あゆみ

ふるさと探勝会のあゆみ

放送大学茨城学習センター

ふるさと探勝会

1999~2017

恋瀬川から筑波山を望む(石岡市)

目次

1.サークル活動雑感 吉村 政一

2.ふるさと探勝会によるもう一つの楽しみ 矢野 正義

3.ふるさと探勝会について 堂本 一成

4.ふるさ探勝会の思い出 葛貫 壮四郎

5.ふるさと探勝会 第41回例会の思いで 立原 やい子

6.日本人のルーツ 市毛 修

7.ふるさと探勝会大好き 石黒 敬子

筑波山頂にて

1.サークル活動雑感 会長 吉村政一

放送大学茨城学習センター開設20周年おめでとうございます。この記念として、 ふるさと探勝会は本冊子「ふるさと探勝会のあゆみ」を発行しました。 この冊子の発行は、センター長のご提案に端を発したものですが、さらに会員およ び関係諸氏のご支援ご協力のもと完成しました。 これまで年4回の例会を着実に運営継続できましたことに感謝し改めて皆様にお礼 申し上げます。 ふるさと探勝会は平成11年発足以来18年間、実に69回の例会を催行、訪問箇 所のべ356か所、参加人数のべ1556名にも及びます。現在の会員数は約60名、茨城学習センタ ーのサークルの中でも最大人数です。 会長に就任当時と5年余りを経過した今を比較しながら、サークルの意義を再考するとともに、その 運営に試行錯誤している現状を述べてみたいと思います。『 』部分は2013年3月「よかっぺネッ ト/時の人/放送大学に学ぶ」に会長就任1年後に寄稿したものから(原文と多少の変更はあります) サークル活動に関する部分を読み返し、加筆修正し再掲させていただきました。繰り返しになりますが ご容赦ください。

『サークル活動は通常の学習とは別の学生としての楽しみだ。孤独になりがちな学生生活に潤い を与え仲間との交流を深める、この年齢になってサークルを通じた新たな友人ができるのも嬉し い。放送大学の欠点に通信教育にありがちな学生が持つ孤独感がある。ほとんど毎日顔を会わせ られる通学生とは異なるこの点は欠点と言わざるを得ない。面接授業があるとはいえ2日間の授 業で孤独感を軽減するのも難しい。1回目を卒業するまでの約5年間は孤独感を体感せざるを得 なかったが、2回目の入学からは同窓会やサークルに入会し、その活動を通じて孤独感からは解 放された。もし今、孤独感に悩まれている学生がおられるなら、サークル活動に積極的に参加さ れることをお勧めする。在学中からでも参加できるし、また会員にはOB/OG(とはいえ ほとんどが現役学生)の方も多く、それら先輩方にいろいろ学べるのも有意義と思う。私の場合 「ふるさと探勝会」への参加は、茨城とその周辺を深く知るよい機会となり(注:私は三重県出 身)、さらに参加者との交流はその面白さと孤独感からの解放を与えてくれた。入会から4年間ほ どは自由気ままに例会参加を楽しんでいたが、24年3月その会長に推された。(注:第48回例 会から会長)』

旅行や山歩きを趣味としており、個人旅行には何の苦もないが、本会のように大勢の参加者をまとめ そのリーダーを務めるなど全く思いもよらぬことで、大いに戸惑った。実はその1年前に打診され、 ‘1 年後退職予定も今は現役中’を理由に断るも‘じゃあ1年後にはよろしく’となってしまった(退職予 定は余計だった)。1年後に会長をお引き受けしたのだが、現役生活はその後さらに1年間延長といった 誤算もあった。

『年4回の例会の都度、会員各位にいかに楽しんでもらえるか、努力しているつもりであるが、 歴代の会長さんほどの経験や気配りの素晴らしさ豊富な知識には遠く及ばず、自身が満足できな いでいる。だから会員各位はなおさらであろう。参加者は予定通り集まるか、逆に多すぎてお断 りすることにならないか、会費は(あらかじめ決める)いかほどにすれば収支バランスが取れる か、行程に無理はないか、人数と予算に見合いしかも皆が満足できる丁度良い昼食場所はあるだ ろうか等々、毎回悩むことしきりであるが、ふるさと探勝会の会長は、大学での学習成果のささ やかながら還元の場でもあると思って頑張りたい。 』

読み返しが長くなりました。あれからすでに5年経ちました。責任と役割の難しさに試行錯誤する有 様は5年前と少しも変わっていません。 こう書くと会長へのなり手がなくなるかもしれませんが、実は面白いことのほうが多いのです。

プランニングは個人旅行の楽しさ以上です。下見時の幹事の方々との会話や現地ボランティアや学芸員との下 打ち合わせなども楽しい。各自治体ではほとんど観光課や案内所があり、豊富な観光パンフレットを用 意しており、最近ますます充実してきました。昼食場所もそのような案内所で情報を得、実際にそのお 店へ行って食事、値段など交渉します。例会では皆の笑顔に会え、成功裡に終わったときは素直に嬉し いし、うまくいかないときでさえ皆から感謝され、申し訳なく思うことも多々あるが、いずれの場合も ふつふつと満足感があふれてきます。これは企画したもののみ?が味わえる感動です。 さて印象に残る例会はといえば、参加した全部と言いたいところですが、なかでも、例会第33回(2 0年11月)の常陸太田市の歴史めぐりが初参加であっただけに印象に残ります。この時の印象・居心 地がよく、可能な限り参加したいと思い以来9年間継続、不参加は数回しかありません。 (初めて北アル プスに登山した時、好天に恵まれその絶景に感動。それが山好きになった理由の一つです。もし荒天だ ったら山を好きになれなかったかもしれません。最初の印象は大事だと思います)さらに53回の栃木 県太田市の山城の金山城跡、こんな山奥にとの印象。57回の今でも鉱害跡の生々しい足尾銅山跡、厳 しい坑内作業を想像。62回のミニハイクを楽しんだ花貫渓谷・茨大宇宙科学教育研究センターの巨大 パラボナアンテナの下での横沢センター長の興味深いお話と、茨大五浦美術文化研究所の3.11の被 害からよみがえった六角堂の再建苦労話の三輪先生のお話など、があります。 会員各位の協力のもと、これまでさしたる事故もなく、また催行中止も1回もなく、順調に例会回数 を重ねてきました。参加者数も30名を超えることもたびたび、ここ数年は新たな高速道の開通もあり 県外訪問が増加、幅が広がっています(過去3年間12回中7回が県外)。従来自家用車提供をお願いし 各車に分乗することも多くありましたが、現在は貸切バス利用がほとんどです。バスは皆まとまって行 動でき、車内での解説や連絡も容易など、メリットが多いのですが、一方で最近のバス料金の高騰はで きるだけリーズナブルに抑えたい参加費を押し上げており、また参加人数のばらつき幅が大きくなる傾 向にあるためバス種類選定も、悩ましいところです。 今後ふるさと探勝会は交通網の発達の恩恵を受け広範囲に新たな訪問箇所を増やすとともに、過去1 8年間に訪問した先々も施設や展示物も変化充実が期待でき再訪も考えたいと思います。例会の永続を 目指して、ふるさと探勝会のますますの発展に会員諸氏のご協力をよろしくお願いします。

2.ふるさと探勝会によるもう一つの楽しみ ふるさと探勝会会員(兼同窓会長) 矢野 正義

放送大学の存在を知り、即入学し、無事に卒業して早12年が経ちます。その後は大 学院選科生として半年に1科目の超スローペースで興味の赴くまま学ばせていただいて います。このようにして高度で広範な知識を知り、世界を広げることができることは私 にとって大きな楽しみであります。 一方、入学以来興味を持ってはいましたが、勉学と仕事に追われて時間的に精神的に 余裕がなく、入会できずにいたのがふるさと探勝会でした。その活動を横目で見ながら、 数年が過ぎ入会させて頂いてからは、年4回の例会に可能な限り参加し、茨城や近隣各 県の歴史、文化、産業などを訪ねることがもう一つの大きな楽しみになりました。歴代会長さんの熱心 なリードと各回幹事さんの周到な準備で、個人ではなかなか行かないような場所も含めて変化に富んだ 例会の行先です。私の印象に残るのは朝野洋一元センター所長が自ら解説していただきながら歩いた“水 戸下町ウオッチング”です。光圀公の生誕地や助さん格さんのお墓などを訪ね、城下町にはやはり由緒 ある場所が残っているものだと改めて認識しました。 ふるさと探勝会の意義や楽しみは (1)遺跡・史跡、名所旧跡、産業遺産、各地の博物館、最先端の科学施設などをボランティアや学芸 員の方の解説をお願いしての充実した見学 (2) 見学中や往復のバス車中での多くの仲間との出会い (3) 訪問地の料亭や食事処での昼食(と、一杯のビール:私の場合です) であり、社会人学生の一団らしい“ゆるさ”が楽しさの源だと思っています。 本会は茨城学習センターのサークルの中で会員数が最も多いのではないかと思いますが、その活動は 本会内単独のものだけではなく、茨城学習センター学生研修旅行への共催(これはセンター、ふるさと探 勝会、同窓会三者共催です)、 その他に同窓会との共催も行っており、他団体との交流が盛んなことも大きな特徴であると思います。 このようにセンター内を見渡すような活動を重ねることにより、前述のように多くの仲間との出会いの 機会の提供、強いては茨城学習センターの盛り上げ・発展に寄与できると考えています。 本会創立以来年数が経ちしたがって例会回数を重ね、「もう行くところが無くなった」という声も聞こえ てきそうですが、会員の皆さまの希望を確かめながら一度訪ねたところの再訪、再再訪をして深堀の理 解を図る という方向もあるのではないでしょうか。 そして本会が末永く楽しく続くことを願っています。

3.ふるさと探勝会について 平成 29 年 8 月 10 日 (前会長) 堂本 一成

今年は、ふるさと探勝会が発足してから満 18 周年を迎えました。第 1 回目の例会を 平成 11 年 7 月に県の中心地である水戸で行ったのが始まりで、それから会を重ねてこ の 6 月には第 68 回目の例会を千葉県の銚子で行いました。会員数も発足当初は 10 名 足らずでしたが徐々に増加して現在では 50 名を超えるほどになりました。 初めのころの例会では、参加者が 10~15 名程度で予算の都合もあり、会員の自家用 車を利用していました。そのため行動範囲は狭く県内の探勝に限られました。県北で は日立、高萩、大子方面、県央では水戸、笠間、茨城方面、県西では下館、下妻、結城方面、県南で は石岡、土浦、つくば方面、鹿行では鹿島、潮来、北浦方面などで県内各地を広く探訪しています。 参加者が 25 名を超えるようになり、また北関東自動車道が平成 23 年 3 月に全線開通したこともあ って、マイクロバスや大型バスの利用が可能になりました。これにより栃木県、群馬県、千葉県,東 京方面などの県外にも行けるようになりました。現在では年 4 回の例会のうち半分は県外に出掛けています。 これらの探訪で実感したことは、茨城県は豊かな自然に恵まれていて、歴史的な遺跡や史跡がたく さんあることです。ふだん何気なく通り過ぎていた町にも奥深い山村にも驚くほどの深い歴史があり、 伝統文化が残されているのを発見します。 例会ではガイドさんや土地の有識者にお願いして各所を案内してもらいますが、その手配ができな いときは幹事さんが前もって勉強し歴史的な背景などを説明することにしています。そのほか神社や 寺院の神職や住職から話を聞いたり、村の古老から昔話を聞いたりして地域の人たちとの触れ合いを 大切にしています。毎回の参加者は 20~30 名ぐらいですが、団体で行くため個人では見られないと ころまで入れるのも魅力です。例会での楽しみの一つはお昼の食事です。季節ごとのその土地ならで はの旬の味覚を味わうことができます。参加者が 20 名を超すようになってからは例会の幹事さんは 食事処を探すのに苦労しています。 会の役員は会長、副会長、会計で毎年行われる年度末の総会で選ばれます。また例会の行く先、幹 事もこの時決められます。幹事となった人は例会の 1 ヶ月ほど前に下見をしてルートや場所の確認を 行います。初代の会長は染野千尋さん、続いて葛貫壮四郎さん、堂本、そして現在は吉村政一さんが 会長を務めています。 今までほとんどの例会に参加してきましたが、どの例会も深い思い出があります。そのうちのいく つかを紹介します。第 2 回例会『水戸八景めぐり』は、参加者は 10 名で平成 11 年 9 月に行いました。 水戸八景は、水戸藩の第 9 代藩主徳川斉昭公が天保 4(1833)年に領内を巡視し藩内の景勝地 8 箇所 を選定したものです。コースは、僊湖暮雪―青柳夜雨―山寺晩鍾―太田落雁―村松晴嵐―水門帰帆― 巌舟夕照―広浦秋月です。一周すると約 90 キロで、水戸藩士子弟の鍛錬のためにこの八景めぐりが 奨励されました。現在は車で全コースを約半日で回れます。景勝地の場所には、斉昭公自筆の隷書の 銘を刻んだ碑が建てられており、碑の意匠や形状は碑ごとに異なっています。 「僊湖暮雪」の僊湖は千波湖のことで、碑は偕楽園南崖にありますがいまでは千波湖はほとんど見 えません。かつては季節を通しての眺めは素晴らしかったことでしょう。「靑柳夜雨」は水戸市青柳 町那珂川堤防の柳の木の下にあります。堤防が高く那珂川の姿は見えません。太田落雁」は常陸太田 市栄町の小高い台地の東斜面にあります。かつては真弓千石と呼ばれた水田が広がっていました。「山 寺晩鍾」は常陸太田市稲木町の西山研修所裏にあります。「村松晴嵐」は東海村の虚空蔵尊裏手の砂 丘にあります。当時はこの地から砂浜や海が見えましたが、いまでは砂防の松林で見ることができま せん。「水門帰帆」はひたちなか市和田町にある市役所那珂湊支所の裏近くにあります。高台から那 珂湊漁港を見下ろすことができます。「巌舟夕照」は大洗町祝町にある願入寺裏にあり涸沼川と那珂 川が合流するのが見えます。「広浦秋月」は茨城町にある涸沼の出口に延びた砂州にあり、老松や涸 沼の湖面,遠くに筑波山を見ることができます。 今回の八景めぐりは車で移動しましたが、今でもコースを 3 回ぐらいに分けて徒歩で巡る人もいる ようです。これらの景勝地は土地の造成、道路や住宅の建設でかなり変貌していますが、当時は素晴 らしい景観であったことが想像されます。水戸市は、水戸八景の景勝地のうち「僊湖暮雪」と「青柳 夜雨」の 2 つしか水戸市内にないことから、新たに水戸市内から新水戸八景として 8 つの場所を平成 8 年に市民投票により選んでいます。この他にも日立八景、土浦八景もあります。

第 27 回例会『新緑の奥久慈めぐり』は平成19年 5 月に参加者 10 名で行いました。コースは月居 温泉・滝見の湯―生瀬富士―袋田の滝―月居温泉・滝見の湯―硯工房見学です。JR 勝田駅から国道 118 号線、461 号線で月居温泉・滝見の湯まで約 1 時間 30 分で着きます。今回登山する生瀬富士は、 久慈郡大子町にある標高 406m の山です。滝見の湯を 10 時過ぎに出発。案内は一般のハイキングコー スではないということで、山歩き専門のガイドさんにお願いしました。滝川の川岸を少し歩くと、藪 の多い山道になり、さらに杉の植林地を抜け、伐採地をジグザクに登ると岩のごつごつした尾根に出 ます。尾根を登ると徐々に急になり岩場のロープを使って登ります。岩場はさらに傾斜を増し、ロー プと鎖を使って登り切ると生瀬富士の山頂です。山頂からは視界が開け、筑波山や那須連峰、日光の 山々が見渡され素晴らしい展望です。帰りは急坂の尾根を下り新緑に囲まれた袋田の滝や生瀬の滝を 上から眺めながら月居温泉・滝見の湯に着きました。所要時間は約 3 時間の行程でした。普段平地歩 きには慣れていますが、急峻な岩稜尾根を登るのは大変きつくやっとの思いでした。山をよく知った ガイドさんが、参加者の体調を見ながら親切に案内をしてくれましたので、一人の落伍者もなく全員 無事に登山することが出来ました。温泉は大子町小生瀬地区の住民が共同で管理しているもので、ロ グハウス風の建物でした。温泉で疲れを癒してから隣にある食堂で蕎麦粉の味がよく出た手打ちそば を食べました。食事後水戸光圀公ゆかりの地大子小久慈を訪ねて、小久慈産の硯を作っている佐藤岱 山の工房を見学して帰途につきました。

袋田の滝 『放送大学本部見学会』は、平成 20 年 8 月に学習センター主催、茨城同窓会・ふるさと探勝会共 催で行いました。参加者は 33 名でそのうちふるさと探勝会から 12 名参加しました。見学コースは『大 学の窓』収録スタジオ―テレビ・ラジオ授業番組収録スタジオ―考査室および附属図書館です。本部 見学会を計画するにあたっては茨城学習センターの杉本勝久さんに大変お世話になりました。『大学 の窓』のスタジオ見学の際は、佐多ディレクターはじめスタッフの皆様から丁寧な説明を受けながら、 収録風景を実際に間近で見ることが出来ました。またアナウンサーの宮田さん、二宮さんにもお世話 になりました。テレビ・ラジオの授業番組収録スタジオでは、収録風景をスタジオの窓から見学しま した。また番組が放送される前に番組が基準に適合しているか審査する考査室や貴重な資料が収集さ れている附属図書館を見学しました。この時の本部見学会の様子は後日『大学の窓』で放映されまし た。ふだんあまり関心を払わずに見ていた『大学の窓』や授業番組の制作の裏に、たくさんの人が関 わっていたのがよく分かり、放送大学の授業がより身近に感じるようになりました。

第 35 回例会『水戸のロマンチックゾーンを歩く』は、平成 21 年 5 月に茨城同窓会とふるさと探勝 会共催で行いました。参加者は 30 名で、ふるさと探勝会から 22 名参加しました。コースは茨城大学 キャンパスとその周辺の歴史―曝井―愛宕山古墳・愛宕神社―愛宕町~松本町―常盤共有墓地―茨城 中学・高校~祇園寺―水戸八幡宮―水戸城の堀(三の谷)跡―光台寺―茨城大学キャンパスです。講 師は元茨城学習センター所長朝野洋一先生です。 当日はあいにくの小雨でしたが、参加者は朝野先生の分かりやすい説明に熱心に耳を傾けていまし た。茨城大学キャンパスとその周辺には、「大町櫻之記」の碑や旧瓜連街道の名残があることや、キ ャンパスは水戸第二聯隊跡地、附属中学は工兵十四大隊跡地であることが分かりました。キャンパス を北へ少し進んで坂を下ると竹藪と木々に囲まれた地に、1200 年の歴史を秘めた万葉ゆかりの湧水・ 曝井(さらしい)があらわれます。 『常陸風土記』によると、付近に住む村の乙女達がここに集い、 布を洗い、曝し、乾かしたとあります。 曝井を南に進むと愛宕神社の鳥居前にでます。ここに 6 世紀の築造と考えられる愛宕山古墳があり ます。古墳は全長 136.5mの前方後円墳で、那珂川の西岸に展開する河岸丘上に立地する墳丘です。 墳上には愛宕神社があり火災除けの神様として信仰されています。愛宕町~松本町はかつて兵営兵士 の遊興飲食街でした。ここを通り過ぎると常盤共有墓地に着きます。この墓地は、光圀公によって創 設された藩士の共同墓地で、墓碑の大きさや形も規格が定められていました。ここにはおなじみの「格 さん」のモデルの安積澹泊をはじめ、藤田幽谷・東湖父子、豊田天功など水戸学の学者たち、桜田門 外の変・坂下門外の変などに参加した烈士の墓が立ち並びます。常盤共有墓地から南東方面に進み、 弘道館の伝統を引き継ぐ私学の茨城中学・高校を過ぎると祇園寺に着きます。祇園寺は明から渡来し てきた心越禅師の開山、徳川光圀公の開基による曹洞宗の寺院です。ここには水戸生まれの洋画家中 村彜(つね)の墓があります。 水戸八幡宮は、祇園寺の南東 300m、那珂川をのぞむ崖上にあります。佐竹義宣公が居城を常陸太 田より水戸に移すにあたり、文禄元(1592)年水府総鎮守として当宮を鎮祭しました。一時期他の地 に移された後、現在の地に移されてきました。400 年の風雪を得た今日安土桃山時代の荘厳華麗な姿 で現存し、国指定重要文化財となっています。また樹齢 700 年、葉の先に実を結ぶお葉付きイチョウ は国指定天然記念物となっています。 水戸八幡宮から、水戸駅の東方約 500mにある水戸城の堀(三の谷)跡に着きます。 水戸城は、那珂川と千波湖にはさまれた台地(現 JR 常磐線水戸駅周辺)の先端に築かれた平山城で す。石垣は一切用いず、土塁や空堀によって築かれた土造りの城でした。 現在、県立図書館・県三の丸庁舎前、三の丸・西端には大規模な空堀や土塁が残っています。水戸の 城下町は、東西に長い台地上にある水戸城郭と上級武家屋敷を中心とした上市と、低地に下級武家屋 敷と街道沿いの町屋敷が広がる下市から成り立っていました。上市には、千波湖から切れ込む急谷筋 を利用して幾重もの空堀が設けられました。水戸城下町の一番西側の堀は現在の大工町の交差点です。 今はこの堀は埋め立てられて栄町~大工町通りとなっています。 ここからはまたキャンパスのある方面に戻りました。光台寺は常盤共有墓地と国道 118 号線をへだ ててほぼ向かい合う位置にあります。佐竹義宣が天正 11(1583)年に開基した遍照山義宣院で浄土宗 の寺院です。寺内には明治の文豪菊池幽芳の墓があります。 予定した見学コースはここで終了しキャンパスには 4 時 30 分ごろに到着して解散しました。キャ ンパスを出発したのが 9 時 30 分ごろで、途中昼食を 1 時間取りましたので探訪時間は約 6 時間でした。

この長い時間朝野先生には各所を懇切丁寧に案内していただきました。お陰様でふだん何気なく 学習センターに通っていましたが、改めて水戸市内の深い歴史的背景を知ることができました。 第 35 回『水戸のロマンチックゾーンを歩く』(平成 21 年 5 月)の姉妹編として, 第 41 回例会『水 戸の下町ウオッチング―城東・元吉田―』を平成 22 年 9 月に実施しました。水戸市南側に広がる吉 田台地は、対岸の水戸台地と並んで古くから開けた場所です。先の例会では上市から西の史跡を訪ね ましたが、この例会では下市と吉田台地の史跡を訪ねました。講師は前回と同じく朝野洋一先生です。

以上 …………………………………………

4.ふるさ探勝会の思い出 (元会長)葛貫 壮四郎

ふるさと探勝会には、第2回の水戸八景巡り(1999/9/5)から参加した。まだ、同 好会発足したばかりで、染野千尋氏が代表であった。彼は当時 JR 東日本の勝田駅長 であったため、特に茨城の歴史文化に詳しく、代表自ら資料作成&ガイドをしてい ただきました。その後、 サークル結成が認めら れ 2000/6/25 に正式に、 茨城学習センター公認の“ふるさ探勝会” になった。第4回目の“水戸城跡・弘道館・ 黄門誕生地巡り”は発足例会になった。最初 の会員は10数名であったと記憶している。 その後、染野会長が 2003 年3月で卒業とな り、会長を引き継ぐ人がいなくなった。解散 するかの話にもなったが、私が引き継ぎ、2003 年4月に、第2代目の会長(副会長:葛貫千 栄子、会計:斉藤玲子)に就任した。私は、 第 14 回〜第 29 回まで担当し、その後の例会 からは、3代目会長堂本氏に引き継いた。私 の会長時代のいくつかの例会を思い出して紹 介する。 第 14 回の“岩井市周辺めぐり:現在の坂東 市)”では、坂東の風雲児と呼ばれた伝説の武 将・平将門の座像がまつられている国王神社 や茨城県自然博物館を見学した。車3台に便 乗し、10名の参加があった。岩井高校時代、 この国王神社沿いの道路を毎日自転車で通っ ていた神社である。 第 15 回の”工業都市日立市めぐり”では、 元職場の日立製作所日立研究所の展望台に上 がり、阿武隈山系の最南端から、日立市、太 平洋など眺めた。勤務しているときは、それ ほど感じてはいなかったが、今、思うとなん と環境の良い場所に研究所を建設したものだと感じる。 第 16 回は、大子在住の松本氏案内での“大子奥久慈めぐり”であった。この例会で、印象に残るのは、 地獄沢(生瀬乱)の箇所を見学したことである。前に取り立てにきた偽役人に年貢を渡してしまい、後か ら来た本物の役人を怪しいと思い、村人がその役人を殺してしまった。藩の怒りに触れ、一村全員を皆 殺しされた事件である。生瀬乱のあった小生瀬は、現在、メガソーラー保守のため、通っている地区で あり、当時の例会のことを思い出す。 以上 第 14 回例会 第 15 回例会

5.ふるさと探勝会 第 41 回例会の思い出 会員(副会長) 立原やい子

『水戸の下町ウォッチング―城東・元吉田―』H22 年 9 月 5 日 実施前年に『水戸の ロマンチックゾーンを歩く』に参加、曝井(さらしい)からスタート、保和苑および 周辺史跡等“武家の上市”を巡った。 今回は姉妹編として“商家の下市”巡りであった。どちらも当時茨城学習センター 所長であった朝野洋一先生が一緒に歩いて、それぞれの史跡で説明をして下さった。 この年はとても暑い夏で、当日も酷暑と言える残暑の中、水戸駅北口「黄門さま 助さ ん 格さん像」前を出発、皆で三の丸地区へ向かった。弘道館~旧水戸城薬医門、ここは水戸一高の構内 にあり、旧水戸城の現存する唯一の建造物であることなど、朝野先生の丁寧な説明があった。続いて坂 を下り「義公生誕の地」柵町へ、光圀公については 鈴木暎一 先生の講義、頼房の「水になし申様に」 という命に反し、この地の三木家で誕生、養育され た事を思い出し、歴史の妙を感じた。水分をとりな がら歩を進めて下市へ、栁の並木が風情ある備前堀 に到着。1609 年伊奈備前守忠次によって開削された もので、今も延長 13km の流れが、下市から東の低 地を潤しているという。備前堀にかかる橋のたもと には説明札が立っており、この橋は「銷魂橋(たま げばし)」という。ここは旧江戸街道の起点で、名前 の由来は、藩士の見送りの時に魂が消え入りそうな 思いで、別れを惜しんだ場所だからという。私は日 常で「たまげた(驚いた)」と使うことがあるが、辞書によれば「魂消た」と表記するそうだ。この様な こともあり、銷魂橋はとても印象に残っている。 吉田神社 →薬王院 →吉田古墳 と移動する頃には かなりの疲労状態であったが、最後の明利酒類は、屋内の見学でやや息を吹き返し、水戸駅南口までの下り 坂では達成感を覚えた。 この例会に私は娘と二人で参加、娘は妊娠初期であ ったが歩き通し、翌年 3 月 震災 10 日後に無事出産、 下町ウォッチングの歩きが功を奏したのかもしれない。 孫は今年小学 1 年生になり、忘れられない例会となっ た。

薬医門

銷魂橋

明利酒類

6.「日本のルーツを訪ねる」 ふるさと探勝会会員(副会長) 市毛 修

ふるさと探勝会では、それぞれのテ-マに沿った形で県内外を訪ねているが、「日本 のルーツを訪ねる」のテ-マでは奈良から縄文-石器時代までさかのぼり、最後の見学 場所では東北地方にある縄文時代の遺跡を訪ねて我々の祖先から脈々とつながれてき たのを見ることができた。 ( 編 集 者 注 :「 日 本 の ル ー ツ を 訪 ね る 」 は 同 窓 会 主 催 ) 縄文時代の中頃(約 5500 年前~4000 年前)の大規模集落であった三内丸山遺跡で は、当時の環境や集落の様子が見られ、竪穴住居での居住風景では、現在不足してい ると言われている家族の会話風景が想定された。最後の見学場所の是川遺跡では、縄 文の漆工芸技術が、道具を装飾するだけではなく、強化する目的で使われていたことも判り、漆製品 の高度で計画的な生産活動や感性の豊かさも読み取るこ とができた。 また、「縄文人は突然消えたり、どこかに行ってしまった わけではない。その後の各時代を生きた人々に繋がる我々の 祖先である。」という是川縄文館のボランティアガイドの説 明が深く印象に残った。

筆者は NPO 活動の中で、「安全安心の住みよいまちづくりを 目指して展開しているが、今回の遺跡見学で、祖先が大切に してきた人の繋がりの大切さと豊かな感性を育てることの必 要性を痛感した。

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表―1と図―2に例会10回ごとの参加者数累計を示しました。

[三内丸山遺跡 竪穴住居での居住風景]

7.「ふるさと探勝会大好き」 全科履修生 人間と文化コース 石黒敬子

最近よく忘れる特技(?)を身につけるようになり便利に思うこともあればさて困ったと感じること もある。しかしお気に入りのものは結構覚えている。 約 7 年前に60にして新入生となり周りの様子にも不慣れで学習は印刷教材とパソコンのみで通信制 の一方的な交信での勉強は大げさにいえば一人宇宙に遊泳しているか、地元霞ヶ浦の底に沈んでいるよ うな気分でした。 少し放送大学に慣れた頃「ふるさと探勝会」のポスターを学習センターの掲示版で見つけて、平仮名、 漢字の抱き合わせがなんともユーモラスでやわらかな響きのネーミングにいいもの見つけたの気分にな りました。 入会してわかりましたが会の運営がユニークでした。年数回実施する旅行ごとに2~3人の当番を決 めて下見をします。放送大学の学生なので学習につながる実感を求めながら下見をするため当番の方は 少し負担がかかりますがこの下見が結構楽しいのです。見学場所の設定、昼食の食堂探しとテレビ局の ディレクターなりすまし気分に近くなり、歴史散策、ツアーコンダクター、食ルポと結構頭を使います。 個人的学習になりがちな通信制学習が、仲間と共に共同作業をすることで楽しさも共有し満足感、充実 感にも繋がります。その結果は研修内容の質が良く、費用はリーズナブルです。 心に残ったふるさと探勝会は地元いわき市の方の案内で東日本大震災7か月後の福島県旅行です。白 水阿弥陀堂では仏様のお姿も心ゆくまで拝見でき続いてお庭もこれまたそぞろに散策し南東北のゆるや かな時間の流れを満喫しました。 それから次のようなふるさと探勝会の醍醐味を経験しました。「それではいわき市の津波被害の場所を バスで車窓見学します。本当に被害の大きい所は被災者の方の心をおもいご案内できませんがこれから 案内する所は皆さんに津波被害のすさまじさを少しでもおわかりいただけると思います。被災する厳し さに思いをはせていただきたい」とアナウンスがありました。カメラを介さないで直接見る迫力は何と もいえない説得力があり福島原発事故についての地元ならではのお話しを伺うこともできて放送大学生 の学生として得るものがありました。 元茨城学習センター長の先生も会員として研修旅行に参加して下さっています。先生のにこやかなお 顔をバスのなかで拝見すると楽しい学生気分になるのは私だけではないと思います。何故か先生は学生 に安心感をもたらします。 ふるさと探勝会は毎回テーマがあり流 れとして引き継がれていると思います。 会員の希望、ねらい等の想いを活性化し、 会員相互の理解、協力があり考えていく、 伝えて行くことが続いています。初代会長、現会長それから色々な角度からささ えて下さった会員の方々に感謝いたしま す。これからもよろしくお願いいたしま す。

国宝 白水阿弥陀堂