歴史

 創建は記録がないためはっきりしませんが、成相寺(宮津)にあるという後醍醐天皇がつくらせた「元亨年中記事」の1329年(元亨9年)の寺院書き上げ(調査報告)に、毎年千部経の供養を行う寺院として「善城(成)寺小西」(禅定寺の前身)の名があり、当時寺格を備えた寺であったことがうかがえます。

 後に荒廃しますが、院の坊の重導が再建の大願をたて和泉の円舜行人と力を合わせ1490年に再興、次第に栄え1山12坊を数える真言宗の大寺院となりました。

 その後、丹後真言倒しで寺は焼き払われましたが1676年、天了玄甫 禅師によって臨済宗天龍寺派小西山禅定寺として再興し、脈々と受け継がれ現在に至っています。

小西の観音さま

 江戸時代の峯山(現在の峰山町)の人、絹屋佐平治(後の森田治郎兵衛)は、苦しい生活をしている丹後の人たちの暮らしを何とか打開しようと寝食を忘れるほどちりめんの研究に苦労を重ねていました。ある夜、霊験あらたかな小西の観世音菩薩を信心しなさいとの夢を見、春と秋の2回、それぞれ7日間禅定寺のお観音さまに命をかけて断食祈願をしました。ちょうど満願の日、夢の中にあらわれたお観音さまのお告げにより、急いで京都・西陣におもむき、苦心の末、秘法を学んで帰ってきました。

 そして、次の年の1720年(享保5年)春、ついに悲願の丹後ちりめん織りに成功、地域の発展のためその技術を広めていきました。祈願成就の感謝の気持ちをこめて始めて織られたちりめんは寺に寄進奉納され、寺宝として今も大切に保存されています。

小西山縁起(市指定文化財)

禅定寺の起源や丹後ちりめんの由来が記されています。

本尊 聖観世音菩薩像 伝行基作

見た者は目がつぶれると伝えられている秘仏。

33年に一度御開帳。

始織の丹後ちりめん

絹屋佐平治始織の絹織物(市指定文化財)

  1720年、絹屋佐平治によって辛苦の末誕生した始織のちりめん。丹後の発展に寄与した先人の功績は、はかりしれません。

 2017年、丹後ちりめん回廊(丹後2市2町)の1つとして、禅定寺が文化庁から日本遺産に指定されました。

 2020年には、丹後ちりめんは創業300年を迎えました。


1995年に作成された丹後ちりめん発祥に関する絵本とその後作られた紙芝居の一部。


丹後ちりめんと猫について

 猫は元々、6世紀半ばの仏教伝来の際に船の中で大切な経典をネズミの害から守るために、中国から船に乗せられてやってきたとされています。

 また、丹後地方ではマユや蚕を食い荒らすネズミはちりめんの生産にとって大敵でした。そのような状況の中、猫はちりめんの生産になくてはならない大切な存在となっていきました。丹後峰山にある金刀比羅神社境内社の「木島神社」では、日本で唯一の「狛犬」ならぬ「狛猫」が「機織養蚕の守護神」にお仕えしています。