ここでは、ドイツPhD 留学の最終段階について解説します。
具体的には、博論提出要件を全てクリアした後、どのような流れで博士論文を提出し、口頭審査会(ディフェンス)を行ったのか、体験談を交えて解説していきます。
なお、ここでの体験談はゲッティンゲン大学およびマックス・プランク太陽系研究所に限った話も多く含まれます。必ずしもドイツのPhD課程に一般化できるものではないのでご了承ください。
国際マックス・プランク研究学校(IMPRS)が定める博士論文提出の際に 満たしているべき単位取得要件は以下の通りです。
計3回の研究所セミナーでの発表+TAC 指導教員達との面談(4単位)
計2回以上の国際会議での研究発表(4単位)
計2報のジャーナル論文(4単位)
必修の講義(自分の専門分野と非専門分野から最低一つずつ/3単位x2)
研究倫理・論文執筆・キャリア選択・プロジェクトマネジメントなどの講義(4単位)
ティーチング・実験のチューター(計8単位)
ちなみに、ドイツの博士課程では日本の大学のような履修登録システム上で単位が管理されているわけではありません。授業を受けたらまとめレポートを提出し合格であれば、規定の用紙(Course Assessment Form)を教授のところに持って行ってサインを貰います。これが単位の証なのです。
(僕のように)怠惰な人だと、セメスターが終わってもサインを貰いに行くのが億劫になってずっと放置してしまうことがよくあります。ところが、後になって慌ててサインをもらおうとすると色々トラブルになってしまうことが多いです。僕の場合卒業ギリギリになってサインをもらおうとしたところ教授が既に退官していたり、ティーチングの単位を貰いに行ったら(単位数の計算を間違っており)当初貰えると想定していたよりずっと少ない単位しかもらえなかったりと散々な目に遭いました。
なにはともあれ、無事これらの単位が回収できたら、学部長からの署名を貰い、第一関門突破となります。
PhDプロジェクトの研究が形になってきたら、博士論文の執筆を開始します。といっても、その大部分はジャーナル論文を複数並べれば(そして多少体裁を整えれば)良いだけなので、時間がかかるのは主に最初の章(序論 / General Introduction)および最終章(まとめ・考察 / Discussion)の執筆です。
序論はなかなか大変です。自分の研究がより大局的な視点でどのような位置付けで、なぜ重要なのか、きちんと理解した上で過去の文献レビューをしつつストーリーを構築していきます。一応普段から関連分野の新しい論文はチェックしてはいるのですが、改めて周辺分野の最近の論文達を(arXivに出てるだけでまだ出版されていないものも含めて)読み直しました。その上で、今これまでにどんな研究が行われて・どこまで分かっていて・何が分かっていなくて・それを解決するためには何が必要なのか、といったことを書いていきます。
個人的には、序論の執筆は楽しいものでした。研究の客観的な位置付けを改めて把握することができるので、研究に対する理解も深まります(ディフェンス対策にもなります)。また、周辺分野の基礎事項を復習するために学部生向けの教科書やレビュー論文を(昔既に読んでいるが数年間の研究経験を経た上でもう一度)読み直してみると、新たな発見があったり、同じ事柄でも多角的に見ることができるようになっていたりして成長を実感できます。
最終章は、全体の結果のまとめ・課題点・発展させたどんな研究が将来できてどんな成果が期待されるか、といったことを 3-5ページほど書けば良いのでそんなに大変ではありません。とはいっても、やはり気が抜けません。短い分非専門分野からの審査委員もちゃんと読む箇所なので、あまり変なことを書くと博論審査に落ちる可能性もあります。
IMPRSでは一応英語かドイツ語かを選べるのですが、ここではドイツ語圏の学生もみな英語で書くのが普通です(その方が色んな人に読んでもらえるので当然ですね)。一方、フランスの大学では博士論文はフランス語で書くことが推奨されるようです。
まず、指導教員と相談しながら博論の審査委員を6名選定する必要があります。この時内2人は TAC 指導教員で決定なので、残り4名を選定します。もし学位の最上位のグレードである summa cum laude を狙っている場合は、外国もしくは外部の大学・研究機関から専門家を招聘する必要があります。
審査委員を決定したら、彼らに依頼メールを送り、博士論文提出日および口頭審査会(ディフェンス)の日程を調整します。博論審査を担当するような教授陣は 2-3ヶ月先まで予定が詰まっていることがほとんどなので、なるべく早めに日程を決めてスケジュールを確保してもらいます。基本的には、博論を大学に提出してから 5-6週間後にディフェンスを行うことが推奨されているので、これに沿うように日程を決定します。
博論審査委員・提出日・ディフェンスの日時が決定したら、大学のオンライン学務システムにこれらを記入し、博論提出そしてディフェンスの申請を行います。ここからはカウントダウンが始まり、もう後戻りできなくなります。
ところで、ドイツではこの際に学位の称号として Dr.rer.nat (Doctor rerum naturalium / 自然科学分野における博士号)と Ph.D (Doctor of Philosophy / これは日本やアメリカの大学院から授与される博士号に対応)を選ぶ項目があります。もし将来的にアジアやアメリカなどヨーロッパ外で仕事をすることを考えている場合は無難に Ph.D を選んだ方が便利と言われているため、僕は Ph.D を選択しました。ただし、ドイツ国内で働き続ける場合はどちらかというと Dr.rer.nat の方が箔がついて見られるそうです。ちなみに、こちらは専攻した分野に応じて、Dr.med(医学博士)、Dr.rer.biol.hum(人間生物学博士)などと使い分けられています。
これら2つは基本的には同等の資格と見なされていますが、多少違いもあります。Ph.D 所持者は自分のことを 「名前 苗字, Ph.D."」とも「Dr. 名前 苗字」とも名乗ることができるのですが、Dr.rer.nat 所持者は「Dr. 名前 苗字」と名乗ることしか許されていません。もし Ph.D と名乗れば称号詐称罪に当たるとか当たらないとかいう話も聞きます。
博論は提出日の 1-2ヶ月前から指導教員に見せてチェック依頼しているのですが、彼らは大抵提出日の3-4日前になってようやく真剣に細部までチェックし始めます。そのため、提出日直前は鬼のように忙しくなります。大なり小なり修正箇所のリストが山のように送られてくるので朝から晩まで博論の修正に追われます。
さて博論提出日の前日となりました。この日は翌日大学に提出する書類をすべて用意し、指導教員と共にダブルチェックする予定のはずでした。しかし朝8時に起きてメールをチェックすると、既にボスから新たな博論修正箇所リストのメールが。これが結構やっかいな修正で結局午後4時過ぎになんとか修正完了できました。
ようやくボスからの Goサインも出て、これで博論は完成ということで、大学への提出書類(以下)を準備していきます。
電子版の博士論文(PDF)
製本済みの博士論文(大学へ提出するもの2冊+審査委員へ送付するもの)
履歴書(CV)
単位取得証明書(学部長からの署名つき)
Zoomを用いたオンライン口頭審査会の同意書(各審査委員から)
結局夜遅くまで、研究所の製本室で博士論文を製本し、なんとか翌日の提出書類を準備し終わることができました。一応指導教員が最終チェックをしたいということで製本したものを渡してその日は終わりました。
そして翌日(ついに博論提出日当日)、朝起きるとなんとまた山のように新たな博論の修正箇所リストのメールがボスから来ているではありませんか。昨日たくさん製本した博論達は早速ゴミ箱へ捨てて、さらなる博論の修正へと取り掛かります。結局この日も午後4時過ぎにようやく修正が終わりボスからの Goサインが頂けました。急いで、新たに製本して、なんとか大学の事務が閉まる午後5時直前に博論を無事提出することができました。
ちなみに製本室の秘書さんに聞いたところ、提出日になってもボスと博論修正が続いてその度に何度も製本し直して、タイムリミットギリギリに大学に駆け込んで提出するのは、他の学生も皆同様のようです。
提出された博論を見て、問題がなければ申請した日時に博士論文口頭審査会(博士論文発表公聴会)が執り行われます。博論に大きな不備・問題が見つかった場合は棄却され、審査会は白紙になって再提出となります。
博士論文口頭審査会は、英語では Defense、ドイツ語では Disputation と呼ばれます。自分の研究発表に関して色々教授たちから突っ込まれる事柄(質問)を全て突っぱね返し・斬っていく(回答)ことで自分の研究を防衛するというイメージです。
博士論文口頭審査会の様子。コロナ禍のため、現地参加者には人数制限が設けられており
Zoomとのハイブリット開催となった。
基本情報
日本の大学では、博士論文審査会は公開と非公開パートに分かれているところが多いようですが、 ドイツでは完全に公開されています。興味のある学生・ポスドク・その多研究者やさらには家族など誰でも公聴することができます。さらに、(日本のはピリピリしている審査会とは対照的に)ドイツではディフェンスの雰囲気自体も非常に和やかで、ここで落とされる学生は非常に稀なため、観衆も「ディフェンスを通過して博士になる記念すべき瞬間を皆で見届けて祝福しよう」というノリで集まってきています。
ゲッティンゲン大学物理学科では、ディフェンスは約2時間かけて行われ、30 分間の研究発表プレゼンとその後の約1時間半におよぶ質疑応答からなります。発表パートでは、研究内容に加えて当然プレゼンテーション能力も審査されます。
質疑応答パートの前半では、プレゼン内容や博士論文の内容に関する質問が多くなされますが、後半では必ずしも研究内容とは関係ないような周辺分野(多くの場合審査委員の専門分野)に関する質問が多くなされ、博士号を名乗るのにふさわしい位広く一般的知識を備えているかを時間をかけてチェックされます。
準備
実は僕はディフェンスの1週間前まで指導教員とともに出張に行っていたので、出張先でプレゼンテーションスライドのチェックをしていただいたり質疑応答の練習をたくさんしていただきました。スライドは発表パートは 30 枚程度なのですが、ありとあらゆる質問に対してすぐに補足スライドを見せて説明できるように準備した結果、補足スライドだけで 100 枚ほどになってしまいました。発表パートは30分に納まるように 2-3 日前から何度も練習して本番に臨みました。
普段の学会発表とは異なり、博論審査会では「なぜあなたの研究は大事なのか?どう大事なのか?それによってどんな(より大きな)問題の解決に繋がるのか?」などといった抽象的な質問が飛んできがちであるため、こういった質問に簡潔に答えられるよう入念に準備をしておく必要がありました。さらに、研究内容とは直接関係のない周辺分野の質問に対してもある程度対応できるよう、いくつかレビュー論文や学部生向けの教科書を引っ張り出してきて読んだりして知識を整理し直しました。
ドイツのディフェンスは一応服装は自由で良いらしいのですが、過去に先輩達のディフェンスに参加した際は皆スーツを着ていたので、僕もスーツを着ていくことにしました。スーツ自体は事前に日本の親から送ってもらっていたのですが、シャツ・ネクタイ・靴下などが無かったことに気づき、前日に慌てて街に買いに行きました。
本番
僕の場合は、依然コロナ禍ということでディフェンスは対面&オンラインのハイブリッド形式で行われました。研究所の大教室で実際に審査員の前でプレゼンを行うのですが、コロナ規制で大教室内にはソーシャルディスタンスを保った状態で観衆 25人までしか入ることができず、残りの人(外国在住の審査委員含む)は Zoomでのオンライン参加というわけです。このような状況だったので、日本にいる家族にもZoomのリンクを送ってディフェンスを公聴してもらうことができました。
さて本番。発表パートは何の問題もなく終えることができました。次に質疑応答なのですが、まずは僕の TAC指導教員たちが先陣を切って質問してきます。割と普通の質問が多かったので問題なく答えられました。ところが、実はこの時すでに問題が発生しており、僕と審査委員(両方現地にいる)同士のやりとりは Zoom の参加者にはほとんど聞こえていなかったそうです。大教室の壇上にマイクがあったのですが、指導教員への質疑応答に夢中になるあまりどんどんマイクから離れていってしまっていたようでした(反省)。しかも、質問者へ Zoom用のマイクを渡すのも忘れていました(これに関してはおそらく僕の役目ではないがそこまで事前にシミュレーションしていなかったのは明らかな準備不足)。
さらに問題は続きます。後半、Zoomから参加していた審査委員から質問を受けたのですが、ネット接続が悪すぎて質問が途切れ途切れしか聞き取れないという事態が発生しました。これには一瞬焦ったのですが、変に早とちりして質問を誤解しトンチンカンな回答をしてしまうと、「こいつちゃんと物理を理解してないな」と思われて逆に印象が悪くなるかもと思ったため、質問全体がちゃんと聞こえるまで 2-3 回しつこく聞き返してから回答しました。これは我ながらファインプレーでした。ひと通り審査委員からの質問が終わると今度は公聴していた参加者からの質問を受けつけます。現地の大教室にきていた人から 2, 3 個質問を受けましたが、問題なく答えられるものだったと思います。
結果発表
その後、審査委員だけで審査会の結果を決める会議が開かれるため、私も観衆も大教室から退出させられました。教室の外では、同僚の学生やポスドクから「良かったよ」といった温かい言葉をかけられたり、何人かからは研究内容に関するより突っ込まれた質問をされたりしていました。
おそらく 3-5分後でしょうか、審査委員が大教室から出てきて指導教員から「Congratulations! Dr. Yuto Bekki! You will be given summa cum laude!」と告げられ、教室の外に残っていた同僚たちから一斉に祝福されました。この時、同僚の学生やポスドクから手作りのPhD帽を手渡されます。この時の喜びは一入で言葉では言い表せられません。
ちなみに summa cum laude というのはドイツの博士号に与えられる等級で後で解説します。博士帽に関してもドイツの博士課程特有の伝統イベントなので後で詳しく解説します。
博士論文口頭審査会後の結果発表時の写真。
指導教員および審査委員の方々と。手に持っているのは博士帽。
通常、日本やアメリカなどでは学位審査は合格か不合格かだけで判断されますが、ドイツでは学位の中でさらに等級・成績(グレード)が何段階か存在しあります(既に述べたようにドイツでは口頭審査会を開いた時点でほぼ合格が確約されているので、結果の出来不出来はその成績で評価されるそうです)。
成績は以下のようにラテン語で表現されています。
summa cum laude(秀)
magna cum laude(優)
cum laude(良)
rite(可)
summa cum laude が最も良く、rite が最も悪いです。不可に相当するものは存在しません(この場合提出された博士論文自体が棄却されるので口頭審査会を開くことすらできません)。
僕の周りで rite だったという人は聞いたことがないですが、もし、研究発表のプレゼンがダメダメで 、本当に自力で研究遂行したのか疑われるレベルだったり、質疑応答があまりにもしどろもどろで審査委員の印象が最悪だと rite のことも全然あるようです。
大半の学生は cum laude もしくは magna cum laude が与えられます。基本的に博士論文を提出し口頭審査会を開ける時点である程度の研究成果(ジャーナル論文最低1報)があるはずなので、それに関してちゃんとストリー立ててプレゼンし質疑応答も滞りなく終わることができれば magna が与えられ、もし何か問題があれば cum laude だそうです。
一方で、summa を獲得するには、非常に優れた博士論文(研究成果)・優れたプレゼンテーション能力・質疑応答能力が揃っている必要があります。さらに、博論審査委員に最低一人は外部の大学・研究機関から招聘したその分野の専門の教授を加える必要があります。従って、もし審査委員が所属大学の教授のみで構成されていたら、そもそもその学生は summa を狙っていないと判断されます(基本的にこの判断は指導教員が行い、「この学生なら研究成果も十分だし summa を狙えそう」と思ったら外部の教授に審査委員依頼するようです)。
summa を狙うにはいくつかコツがあるようです。まず1つは、超優秀な学生の前後(同日)に口頭審査会を開かないことです。というのも基本的に教授陣は summa はごく少数の学生にしか与える気はないので、連続で続けざまに2人の学生に summa を与えることはないそうです。もし既にジャーナル論文4報以上出してたり Nature / Science から論文出しているような優秀な学生が口頭審査会を開く場合は、少し審査会の日程をずらした方がいいかもしれません。
もう一つのコツは、自分の専門以外の勉強もちゃんとしておくことです。summa を狙っている学生に対しては、審査委員はあえてその人の専門以外の質問をしてきちんと答えられるかを試します(例えば、理論・シミュレーション研究をしている学生に観測に関する知識を問うたりその逆など)。ちゃんと十分に回答できれば合格(summa)で、もし周辺知識の欠如がうっかり露呈してしまうと、magna cum laude となります。
博士論文と口頭審査会それぞれの項目に対し成績が与えられ、それらの平均が学位記に記載されます。仮に、博論が summa で口頭審査会が magna の場合は全体の成績は magna cum laude となってしまいます。このPh.D.の等級はドイツ国内では履歴書にも記載され就職などで効果があるそうです(ドイツ国外で就職する場合は基本的には無意味)。また、ドイツ国内で学位取得後に研究費や奨学金(フンボルト財団やマリーキュリー財団など)に応募する場合は、magna cum laude が足切りに使われていて summa cum laude だと有利になるという話も聞きます。
ドイツでは、新たに博士号を取得した学生に同僚が手作りした博士帽(PhD hat)を手渡しして祝福する慣習があります。通常口頭審査会の結果発表の直後に手渡されます。それまでは本人には内緒にして秘密裏に博士帽は製作されます。博士帽には、その人の趣味や研究内容・国籍にちなんだアイテムが装飾されていたり、PhD課程在学中の思い出の写真が貼られていたりしており、同僚の創意工夫が色々と施されています。
博士帽を手渡された卒業生は、その場もしくは直後の祝賀パーティの挨拶時に博士帽の装飾がそれぞれ何を表しているかを説明しなくてはいけません(といっても知らないところで製作されて手渡された直後なので意外と難しい場合もある)。ユニークな装飾が多いので、これもドイツならではの楽しいイベントです。
僕の博士帽には、研究テーマである太陽のロスビー波の模型が拵えられており、その上に日本国旗が立っています。そして、僕の趣味のバスケットボールやバイオリン、好きな食べ物のラーメンやビールなどが装飾されています。唯一無二のプレゼントなので、僕も宝物として家に展示してあります。
提出した博士論文と頂いた博士帽。
ドイツでは、基本的に祝われる側がパーティを企画・催します(誕生日などでも同様で、自分でバースデーケーキを用意し皆に振る舞います)。
これは審査会の直後に開かれる祝賀パーティについても同様で、自分で場所の確保・食事の準備(およそ20-30人分)などを行わなくてはいけません。通例、留学生はその国の郷土料理を(多くの場合)手作りで準備します。
これは何を意味しているかというと、博論審査会の発表準備で忙しいにも関わらず 、祝賀パーティのための2-3日前から食材調達・料理も同時並行で進めなくてはいけないのです。もし同じ国出身の同僚や学生がいれば、料理面に関しては手伝ってもらえたりもするのですが、残念ながら MPSの日本人学生は僕だけなので、そういうわけにもいかずどうしたものか悩んでいたものです。
結局、僕の場合はコロナ規制で研究所内で人が集まるイベント自体禁止になってしまったので、祝賀パーティを開くことは叶わず、料理の悩み自体無に帰すことになってしまいました。ケーキだけ持参していき、その場にいた方々に振舞って小さくお祝いしました。
無事博論審査会をパスした学生には、大学の博士課程プログラム(GAUSS)から卒業式に招待されます。知っての通り、ドイツのPhD学生の入学時期や卒業時期はまったくバラバラなので、卒業式も不定期に年に数回執り行われます。僕が参加した 2022年5月の卒業式は、なんとコロナが始まって以来初となる対面での卒業式で、非常にタイミングが良く幸運でした。
卒業式は全部で 20-30名ほどの博士号取得者を対象にした非常に小規模のもので、Aula と呼ばれる大学の大聖堂で行われます。実は、この大聖堂はその昔大学が悪さをした学生に懲罰を与えるための監禁部屋をして使用されていたこともあったそうです(ドイツ統一の中心的役割を果たした元プロイセン王国首相オットー・フォン・ビスマルクも一時ここで監禁されていたそうです)。
式は、チェロとピアノの演奏で始まります。その後学部長が 10分ほど演説をしたのち、1人1人名前と博士論文のタイトルが読み上げられ博士号の証明書(厳密には学位記ではない)が授与されます。全員に授与し終わったら再びピアノとチェロの演奏で締められ、卒業式は終わりとなります。
非常に簡潔かつ和やかな卒業式で良かったです。ちなみに僕は気合いを入れてスーツにPhDガウンを羽織って出席しましたが、中にはジーパンで来ていた卒業生もいるくらいカジュアルな雰囲気でした。
ゲッティンゲン大学では、新たな博士号取得者が旧市街にある Gänseliesel 像(ガチョウ娘像 )に登って、花を添えて、ガチョウ娘の頬にキスをするという習わしがあり、ギャンゼリーゼセレモニー(Gänseliesel ceremony)と呼ばれています。これは、ゲッティンゲンという街を代表する非常に有名な伝統イベントなので、別のページでより詳細に解説します。
実は、卒業式で授与されたのは、博士課程修了証明書・博士号取得証明書と呼ばれているものであり、正式な博士号の学位記(diploma)ではありませんでした。
ドイツでは、博論審査会を通過した学生は1年以内に博士論文を審査委員からのアドバイスを受けて微小修正した上で、大学のオンラインライブラリより出版しなくてはいけません。出版して、ようやく 大学より正式な博士号学位が授与されます。これを待たずに Dr. や Ph.D. と名乗ってしまうと場合によっては称号詐称罪に問われることもあるそうなので注意が必要です。