四季美台分譲地造成時 開発業者のパンフレットより
Google earthより
昭和42年(1967)3月 当時、まだ保土ヶ谷区野中というこの地区に三菱信託銀行・三共開発株式会社による現在の分譲地造成がスタート
同年10月より第一期販売がスタート、初期は17世帯で1年後には80世帯に増加
その後、第二期・第三期販売へと継続し住民世帯数も大幅に増加
地名も「四季折々に美しく変化する土地」ということで、自分たちで「四季美台」と命名し認可される
🦉近隣の万騎が原団地は昭和33年(1958)3月より第一次販売スタート
昭和44年(1969)7月 保土ヶ谷区役所より住民への連絡が必要との事で町内会を結成し「四季美台親睦会」と命名
昭和44年(1969)10月 横浜市の区の再編成に伴い保土ヶ谷区から旭区が新設
🦉区名は画数が少なくシンプルで朝日が昇るような将来性を意味するという意味で採択
候補 ①西保土ヶ谷区 ②港西区 ③鶴ヶ峰区 ④富士見区 ⑤旭区 ⑥緑区 ⑦相模区 ⑧二俣川区 ⑨希望が丘区 ⑩西保区
同年 保土ヶ谷西郵便局から横浜旭郵便局に改称
昭和45年(1970) むつみ子ども会を新設(初代会長は島崎氏)
同年 保土ヶ谷バイパス着工
同年 二俣川駅南口にショッピングセンター「グリーングリーン」がオープン
昭和46年(1971) 当時二俣川地区連合自治会から設立分離した旭中央地区連合会に再加入(初代会長は小川氏)
同年 第1回 旭中央地区連合県民運動会 開催
昭和47年(1972) 第一回盆踊り大会を開催
同年 旭警察署 開設
同年 「こども自然公園」開園
昭和48年(1973) 保土ヶ谷バイパス 新保土ヶ谷区IC~本村IC間が暫定2車線で開通
同年 住民世帯数300世帯を突破
昭和49年(1974) 保土ヶ谷バイパス 狩場IC~上川井IC全面4車線が開通。その後現在に至る
昭和50年(1975) 住民世帯数340世帯を突破
昭和51年(1976) 当時の女性たちの奮闘により美寿々会を新設(初代会長は前田氏)
同年 相鉄いずみ野線 開業🚃
昭和55年(1980) 二俣川駅南口に「西友二俣川店」がオープン
昭和59年(1984) 第11回 旭中央地区連合県民運動会で初優勝🏆
昭和64年(1989) 四季美台親睦会館 落成