笠井亜美さん
大阪女学院大学2008年卒業。大阪市西成区にある認定NPO法人釜ヶ崎支援機構で、生活や就労の困窮にある人々を支えている。(2024年12月取材)
「5歳の時、街で見かけたホームレスの人を見て泣いてしまった経験があります。その人の存在が怖くて泣いたわけではなく、周りの大人たちが、その人がいないかのように通り過ぎていくことがショックで。『なんで?どうして?』という憤りからの涙だったと思います。その記憶が自分の中で強く残り続けました。『愛する』の反対語は『無関心』だといいます。今も私が一番嫌いなことばです」。
社会のことなど知る由もない幼い頃の違和感を胸に刻んできた笠井さんは、2004年に開学した大阪女学院大学の1期生。新聞の全面広告で「英語で国際問題を学ぶということや、女性のリーダーシップについて書かれているのを見て、惹かれました」。
そうして新しい大学に入学し、学んだことは。
「大阪女学院大学では、自分の意見を言うことを求められ、人の意見を否定しない環境がありました。普段仲のいい友達でも、授業のディスカッションで意見が違ってガチバトルみたいになることもある。でも終わったらすぐ普段どおりに戻る。こういう関係がすごく新鮮でした。社会に出てからも思うのですが、トピックに関して自分の意見を言い合えるというのはすごく大事です。また、一つの視点ではなくいろんな視点から物事を見ることも学べました。自分とは真逆な意見でも、まずはその人の話を聞く。今も私の基本です」。
1年生の時の人権教育講座で「ホームレス問題」の講座を受講し、専攻では国際協力コースを選択した。国際協力コースで、日本国際飢餓対策機構の方が来られてお話を聞く授業があった。「現場のリアルな話や、表面的に見ている社会のこと、学生の自分が生きている世界の側面を知り、すごくおもしろかったです。一般の企業に勤めたとしても、それを知っているのと知らないのでは生き方の濃さが違うなと思います」。
知らないということがイヤで全部知りたい気持ちから、履修できる授業はすべて履修したといい、「学費の元を取らないともったいない!という精神もありましたね」と笑って付け加えた。
また、それまでは、ホームレス問題に関心があると言うと変に思われることもあって、あまり言わずにいたが「この大学に入ってからは全然そんなことはなかった。ボランティア活動を友達と一緒にやりながら、将来を考えた時にホームレス問題にかかわっていきたいという思いが強くなっていきました。ホームレスの方の中には精神疾患の方や知的障害の方もおられると聞いていたので、大学卒業後まずは専門学校へ進学し、精神保健福祉士の資格を取得しました」。
数年間、病院でソーシャルワーカーとして経験を重ね、30代でホームレスを支援する別の団体を経て、釜ヶ崎支援機構に至る。
西成区で生活保護を受けている15歳以上の人のサポートが主な仕事。日常的な訪問や相談、病院への付き添い、社会に慣れるためのプログラムや、若者層の支援に目を向けたシェアハウスの運営など多岐にわたる中で大切にしていることは「対、ひと」。「人しか見ていない」と言い切る。
「ホームレスの人たちに対して私も若い頃はこわいなというイメージもありました。でもこの場所に来てわかったのは、本当に色々な人、色々な団体が活動していて、繋がっている、助けてくれる。“頼れる地域”なんです。まずは関心を持つ、そして事実を知ってほしい。支援している団体や人の話を直接聞いてほしいと思います」。
今そしてこれから、大学で学ぶ人に伝えたいことは。
「今の時代、常にたくさんのいろんな情報が入ってくる、中には偏った報道もある。自分の視野、視点を持って、“自分はどう考えるか”と意識することがだいじだなと思います」。