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ムーミンとその仲間たち 特にフィリフヨンカ

あるとても寒い夜、寒い国の歌姫ビョークの歌を聴いていました。

そして、思いはいろいろ移ろい、

とある雑誌のグラビアでの彼女がムーミン・トロールのTシャツを着ていたのを思い出しました。

ビョークの出身地であるアイスランドも、

ムーミン・シリーズの作者トーベ・ヤンソンの出身地であるフィンランドも、その自然環境はとても厳しい。

そういった中で、工夫しながら、どのように生きていくか。

ムーミン・シリーズの中には、生き抜くためのたくさんの知恵とユーモアが盛り込まれています。

私の住む土地は、決して厳しい自然環境の中にあるとは言えませんが、

そうやって工夫しながら生きる人(?)たちのすがたに自分を重ねたり、あこがれたりするのかもしれません。


ユリイカ(1998.4)の「特集:トーベ・ヤンソンとムーミンの世界」の中に、

川上弘美さんの「未熟さを選ぶ者たち」という文章があります。

その中では、フィリフヨンカのお話が取り上げられています。

「未熟さを選ぶ者たち」のなかで取り上げられているのは『ムーミン谷の十一月』なのですが、

私が印象に残っているフィリフヨンカのお話は、

『ムーミン谷の仲間たち』のなかの「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」ですので、

こちらについてのお話を。

家事が大好きでいつもぱたぱたとしているフィリフヨンカ。

だいぶ神経質なキャラクターです。

決して器用とはいえないフィリフヨンカの姿には、共感させられる部分がたくさんあります。

「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」は、

そんな彼女が、些細なことが積み重なって、すっかり元気を失くしまい、

そして、また元気を取り戻すまでを描いた短いお話です。

取り戻したきっかけは、一見些細なこと。

しかし、その様子は丁寧に描かれており、大変共感させられます。


タロットカードの「塔」を思わせるようなお話でした。

一つ一つは些細なことのように見えても、自分の深いところにダメージを与える数々の出来事。

自分でも処理できないいろいろな感情。

そういったことが積み重なって、積み重なって、あることがきっかけで、何かが爆発してしまう。

でも、結局、その爆発のおかげですっきりしてしまう。

「いままで必死になって執着してたことってなんだったの?」と、思う瞬間。


落ち込んだり元気になったり、私たちは、日々繰り返します。

フィリフヨンカだけではなくて、ムーミンとその仲間たちもそうです。

彼らは、それぞれいろんな持ち味を持っていて、見る人が見たら欠点に思えることもあるかもしれない。

しかし、時には葛藤しながらも、そのままの自分を受け入れ生きていくそれぞれのキャラクターたち。

「わがままでなしに、真の意味で私を保つことができるだろうか?」

(「未熟さを選ぶ者たち」川上弘美 『ユリイカ』1998年4月号)


私は、ムーミン・シリーズを読むと、ほっとします。

厳しい自然を前にして、いかに自分の存在がちっぽけで未熟なものか。

且つ、かけがえのない存在であるか。

未熟であることを受け入れた時、もう一度、自分を取り戻すことができたような気持ちになるのかもしれません。

人の目ばっかり気にして見失ってたなとか。

そして、取り戻す方法がムーミン・シリーズにはたくさん書かれているように感じます。

読んでいるうちに自分を取り戻している、と、いったほうが正しいかもしれません。


「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」の中で、

フィリフヨンカがどのようにしてどんなふうに自分を取り戻すか。

その様子はとても感動的でした。

フィリフヨンカは私でもあるからです。


ちっぽけな自分を愛し、受け入れること。

大自然の中に生きてはいなくても、

宇宙という広大ななにかの中にいるのにもかかわらず、そんなことすら忘れがちな私は、

タロットや西洋占星術に助けられて、

ちっぽけな存在だと気付かせてもらっているように感じます。

そうやって、自分を取り戻す。

取り戻すことも必要ないと思えるようになるまで続けるのかもしれません。