北アルプス山麓の豊かな自然の恵みを受けて、雪国の生活に寄り添った食文化を伝える長野県大町市。


標高の高い地域の澄んだ空気、清浄な水、たっぷりの日差しと冷涼な気候、そしてこの土地に暮らす人々の暮らしが凝縮された信濃大町の食文化は、古くからから伝わる生きる知恵の結晶であり、この土地の風土や歴史を最もよく表しています。


里山の原風景に育まれた食から、どうぞ信濃大町を体感してください。

3000m級の山々が連なる北アルプスは荘厳で聖なる場所であると同時に、その麓に生きる私たちに様々な恵みをもたらしてきました。信濃大町駅前の石碑に彫られている「山を想えば 人恋し 人を想えば 山恋し」という百瀬慎太郎氏の句は、この地に住む人々が山と共に生活してきた文化をよく表しています。里山の森は薪や材となって生活を支え、人々は春の山菜狩り、夏の魚釣り、秋のきのこ狩り、冬は熊や猪を撃ちに、四季を通して山へと出かけました。山の食材には、北アルプス山麓に生きる人々の喜びが詰まっているのです。


水はすべての源。北アルプスから流れ出る雪解け水は、地に浸み込んで森を育み、豊かな川となって里の田畑を潤します。川の流れは、豪雨が続けば氾濫して災害を引き起こし、一方で長い時をかけて大町の扇状地をつくってきました。治水・利水を目的とした3つのダムはもちろんですが、張り巡らされた堰やため池など、市内の随所に、水と共に暮らす先人たちの知恵を見ることができます。また、まちなかの8か所に設けられた水場では、北アルプスの伏流水を源とする男清水(おとこみず)と、里山の居谷里を水源とする女清水(おんなみず)を飲み比べることができ、その両方を飲めば夫婦円満、縁結びの効用があるといわれています。


信濃大町の冬は厳しく、畑は雪に覆われて、野菜が採れません。そこで、秋の終わりから、様々な保存食が作られてきました。それぞれの家庭の味を伝える野沢菜漬け、一年で一番寒い大寒の頃に作られる凍り餅や凍み大根、冷涼な気候に育まれた上質の味噌や醤油などの発酵食品、そして稲作に適さない山間地で発達したおやきをはじめとする粉食など、信濃大町の食文化には、命をつなぐ生活の知恵、生きる力が詰まっています。

塩の道「千国街道」は、新潟の糸魚川から長野県の塩尻まで、日本海と内陸信濃を結ぶ大切な交易の路でした。信濃からは麻やたばこ、生薬、大豆などが運ばれ、日本海側からは、塩や海産物をはじめ、様々な文化や芸能が伝えられました。木崎湖畔の遺跡からは、縄文時代以前の交流を示す黒曜石やヒスイなどが発掘されており、この道の古さを物語っています。この千国街道の荷継宿として古来から栄えてきた信濃大町では、かつては中央本通りに町川が流れ、「かぎの手状」の街道に沿って奥行きのある都風の家並みが軒を連ねていたそうです。戦国時代には、名族仁科氏が街を見通す場所に館を構え、江戸時代になると松本藩が代官所を置き、荷物を受け渡す牛馬や行きかう人々で大変なにぎわいをみせたと伝えられています。