特濃な大学生活
自分から動く。前に進む。その力の源は
自分から動く。前に進む。その力の源は
橋内かな子さん
大阪女学院大学2016年卒業。外資系金融機関に勤務し、激動の世界金融市場に向き合う毎日を送る。(2025年11月取材)
「新卒の就活で苦渋を飲んだ外資系金融機関を諦めきれず、10年を経て、努力と人とのご縁でつかんだ憧れの職場で仕事をしています」。
日々動き続ける金融市場に対峙し活躍する姿にはvitalityという言葉がピッタリだが、意外にも「高校生の頃までは、普通が一番と思っていました」。
きっかけは高校の時、進路説明会。大阪女学院大学の加藤学長が来られて、話を聞いた。社会人経験を経てアメリカ留学の夢を叶えた話、学び続ける意欲とチャレンジ精神あふれる姿に魅了されて、OJUへの入学を「加藤先生一択で決めました!」と笑う。
そこからスイッチが入り、大学では勉強も課外活動も全力で取り組んだ。3年次に「海外に行くのも初めてだった」アメリカ留学でも「必死のパッチで勉強」し続けて、経済学のゲーム理論を専門家の教授と議論できるまでに。
高校までは「何をしたいかとかも特になかった」が、自分から学び続ける大学生活を送った。なぜそう変われたのだろうか。また、そんな彼女が「苦渋を飲んだ」という最初の就活から「憧れの職場」にたどり着くまで、どう歩んできたのか。
それは挫折から始まった。OJU4年間の充実した学びと成長を自信に就活に臨み、世界的な外資系金融機関へ挑戦するも、夢はかなわなかった。面接で一緒になったのは名だたる難関大学の学生ばかり。面接官から自分だけが質問されなかった時もあって非常に悔しい思いをした。「学歴の壁」を否応なく感じさせられたという。
悔しさを胸に秘めながら社会人生活へ、外資系IT企業からスタート。次に、英語学習コーチング企業。その後、海外からの日本駐在員サポート企業に転職と、大阪女学院で培った英語力を生かして様々な職場で経験を重ねていった。
「海外からの日本駐在員サポート自体とても面白く、このまま秘書職に甘んじることもアリかと思い始めていた」ころ、出会った某外資系カフェチェーンの米国本社役員からこう言われた。「26歳で秘書になることを夢見るんじゃなく、自分が秘書を付けてもらえるようなキャリアをめざせ。私が君の年齢だった時は宇宙飛行士になることを夢見ていた。壮大な夢を見ないといけない」。
その言葉に大きく背中を押され、その後、コロナ禍で国を跨いだ人の行き来がなくなり駐在員サポートビジネスが縮小したこと、Linkedinで金融データベース企業から声がかかったことが、大きな転機となった。
こうして機関投資家向けの投資データベース・ベンチマークを提供する企業に「未経験での入社だったので、死ぬほど勉強しました(笑)。平日は毎日夜に勉強、週末は朝から10時間の時間割を作って勉強です」。
また、この金融データ会社は「国内外の金融機関がお客様なので、新卒の面接のとき同席していた東大生や京大生がお客様の中にいた可能性もあります。そのような方々に市場データを提供したり、市場の動きについて質問を受けることもありました。ここで、新卒の就活での苦い思い出が蘇るとともに、私の野心が沸々と湧いてきました」。
やがてこの金融データ会社が米国の金融機関に買収される話が社内で出始めたときに「このままマンモス企業の傘下で埋もれていくのか、小規模でも外資系金融機関をめざしてみるのか、という選択が浮かびました」。
そのタイミングでまたLinkedinを通して声がかかったのが現在の企業である。こうして卒業から10年。著名大学・難関大学出身のビジネスパーソンたちと共に世界の金融市場のフィールドに身を置いている。
「小さな女子大出身の私が、この看板でどこまでやれるか」。悔しさと闘志でバリバリ突き進んできたような人。しかし「全然そんな人じゃなかったです。高校の友達にも『そんなに上をめざすタイプだったっけ?』と驚かれます」。
なぜ変わったのか。ここまで頑張れたのか。
即座に挙げたのは大学時代の「“キチク”の課題(笑)。卒業式でもこのことをスピーチしました。毎日課題で忙しいからメイクも時間かけられなくなる。入学当初はキラキラとメイクしてても1年持ちません(笑)」。これは実に多くの学生から聞かれる“OJあるある”の1つでもある。
プレゼンテーションでは「『このテーマで何を伝えたいのか、どうしたら伝わるのか』を考える。一つのトピックに対して表・裏の両面から見る」。
こうした学びを繰り返して、「そのときは意識してなかったけど、力がついたことがわかりますね。社会人になってからの方がラクかなと思うくらいなので(笑)」。
そして「先生方との距離感が圧倒的に近い。確固たるキャリアを築いてきた先人のアドバイスをゼロ距離でもらうことができる、小さな大学の良さ」。個性豊かな先生方に背中を押され、友達の頑張る姿に刺激を受けながら、「なんでもとりあえずやってみよう、となる。自然とチャレンジすることが当たり前になっていき、なにごとにも物おじしなくなりました」。
「先生から声かけられるまでやろうと思ってなかった」という課外活動の産官学プロジェクトは2カ年も取り組んでリーダーを務めた。徹夜も辞さず勉強した留学時も含めて「大学生活、色んなことを掛け持ちしすぎて毎日鼻血が出てた(笑)けど、全てやり切って卒業した」とふりかえる。
「なにごとにも物おじしない、怖いもの知らずで“いい意味で型破りなスタイル”が、卒業後も確かな力になっている」からこそ、仕事で大事にしていることは?という問いには「しんどい方を選ぶ。それでクオリティが上がるなら」と言えるのだろう。
新卒の就活時に味わった悔しさに「“学歴ロンダ”も何回考えたことか」と笑いながら、「でも“自分の持ってるもので頑張る”で行こうと。これも大阪女学院テキな考えだと思いますね」。
「人間の活動全てに経済がある」と感じる毎日。常に学びが必要であり、もっと専門的に経済を学び深めたいと思っている。「大阪女学院で鍛えられたバイタリティ、前へ前と進む力は、一生もののエネルギーです」。そのエネルギーがまたどんなふうに展開していくのか、大いに楽しみだ。