、権力なき大衆は権力のある者を葬ろうと躍起になった。(261)というのも、権力を持つ者は暴君になって君臨するのに熱心だったし、権力なきも者は暴力に訴えて金持ちの財産を略取するのに熱心だったからである。(262)このような不法行為と残虐な仕打ちを、おのれの親族に加えたのはシカリオイをもって嚆矢(こうや)とする。彼らは犠牲者たちにあらゆる類の侮辱の言葉を吐き、彼らの身を破滅させるためには非道な事すべてをやってのけた。(263)しかし、そのような彼らですら、ヨハネと比べれば、まだしも穏やかだったほどである。というのも、ヨハネに至っては、正しくて有益な事をといた者すべてを、市民の中の憎悪すべき最大の敵として処刑したばかりか、多勢の手下を使って祖国をおびただしい犯罪ー神に対して不敬な事をやってのける連中だけが働くような悪ーで充満させたからである。(264)事実、食卓での彼は、律法が認めない料理を口に運び、慣習とされている清めの掟をすでにないがしろにしていた。こうして彼は常軌を逸し、神への不敬行為を平然と働く者になりさがっていたので、同胞にたいして穏やかに振る舞ったり、思いやりをかけたりすることができなくなっていても、不思議ではなかった。(265)ギオラの子シモンも例外では無かった。彼が手を出さなかった犯罪が一体あっただろうか。彼の乱暴な行為で、自分を暴君に仕立ててくれた自由人たちの身体に加えないものがあっただろうか。一体、いかなる友情や仲間意識が連中をかくも大胆にさせ、連日の殺人に狂奔させたqのだろうか。かれらは外国人に悪を働くことを取るに足らないことと見なし、もっとも近い親族を手荒く扱うことこそ勇気の証左と考えた。(267)しかし、彼らの気違いじみた行為も、イドゥマヤ人の狂気の前には兜を脱がねばならなかった。これらの卑劣漢どもは、大祭司たちを惨殺して神への奉仕をいっさい中止させると、残っているわずかな統治組織ですらずたずたに寸断し、(268)あらゆる所に無法をはびこらせたからである。しかし、この無法で彼らの上をいったのがゼロータイとよばれる徒党を組んだ連中だった。(269)というのも、彼らは悪の範例をすべて模倣し、人類がかつてなした悪という悪をすべて熱心に追求したからである。(270)か彼らは徳の実践に熱心であるかのように装って自らをゼロータイと呼んだが、そうした呼称は、彼らの犯罪ー彼らは野獣のように残忍だったーの犠牲者を嘲笑するためか、あるいは悪のうちでもっとも悪質なものを善と思い違いしているか、そのどちらかを示すものだった。(271)しかし、彼らの一人一人の最期こそは彼らにふさわしいものだった。神は審判官として、彼ら全員にその悪行にふさわしい報復をなされたからである。(272)そなわち彼らは、生の最後の瞬間まで、およそ人間たるものが耐え得る拷問のすべてにかけられ、さまざまの責め苦にくるしめられながら死んでいかねばならなかったのである。(273)もちろん、彼らの受けた苦しみも彼らが与えた苦しみと比べれば軽いものだった、と言う人がいるかもしれない。(274)しかし、ここで、わたしは彼らの残忍非道な行為の犠牲者たちのために嘆くことを差し控えー彼らはそれに値するがー、中断した話を続けたいと思う。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.242 奏 剛平 訳

「(330)しかし、見るがよい。神はわれわれの期待が虚しかったことを示され、想像もできない危難をわれわれにあたえられた。(331)難攻不落と思われたこの要塞ですら、われわれが生き延びるには役立たないのが分かった。確かに、充分な食糧と大量の武器、とれに他のすべての必需品の潤沢に手元にあるが、それにもかかわらず、まちがいなく神ご自身は、われわれの生き延びる希望を断たれてしまたのである。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.253 奏 剛平 訳

「では、ユダヤの国土でローマ人との戦争に参加した者たちの場合はどうか。彼らは全員、勝利を確信する希望に満ちていたが、一体何が彼らには欠けていたのだろうか。(370)武器、城壁、難攻不落の要塞、自由のためにはどんな危険にも動じない精神等が、すべての者をローマへの反乱に駆り立てた。(371)しかし、これらと言えども短期間の助けにしかならなかった。すなわち、それらはわれわれをちからづけてはくれたが、そのために、さらに大きな災禍をこおむることになった。すべてが敵の手に陥った。すべてがそれをつくった者を守るのではなく、敵の凱旋をいっそう華やかにするためであるかのように敵の手に陥った。」-ヨセフス ユダヤ戦記3 P.260 奏 剛平 訳

以上