鍾愛の賛歌

 長期間の任務を終えて帰ってきた全身ボロボロの穹から告白を受けた。唐突に。
「今回ちょっと心身共に死にかけて思ったことがある。俺、丹恒が好きだ」
「そうか。俺もだ」
「たぶん丹恒とは違った意味でも」
「違った意味」
「丹恒を抱きしめたり、撫でたり、キスしたりしたいの、好きがある」
 俺は一呼吸置いて、なるほど、と答えた。穹はそれまで緊張しきりだったが、言ってしまって気が抜けたのか、照れたようにふにゃりと笑い眉根を下げている。その姿は以前滞在した星で見た、愛嬌のある灰色の猫を連想させた。気まぐれで、わがままなところもこの少年は猫の性質にそっくりだ。常識に囚われない実に自由な告白で、俺を翻弄していることも。それを解ってやっているのかいないのか、判別がつかないところもだ。
「丹恒、俺、こういうの、どうしたらいい? あんまり言わない方がいい?」
 ハッと我に返る。
「――ああ。いや、構わない。お前の好きにしろ。だが……すまない。返事については、少し考えをまとめる時間をくれないか」
「わかった、ありがとう」
 期待した対応は得られたのだろうか。満足そうに、へへ、と頬を掻いて笑うその顔は赤く染まっていて頬の丸みに幼さを強調させた。しかし年相応の表情と言える。無秩序に思考や感情を言葉にしがちなのは、おそらく過去の一切を失っているせいもあるのだろう。情緒面での成長は著しく、ひとつの星をまたぐと表情に喜怒哀楽が明確に増えていき、さらに今ではこのように、複雑な感情まで得ている。相手が俺でなければ素直に喜ばしかったが、何分この丹恒という人間はこれまで色恋を解さないで生きてきた。友情さえ彼を初めて覚えたほどに、情緒面での成長に関しては、穹の方が早い。俺は戸惑いながらも、戸惑うだけでその告白に特に忌避感は覚えていなかった。だから問題は、彼と同じ感情を抱くことが出来るかどうかで――。
「丹恒、好きだよ」
 穹は言った。ささやくように、その言葉を抱きしめるみたいに、大事に噛みしめるように発言した。金色の眼は熱に浮かされたように潤んでいて、そのぬかるんだ水の中に、俺の姿がぼやけて映っている。
 水たまりに映った星。の、ような――その奥。
 ひとつ、俺は瞬きをする。その眼に映る自分を、しっかりと見た。
「……ああ」
 恋愛とは不思議なもので、その感情の様々な紋様は、それは数え切れないほど無数に書籍やアーカイブにまとめられている。俺は頭の片隅で、彼の恋愛を彩るにふさわしい資料を探していた。
 
 合理主義だと自分で思ったことは無いが、昔から簡潔で余分のない行動に出がちな性分だ。無駄や遠回りを出来るような過去を持っていなかったから、こういった人格形成になったのかもしれない。言葉も直裁で、曖昧な表現も好まない。そう考えると、己はそもそもから恋愛には向かないのだろうと思ったが、意外にこういったケースの恋愛も書籍には多く参考資料があり、思わず興味深く見てしまった。調べているのは、穹が幸せになる恋愛の仕方だ。好奇心に負け、己と似た性質の人間たちの恋愛模様も平行しながら読み込んでいく。曰く、恋愛に大事なのは、相手を信頼すること、干渉しすぎないこと、束縛しないこと、言葉を不足しないこと、価値観を尊重することだという。
 言葉が足りない自覚はある。ではそれを補えれば、穹と俺は恋愛が出来るだろうか。……出来て、しまうのだろう。自分は彼のパートナーとして、そこをどうにかすれば、過不足は無いかもしれない。そう思い至ってふと目を伏せる。瞼の裏に焼き付いて離れないのは、あの今にも泣きそうな穹の笑みだ。
『丹恒、好きだよ』
 その感情は、宝物のようにきらめいて映った。だったらそれを、俺は大事にしたい。穹を大事にするように、穹が抱いた俺への感情も大事に育んでやりたかった。それがどこから来る情動か、これが『丹恒』の恋なのかそれすら未だ理解に至らないまま、突き動かされるままに本の山を積み重ねていく。
 幸い時間だけは有った。穹はいつものようにあちらこちらと駆け回って忙しくしているし、考えをまとめるだけの猶予は十二分に有った。どんなお人好しだろうが、同情や献身でここまではしないだろう。彼と心を分かち合いたい、彼の想いに寄り添いたいという気持ちがあることを、俺はたしかに自分のなかに感じていた。
「……穹」
 書籍をめくる手を止めて、その名前を口の中で転がした。少年は今ヤリーロⅥに出向いている。交流関係の広い彼は、何かとひとつの場所に留まっていられない。なんだかんだと口では言いながらも、人に求められると断れない性分だ。それを、俺はとても好ましく思っている。
 静かな資料室では、かすかな音さえも明確な異物として発生する。目の前にいないのに名前を吐き出すだけで、それは聴覚を刺激すると同時に、心の中で輪郭も確かなものにしていくようだった。それでもこの感情につけるべきラベルを見つけるまでには時間が掛かるだろう。彼が戻ってくる頃には、出来ているだろうか。
「穹」
 これがいずれの感情であれ、もっと、お前のことを知りたいと俺は思っている。
 
 はたしてこれは両思いということになるのだろうか。
 俺には疑問だった。調べ尽くせたとは言えないが、一通り関係や感情を検証し、資料と照らし合わせた結果として、穹と俺とでは覚える色恋の質も大分違っている気がする。彼の言う『触れたい、抱きしめたい、キスをしたい』……それら全ては俺がまだ得ていない欲望だ。ただひとつ確かなことは彼と共に過ごす、ふたりだけの時間を俺も好んでいるということで、それには友情ともまた質が違った想いが混じっている気がした。
 とはいえ、未だ自覚も薄い。しかしそういった、彼から向けられる明確な欲望を前に、俺の体や心に拒絶反応が出ることもまた無かった。彼が望むのならば、快く受け入れるかは解らないが、決して拒否することは無いだろう。――そこまで思考が行き着いてようやく、俺は穹との付き合い方に少し修正を加えることにした。
「穹」
「ん……?」
 毎週の恒例だ。ヘルタの元から帰ってきたばかりの少年は少し疲れを滲ませた顔で、でもその屈託のなさで俺に笑いかける。その笑みに、俺はわずかに目を細めた。
 穹が笑っている姿を見るのが好きだ。これが恋愛方面でどういった感情に起因するのかは解らないが、彼の笑顔を向けられると自然と己の気分が上向くことに俺は気がついていた。
「好きだ」
「――……」
「……と、思う」
「……と、思うって、なに」
 穹が目を見開く。信じられない、というような顔をしている。その顔を正面に俺は正確に答えた。
「正直、良く解らない。だが、お前からの告白を受けて、それを拒否する理由もまた浮かばなかった」
「丹恒でもそんなことあるんだ……」
 穹は頭を抱えるように唸ると深くため息をつき、そうして顔を上げて再び笑った。その笑みは何事か吹っ切ったというような顔だった。穹はその顔のまま沈黙し、俺を見た。思いのほか熱のある強い視線に内心少したじろぐ。
「丹恒」
「……ああ」
「その、抱きしめても、いい?」
 了承の返事をする前に、穹はおずおずと距離を詰めてくる。俺たちがこうして相手に触れあうことはあまりなかったことだ。そんな相手に告白をし、その返事を返されて、抱擁を求めた。自体の流れを整理しながらもまだ理解の届かない事実を前に目を瞬いた。とはいえ結局、特に拒否する理由は見当たらない。穹の背に戸惑いながらも腕を回すと彼はぴくりと震えたが、すぐに力を抜き俺に身を委ねてきた。ところどころに細く出っ張った骨の感触がある。彼の体は思っていたよりも薄い。そのコートが身体の厚みをかさ増ししていることが判明して、ますます毛皮で覆われた猫のようだと思った。服越しに感じる体温はおそらく俺よりも高い。
「丹恒、俺」
 穹は緊張したように言い淀む。俺は彼からの抱擁を受けて、どうすればいいのかわからなかった。穹の次の言葉を待つ。
「好きだ……やっぱり……」
 その息が首筋に掛かって、少しくすぐったかった。
 それは、分かる。俺だって穹のことが好きだ。ただこれが正しい、お前と『同じ』恋愛としての好きなのか、未だ少し、判断がつかないから、戸惑っている。脳内で多辯に言葉を彼にぶつけている、そんな俺をまるで煩がるように穹は続けた。
「丹恒と恋人になりたい」
 いわばそれは『恋は盲目』を中心に巻き起こった台風だった。理不尽に、容赦なく、俺のなかにある社会性や、倫理や、詭弁の全てをなぎ倒して無に帰す言葉だ。向けられる感情の強さに思考が停止する。しかしその声はか細く震えていた。俺の内にある何もかもを圧倒する力を持ってなお、彼本人は怖がっていると知って、俺は我に返ると真っ先に安心させるようにその背をさする。穹の俺を抱きしめる手に力がこもって、身体が軋んだ。
「……俺はまだ恋愛というものをよく理解していない、それでも構わないのか」
「うん」
 許しを請うように穹は俺の肩口に顔をすりつける。穹がそうしたいなら、構わない。俺は彼の背を撫でるように軽く叩いた。
 
 それから穹が満足するまでしばらく抱擁を続けた。緊張が解け、互いの体温を心地よく感じ始めた頃に、名残惜しそうにしながらも穹の方から離れていく。そしてコートを漁ると『これ』と短く言って一冊の本を手渡してきた。
 受け取って目を落とす。それは赤色の装丁が施された本だった。タイトルを見れば直球で『恋愛マニュアル』とある。その文字の羅列を眺めてから穹を見ると、彼は照れた顔で笑っていた。
「丹恒が好きだ。恋人になりたい」
 それは聞いた。俺はまたその本に視線を戻す。
「だから……返事を待ってる間に、色々調べた」
 どうやら俺たちは同じようなことをしていたようだ。お互いにそれぞれ恋愛のマニュアル本などを読み漁り、自分の感情への理解を深めていたらしい、これは共感だろうか。返事をもらう前から恋人になる気でいたのかというツッコミは心の中にしまいながら俺は今、間違いない、その穹の早る気持ちを含めて、嬉しいと感じている。
「……そうか」
 新たに自分に生まれた感情を確かめるように噛みしめながら、本をめくる。まずは互いに信頼を深め合い……とあった。なかなか難しそうだ。それは穹も同じだったようで、俺の側で本をのぞき込み難しそうに眉を寄せていた。本に導かれるより以前に、既に俺たちは十分な信頼関係を築いている。
 
 それ以来穹とは以前より一緒にいることが格段に増えた。物理的な意味だけではなく、精神的な距離もさらに縮まったような気がする。それは傍目からも明らかなようで、三月には『最近二人だけでこそこそしてるよね』と不審がるような視線で探られたし、姫子さんには意味深に一言『あら』と微笑まれた。穹の態度はあからさまだ。唯一ヴェルトさんには触れられていないのが救いか。とはいえ、あの潤んだ金色の眼で『どうして』とばかりに見られたら、事前に用意していた窘めもすっかり忘れてしまう。我ながら彼に甘い自覚はあった。
 告白からしばらくして多くの『恋人』としての標準的な行動を二人で試していった。デートに行く、手をつなぐ、相手に特別なプレゼントをする、言葉で気持ちを確かめ合う、抱擁をする――。それらの僅かな触れ合いが、自分の心を大きく揺り動かしていくのが解った。
 俺はたしかに、穹がそういった意味でも好きなのだ。その気持ちを自分でも疑わなくなった頃、深夜、既に俺が横になっていたとき、控えめにドアが叩かれる音がした。
 気がつかなくても構わない、とでも言いたげな音に俺はすぐに返事をした。その向こうに居たのは直感通り穹で、彼はぎこちなく笑いながら、手持ち無沙汰に視線をあちらこちらへと飛ばす。
 じっと出方を待っていると、しばらくして、観念したように頬を掻いて一言こう言った。
「……丹恒、一緒に寝てもいい?」
 特に拒む理由はなかったので頷いて招き入れた。ほっとしたような息が静かな資料室に浮いている。穹はどこか緊張した面持ちで布団に上がってきた。俺たちは互いの体温が分かる距離で横になる。彼の身体は冷えていた。どれくらい廊下に立っていたのかと心配になる。
 相手の呼吸すら過敏に感じ取るのは、部屋が静かすぎるからか、あるいは。
「丹恒」
 穹の手が伸びてくるのが視界の端に見えていた。俺がその手を取ると彼は少し笑った。それから手を握られた。それを柔く握り返してやるとさらに強く握り返された。それだけでどこか満足したような様子を見せていた。俺は口を開いた。
「穹」
「うん」
「急にどうした」
「イヤだった?」
「構わない。狭くはないか?」
「平気」
 彼はもぞもぞと身動ぎをしている。狭いところで寝床を整えようとする、落ち着きの無い猫のようだと思った。暗がりで布団に広がる灰の髪を眼でなぞる。
 俺はもう、その髪の触り心地を知っている。俺を見るときの金色の光彩がどれほど美しく、優しいものなのかも知っている。彼が俺を呼ぶ声の意味も、今では解っているつもりだった。
「……丹恒……」
「ん」
 穹の手が伸びる。俺の頬に触れる。その指先はかすかに震えていた。俺は作法とばかりに目を閉じて、それを受け入れようとする。初めて知る唇への接触がどんなものか少しの興味もある。穹は俺に口付けようとして、息が掛かる距離まで顔を近づけ、――その直前で我に返ったように身体を強張らせた。そして戸惑うような動きで、俺から離れた。
「……ごめん」
「なぜ謝る?」
 目を開くと、彼は泣きそうな顔をしていた。
「丹恒が拒否しないから……全部、なんでもお前にしていいって、俺勘違いしてる、かも……って」
 逡巡し、言葉を選ぶ間があった。俺はその言葉に息を詰める。彼の望みと己の感情を鑑みて、その上でこれまで受け入れてきたつもりだったが、穹からすれば俺は『恋人』という存在に受動的すぎる人間に見えているのだろうか。
 渋々、あるいは、どうでもいい、と言うような態度で?
「俺には、そんなつもりは無い」
 それは本心からの言葉だったが、なおさら穹は俺が彼を拒んだと勘違いしたらしい。さらに身体を硬くして『ごめん』とまた繰り返し、離れようとする彼を俺はとっさに引き止める。
「ちが……拒んでない……」
 かろうじて絞り出した声は我ながら動揺に満ちていて心許なかった。穹はそれを聞いて動きを止めたが、それでもまだ困惑している。拒絶をされているわけではないと理解こそしたようだが、その表情は暗く強張っていて、俺はなんとか彼を安心させようと上手くも無い言葉を探す。
「ただ」
 声がうわずってかすれた。今自分がどれほどみっともない顔をしているか想像もつかなかったので、せめて穹に見えないように顔を背けた。
「いつも、拒む理由がないだけだ。お前がしたいことを、俺には拒む理由が無い。それだけだ」
「うん……?」
 穹が首を傾げる気配がした。俺は顔を背けたままさらに言葉を重ねる。
「つまり、お前とする全ては、どれも俺にとって嫌じゃない」
 及第点だろう。しかし同時に、何故だろう、墓穴という言葉が頭をよぎる。
「……そっか」
 穹がほっと息をつくのが聞こえた。布団の下で、おずおずといった様子で俺の手に触れてくる。明確な意志を持って俺に触れる感触だった。
「じゃあ……良い?」
「ああ」
 穹が体勢を変える気配がした。未だ冷たい手に握られて、肩がこわばる。緊張を解すように撫でさすられてその体温が和らいでいくほどに、少し力が抜けた。そして、穹の顔が間近にあるのが気配で解った。
「ねえ、丹恒」
「なんだ」
「こっち向いて」
 嫌だと思ったわけではないが、顔は背けたままにした。だが俺の心情を汲み取ってか無理強いしてはこなかった。その代わりというように唇を僅かにかすめた位置に、触れるだけの口付けが落ちる。
 その感触に思わず息をつめると穹は俺を安心させるようにその唇を頬に、こめかみに落としていった。柔らかな感触が逆にくすぐったい。一度唇が離れたあとに穹の手が顎の線を撫でるのが解った。
「丹恒、こっち向いて」
「……穹」
「ごめん。でも見たい」
 秘やかな彼の声もかすれている。緊張しているのか、あるいは興奮からか。俺はもう拒むつもりは無かった。正面に見た穹の顔は真っ赤に染まっていて、それが自分だけじゃなかったことに少なからず安堵を覚えた。
「丹恒、好き」
 両手で頬を抱き込まれるように包まれて、唇と唇が触れあった。表面に押し当てられただけなのに、酷くその行為に甘さを感じて、まるで関係ないはずの指先が痺れた気がした。ちゅ、と柔らかな音を立ててすぐに穹の顔は離れ、そして俺を見た。
「口、開けて」
 穹の手が俺の唇を撫でる、俺は求められるがままにわずかに口をひらいた。途端、穹の舌が無遠慮に俺の口内に押し入ってきて、驚きのあまり身を引く。その身体を、穹に抱き込まれて離れた唇と唇が再び合わさった。
「ん、」
 鼻から息が漏れて、それを合図にするように夢中で貪られ、思考がまとまらなくなる。舌が探索するようにちろちろと動かされるだけで、妙に甘い。もたらされるやわらかさに溺れそうだ。両手は俺の耳を塞いでいて、触覚、聴覚、視覚、それらから感じるものはこの唇だけ。おかしなことに、それだけが今『自分』を構成する全てになったようだった。
 呼吸のためだろうか。それとも満足したのか。ゆったりと唇を離されたあと、俺が肩で息をしているのを見て穹は我に返ったらしい。戸惑いを隠せない顔で、縋るように俺を見る。
「ごめん……止まらなくなった。いやだった?」
「嫌じゃない。少し、呼吸が苦しいだけだ」
「……なら良かった」
 穹がぎゅっと抱きしめてくる。俺もその背に手を回す。全身で感じる穹の体温に心のどこかが満ちていく気がした。そのまま俺たちは言葉も交わさず抱き合っていた。眠ってしまったわけではない。互いの鼓動の音を感じるような沈黙が心地良かったからだ。
 それを破ったのはやはりというか、穹だった。彼はすっと息を吸い込むと、俺の両肩を掴んで身体を離し、真剣な面持ちでこう言った。
「俺、丹恒を抱きたい」
「……」
 唐突だとは感じなかった。今日の行動は全てそれの予兆として俺に示されていた。しかし、唇はともかく……さすがに身体を合わせることに関しては覚悟ができていない。俺は穹から視線を逸らして押し黙った。穹はその沈黙を否定と捉えたのか、焦ったように言葉を続ける。
「あ、いや……もし丹恒がイヤなら、しない。でも……俺は、したい。丹恒ともっと深くまで繋がりたい」
 繋がる。ことが、この身体には出来るだろうか。基本的な肉体構造は飲月君元の身体と変わらない。性器は無く、そこがただの排泄腔であることにも変わりない。生殖行為は不可能であるし、それの代用として男根を受け入れられるようにはなっていないはずだ。俺はほとんど初めて選択に迷っていた。彼を拒否するか、受け入れるか。
「丹恒」
 穹は俺の困惑を察してか、宥めるように俺の頭を撫でた。そしてその手を下に滑らせて、服の裾から侵入させる。素肌が触れあってくすぐったい。その手がさらにその下に進もうとするのを俺は咄嗟に止めた。
「待て」
「うん?」
「俺の身体は、お前とは違う」
「……?」
 穹が探るようにぺたぺたと身体に触れる。くすぐったく思いながらも耐えていると、困ったような声で彼は言った。
「丹恒、乳首付いてる……?」
「どういう確認だ……」
「持明族って無いのかなと思って、ほら、性感帯とか」
「……解らない。しかし明確にお前とは違う場所がある。それに関して、覚悟が決まっていないんだ」
 穹はそれを聞いて瞬きをしてから、再び下に手を滑らせていく。今度は止めることはしなかった。
「……付いてない……」
「だから言っただろう」
 俺は溜息をつきながら身を起こす。穹の両手が行き場を失ったように宙に浮かんだ。その手を取って、下ろさせる。
「お前が俺に入れたいというなら、それは不可能だ。俺にはお前を受け入れる器官が無い……すまないが」
 穹は俺を困らせたと思ったのか、少し気まずそうに眼をそらして、それから誤魔化すように笑った。その顔を見て、胸が締め付けられるように軋んだ。
「お前が謝ることないよ」
「いや……お前にそんな顔をさせるつもりは無かった。ただ……」
 自分の下腹に触れる。そこに穹を受け入れる空洞は無い。
 俺は自分の欲望を自覚した。
「ただ、俺はお前が望むなら、無理をしても構わないと思っている」
「無理……」
「お前に喜んでもらいたい。俺がいつも……お前を拒まない理由だ」
 穹の喉が鳴った。彼は期待と不安が入り混じった表情で俺を見る。その瞳の奥底に揺らめく熱を、俺は初めて見た。
「丹恒は、俺が欲しいって言ったら……なんでもくれるの? 無理をしても?」
 俺はそれにはっきりと頷いた。その回答が彼にとって予想外だったのか穹は息を止める。それからぎゅっと眉を寄せてから俺の首筋に顔を埋めた。まるで頭を冷やすように俺の首元で長く、熱い息を吐いている。
「なんだよそれ……お前、ホントにズルい……」
 少しの沈黙の後、穹が顔を上げて俺を正面から見据えた。彼は俺の眼の奥をのぞき込むような目でこう言った。
「丹恒が欲しい。お前を全部俺のものにしたい」
「ああ」
「丹恒の、全部に触りたい。俺が知らない場所が無いように、丹恒の全部に俺を刻みたい」
「ああ」
「丹恒の全部が欲しい。丹恒の『無理』も、欲しいよ」
「……わかった」
「……いやだ。嘘、嘘じゃ無いけど……わからないで……」
 自分で言い出したくせに、穹は苦しそうに、切なそうに眉を寄せている。俺は今にも泣き出しそうな彼の頬に手を伸ばす。
「わかったから、泣くな穹……お前に泣かれると、どうしていいか、わからなくなる」
「泣いてない」
 穹はむずかるように首を振った。そして俺の心臓の上に手を置いた。
「丹恒、鼓動早いな。……俺と同じだ」
 同じだ、噛みしめるように呟かれた言葉に胸が締め付けられた。どれほどの違いがあっても、肝心なところは同じだと思えたからだ。
「穹、俺は……」
「うん」
 穹は俺の言葉を待つように頷いた。俺は言葉を探して、選び、そして吐き出す。
「お前が幸せだと、俺も嬉しい。だから……お前の望みを叶えてやりたい。出来ることなら何でもする。もしもこの身体がお前を受け入れるのに足りなければ……別の方法を考えようと思う」
 穹は驚いたような顔をした後で、すぐにいつもの顔に戻った。ただ少し照れたように目元を染めている。
「別の方法って?」
「……俺の身体を、お前が好きなように変えてくれて良い」
「え」
 穹は顔を赤くして硬直した。
「性感帯が無いのかもしれないと思った、とお前は先ほど口に出したが。俺は解らないと答えたが、身体構造を考えれば、おそらく有るのだろう。ただ、俺はそれを知らない。だから、俺をお前と同じように感じる身体に作り替えてくれて構わない」
「丹恒……」
 穹は片手で自分の口元を覆った。照れたような、驚いたような表情で視線を落ち着きなく彷徨わせる。
「お前とこうして触れあって解ったことがある。俺にとって性行為は恋愛と同じで未知の行為だ」
「……うん」
「だがお前とならば……俺はそれを知りたいと思う、分かち合いたいと、思う」
 穹の喉仏がごくりと上下するのが見えた。
「言葉は足りているだろうか」
「足りないわけがない……」
 ぎゅうぎゅうと抱きつかれて息が苦しい。顔をしかめていると、穹は俺の胸元で熱っぽく続けた。
「うん。足りる。むしろおつりが来るレベルで充分だ。良いの?」
「ああ」
「丹恒の身体を、俺が好きにして良いんだ?」
 穹は顔を上げない。俺の胸元で顔を埋めたままだ。その頭に手を乗せ、髪を梳くように撫でてやる。
「していい」
「後々困ることになるかも。それでも?」
「……そのときはそのときだ。そんなもの、あとで考えればいい」
「お、男らしいな……」
 穹はおずおずと身を起こして俺を見た。上目遣いで、甘えるようにその瞳は蕩けて揺れている。
「丹恒にその気は無いのはわかるけど、でも……なんかそういう所、すごくえっちだと思う」
「穹」
 俺は穹の唇を指先で塞いだ。これ以上喋らせると碌なことを言わなそうだと思ったからだ。穹はむぐむぐと唇を動かした後、俺の手のひらに口付けた。目を伏せてちゅ、ちゅ、と小鳥のように啄んでくる。
「丹恒」
 気付けば穹が俺の服の裾から手を差し入れてきていた。脇腹を撫で上げられてくすぐったさに身をよじる。
「くすぐったい」
「すぐ『気持ちいい』にしてあげる」
 そう言って穹は俺の乳首をつねった。
「……!」
「あ、今びくってなった。それにくすぐったいなら、やっぱり性感帯はあるな、安心した……」
「そう、なのか」
「うん。丹恒はわからない?」
 穹はふむふむと呟きながら俺の平らな胸を撫で続ける。その指が時折乳首をかすめるのがむず痒いような、もどかしい感覚をもたらした。
「少し……」
「ん?」
「むず痒いような、疼くような感覚がある」
「そっか。丹恒の乳首は繊細なんだな」
 穹は感心したように頷いた。そして身を屈め、俺の乳首に吸い付いた。
「あ、おい……穹」
「んー?」
 ちゅ、と軽く吸ってから離し、今度は舌先でつつくように舐める。もう片方の乳首は指先でつまんで引っ張ったり、爪の先で軽くひっかいたりされる。
「あ、ちょっと勃ってきた。丹恒、舐められるの好きなんだ」
「わからない……」
 穹はまた俺の胸元に顔を伏せる。今度は先ほどとは違ってすぐにちゅくちゅくと水音が聞こえてきた。その音に混じって彼の荒い息も聞こえてくる。俺は彼の頭を撫でた。俺の胸を必死で吸う彼の姿が、妙にかわいらしく思えて仕方がなかった。
「穹、そんなに吸っても何もない……っあ」
 舌先でぐりぐりと潰される感覚に、思わず声が上がる。それを聞いた穹が顔を上げた。
「丹恒、今なんかすごいえっちな声出した」
「……なんでもない」
「感じた?」
「なんでもない」
 穹は目を輝かせて再び俺の胸に顔を寄せる。そしてまた俺の乳首を吸った。
「んっ……」
 思わず漏れた声に、俺は手で口元を押さえた。穹はそれを見て俺の腕をつかみ、退かせると妙に嬉しそうに笑った。
「声、我慢しないで。俺聞きたい」
「だが……」
「大丈夫、可愛いから」
 何が大丈夫なのかと問いたかったが、その前に穹に再び乳首を吸われて声が詰まる。
「ん、あ……っ」
 思わず出た声に慌てて手で口を塞ぐが、穹は俺の両手をつかみ上げて顔の横に固定した。
「だめ。聞かせて」
「……」
「丹恒の声が聞きたいんだ」
 その甘い懇願に負けて俺は手を下ろした。するとまた穹が嬉しそうに『ありがとう』と笑った。
「丹恒って、良い声してるよな」
「んっ……そう、か……?」
「うん……俺、丹恒の声ですごく興奮する」
「穹……」
 自分の呼吸が熱く湿っている。穹につられて俺の呼吸も乱れていくのを自覚する。
「丹恒、自分で触ってみて……こっち」
 右手を掴まれて、自分の胸の尖りに誘われる。そこももう立ち上がっていて、触れた途端その硬さが指先に伝わってくる。
「ん……」
 穹の瞳に誘われるように、自分の胸に触れる。促されるままに俺は自分の胸の尖りを指先で摘まんだ。快楽は未だ覚えないが、触覚が働いていることはたしかだった。
「そう、そうやって触って。ね、俺がいないときは自分でしてね。俺の触り方覚えて、真似して触ってみて。毎日して、俺に触られること想像して……気持ちよくなるまで……」
 穹がゆっくりと俺の耳元で囁く。俺は思わず身じろいだ。
「穹……」
「ん?」
「これは……少し、恥ずかしい」
 穹は一瞬きょとんとしたあと、照れたようにはにかんだ。
「ごめん……でも俺が丹恒にしたいことだから。丹恒が俺の声や俺の触り方を覚えてくれると嬉しいんだ」
「お前は俺のことを『えっちだ』などと揶揄したが、お前こそ……淫らだ」
「淫らって……お前……」
 穹はおかしそうに笑った。
「まあでも、丹恒にやらしいとか言われてもぜんぜん嫌じゃないよ。むしろ興奮する」
 穹が身体を起こす。そして俺を抱え込んで布団を引き上げた。
「……寝るのか?」
「うん。最初は、来たときは……ここまでするつもりじゃなかったんだ」
 魔が差した、我慢がきかなくなった、あるいはその両方だろう。彼は年頃だ。
「丹恒が嫌がったら、すぐ止めようと思ったけど……でも」
 穹はそこで言葉を切ってから俺の身体に手を這わせた。ゆっくりと、確かめるように肌を撫でる。
「お前は、嫌じゃないんだよな」
「ああ……お前の『好き』に付き合うと言ったのは俺だからな」
 穹は嬉しそうに笑って俺に擦り寄った。その体温の高さに心が満たされていくのを感じる。今まで感じたことのない心地だった。ただこうして抱きしめあっているだけで満ち足りるこの気持ちは何だろうと考える。
「丹恒」
 穹は真っ直ぐ、俺を見ていた。
「なんだ」
「大好き」
 その言葉がやけに強く、抜けない棘のように胸に刺さった。
 穹はそれきり何も言わなくなった。だがその呼吸が寝息に変わるまで、俺はその棘と同時に、彼を抱きしめていた。