俺と穹は予定通り列車に乗った。酷く心配した顔のパムに出迎えられ、まんざらでもなさそうな顔で穹は『ごめん』と謝った。
「まあ、過ぎたことは責めてもしかたがないわ、それより彼の体調が戻ったことを喜びましょう」
「姫子の言うとおりじゃな……オレも車掌の日常業務に戻るぞ! 穹、くれぐれも今後は身体に気をつけるんじゃぞ!」
「うんうん、パムは今日も可愛いな……」
「少しはまともに話を聞けーっ!」
すっかりいつもの調子を取り戻した穹に、パムが頭突きをする。それを横目に俺は姫子さんとの会話に戻った。
「丹恒も、彼のことみてくれてありがとう」
「いや、俺がしたかったからしただけだ。気にしないでくれ、姫子さん」
それから俺たちがいなかった間に起こった出来事を簡潔に彼女はまとめて報告してくれる。それが一段落付いてしばらくするとその様子を遠巻きに見ていたらしい穹が焦ったような顔をしていた。
「もう終わったよな!? 姫子、丹恒は俺のだから! そろそろかえして!」
「はいはい、まったく、すっかり丹恒にべったりね……あまり甘やかしてはダメよ、丹恒」
「……善処する」
「そこははっきりしなきゃ」
姫子さんの呆れた様子に、俺は眉根を下げるしかなかった。穹はそんな俺たちを見ていられなかったらしい、俺の首元に腕を回すと『早く丹恒の部屋に行こう』と言い出した。ため息を吐いて引き摺られるまま歩く。ラウンジの扉が閉まったふたりきりの廊下で、俺は口を開いた。
「……何か言いたいことがありそうな顔をしているな」
「……わかる?」
「わかる」
穹は一度俺から身体を離したが、資料室の扉が開くなり、再び抱き着いてきた。ぎゅうぎゅうと強く締め付けてきて、やや息苦しい。
「実はちょっと怖いんだ」
「怖い? なにがだ」
「俺が丹恒のことを好きすぎるのが、怖い。……さっきなんか姫子にも嫉妬した。ありえない」
俺は彼の背を軽く叩きながら言う。
「大丈夫だ。安心しろ」
「なにが大丈夫なんだよ……こんなのなにも大丈夫じゃないから……お前に心が狭い男だって思われるのは心外で――」
「俺は、ずいぶん前からパムに嫉妬している」
口にした瞬間にバッと身体が離されて、穹が青ざめているのが見えた。
「え、あ、ごめ……いや、でも俺の恋人は丹恒だし……パ、パムとは何も無いって言うか……」
「……わかっている。だがその反応は逆に疑いたくなるから、やめろ」
一周回って『本気』に捉えてしまいかねなかった。カフカとは違い、身近な存在であるが故の脅威だ。とはいえ、誰にいくら嫉妬したところで意味は無い。どこにふらふらと寄りつこうが、穹は最終的には俺に『お前が良い』と告げてくる。そういう男だ。そういう男に、育てている最中だ。
「……でも、嫉妬されたらそれはそれで、ちょっと嬉しいんだよな……複雑な男心だ……」
俺は少し悩んでから穹の頰を軽く摘んだ。
「お前、少しMっ気があるだろう」
「丹恒先生の口からMっ気なんて言葉が出る日が来るとは。もっと俺をいじめてくれていいよ……全然嫌じゃないから」
「ああ。もう二度と言わないから安心しろ」
そうして残念そうに肩を落とす彼の頰を両手で包み込んだ。ゆったりとその唇に口付ける。穹は驚いた様子ではあったが、すぐに受け入れて嬉しそうに俺の背に手を回した。
……お前を虐めてやるわけがない。俺はお前を害するあらゆるものから、お前を守る存在になりたいんだ。
穹は俺の後頭部を引き寄せてさらに深く口付けてくる。舌同士が擦れる感覚が心地よくて、俺は眇めた。
幾千幾万とお前を構成する全てに傷つけられても、俺ならばその傷口さえ慈しみ、愛することが可能だろう。
そこまでの情愛を、穹、お前のその、雪原のようにまっさらな恋は、はたして有しているか。
この両手でその肌を何度も抱きしめた。その度に心は叫んでいた。同じことを、何度も、厭きることなく繰り返した。
「お前の好きにしてくれ」
他の誰よりもお前に求められているのが嬉しい。
俺が相手じゃ無かったら、とっくに愛想を尽かされていたはずだ。
俺を目一杯困らせてくれ、口では言えないようなことでも。お前のわがままは、俺が一番聞いてやれる。
「穹」
俺はお前と違って欲張りにはなれないから、全部は要らない。なにかと隠し事の多いお前に、そんなに幾多も望まない。
あのときこの心臓を貫いたお前の眼が、俺というぬかるみに溺れてさえいれば、それで十分だ。