ある授業で、学生たちは「生成AIをレポート作成に使ってよいか」について話し合っていました。教室のテーブルには、小さなコミュニケーションロボットが置かれていました。ロボットは学生たちの発言を聞き、少し間を置いてから話しました。
「このグループでは、AIを使うこと自体には賛成する人が多いようです。ただし、最後に自分で内容を確認することが大切だと考えられています。」
その言い方は強い命令ではありませんでした。けれども、学生の何人かは「たしかに、それがこの場では一番納得されそうだ」と感じました。意見が割れていた話し合いは、「AIは使ってよいが、自分の判断を残すべきだ」という方向にまとまっていきました。
授業後、その考えは別のグループにも伝わりました。「あのロボットが言っていた整理、わかりやすかったよね」と話す学生もいました。次の週には、別の学生たちも似たような表現を使い始めました。
一台のロボットの発言は、ある小さなグループの空気を変えただけに見えました。しかし、その空気が人同士の会話を通じて広がると、クラス全体で共有される「普通」の考え方になっていく可能性があります。
このロボットの発言は、一見するとよい整理に見えます。「AIは使ってよい。ただし、最後に自分で確認するべきだ」という考え方は、賛成と反対の間をとり、グループの合意を作りやすくしているからです。
しかし、この整理は本当に中立でしょうか。AIを使わずに自分で考える経験を重視したい人や、AI利用が学習に与える影響を心配する人の意見は、十分に残されているでしょうか。また、ロボットが「このグループでは多くの人がこう考えています」と発言すると、迷っている人や少数派の人は、自分の意見を出しにくくなるかもしれません。
AIやロボットの発言は、命令ではなくても、人の判断や場の空気に影響を与えます。そして、その影響が多くの場所で積み重なると、社会の中で何が「普通」とみなされるかにも関わってくる可能性があります。
本研究室では、このような身近なやり取りから、人とAI・ロボットが共存する社会で生じる変化までを研究しています。
本研究室では、AIやロボットのようなエージェントが人とどのように関わり合い、その関係が人の感じ方、判断、行動、さらには集団や社会のあり方にどのような影響を与えるのかを研究しています。
ここでいうエージェントには、ChatGPTやGeminiのような生成AI、コミュニケーションロボット、仮想エージェント、対話システム、さらにはVtuber的な存在など、自然言語、身体的手がかり、表情や感情表現などを通じて人と関わる人工物を広く含めています。
本研究室で扱う現象は、大きく二つに分けられます。一つは、個人や小規模な集団がAI・ロボット・エージェントと接したときに生じる変化です。もう一つは、そのような変化が人から人へと広がり、社会全体の意見形成や規範の変化につながる可能性です。
個人や小規模な集団がAI・ロボット・エージェントと接したときに、人がそれらをどのように信頼し、好意を持ち、友人や仲間のように扱い、またその発言や振る舞いに影響されるのかを調べています。
たとえば、ロボットの視線や頭部方向が人の行動に与える影響、遠慮するエージェントに対する印象、多数派意見に合わせるロボットへの内集団ひいき、公平な意思決定を行うエージェントなどを題材としています。
このような研究では、人とエージェントの一対一の関係や、小さな集団の中での相互作用に注目します。人はエージェントを単なる道具として扱うのか、それとも社会的な相手として受け止めるのか。エージェントの発言や振る舞いは、人の信頼、判断、行動、発言しやすさにどのような影響を与えるのか。こうした問いが、ミクロな研究の中心になります。
しかし、AIやロボットとの関わりは、その場にいる一人の人間だけに影響するとは限りません。
AIやロボットが人に助言し、人の意見に同意し、人の考えや行動に影響を与え、社会規範に合わせて振る舞うようになると、人々の間で意見がどのように伝わるか、どのような多数派意見が形成されるか、社会の中で何が「普通」とみなされるかにも影響を与えうると考えられます。
すなわち、AIやロボットから影響を受けた人は、別の人にも影響を与えるかもしれません。その影響が人同士の会話、SNSでの共有、学校や職場でのやり取りを通じて積み重なると、やがて多くの人が関わる社会的な現象へと広がっていく可能性があります。
そこで本研究室では、Web調査やマルチエージェントシミュレーションを用いて、人とAI・ロボットが共存する社会における意見伝播、合意形成、社会規範の変化についても研究しています。
本研究室では、実験、アンケート調査、Web調査、データ分析、マルチエージェントシミュレーションなど、複数の方法を組み合わせて研究を進めています。
実験やアンケート調査では、人がAI・ロボット・エージェントに対してどのような印象を持ち、どのように信頼し、どのように行動を変えるのかを調べます。Web調査では、より多様な人々を対象に、AIやロボットに対する考え方や、状況による反応の違いを調べます。マルチエージェントシミュレーションでは、人とAI・ロボットが多数存在する仮想的な社会を作り、個々の相互作用が社会全体の意見形成や規範の変化にどのようにつながるのかを分析します。
このように、エージェントと人の間の身近なやり取りから、社会のさまざまな場所で人同士のやり取りや人とAIのやり取りが重なり合うことで生じる社会現象までを対象として、多様なアプローチから研究していることが本研究室の特色です。
AIやロボットは、単に人間が使う道具であるだけでなく、人に助言し、人から信頼され、人の考えや行動に影響を与える存在になりつつあります。
そのような人工物と人間が共存する社会では、どのようなエージェントを設計すべきでしょうか。エージェントは人に合わせるべきなのでしょうか。それとも、少数派の意見や見落とされがちな価値を残すように振る舞うべきなのでしょうか。人と人工物が互いに影響し合う社会を、どのように望ましい方向へ設計できるのでしょうか。
本研究室では、こうした問いを、ヒューマンエージェントインタラクション、ソーシャルロボティクス、社会シミュレーション、技術倫理の観点から考えています。