吉田雅子(よしだ・まさこ)
武蔵野美術大学にてテキスタイルデザインを学んだ後、企業のデザイナーとして勤務。1989~91 年、ワシントンD.C.のテキスタイル・ミュージアムでスペシャル・インターンとして染織品の展示・保存・調査に携わる。1992 年よりニューヨークのメトロポリタン美術館・アジア美術学芸部にて東アジア染織品のリサーチ・アシスタントとして勤務。2005年に京都大学人間・環境学専攻博士課程を修了し、同年より京都市立芸術大学講師、准教授を経て、2014 年より教授。
吉田雅子(よしだ・まさこ)
武蔵野美術大学にてテキスタイルデザインを学んだ後、企業のデザイナーとして勤務。1989~91 年、ワシントンD.C.のテキスタイル・ミュージアムでスペシャル・インターンとして染織品の展示・保存・調査に携わる。1992 年よりニューヨークのメトロポリタン美術館・アジア美術学芸部にて東アジア染織品のリサーチ・アシスタントとして勤務。2005年に京都大学人間・環境学専攻博士課程を修了し、同年より京都市立芸術大学講師、准教授を経て、2014 年より教授。
「諦めないでアクションを取り続けるからこそ開くドアがある」
─職業の決め手は
大学卒業後はモード・エ・ジャコモでデザイナーとして働いていたのですが、「歴史的文脈に関わりたい、より深くテキスタイルを見つめたい。」と思い、染織について調べながら色々な方に手紙を書きました。そのときニューヨークのメトロポリタン美術館の方に「ワシントンD.C.のテキスタイル・ミュージアムに連絡してみたら?」と勧められたんですね。そこでワシントンに宛て手紙を送ったところ「うちはお金がないから雇用することはできないけど、自費で来るならば訓練してあげます」という返事がもらえました。それで全ての貯金とスーツケース一個だけを持って訪ねて行ったんです。インターンとして9時から17時まで働いて、「17時以降も勉強したい」と言うと「そんなに勉強したいのならThe Primary Structures of Fabricsという本を読みなさい」と、その本をいただきました。当時の私にとっては内容がとても難しい本でしたが、よく見てみると載っている資料は全てテキスタイル・ミュージアムの収蔵品だったので、「本と実物を比較したいから収蔵品を見せてほしい」と交渉し、顕微鏡の使い方まで教えてもらいました。そのときの経験が私にとって一番大きな勉強になりました。
─自身の研究について
祇園祭の曳山には色々なタペストリーが用いられているのですが、その歴史を概観して調査するというプロジェクトに近年取り組んでいます。多くの美術史の研究者は「このモチーフやこの表現は」と考えます。でも私はそれに加えて「この材質や技術は」と考え、実際に顕微鏡で組織を観察し分析調査します。材質や技術的な特徴を詳細に分析することにより、つくられた国や地域、文化を識別することができます。実際にものを見て考えるというのは、ムサビでものづくりを学んだ経験があったからこそ可能になったやり方なんです。手を動かしてものをつくった経験というのは研究者にとって非常に貴重で、顕微鏡を見てもわからない時は自分で実際にモデルを制作し検証しています。それは私の研究活動の大きな特徴となっています。
鶏鉾のブリュッセル製タペストリー、トロイ戦争シリーズより
─夢をかなえるために大切なことは
自分のやりたいことはすぐには形にならない、けれどそれを心の中に持ち続け、様々な形で、様々なタイミングで試みること。タイミングや、働きかける相手が違うと夢って実らないんですよね。そこで諦めてしまったら、結局同じ輪の中をまわり続けるだけになってしまいます。だから諦めないで、アクションをとることです。アクションをとらないで考えていても何一つドアは開かないですから。
─美術やデザインの力とは
祇園祭の仕事に関わる中で思うのですが、人間を繋ぐということ。例えば大きな文化や歴史を見てみると、美術や染織品を介し様々な形で人間が繋っていくのがわかります。それは不思議と、人間そのものだけでは起こらない繋がりなんですね。「モノ」を介した繋がりというのは、時に一つの小さな地域の中で、あるいは大航海時代には世界規模で起こることもありました。人間は様々な要素を持っていて、善と悪、聖と邪、それだけでなく曖昧でグレーな部分も持っています。それら全てを飲み込みながら、人間を繋いで、包み込んでいくようなものが、美術だと思っています。