これまでの、品があって、エレガントな印象が強かったロードスターに、SUVに塗られるようなアースカラー「ジルコンサンドメタリック」が追加され、その独特なカラーと自由で開放的なロードスターの融合に魅せられた者たちが、人知れず納車を迎えていくのであった。しかし、それは「わかる人にしかわからない」誇り高き不人気色。自分の周りにジルコンロド乗りを見る人は皆無な(CX-5はよく見るけども)、そんな時間が1年ほど経過する・・・
そんな中、マツダファンフェスタin富士SWにて、後のジルカフェリーダーのケイスケ氏(若者)と会長のズッチャン氏(おじさんw)が、ジルコン色の糸にたぐり寄せられ「運命の出会い」を果たす。ここに、ジルカフェの火種が灯る・・・
その後、club990sや群馬県民会など、先輩チームやオフ会の機会を借りながら、各地で仲間(黒わん氏、リョウすけ氏、けーん!氏)とのつながりが徐々に生まれ始めるが、季節は冬に突入し、しばしの落ち着きを見せていく・・・
そして、ロド乗りがいよいよ活動的になる春が訪れた。おちょぼミーティング会場には、ケイスケ氏とリョウすけ氏の姿があった。そこに、ロードスターカラーチームの先駆者「塩ビの会」会長のRYU氏から「相模ナンバーのジルコンいるけどお仲間さん?」と言われたことをきっかけに、るーちん氏を加えた3台のジルコンロドが並んだ(当時の世界記録と思われる)。長らくの「ロンリージルコン・メンタル」を持ち合わせる彼らは「超テンション上がった!!」と口々に語る。ソウルレッドラバーズのゆーだい氏、ケン坊氏にナイスなカメラで激写してもらい、彼らのジルコン熱は急激に高まり、ついに動き出す・・・
「年内には10台くらい並べたいよね!」と、まずはインスタで全国に点在するロンリージルコンに片っ端からDMをして、2週間後にはジルカフェの原形となるLINEグループが立ち上がる。「ジルコンなんて変わってるよね・・・、でも自分的には最高に好きなんだ!」という彼らの心の奥に押し込まれていた“共感欲求”は大いに刺激され・・・
年内目標として掲げていた10台は、わずか1ヶ月後に「軽井沢ミーティング前日のビーナスライン」で達成される事となった。1台の“点”だと地味で目立たない感もあるジルコンが、10台もの“面”になった時の圧巻さに、オーナー達は興奮した。そして、偶然にも居合わせた「ロド界では誰もが知るYoutuberのセラメタさん」の目に留まり、その奇妙さ・異様さが動画でロド界隈に配信された(感謝)。それだけでは終わらない。ツーリング中に、またしても偶然の出会いが巻き起こる。なんと、ジルコンをロードスターに塗ることを提案してくださったマツダのカラーデザイナー松岡さん(ジルコンロドの母と呼ぶべき存在)が、軽井沢ミーティングのために前乗りしており、ジルコン軍団を発見!ご自身のNAで後ろについて、即興ツーリングが成立。そして、翌日の軽井沢ミーティングで奇跡的な展開に・・・
翌日、1,200台ものロードスターが集結する(単一車種では)世界最大規模の「軽井沢ミーティング」のために、広島から自走で駆けつけていたロードスター現開発責任者である齋藤主査は、ジルコンロードスターの採用を決定した方(ジルコンロドの父と呼ぶべき存在)であり、尚かつ、ご自身が愛車に選んだのもこのジルコン。なんと前日の出会い(ジルカフェの存在)は松岡さんを通じて、齋藤主査の耳に届いていたのである。そして、トークセッションにて、主査の「別に僕、(ジルコンが)流行って欲しいと思ってないんです。あれ、不人気車でいいんです。その方が価値上がりますから。あれは口で説明してもわからないんですよ、あの世界観は。僕がわかればいいんです、僕がわかれば。語るものではない。」この“わかる人にはわかる”という名言に、「主査ぁぁぁ、わかってるぅぅぅ〜!!!」と心が叫ぶほど、我々は激しく同意し共感した。そして、話の流れで「ジルコン乗ってる人〜?」と投げかけられ、現場にいたズッチャン氏が「乗ってまーす!」と手を振りあうという“ライブセッション”さながらのムーブが(驚)。メンバーは、その光景をYoutuberねこにわチャンネル赤瀬さんのライブ配信を見ながら興奮し、LINEでズッチャン氏に「主査をメンバーに誘うんだー!!」と内心「まさかね」と思いながらリクエスト・・・。そして、その1時間後に、「齋藤主査が入ってくれる事になりました👏👏👏」というサプライズなLINEが届いた。このドラマのような出来事に、我々は大いに沸いたのである!
自分たちでも驚く速さで、次々と展開を見せるこのチームには、その時まだ名前がなかった。それほどに、物凄いスピードだった。「正式な名前をつけよう!」、数々の先輩チームを参考にしつつ、我々メンバーが共通に持ち合わせる「ジルコン・センス」を反映し、愛せる名前を。投票の結果、「ZIRCON Café Racing(通称:ジルカフェ)」に決まった。
始動したジルカフェメンバーは皆、「ビーナスTRG」の衝撃的な楽しさから、投稿されたインスタを眺めては「あぁ、よかったなぁ〜」とため息をもらす、俗に言う“ジルカフェ・ロス”になっていた。住む場所も職業も年齢も全く違う、見ず知らずの、一生交わることのなかった人達のはずだ。「ビーナス以前とビーナス以後」と言っていい。まさに、ラッシュの如く、オフ会を企画していく事になる。「埼玉」で会って、その2週後に「愛知」で会って、その2週後に「横浜」で会って、その2週後に「長野」で会って、その2週後に「伊豆」で会って、それまた2週後は「カラーチームの祭典:Color of Life Meeting 」で会う(偶然の空き枠からジルカフェに声掛け頂いた事務局の皆様に大感謝)。この間わずか3ヶ月、スラムダンクばりの短期成長ストーリーである。それだけでは終わらない。齋藤主査の粋なご提案によって「みんなで齋藤主査と松岡さん(ジルコンロドの両親)に会いに行く」という、“超絶”聖地巡礼の広島本社オフが既に決まっており、COL時点で、それを翌週に控えていたのである。ただでさえ、同じ時、同じ車、同じカラーを選ぶ共通のセンスがある上に、「これだけ会ってたら、そりゃ仲良くなるわw」「“また来週、広島で!!”と長野でグッバイする我々ってw」と、色々おもしろい状態になっていた。
そして、ついにジルカフェの誕生を決定づける「広島オフ」が実現する。その時、既に40台を超えていたジルカフェメンバーのうち、23台のジルコンが全国各地から広島本社に集結した。23台合計の総直線距離(片道)は1万キロを超えていた。海外の主要都市のほとんどに行けてしまうほどだ(ニューヨーク、ロンドンも1万キロ)。地球一周4万キロならば「みんなの往復で地球半周!」というインパクト。それだけの時間・労力・お金を、ゆうに上回る「各々の想い」が集まる広島オフは、昼は貴重なジルコンロド開発秘話をたっぷりを伺え、絶対に世界記録であるはずの23台ジルコンが並ぶショットを撮影でき、夜の宴はさらにさらに盛り上がった。笑顔が絶えず溢れる、副作用の“ロス”が不可避の特別なオフ会となった。
2025年1月現在、ジルカフェは60台を超えるメンバーが集まり、関東東北・中部・西日本と3地区で分かれたり交流しながら楽しみつつ、2025年5月の軽井沢ミーティング前日に1周年記念ツーリングを計画している。1年前のドラマをさらにアップデートする、続編が待っていることは間違いない。
まだ、ご一緒できていないジルコンロド・オーナーの皆さんと、この感動を一緒に味わえたら、我々はとても嬉しく思います。そして、あなたの幸せな人生の一幕になることをお約束します(ジルカフェ一同)。
現在、全国で60台を超えるコミュニティになっている、そんなジルコンロド乗りさんが集まるジルカフェに参加し、一緒に楽しいロドライフを送りませんか♪入会申請、お待ちしてます!