弓町本郷教会週報付録
【 真砂坂上十字の路から 】
(まさごさかうえ じゅうじの みち から)
弓町本郷教会週報付録
【 真砂坂上十字の路から 】
(まさごさかうえ じゅうじの みち から)
【2025年10月12日発行】
「年長児キャンプ」
西岡裕芳牧師
夏にお泊まり会をする幼稚園は多いですが、外に出かけてキャンプを行うのは少数と思います。弓町本郷幼稚園では毎年この時期、富士宮市の富士山YMCAで1泊2日のキャンプをしています。今年も10月7日から8日にかけ、年長児9人と教諭5人ででかけてきました。心配された台風の影響もほとんどなく、2日間良い天候に恵まれました。1日目の日中、隣接する馬飼野牧場で動物と触れ合い、夕刻キャンプ場に着くと広々とした草原で虫探しに興じ、夜はキャンプファイヤーを楽しみました。2日目午前はネイチャープログラムがあり、特にすすきの迷路に挑戦することもできました。布団の準備や片付けなども協力しあって行うことができました。
キャンプでは、年長児たちの成長の様子を垣間見ることができます。そして、この後も年長児の出番が続きます。11月にはハンドベル音楽会が、12月には聖誕劇が行われます。ただ、成長は確かに嬉しいのですが、急がず焦らず、ゆっくり成長してほしいとも思います。こども時代を十分に楽しんでほしいと思うのです。
夕刻、富士山が赤く染まってすばらしかったので、今日は特別にカラー写真付でお届けします。(配布された週報付録の紙面をご覧ください)
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【先週(2025年10月5日)の説教要旨】
「選ばれた人たち」
マルコによる福音書13章14-27節
西岡裕芳牧師
「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら」と、ダニエル書と同じ言葉を用いてイエスが語ったことを伝えながら、マルコによる福音書13章は、まるで注のように「読者は悟れ」と言葉を差し挟んだ。それは、マルコの時代、立ってはならない神殿の聖なる場所に立った憎むべき破壊者がいたことをほのめかしている。
じっさい、紀元70年、ローマ帝国の軍隊はエルサレムを攻撃し、神殿は粉々に破壊された。この時、ローマの将軍ティトゥスが至聖所に入ったというのだ。マルコ福音書が記された時から遡ること数年、未だ現在進行中のことであった、と言ってもよいであろう。
「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」以下、戦乱の中ではとるものもとりあえず、まずは全力で逃げるようにと勧められている。こんなことが起こったら、もはや世も終わりと浮足立つのが世の常であろう。しかし、冷静に行動しなければならない。苦難は確かに「神が天地を造られた創造の初めから今までない」ほどのものでも、「今後も決してない」というのだから、まだこの後があって世はしばらく続く。むしろ、この際に受ける未曾有の苦しみこそが、一定の期間で終わると言う。長く苦しまなくてよいように、主がその期間を縮めたとも言う。
イエスは「選ばれた人たち」と繰り返し語った。この苦難の中にあっても、あなたがたは神に選ばれた者たちなのだ、神に選ばれた者として神に守られているのだ、と。これほど、勇気を与えられる言葉はない。
今、わたしたちは「選ばれた人たち」と呼びかけられている。だから、苦難が繰り返すとも希望を持って生きる。終わりのときが来るまで。
【2025年10月5日発行】
「歴史を直視すること」
西岡裕芳牧師
野田正彰さんという精神科医、ノンフィクション作家がいます。『喪の途上にて』や『戦争と罪責』などの著作で、感情を抑圧する日本の文化を問うてきた方です。実はわたしの高知の母校の先輩にあたります。
野田さんには、自らの半生を描きながら戦後史を振り返った『社会と精神のゆらぎから』という本があります。少年時代の母校の様子も書かれていますが、母校が担う進学出世文化に対する批判が基調です。それは、絶えず龍馬ブームを観光に利用しようとする郷里に対しても変わりません。龍馬を消費する高知人は「幻想の青年期に足踏みしていることになりはしないか」と。龍馬亡き後の高知は征韓論を経て、自由民権運動が盛んになりました。しかし運動が弾圧され力を失うと、天皇制軍国主義に向かい、多くの将官を出して中国侵略を支えもしたのです。「自由民権運動から天皇制軍国主義へ、高知県はその振幅の最も大きかった県である。」「龍馬のロマンから一直線に、今日の高知へつづいているわけではない。・・・権威主義、上下のタテ関係、立身主義、狭い秩序のなかでの几帳面さは戦後の高知文化にも流れ続けてきた。・・・土佐人こそ、近代高知の歴史を直視し、過去を克服する位置にある」と。なんと健全な郷土愛であることか。
今日、わたしたちは安田浩一さんをお迎えして平和祈念集会を行います。そして次週は創立記念礼拝です。創立以来139年の歩みにおいて、海老名弾正牧師ら関係者が朝鮮総督府の後押しを受け、組合教会の朝鮮伝道を推進したことは忘れてはならない負の歴史です。けれどその記述は『弓町本郷教会百年史』でもわずか数行です(71頁)。歴史を直視し過去を克服する作業は、教会を愛するわたしたちのなすべき課題として残されています。
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【先週(2025年9月28日)の説教要旨】
「崩壊と混乱のただ中で」
マルコによる福音書13章1-13節
西岡裕芳牧師
「なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」と一人の弟子が驚嘆して語ったとき、彼はイエスがこの壮麗な神殿の主となり、イスラエルを支配するのだ、との期待に胸を膨らませていた。したがって、イエスがこれに応え、「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」と言ったのは、政治的権力や宗教的権力のことでもあった。
弟子たちは、そんなことが起これば終わりの時も近いと考え「どんな徴があるのか」と問うた。イエスは偽メシアの出現や、戦争や戦争のうわさ、災害などを挙げながら、「産みの苦しみのはじまり」にすぎないと語った。終わりはまだ来ない。浮足立ってはならないのだ。
1923年、内村鑑三が関東大震災発生直後に記した一文がある。「地は震いつつある、・・・然れどもここに又震われざる国がある、・・・我等は震いつつある此の地に住みながら、この震われざる国の市民たる事が出来る」 内村は、世のものは震い動き、滅びていくが、震い動かないものがあると語った。確かに、震い動かないものにこそ、わたしたちの望みがある。
崩壊と混乱を語った後で、イエスは迫害について語り、弟子たちが証しをさせられると語った。更に「こうして、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない(私訳)」と。迫害は証しの機会となり、福音宣教の機会となる。それこそは、移ろいゆく世の中で、変わることのない、揺らぐことのないものへと人々の目を向けさせることである。
わたしたちはこの世界に対する究極的な責任を負わされていない。それは神ご自身がなさることである。だから、崩壊と混乱の時代の中でも変わりなく、揺るがぬ神の国を証しし、仕えることが求められている。
【2025年9月28日発行】
「わたしたちの課題としての植民地主義」
西岡裕芳牧師
今年度、委員を引き受けている北支区社会部が連続3回の学習会を行います。テーマは「戦後80年と教会〜植民地主義の克服を目指して〜」。第1回は10月4日(土)午後1時、信濃町教会で東京経済大学早尾貴紀教授による講演「東アジア史とパレスチナ/イスラエル問題の交差」です。どなたも是非おいでください。下記はわたしが書いたチラシのリード文です。
「戦後80年、植民地主義は今のわたしたちとは無関係と思われがちです。けれど、かつての国際的な植民地主義をグレート・ゲームという視点で捉えると、今に続くイスラエル・パレスチナ問題は、東アジアにおける日本の植民地支配と連動していたことがわかります。また、東アジアにおける日本の植民地戦争は、圧倒的な力の差による『非対称戦争』であったという点で、今世界各地で進行している事態と共通しています。◆この11月、ソウルにおいて韓国基督教長老会ソウル老会と北支区との宣教協議会が行われます。1967年の『第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白』は日本基督教団とアジア諸国の教会との交わり回復の契機となりました。その文中に『祖国が罪を犯したとき、わたしどもの教会もまたその罪におちいりました』とあります。教団は国家と同じ植民地主義を内に宿していたのです。それは今なお克服すべき課題なのではないでしょうか。◆排外主義の言説が目立ち始めた今、イエス・キリストを知る教会が『見張り』の使命を果たす時を迎えています。学習会では、共に歴史に学ぶと共に、多文化共生社会を目指す取り組みについても学びたいと思います。◆自らのうちにある植民地主義を克服し、多様なルーツを持つ人々と共に生きる未来を築くために、学び合いましょう。」
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【先週(2025年9月14日)の説教要旨】
「人生の支え」
マルコによる福音書12章38-44節
西岡裕芳牧師
人に見てもらい、名誉を受けるために行動する律法学者を、イエスは批判した。続いて神殿の境内の賽銭箱の向かいに座り、群衆が金を入れる様子を見ていた。金持ちたちはたくさんの賽銭を入れていた。周りの人々にアピールし、尊敬を得ることを目的に献金していたのだ。人は見返りを求めてしまう。わたしたちに根深い生き方の様式は「取り引き」ではないか。
一人のやもめが小銭2個を献金した。イエスは、この人が「だれよりもたくさん入れた。・・・生活費を全部入れたから」と言う。多くの場合、イエスはこの人を褒めたと理解する。この行為は敬虔だというわけだ。だが、イエスは敬虔だとか立派だとかは言っていない。イエスが「敬虔」を認定したのなら、敬虔さと見返りを求める人々とそう変わらないことになろう。
イエスは、あの女性のような貧しい人々に、あり金すべてを献金させ、以後の生活を成り立たせなくしてしまう、宗教的システムに対する厳しい批判をここで語っている、という理解もある。それでも、イエスは女性に対しては、騙されてあり金を全部献金したと馬鹿にしたり、憐れで可哀想だといった態度は見せていない。ただひたすら心を寄せていると思われる。
彼女がささげたものは「生活費」全部という。これは「生活」「人生」と訳すこともできる。彼女は後先考えず、人にどう思われるかも考えず、人生を神にささげることをよしとしたのだ。イエス自身、神の国の福音を宣教することを通して、この地上の生涯の日々を、命そのものを神に、そして人々にささげた。その人々の中には、神に逆らい、腐敗した神殿システムによりかかって生きる人々も含まれていた。それでいて見返りを求めなかった。そういうイエスだからこそ、あの女性の思いがよくわかったのだ。
【2025年9月21日発行】副牧師室 園庭の見える窓から
Ⅹ 全国同信伝道会神学協議会に参加して
鬼形惠子牧師
学校勤務の頃、部活動の手話講師として森さんという年配の男性をお招きした。森さんは自分の聴覚障がいについて生徒にわかりやすく話し、最後にこう言われた。「もし神さまが私の願いを叶えてくれるなら、一度だけ私の耳を聞こえるようにしてほしい。一人娘の声を自分の耳で聞いてみたい。そしてその後は、今の聴覚障がいを持つ自分に戻してほしい。」その言葉が心に残っている。森さんは、娘を大切に思うように、耳が聞こえないことを含めて自分自身を大切に思い、生きておられるのだと感じた。
イエスたちは、通りすがりに生まれつき目の見えない人と出会った。弟子たちは「この人の目が見えないのは誰が罪を犯したからか?本人か?両親か?」とイエスに尋ねた。当時の社会では、体の障がいは本人や先祖の罪が原因と考えられていた。まだ医学も発達しておらず、障がいに対する理解も殆どなかった。ハンディをもつ人はその障がいの不自由さ以上に、社会的にも宗教的にも市民権を失い、自立して生きるすべが閉ざされていた。弟子たちの言葉は現代では偏見と差別に満ちた言葉と思えるが、今でも一部に因果応報的な考えは残っているように感じる。これに対してイエスは弟子たちの考えをはっきりと否定し、まったく新しい考えを宣言した。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と。神の業のすばらしさが、この人に現れるためだと言ったのだ。それからイエスはこの人を癒し、この人は「シロアムの池」で目を洗い、目が見えるようになった。
『行く先を知らないで』と言う本の著者で、青木優という牧師がいる。青木牧師は医師を目指していたが、インターンの時に失明し、医師の道を閉ざされた。絶望の中で「なぜ自分が失明しなくてはならなかったのか?」と問い続けた。因果応報を説く人もいて、さらに心が傷つけられた。その頃弟が通う教会の牧師が訪ねて来て、1冊の本を置いていった。途中失明をした人の証しの本だった。母親に読んでもらうと、今日の聖書箇所が引用されており、「彼の上に神の御業が現れるために」というイエスの言葉に出会う。その時これまでとは違う新しい答えを得たと思い、イエスが「お前の失明を通して、お前でなければなしえない神の仕事をするのだ」と語りかけておられると感じた。青木牧師はクリスチャンとなり、その後苦労して神学校に入り、牧師となる。お連れ合いと共に「障がいを負う人々・子ども達と『共に歩む』ネットワーク」と言う団体を作り、牧師として障がいをもつ人々を支援する活動をした。まさに青木牧師でなければできない働きを通して、神の御業を現わしたのである。
聖書の癒された人は、人々に「目が見えなかったが、イエスによって見えるようになったのは『私です』」と語った。この「それは私です(I am the man)」という言葉は、「エゴ・エイミー」と言うギリシャ語で、神が自分を現わす時に使うような深い意味を持った言葉である。自分を生きられなかったこの人は、今は、堂々と自分を言い現わす存在となったのである。
私たちも様々な個性をもっている。誰もが得手不得手がある。それでも神は「あなたは、あなたにしかできない方法で神の仕事をするために、あなたとして存在している。」と言われる。「私にできる神さまの仕事は何だろうか?」問いながら、祈りつつ、自分と人を大切に生きていきたい
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【先週(2025年9月14日)の説教要旨】
「神の業が現れるために」
ヨハネによる福音書9章1-12節
鬼形惠子牧師
イエスは「どうしてメシアがダビデの子なのか」と問いかけた。メシアなる自分はダビデの子ではないと言い、詩編110編を引用して説明した。
わたしたちは、イエスのエルサレム入城の讃美歌で「ダビデの子に、ホサナ」(83番)と歌い、クリスマスの讃美歌でも、「ダビデの村に生まれしみ子を」(262番)と歌ってきた。イエスはダビデの血筋だ、メシアだ、と。
しかし、イエスのことをダビデの子と呼ぶのは、血筋のゆえだけではない。「ダビデの子」がメシアを表す称号となっていった経緯がある。ダビデ王朝が滅んだ時、預言者たちは神の民はこれで終わりではない、ダビデの家系に理想の王が出現すると語った。後のファリサイ派の人々は、外国支配を打ち破り、ダビデ時代の強大な国を回復する軍事的な王・メシアの出現を語った。人々が「ダビデの子」に期待したのはそんなメシアである。
イエスは、わたしは力をもって人をねじ伏せ、支配する、そういう人物ではない、と言いたかったのであろう。それは、ダビデの子という言葉で、わたしに何を見ているのか、という問いかけでもあった。あるいは、わたしたちが当たり前のように用いる「王」「メシア」などの言葉で、何をイメージするのかを、自らに問うようにとの促しと捉えることもできるだろう。
イザヤは、エッサイの株すなわちダビデの子孫からのメシア出現を預言した。そのメシアの支配は、「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す」(イザヤ11:6)ものであると最初から預言していた。従来の軍事力を伴う威圧的なイメージは刷新されねばならない。イエスが王だとしたら、それは僕として人々に仕える王である。王の意味内容は取り変わらなければならない。わたしたちは真の王であるイエスを心に宿して生きていこう。
【2025年9月14日発行】
「違いがありつつ、ひとつ」
西岡裕芳牧師
鈴木道也著『違いがありつつ、ひとつ 試論「十全のイエス・キリスト」へ』は最近話題のキリスト教書です。四福音書はいずれも「ナザレのイエスにという歴史的人物において神が現された」との使徒的信仰に基づいているが、それぞれの核に固有のキリスト像があるとして論じています。すなわち、①四福音書共通の土台:生前のイエス ②マルコ福音書:生前―十字架のキリスト ③マタイ福音書:十字架―復活のキリスト ④ルカ福音書:復活―昇天のキリスト ⑤ヨハネ福音書:再臨=想起・現前のキリスト それらは相互補完性があり、違いがありつつ一つだというのです。
同じ出来事なのに、福音書によってイエスの行いや言葉が随分違うと感じることがあります。本書はその理由を精緻な論証によって明快に示し、「前からそう思ってた」と同時に「初めてわかった」とも感じさせます。
実はこの本の真骨頂は後半にあります。聖餐論を扱いつつ、「伝統的な聖餐論」と「開かれた聖餐論」には、それぞれの核に異なるキリスト像があるというのです。薄々感じていたことが明快に語られていて気持ちいい。そして四福音書のキリスト像に相互補完性があるように、2つの聖餐論にも相互補完性がある、という実に素直な結論に至るのです。アーメン!
著者は牧師としての牧会の傍ら、なんと十年にわたりこの論文を書き続けたそうです。あとがきを読んで合点しました。2014年に会津で行われたある会議で、原発事故で困難を強いられた人々の話を聞き、心が強く揺り動かされ、ある種の改心を体験した。そして生前のイエス=人間としてのイエスがどう生きたかが開示され始めた。それが執筆のきっかけになった、と。なんと誠実な。これはイエスと出会い直した人の証しの書です。
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【先週(2025年9月7日)の説教要旨】
「ダビデの子」
マルコによる福音書12章35-37節
西岡裕芳牧師
イエスは「どうしてメシアがダビデの子なのか」と問いかけた。メシアなる自分はダビデの子ではないと言い、詩編110編を引用して説明した。
わたしたちは、イエスのエルサレム入城の讃美歌で「ダビデの子に、ホサナ」(83番)と歌い、クリスマスの讃美歌でも、「ダビデの村に生まれしみ子を」(262番)と歌ってきた。イエスはダビデの血筋だ、メシアだ、と。
しかし、イエスのことをダビデの子と呼ぶのは、血筋のゆえだけではない。「ダビデの子」がメシアを表す称号となっていった経緯がある。ダビデ王朝が滅んだ時、預言者たちは神の民はこれで終わりではない、ダビデの家系に理想の王が出現すると語った。後のファリサイ派の人々は、外国支配を打ち破り、ダビデ時代の強大な国を回復する軍事的な王・メシアの出現を語った。人々が「ダビデの子」に期待したのはそんなメシアである。
イエスは、わたしは力をもって人をねじ伏せ、支配する、そういう人物ではない、と言いたかったのであろう。それは、ダビデの子という言葉で、わたしに何を見ているのか、という問いかけでもあった。あるいは、わたしたちが当たり前のように用いる「王」「メシア」などの言葉で、何をイメージするのかを、自らに問うようにとの促しと捉えることもできるだろう。
イザヤは、エッサイの株すなわちダビデの子孫からのメシア出現を預言した。そのメシアの支配は、「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す」(イザヤ11:6)ものであると最初から預言していた。従来の軍事力を伴う威圧的なイメージは刷新されねばならない。イエスが王だとしたら、それは僕として人々に仕える王である。王の意味内容は取り変わらなければならない。わたしたちは真の王であるイエスを心に宿して生きていこう。
【2025年9月7日発行】
「吉野作造の時代」
西岡裕芳牧師
8月2日、宮城県大崎市にある吉野作造記念館を訪ねました。かねがね行きたいと願っていましたが、これまで機会がありませんでした。今度の夏期休暇で仙台に行き、自動車もあったので行ってくることができました。
吉野作造は、大崎市古川の出身、民本主義で知られる政治学者で大正デモクラシーの立役者の一人です。キリスト教界では、わたしたちの教会の会員として歩み、雑誌『新人』の編集を担ったことはとても有名です。その信仰の始まりは、仙台の第二高等学校(当時)の学生時代に、尚絅女学校の宣教師ミス・ブゼルのバイブルクラスで学んだことにありました。東京帝国大学進学後は、海老名弾正牧師を慕って本郷教会の会員となりました。そのため、吉野作造はしばしば海老名弾正の弟子と言われます。
記念館には、吉野作造の歩みを解説するパネルのほか、交流のあった人々との間でやりとりした直筆の手紙などの貴重な資料も展示されていました。もちろん、弓町本郷教会のコーナーもありました。また、その生涯を紹介する20分ほどのビデオを見ることができました。短いながらもわかりやすい内容で、吉野作造の多彩な働きを教えられました。
吉野作造は朝鮮独立運動家や中国の民族主義者たちに共感しました。海老名弾正らが主導し、政府の政策に応えるように行われた組合教会の朝鮮伝道には批判的でした。関東大震災で朝鮮人虐殺が起こった際には自宅に朝鮮人をかくまい、被害調査活動に協力して真相を究明しようとしました。
この教会に、海老名を慕いながら海老名とは異なる道を歩もうとした吉野作造がいたことを覚えていたいと思います。一人ひとりの信仰と自治・独立を大切にする会衆主義教会の信徒らしい人であったと思うのです。
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【先週(2025年8月31日)の説教要旨】
「神の国から遠くない」
マルコによる福音書12章28-34節
西岡裕芳牧師
律法学者はイエスに「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と尋ねた。イエスに本心から期待して問うたのだろう。ただ、当時、律法の箇条に優劣をつけることが律法学者たちの間でさかんに行われていたというから、この問いの立て方に、彼の傾向がすでに表れている。
イエスは答えた。「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」。前者はユダヤの人々が朝に晩に口にしたシェマーと呼ばれる申命記の言葉、後者はレビ記の言葉である。どちらも大切であることは、わかっていたが、これらが2つで1つであるというのは新しい理解であった。
彼は「先生、おっしゃるとおりです」と喜んでイエスの言葉を復唱した。その際、「精神を尽くし、思いを尽くし」を無意識のうちに「知恵を尽くし」に変えたのは、知的理解を求める律法学者らしい。更に、「どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」と言ったのは、聖書に詳しい律法学者らしくホセア書6章を思い起こしたからだろうし、神殿祭儀も律法に記されていることで大切という思いからであろう。
彼は、イエスの言葉を自分の仕方で受け止めた。それはイエスの思いからは少々ずれている。それでもイエスは「あなたは、神の国から遠くない」と語る。彼は、今、入り口に立っているのだ。そこからこの掟を生きるように促された。たとえ、最初は不十分であっても、一歩踏み出して自分の足で歩くように、と。まことに神への愛と隣人への愛に生きたイエス自身が先立ち進まれる。その道の途上に神の国は始まっている。
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