2019秋 雑誌創刊構想が生まれる
2020.03.20 編集実働メンバー初会合(@京都)
2020.06.24 編集委員会 オンライン会議
2020.12.31 創刊準備号発行
2021.08.15 第1号発行
2021.10.23 第1号を読んで話す会(オンライン開催)
2022.02.25 編集委員会 オンライン会議
2022.03.31 第2号発行
2022.07.09 第2号を読んで話す会(同志社大学にて対面開催・オンラインも併用)
2023.03.18 第3号発行
2023.05.27 第3号を読んで話す会(同志社大学にて対面開催・オンラインも併用)
2023.08.25 第4号発行
2023.10.07 第4号を読んで話す会(同志社大学にて対面開催・オンラインも併用)
2024.08.03 編集委員会・拡大編集会議(オンライン)
2024.08.31 第5号発行
2024.11.02 第5号を読んで話す会(同志社大学にて対面開催・オンラインも併用)
2025.03.31 MFEについて雑談する会(同志社大学にて対面開催・オンラインも併用)
2025.08.31 第6号発行
2025.10.18 拡大編集会議(オンライン)
2020年5月30日
冨山一郎・沈正明
今年の秋から、新しいWeb雑誌『MFE』(年二回)を刊行しようとしています。昨年末から、冨山と沈正明、それに川村邦光さん、永岡崇さん、古川岳志さんがくわわって、いわば準議委員会のような形で動きはじめました。また編集委員は、火曜会関係者でふだんは毎週の火曜会になかなか参加できない人を中心に、声をかけていきました。編集委員会はいわば、応援集団です。多様な応援力を示すために、あえて所属めいたことも明示してあります。またMFEの当面の基軸になる既存集団としては、火曜会がありますが、くわえて川村邦光さんたちが中心となって運営されている国際日本学研究会もあります。
火曜会ではこれまで、研究を集団的な創作として考え、実践してきました。そこでは、書かれた言葉を、読み、ともに議論をするということがとても重要でした。すなわち言葉を読むことは自分を押し広げていくことであり、読んだ経験を語ることは人を巻き込むことであり、自分も他者も、巻き込みまた巻き込まれながら、思考がすすんでいくのです。自分が変わり他者が変わり、集団が変わっていくという重層的な動きとともにある思考。それは議論の場とともにある思考といってもいいかもしれません。
この議論の場の記録は、これまで「火曜会通信」という形で文書化されてきました。そこには、議論の場にいなかった人々とともに、さらに議論を継続したいという思いがありました(「通信」創刊の意図についてはhttp://doshisha-aor.net/place/190/をご覧ください)。この「通信」に加え、さらなる議論の継続、拡散のためにWeb雑誌『MFE』を創刊したいと思います。
ここでいう議論の継続と拡散とは、場とともにある思考を文書として読むことにより、また新たな場が生まれていくことであり、あるいは既に存在する議論の場と場を繋いでいくことでもあります。そのような展開を媒介していく存在として『MFE』を考えています。この雑誌により、先ほど述べたような、自分が変わり他者が変わり、集団が変わっていくという重層的な動きとともにある思考の場が、そこかしこに広がっていくという、そんな展開を想像しています。また大げさにいえば、こうした思考の場には、新たな世界を創造していく力があると信じています。それは新たな未来像を対象として思考するのではなく、思考すること自体が未来を開く場を生み出すといってもいいかもしれません。そんな思考の広がりを担う雑誌を作りたいのです。
がんらい研究行為や論文といった文書も、こうした力をもっていたはずです。だがしかし…、ここに雑誌創刊を思い至ったもうひとつの理由があります。今日論文は、個人の所有物であり、業績としてカウントされ、議論も既存の所属や分野においてまずは区分されています。またここでいうカウントという動きが意味するのは、量的推移と時間が単純に一体化した事態であり、またその業績と世界の関係も、やはりカウントできる有用性において評価され、したがって議論もまた、議論を枠づける既存の所属集団の有用性において定義されることになります。そこには議論の場に生じている重層的な動きはありません。折り重なり堆積していく複数の動きが刻んでいく複数の時間のかわりに、カウントという単線的な時間の流れが思考を支配するのです。
とりわけ2000年代にはいってからぐらいでしょうか、研究や論文にかかわる制度がうすっぺらい評価枠やポイント制になり、その結果、「それは研究ではない」、「それは論文ではない」、「それは〇〇の分野ではない」、「それは専門ではない」の一言で、全てが片付けられる傾向がより一層強まっていると考えます。この間、豊かな広がりのある議論の中で生まれた思考が、「論文ではない」という一言で外に放り出される場面に、しばしば出会いました。ここに『MFE』を刊行しようとした、現状認識があります。
こうした研究や論文のありかたは、別に今に始まったことではありません。1932年に中井正一はこうした研究の在り方を「利潤的集団主義」といいました(「思想的危機における芸術ならびにその動向」『理想』1932年9月号)。それは、食っていくということと密接にかかわる問題です。いいかえれば研究や論文の枠組みが、貨幣価値と密接にかかわっている以上、それをただ否定するだけでは、生きてはいけないのです。論文も、それにかかわる専門分野も、こうした現実の産物なのでしょう。また中井の苦闘も、この現実の内部からいかに別の動きを作り上げるのかということにありました。私たちも、現実に生きていきながら、自分が変わり他者が変わり、集団が変わっていくという重層的な動きとともにある思考の場を確保し、広げていきたいと思っています。
ところでこうした自らが生きている現実の内部から、現実を変えていく場を確保し、広げていくということは、「MFE」という雑誌名と深く関係します。「MFE」は「多焦点的拡張主義(Multifokaler Expansionismus=MFE)」の略語です。この言葉は、1960年代後半に西ドイツのハイデルベルク大学医学部精神科の助手や患者を中心に生まれた社会主義患者同盟(Sozialistisches Patientenkollektiv=SPK)が遺した言葉で、それは、「精神病」が体現する禁止の領域を人々が集まる場所(暖炉)に変えていく運動を意味しています。また「焦点(fokus)」という言葉には、禁止と暖炉の二つの意味が重ねられています。
すなわちここでいう拡張、すなわち広がるということとは、同質な多数派を構成していくことではなく、自らの住まう既存の世界がその存立前提として禁止してきた領域を問い、禁止された領域とともに変わっていく運動としてあります。また焦点とは、このような既存の世界の前提を問う動態の中で見出される場なのです。SPKについては詳しくはまた別の機会に話をしたいのですが、ともあれ学の領域や区分にかかわる言葉ではなく、禁止を暖炉に作り変え続けていく運動(expansionismus)を、雑誌名に掲げました。それは、雑誌『MFE』が担う、思考の場の新たな生成と連結が、既存の世界の前提を問い続ける運動になると、確信しているからに他なりません。
ところで世界を変えるには、普遍性のある理論と正しさが必要であるという意見もあるかもしれません。しかし、今生きている現実の内部で現実を変えていく実践とは、すぐさますべてに通じる正しい代案において遂行されるのではありません。少なくともそれだけではないし、それだけになるとマズイと考えています。このことが、「MFE」のもう一つポイントである「多焦点的」(multifokaler)という言葉にかかわります。
『MFE』が担う議論では、現実の未来に全責任を負うような思考を前提にはしていません。つまりすべての責任を担う一つの正しさをうちたてるのではなく、先ずはそのような責任を負うことはできないという無力さを受け入れることが、出発点としてあります。ここにも、普遍的な正しさを競い合いながら閉じた学派を構成してきたアカデミアとは異なる文脈があるでしょう。たしかに既存の現実の中を生きてきたということは、その現実の一端を担っていることであり、責任はある。しかし世界の全責任を担うことなどできない。この無力感こそ、現実の内部から、すなわち現実に生きながら、現実を変えていくプロセスの前提ではないでしょうか。この前提である無力感は、すぐさま普遍的正しさに置き換えることはできません。
要するに、先はわからない、正解もわからない。未来は正しく設計された明るい未来ではなく、基本的には暗闇なのです。そして重要なのは、暗闇を暗闇としてまず受け止めることなのです。そしてだからこそ、そこかしこに見いだされる思いもかけない可能性にワクワクするのです。『MFE』が担うのはワクワク感でもあり、また「そこかしこ」という空間的な多焦点化でもあるのです。まずは、そこかしこにある可能性を思考の出発点として大切に確保したいと思います。
最後に今後の『MFE』の展望ですが、二点あります。一つは言語あるいは翻訳についてです。火曜会の広がりを考えるならば、まず英語ということが浮かび上がるのですが、それだけではない展開を考えています。すなわちよくあるような英語にすべて翻訳するのではなく、日本語とハングルから始めたいと思っています。それは、これまで述べたような、議論の場を作り、そうした場と場を結んでいくというこの雑誌の創刊に向かう流れの中で、韓国で展開してきた様々な動きや人との出会いが具体的にかかわっているからです。議論の文書化をぜひ両言語で行いたいと思っています。もう一つは書籍化ということです。『MFE』はWeb雑誌ですが、それを紙媒体の書籍にもしたいと思っています。その際、Web上に集積された文書を再編集しリライトして、叢書として刊行することを考えています。言語と書籍、どちらも夢想していることですが、必ず実現したいと思っています。
この文章は「<奄美-沖縄-琉球>研究センター@同志社大学」内の「MFE」公式ページ http://doshisha-aor.net/mfe/ に掲載してきたものです。公式ページもこれまで通り情報更新をしていく予定ですが、サイトの仕様で過去号を分かりやすく掲示するのが難しくなったため、こちらにサブサイトを作成し併用することなりました。(2023.03.05)