素敵なゆっくりさんと

ご家族インタビュー

第一回目の「素敵なゆっくりさんとご家族インタビュー」。


【前編】ゆっくりさん(発達障がいのある子)を

育てるということ②

【前編】ゆっくりさん(発達障がいのある子)を育てるということ②


キ:生活面では今どんなことが大変?


く:次男は、まず7歳でおむつであるということ。暇すぎると、おむついじりがある。食事も手づかみで多動がひどいから、食後は散らかるし床を拭いて回らないといけない。小学1年生になって急に「手を洗っておいで」って言うと洗えるようになったり、最近目覚ましい成長をしていて家族は喜んでます。

ただ、常に何をやってるかアンテナを張っておかないとならなくて目が離せずにヒヤヒヤするのは変わってないかな。「静かにしとるな~」と思ったら、だいたい何かやらかしてる。棚が壊れてるとか、カーテンをひっぱるからカーテンレールが歪むとか、ゴム製品が好きでよく噛むから電化製品が壊れてるとか。多額なお金を投資させるやつ(笑)。

あとは睡眠障がいがあるので、薬を飲んでても調子が悪い時期とか、何かがあってフラッシュバックがあったら眠れない。ショートスリーパーだから、0時とか2時に目が覚めたら、その日の昼くらいまでずっと起きてる。その間布団の中でじっとしてる訳じゃなくて、急に泣き出したり癇癪が起きることもあるし、他の子どもたちを起こしたり、何かを噛んだり、どこかに行ってしまわないよう、一緒に起きてるしかなくて。


当時2歳でそう言われて、死にそうだった。
あと6年間どうするんって(笑)。

キ:長女については?


く:長女は、先生たちの勉強会で症例を挙げられるくらい特性が稀なパターンらしいんよね。自閉症の方は、例えば何かの問題を与えられて答えを間違えたとしたら、「あなたがこんな問題を作ったからだ」って、人のせいにしてしまう特性を持つ人が多い。でも、あの子の場合は「なんで私分からないの、私がダメなの?」ってなる。IQが高い割には不安感が強いタイプらしくて。IQが高いというのは、2~3歳でひらがなを全部書けたし、車のナンバーも一瞬見て覚えられる。今は駐車場の場所とかを覚えてもらってるけどね(笑)

でも、あの子が2~3歳くらいの頃の癇癪がとにかくひどくて、一番参った。学習面とか食事の面とかは大丈夫だったけど、自閉っこの特性である人の介入がダメっていうのが一番ひどかったから。介入というのは、誰かから何かを訂正されること。ふつうは介入という概念を持って生れてくるらしい。だから、赤ちゃんはお母さんを追いかけるんだよね。でも、それがない子たちなので。

一番ひどい時期、「服が裏返しだよ」って言っただけで、泣き叫んで暴れるのが30分くらい続いたり。感覚過敏がひどくて、パンツも全部脱いで疲れ果てて寝るけど30分後に起きてまた泣き叫ぶとか。当時は、夜中にこっそりパンツ一枚だけはかせて、真冬だったから風邪をひかないように毛布でぐるぐるに巻いたりしたなぁ。

今は、オシャレに興味が出てきて「可愛いね」って言われるとかなり色んな素材の服を着れるようになってきた。一般的に感覚過敏のピークは8歳までと言われてるんだけど、当時2歳でそう言われて、死にそうだった。あと6年間どうするんって(笑)。当時はパンツもはけない日があったから。小学校のときに服が着れなかったらどうするんってどん底やった。


「警察に通報して私を逮捕してくれんやっか」って言ったのを覚えてる。


キ:あの頃、確かに途方に暮れてたね。まぁ、何とかなるやろって思って軽く構えてましたね私は。ごめんなさい・・・(笑)。


く:あの頃は、療育を始めたばかりで、子どもには自分自身でパニックをおさめさせるべきとか、バーーッと色んな情報が一気に入ってきた時期だったんよね。いきなり薬を飲みましょうとはならないから、どういう子かっていうのを観察してもらうという療育が週一回あっていた時で。


当時住んでいたのはアパートの2階の2LDK。昼夜問わず長女の癇癪が続いたから、隣室の方にも1階の方にもご迷惑をかけるっていうヒヤヒヤ感があって。夜中に、魚焼きグリルのガラスが反射してキラキラしているのが嫌だったのか、ガラス戸に手をバンバン叩いて腕があざだらけになっても止めずに叩き続けてた。


他の子どもたちは寝てたから、泣き叫ぶ長女を当時は毎日、片道約1時間半かかる福岡市まで、朝まで8時間のドライブに行ってた。大きな駐車場で仮眠を取ってコンビニを転々として。1カ月半それが続いて、毎日1時間しか寝てなかった。よく生きてたなって自分でも思う。それでも毎日幼稚園の弁当とか旦那さんの弁当も作ってたし、今から考えると自分は錯乱状態やったね(笑)。


そんな時、家族に寝られんからどうにかしろって怒られて。そう言われてもどうにもならんし、本人もキツイのは分かってるんだけど、子どもがもう憎くて仕方なくなって。この子がおらんければって思ってしまった。長男がずっと我慢してくれてたのも可哀そうで。「何が不満っていうんよ!どうしたらいいと?」って、あの子をベランダから投げ捨てそうになったことがあった。でも本当に当時のことは記憶があんまりなくて。感情を思い出せと言われても思い出せないし、とにかく誰か助けてって思ってた。

あの頃、この場から逃れたい一心で保育園の先生に「警察に通報して私を逮捕してくれんやっか」って言ったのを覚えてる。そしたら、この子たちはしかるべき施設に行けるし、そっちの方がいいんじゃないか、自分じゃ育てきれんって思うから逮捕してほしいって。「そこまで?」って先生に言われた。親の責任として育てていかないといけないのは分かってるけど先が見えないから、いつまでこの苦しみの渦の中におらんといけんのやろって。


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