2025年10月 周り(ネット)の人
2025年10月 周り(ネット)の人
今日、交換用のネームの完成がようやく見えて、ふとどのくらいのペースで物語をつくれているのか計算してみたら、大体半年に一本くらいだったんですが、これってどうなんだろう。
素人だったらまあそれなりにやれているのかもしれないけれど、商業やりたいんだったらてんで駄目なペースだなあ。
最近本当に自分のやる気のなさに嫌気がさしていて、どうにかやる気を出そうと、一日の初めに今日やること書きだしたり、時間割決めたりといろいろやってはいるんだけど、どうも何かがうまくいかない。
そもそも物語をつくることだったり作品をつくることって、何時間机に向かっても次の一手が出てこないときは出てこないし、と思えば全く考えてなかったときにポンと出ることもあるし、進捗を管理することってできんのかとすら思っている。
だから今日できなかったけど仕方ないやーと思っている節もあり、進捗管理がなあなあになっている。本当に良くない。でも仕方ないのは事実だとも思っている。まあでも周り(ネット)の人とか見るとやってるし、たぶん自分が怠惰なんだろうなという気持ちもある。
こういうこと考えると、最終的に全部自分が怠惰なのが悪いという結論になって余計に落ち込む。できる限り漫画や絵に時間をかけられる選択を取ってきて、その判断自体には後悔もなければむしろ誇りのようなものすら感じている(くだらない人間だな)けれど、仕事や勉強しながら自分より漫画や絵もバリバリ描いている人たちがこんなにいるという現実をみると、情けなさ過ぎて心がきゅっとなる。
どうやって生きていけばいいのかわからない。
2025年10月 関西コミティア74
お久しぶりです。もう完全に月一投稿はできない感じになってきました。無理してすることでもないので気が向いたら書き込むようにしていきます。
関西コミティア
関西コミティア74に出ました。初の京都会場で(うろ覚えだけどネットに上がってる公式?の写真が、広めの会議室みたいな感じだった記憶があり)どんな感じの建物だろうと思っていましたが、インテックスとほとんど変わらないような内装でした。
今回は、漫画じゃないドローイング手製本の新刊と短編集とTシャツで参加しました。
ドローイング手製本は、個人的に気になっている絵画と漫画の両立という点でそこそこ満足のいくものにはなったけど、「漫画」という人気あるパッケージではないし、コミティアでは漫画の人という認知をされているだろうから、あんまり売れないだろうなあと思っていたので、興味をもって買ってくれる人がいて素直にうれしかった。
買ってくれる人全員に「これは漫画じゃないです(けど大丈夫ですか?)」って聞いていた気がする。
tシャツを作ってみて一番わからなかったのは「どのサイズがどのくらい需要あるのか」というところで、とりあえずSML比率が1:2:1で作って持っていって
S かなり需要少ない
M 安定の需要あり
L もしかしたらM並みに需要あるかも
XL Sと同じくらいには需要ある
だったのでもし2回目があるなら、SMLに加えてXLも持ってって比率を1:3:3(もしくは2.5):1くらいにしたほうがいいのかもしれない。
今回で関西コミティアだけでいえば3回目のサークル参加なのだけど、段々とよくスペースに来てくれる方や、サークル参加同士で挨拶する方など人との関係性を感じることが多くて、それが今回参加してよかったなと思えて嬉しかった。
なんかAIを悪用する奴らとかでネット上のものがもう何も意味をなさなくなりつつあって、今後どうなるんだろうという漠然とした不安がここ最近ずっとあったから、結局のところ信じられるって、人と人の現実での関わりとかそれぞれの行動とかいうようなのから生まれる縁なんだなあと思った。
そしてこれ書きながら「それってつまりシンエヴァってことじゃん!」てなりました。オタクってヤダね。
改めて関西コミティアありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。
次の関西コミティア75(1月開催)の申し込みは11月10日18時までだぜ!俺はもう済ませたぜ!
2025年8月 GitHubは基本英語
ホームページを移行しました。新築の香り。
今まではGitHubというサービスを使って手打ちhtmlのホームページを使っていましたが、こちらのGooglesiteというサービスに引っ越しました。というのも、はじめ手打ちhtmlでやるぞ!と思った時から薄々わかってはいたのですが、あまりにもすべての編集が面倒かつ難解で、更新するのが億劫になったからです。(GitHubが基本英語というのも大きかった)
僕の生活には今回のホームページ然り、欲しいものややりたいことを見つけると、とりあえず一度「一人でできらぁ!」と自力でやっては失敗し、結局既存のサービスや物に頼るというお決まりの流れがあります。ひとり部屋に籠ってごそごそしている時間がが本当に楽しいので結果が失敗でもあまり気になりません。
手打ちhtmlのホームページは、ホームページを構築するのが一番楽しくて、そのあとの運用はあまり楽しくないというか、運用はつくるの後の作業なのでごめんなさい眠いのでここで終わります。
2025年7月 人間の行動
ご無沙汰です。7月です。1か月空いてしまいました。特に忙しかったわけでもなくただ空きました。まあ人間の行動について言えば、たいていのことは理由があることのほうが少ないですから。そうなんですか?
今は9月初めにある展示の絵を描いています。好きな作家面々が展示していてよく見に行っていたギャラリーで運よく展示できることになったので、頑張りたいと思いつつもいつもより、いいものを出さなければという気持ちの焦りや人に絵をみられることに対する抵抗感がない。なんというか、描けるものしか描けないし描けたものしか出せない、というような諦観のようなものがある。どちらかというと絵と自分のやり取りのほうが楽しくて、できたものがどうなっていてどうみられるのかということをあまり意識していない。
場慣れしたのかな。いいことなのか悪いことなのかはわからない。こういうことを頭のいい人に言うと、バランスだよとか言ってくるよね。そうなんだろうけど何故か少し腹立ちます。
漫画は12月のZINEフェスに誘ってもらったのでそこで出す本やら、ほかにも数本考えないとな~という感じですが、マルチタスクができないのであまり考えれてない。
物語をつくるのって世界一難しいことなんじゃないかと思います。まじで。
あとここでも言いますが、ツイッターのほうでリポストした投稿みてくれましたか。見てない方はぜひ見てくださいね。見たらツイッターからログアウトしてアンインストールして現実の世界をみようね。
では。
2025年5月 漫画終わらない
漫画が終わらない。なんかもうこの漫画が面白いかどうかわからないという期間は過ぎて、今はこの漫画はたいして面白くはないがそれでも描き上げるしかないという気持ち。たぶんここであきらめると二度とこの漫画は描かないと思う。締め切りだけがこの漫画の推進力になっている。
短編集のほうは4月最終日に入稿終わって今は印刷中だと思う。今まではあとがきは書いてこなかった(書けるほど余裕がなかった)けど、短編集はあとがきやら覚書があって、漫画よりその文書を人に読まれると思うと恥ずかしい。いい文書をかける人憧れる。でもいろいろデザインの関係で入らなかった文とか、本に載せるほどでもない文とか制作過程でできた切れ端みたいな文がたくさんあるので落ち着いたらここに載せられたりできたらいい。
思ってた以上に入稿手順が複雑で大変だった。一色刷りでこんなに大変だったのを考えるとカラーで入稿してる人ほんとにすごいな。
試し刷りとかをしてないのでどんな仕上がりになってるか予想できなくて怖い。でももうどうなっててもどうしようもないから、そんなに焦っているわけではない。
2025年4月 乱筆乱文原文マミー
最近は短編集の描き下ろしをかいています。いつもの「この漫画おもろいか?」期間に入りました。でもこの感覚が毎度のやつじゃなくて、ほんとにおもしろくないのかも知れない。
先月は池澤夏樹の『スティル・ライフ』と森見登美彦の『きつねのはなし』と津村記久子『サキの忘れ物』を読んだ。
池澤夏樹ってなぜか声優やってる人のことだと思ってた。めちゃ好きでした。他の本も買い漁った。
『サキの忘れ物』は「王国」というはなしが好きだった。『君は永遠にそいつらより若い』が好きなのでそれを求めてたらあんまなかった。
あと月刊湿地帯というおいし水さん(上の小説家の名前には敬称付けなくても気にならないけど、おいし水さんはつけないと気になるのなんでだろう。敬意の度合いの話ではない。心理的な距離感の問題?)のホームページを読み漁っています。
模様替えしたら部屋広くなった。ジークアクス(映画ではないほう)みた。初ガンダム。
以下メモ帳にあった文
勝手にこちらを神棚に上げて自分とは違う人種として扱ってくる人、対話する気がなくて不快なのでやめてほしい、てめえも素晴らしい作品つくってるだろうが。
それにたぶん自分が相手のほうが格上だと感じる(この感覚もすごくアホらしいけれど)と、ほんとに悔しくて腹立たしくて寝床でうめき声を上げるくらいなので、周りの人間もそうあってほしいというだけ。もっと悔しがれよ!なあ!
他人は他人、自分は自分と分けれていない自分が幼いくてヤになるね。自他境界があいまい?
大きな流れの世界(社会ともいえる)の中のほんの小さなところに自分の住処があって、そこには外の世界から流れてきた好きなものがいっぱいあって、いつもは窓から向こうの世界の風景を見たり見なかったりしてて、たまに外出てみるかと思って絵とか漫画を出す、発表する?という感じなのだけど、絵画で描くものはほとんど自分の建物の中の話、漫画は内から外の世界を想像してみた話という感じ?
絵とその周辺のこと以外にしたいことがなく、毎日がそれかご飯かバイト(今は前のバイトと新しいバイトの間の無職期間だけど)の3つで構成されているので、人と話すとき絵以外喋ることがないし、そもそも話したいレベルの絵の話しても通じることがほとんどないし、相手から絵以外の話をされてもちゃんと興味を持って聞くことができない。演技ならできるけどたぶん演技なのはバレている。下手なので演技が。
人とどうやってなにを話せばいいですか。天気とか趣味とか好きな映画とか?そういうの話してHCT(ハッピーコミュニケーションタイム)したこと一度もないなあ。
最近気づいたけど複数人でいるときのほうが話しやすい。タイマンはあまりにも自分にかかる会話役割の比重が大きすぎる。
複数人はそれぞれが好きなところで、気になったところで発言したり、質問したり、したい話したりできるから、各自の比重が軽い。
タイマンは興味ないことも聞かなきゃいけないし質問もしたほうがいい。自分のセンサーにひっかかるものがなにもない時のあの時間、、、興味ありますよーっていう演技はできるけど、すごい全部が嫌になっていく。しかも演技なの気づかれてるだろうから、すごいわざとらしくて嫌な印象与えるだろうな。
大学終わってフリーターになっって一ヶ月くらい過ごしているけれど早くも人生の長さに対する絶望感を感じている。
よく新入社員が働き始めて少したって「この生活があと40年か」とかいう絶望感を感じるといった話はよく聞くけど、働いてなくても同じようなことを感じるとは思わなかった。
たぶんいままでは意識しなくても自動的にあった節目というものがなくなったからだろうな。
小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年、残り死ぬまで60年くらい、あまりにもバランスがおかしいだろ。
ホラー系の館の絵描きたいとなって『悪魔のいけにえ』とか『サイコ』とか調べたら、『サイコ』の家はエドワード・ホッパーの『線路脇の家』という絵からきているらしく、「おい〜ホッパ〜てめえこの野郎〜😁😁」ってなった。
おしまい
2025年3月 編集作業が楽しいな 他
引っ越し、展示準備、コミティア申し込み、その他もろもろ一月からあった予定がとりあえず終わりました。やったー
今は次の関コミ、東京のコミティア(東京のコミティアのこと一語でなんて言えばいいのかいまだにわからない。東コミ?コミティア?)に出す短編集の編集と描き下ろしの制作をぼちぼちしています。
短編集なので作品の順番を考えるのが、難しいけれど面白い。ちょうど去年あたりから、好きなバンドやアーティストの音楽はできるだけCDで聴くようになり、曲順とかにも意味があるんだなあということを認識し始めたので、より。
それから、目次とかタイトルとか奥付のデザインもまったくわからないけれど楽しい。絵描くのよりも面白くなってきて少しまずい。このホームページ作った時もものすごく面白かったので、創作よりもこういうののほうが好きなのかもしれないなあ。
いつも2日前入稿とかしてるけど、今回は余裕をもって入稿したいな。
今は舞城王太郎の『阿修羅ガール』を読んでいるけど、読むの遅すぎる人間なので一ヶ月かかっても半分しか読めてない。
半分読んだ感想としては昔のガイナックス味がある。調べたら鶴巻和哉『龍の歯医者』に参加してるし、だよね〜。
ただ表面は軽妙洒脱でキッチュでありつつ、愛について誠実に扱っている、考えている(というか考えた結果がその軽やかさなのかも)がするのでとても好感がある。まだ読み切ってないので信用しきってはないが。
時間に余裕ができたので映画を観始めた。『CURE』『櫻の園』『木と市長と文化会館 または七つの偶然』をみた。どれも面白いなあという感じ。めちゃくちゃ面白いというものはなかった。なんでもそうだけど10本みて1本自分に刺さればいいほうだよね。
ただ何となく最近、物語のことを少しわかったような気がする。感じとしては、今まですごくしっかりとした人みたいな印象を持っていた人が話してみると、「実は結構この人も曖昧でテキトーなとこあるんだな」ってなったみたいな。あーー人間だあみたいな。なんかそんな感じ。気がするだけかもしれんが。
四月まで職なしなので、今のうちに進めることや、やりたいことやっときたいです。では
2025年2月 憧れの闇エネルギー、最近の歯磨き、『こちらあみ子』
自分は「憧れ」という言葉を一般的な認識とは異なる認識で使っているかもしれない。
憧れ…理想とする物事に強く心が引かれること。ある人や物事に対して、強く心引かれ、その存在や状態を自分自身に求める心情を表す言葉である。
↑ネット検索
確かに、憧れの人、ものに出会うと「良すぎる、こうなりたい(こういうのをつくりたい)、、、」と上記のような心情にはもちろんなる。けれど同時に「、、、この野郎が、ぶっ潰す、、、」みたいな感情も必ずセットで出てくるので、この闇エネルギーも含めて「憧れ」と呼ぶのかと思っていた。
なので人といい絵をみながらそれについて話しているとき、めちゃくちゃ憧れると言いながら、敵みたいな扱いで話してしまって反応困らせてしまう。やめたほうが良い。
絵を教えてくれていた人が、肉を食べる量を減らしたら、前より他人に腹が立たなくなった、悔しいと思わなくなったと言っていたが、あまり肉を食べないのに憧れの人や絵に出会うたび、毎回腹が煮えくり返って頭をかきむしってる自分はどうすればいいんだ。歳重ねたらましになるのかな。
歯磨きが下手なので歯ブラシを持ってる手に歯磨き粉で泡立ったよだれが垂れてくることがよくある。そうなったときの選択肢として、ティッシュを使って歯ブラシの柄をくるんで泡を吸収しつつ歯磨きを続行するという選択肢と、あえて口をガン開きにして全てを垂らしながら歯磨きを続行するという選択肢の二択があり、最近は割と口ガン開きが楽しい。なんかこっちのほうが汚れがどんどん落ちていくぜぇ感がある気がする。
久しぶりに映画を観ようと思って『こちらあみ子』を選んだ自分を褒めたい。(以下ネタバレあり
話も画面もとても良かった。
大人の首からを上を写さない構図が多くあったように思う。あみ子の身長の視点だから頭まで入らないというのもあると思うし、人の顔色を伺うことをしない(できない)あみ子という視点でもあるかも。それで恐ろしく居心地の悪い間が何度もあった。自分は思ってたよりも日頃人の顔色を見ながら話していたんだなあと気づいた。
弱い自分は、一体どうすればあみ子にとっても周りの人間にとっても良かったのかを考えてしまう。でもどっちもは選べない、みんながみんな幸せになる方法などない、、、MONONOAWAREの『東京』ですわね。
ラストの海でのシーンが本当に本当に良かった。ここで決定的に本当に好きな映画になった。良かったというのは安堵の意味の良かったでもある。みんなから見放されてひとりになっても、あちらからの手招きに手を振り返すことのできるあみ子(タイトルってこちらにいることを選ぶあみ子という意味でもあるのかと今思った。)、生きていく力を持っていてくれて本当にありがとう。勝手だけど、それだけがこの何も好転しない映画の救いだったように思う。
うーーー、、、でもなあ、、
何も言えない、、、。みんなみて。
2025年1月 本と服と悪魔のいけにえ
『物語が、はじまる』はあんま読んでません。1話目だけ読んで開いてない。そういうこともある。というかそういうことばかりある。
アルベルト・ジャコメッティについての本が欲しいけど、どれも高いしどれがいいのかもわからないので、手を出せていない。おすすめあれば教えてください。
アーティストの中園孔二のインタビュー動画(1、2分のが70本近くある。かなり面白いので興味があればぜひ見てほしい)で舞城王太郎という方の本がでてきてたので、『みんな元気。』『阿修羅ガール』『熊の場所』を買った。どれも表紙がいい。
SF小説ももっと読みたい。古本屋でばかり小説を買っているからか、あまり読んでこれていなかったことに気がついた。これもおすすめあれば教えてください。
だけど書籍費を漫画、小説ばかりに使ってしまっているので、月に一冊くらい画集なり美術書なりを買っていきたいなあ。画集棚を充実させたい。
一人暮らししてから服は必要に駆られなければ全く買わなくなったけど、3、4年位前に古着500円で買えたリーバイスの503の形が改めてかなりいいなとなったので、必要ではないけど同じ型番もう一本色違い買おうかな♪と調べたら廃盤になってて悲しい。
あと前までは「服はユニクロ、無印しか買わん」くらい好みが偏ってたけど、今は少し変な服もいいなと思いはじめたのが、自分が変わっていってる感じがしていい。外がベージュだけど内が紫ぽい色のアウターを買った。前の自分なら絶対内の色みて買うのやめてたと思う。
YouTubeで『悪魔のいけにえ』が無料公開されていたのでみた。(以下ネタバレあり)
鑑賞者の依り代を突然失わせてよく知らん女の人の悲鳴を永遠きく映画だった。あとは藤本タツキめちゃめちゃ影響受けてるんだなあとかバイオハザードでこんな感じのんみたなという感じ。みてよかった。もうみないです。
2024年12月 『光ってみえるもの、あれは』
川上弘美の『光ってみえるもの、あれは』を読んだ。
昔『蛇を踏む』を買ったのは覚えているが、結局最後まで読んだのか、途中で読むのをやめたのか覚えておらず、ともあれおそらく引っ越しの際に売ってしまったような気がする。すべてが曖昧。
それからしばらくして、イトイ圭の『花と頬』を読んでいたときに、その『蛇を踏む』がちらとでてきた。(ああ、そういえばなんか前読んだような、、)となりちょっと気になりはじめ、この前古本屋に行ったときちょうどよく川上弘美の『光ってみえるもの、あれは』と『物語がはじまる』があったので、買った。『物語がはじまる』はまだ読んでいない。
読み始めて思ったことだけれど、異様に読みやすい。『蛇を踏む』がどうも文の掴みどころなく、読むのが難しかったような印象がおぼろげにあったので、これは児童書として書かれたのかなとも疑ったほど。同じ作家でも、こんなに表面を変えられるのか。すごい。
文字の物語を読んでいていつも思うことだけれど、常に彼らは言葉というものを使いながら、言葉からどれだけ遠くに行けるかということ、そのずっとずっと先にあるものにどれだけにじり寄れるか、ということをしているんだなあ。言葉で言葉をやっつけるような。自分のことが大嫌いなんだろう。それを感じるとすごく好きになる。この作品もそれがあって好き。
作品全体にきれいなものへの拒否を感じた。きれいな言葉きれいな会話きれいな関係きれいな結末。全部書いてやんねえという感じ。でも別に犯罪とかバッドエンドとかを書いてるわけではない。普通の男の子の普通の生活。そういう矜恃大好き。
そんなわかりやすい、きれいなものってないよなあ。全部が曖昧でどちらかといえば不快で不明瞭で、どうでもいいのにうるさいことしかない。そういう世界でどちらかといえば好きを掴んで生きてくしかないんだよなあと思った。
この本を見つけたのと同じような感じで。
ごあいさつ
こんにちは。ホームページができた。ちょくちょく模様替えしながらずっと続けられたらいいな。
前まではタンブラーを使っていたけれど、漫画がパソコンでもスマホでも読みづらかったので、ずっとなんとかしたかった。それから、こういう感じで文章を書きたいなあと思っていたのだけれど、ちょうどいいサービスが見つからなかったので、せっかくだし全部自分で作ってみようとなり、こうなりました。
文章というのは、最近読んだ漫画とか小説とか、みた映画とかの話だったり、考えたことだとか、あったことだとかそういったとりとめのないことを、気分で書いたり書かなかったりしたい。
僕が、ネットの隅っこに書かれた絵描きの少し長い、たいていは少し陰った文章が大好きなので、そういうものをつくれたらいいと思っている。SNSは、そういうことを書くには開かれすぎているし、あまり見ていて気持ちのいいものではないことが多いだろうから。
なのでここには、漫画やBlueskyだけをみていたい人にとって、「そんな人だとは思いませんでした」となるような、極端な言葉も出てくるかもしれないので、気をつけてください。単に文章が下手で見てられないこともあるかもしれない。
一ヶ月に一回くらいで更新できたらいいな。