ねっとりと貪るような腰使いで『飲月』は穹をまたいでいた。真っ赤な顔で翻弄されるままの穹とは違い、その頬こそ赤く染まっているが……『飲月』は極めて余裕そうに目を眇めて彼をのぞき込んでいる。その両手で穹の頬を包み込み、視線を絡ませ、そこでもふたりは繋がっているかのようだった。
『は…ぁ…♡ きゅう……♡』
『う……た、たんこ、っ……』
困惑したように上目遣いで『飲月』に縋る穹の赤い耳に、『飲月』はうっそりと指を這わせる。びく、と跳ねる穹を愛おしそうな眼で見て、深い息を吐いた。
『ああ……上手だな♡ もっと乱暴にしても……構わないが…♡ たとえば…こんな…ふうにっ♡』
……『飲月』は自ら腰を振りたくる。時折悶えるように首を振って、感じているそぶりを見せる度にその背中まで伸びた黒髪が揺れている。身体に数本と張り付いた長い髪が丹恒の眼には酷く卑猥に映った。そんな『飲月』に釣られるように、穹もぎこちなく腰を揺らし始める。
『ん♡ 穹…っ…そうだ♡ 遠慮はっ、要らない、♡ ぁ、っ♡』
『だ、だめだ、たんこ、こんな……の……っ』
『なにが、ダメなんだ♡ お前だって、ふ……っ、こんなに……良さそうにしているのに……っ♡』
『あ…っ』
『素直になれ♡ お前らしくない……♡』
再生終了。
――ということなの。
「……何が、ということ……なんだ」
深く、深く目を瞑る。この映像を送ってきた相手が違えば、ディープフェイクを疑ったところだが、生憎ヘルタという女性はそんな悪質な冗談は吐かない。丹恒の眠気は一瞬で吹き飛び、重い頭痛が襲いかかっている。
――あなた、今から私のオフィスまで来られる? あれが龍尊の力なのか知らないけど、扉が開かないの。私の代わりに開けてもらえる?
丹恒は眉間の皺を指で押さえながら、深くため息を吐いた。ひとつ、ヘルタにメッセージを送る。
――あなたと彼は何をしていたんだ?
――[オート返信]ただいま離席中、返信は期待しないで。
そのオークションには五つの決まり事がある。
一つ、欲しいものを思い浮かべてはならない。
一つ、欲しいものの名を口にしてはならない。
一つ、もしそれが目の前に現れたとき、欲しいと口にしてはならない。
一つ、そこで手に入れたものは誰にも渡してはいけない。
一つ、最後に。手に入れたものが欲しいものだった場合、それを悟られてはいけない。
「あなたは今からどんな質問にも答えず、どんな選択もできず、退場することも許されない。そして何も与えずただ見ているだけの存在に徹すること」
穹はそれにラベリングされた文章を読む。
「奇物の、闇オークション」
「そう、ばかばかしいでしょ」
ヘルタは一蹴した。そこで穹は何故自分が呼ばれたのかを悟った。伊達に付き合いは浅くない。不名誉である。
「これくらい自分で参加すれば良いのに……」
穹は目を閉じて嘆息すると、肩をすくめてやれやれとポーズを取った。
「で? ただ見ていれば良いのか? その……闇オークションを?」
「ええ。予想通りなら、とてもくだらないものが見られるはずだよ」
「ふーん……ルールに、あっこれ欲しいと思っちゃダメとかは無いんだよな?」
「そんなものがあったらあなただけは呼ばないから」
「ヘルタが欲しいものって?」
「オークションの最後に渡される、間違いなく」
穹はわかった、とだけ返す。彼女の奇行は今に始まったことではなく、珍しいと言えば奇物に興味を示したことくらいで、それもおそらく気まぐれだろうと見て取れる。しかしリスクが高い割に誰でも手に入れられそうなものを欲するものだ。
「このオークション、最後まで見られた人はなかなかいないの。人間は目の前の欲望に流されやすいんだね」
「……へえ」
前言撤回。
オークションは用意された個室の中でしか見ることを許されていないという。外から様子は逐一モニタリングしているから、異変が起こったらすぐにドアが開くことになっている、とヘルタは言った。とはいえ、今回のオークションには特に身に差し迫るような危険は無いらしい。
穹は部屋をぐるりと見回した。狭くて窮屈で、まるで子供が秘密基地にして遊ぶような場所だった。今座っている椅子のほかに家具らしい家具はなく、ただ液晶パネルが壁に取り付けられているだけの簡素な空間。広さは二帖ほどで窓もない。良いところと言えば天井が吹き抜けであるということくらいだろうか。オークション会場にしては極めて退屈な部屋だった。
「じゃあ、きちんと記憶してね」
ヘルタが部屋の扉に手をかける。
「ああ。……ヘルタ、最後に一つ聞きたいんだけど」
「なに?」
「このオークション、何が出てくるんだ? 欲しいものって、例えば」
「なんでもだよ。なんでも出てくるから、すごく厄介ってわけ」
なんでも、と穹が呟くと、ヘルタは冷めた目で彼を見る。
「普通なら手に入らないものでも、ここでは出てくる。穹、あなたが欲しいものはそんなに難しいもの? だったら少し厄介かもね」
穹は腕を組んでヘルタに言い放つ。
「とりあえず今は、信用ポイントが欲しい」
「そう」
容赦なく扉が閉められた。同時に、穹の目の前には四角い画面が投影される。ライブ配信で行われるオークションで、開催時期はまちまち。今回たまたまヘルタがこれの存在を思い出したとき、開催時期が重なっていて、穹が来たという展開だ。全く迷惑な話である。
画面の右下には開始時刻が表示されている。十二時三十分からだった。
穹は椅子に肘をついて、つまらなそうにその時間を待つことにした。
十二時三十分。
開始まであと五分を切ったところで、穹はなんとなく口走ってしまう。
「今頃丹恒、何してるのかな……」
優しい親友は今週も始まって早々に悲壮な顔でヘルタの元へ向かおうとしていた穹を見かねたらしい、珍しく帰ってきたらご馳走してくれると言っていた。
……不味いチャーハン以外ならいいな。丹恒はわざわざ作らないか、不味いチャーハン。
穹はぼんやりとモニターを見ながら頬杖をつき、闇オークションのことなんか忘れてずっと不味いチャーハンのことを考えていた。
『スタートです』
平坦な声。そこでようやく穹のくだらない思考は途切れる。
同時に部屋が明るくなる。穹は眩しさに目を細めたが、次の瞬間にはまた元通りになっていた。
「……?」
首をかしげる。僅かに何か、違和感を覚えたはずだが、見渡してもとくに何も無い。気のせいだったか、と穹は正面を見る。
「今回のオークションは、この私、レンバッハが責任を持って運営いたします」
野太い男の声がして、画面がオークション会場に切り替わる。
「まずは……」
暗闇の中にスポットライトが落ちて、そこに一人の男性が照らし出される。彼は恭しく礼をして、口を開いた。
「ご来場いただいた皆様に心からの感謝を申し上げます」
その言葉とともに会場は拍手で溢れかえり、次いでオークションの歴史を振り返る言葉が紡がれ、それが終わったと同時に最初の商品が出されると、入札が始まる。
穹には到底手出しのできない金額が右から左へ流れていく。自分が今ここで見ているものは何なのか、穹には理解できないし、ヘルタに聞いても答えてはくれないだろう。次々出てくる数々の商品に会場は沸いた。何かが出てくるたびに歓声と入札金額が上がっていく。欲しい人にとっては喉から手が出るほど欲しいものなのかもしれない。穹には一生お目にかかれないものばかりだ。ただ粛々と進んでいくオークションを、穹はぼんやりと眺めていた。
「会場の皆様、そして画面の向こうの皆様。お手元をご覧下さい。今、そこにあるものは、いずれも私どもが特別に用意させて頂いた品でございます。私どもの願いはただ一つ。皆様がご満足されること。では! そちらの品物にご入札をお願いいたします。落札した方にのみにそちらの品は届けられます!」
司会者が言うと、会場は再び拍手と歓声に包まれる。異様なまでの熱気に気圧されながらも……手元? と穹は自らに視線を移す。
「え……?」
いつの間にか、足下に人が倒れていた。しかもよく見覚えのある。
「……丹恒? なんで?」
飲月君の姿をした丹恒は、気を失っているのか、呼びかけても起きる気配は無かった。穹は慌てて彼を抱え起こそうとして、違和感に気づく。
「……軽い」
まるで中身が空っぽのように、丹恒の身体は軽かった。一瞬その目に動揺が走るが、とはいえ穹の適応力は飛び抜けて高い。呼吸を整え、ひとまず彼に声を掛ける。
「丹恒」
呼びかける。返事は無い。だが一瞬、その指がぴくりと動くのを穹は見逃さなかった。安堵に息を吐く。
「このオークションって……人も出品されるのか」
それに答える声は無い。丹恒は今日列車でアーカイブの整理をしていると言っていた。彼が言葉を違えることは滅多に無いから、『丹恒本人は』間違いなく列車に居るだろう。……では、ここに居るのは? 穹は丹恒の身体を観察する。顔は丹恒そのもので、服装も一緒だ。しかし、何かが違う。違和感と言えば、その身体の軽さもだ。質量の無い身体には実体を感じない。その頬に触れてみる。……柔らかい。丹恒にこんな柔らかい場所があるとは、穹は知らなかった。
「変な感じだ……」
穹は少し考えてから、スマホを取り出した。
「ヘルタ?……丹恒が巻き込まれたっぽいんだけど」
『へえそう』
ヘルタは興味もなさそうに相づちを打つ。電話口の向こうで何かを打ち込んでいる音がしていた。
穹が聞き返してもヘルタは答えない。穹がもう一度口を開く前に彼女は言った。
『オークションが始まってからあなたは欲しいものを頭に浮かべてしまった。その結果だろうね』
「……」
不味いチャーハンのことを考えてもダメってことか? その一言ですら言って良いのか悪いのか判別が付かず、黙る形になった。
『そこはオークション会場。奇物を手に入れる場所』
「人を出品する意味って?」
『オークションではどんな説明があったの? 推測だけど、今あなたの目の前にあるものをそのまま商品として見るのは早計。それを平然と取り出して見せたことこそが、そのオークションと彼らの所有する奇物の神髄を現している』
「……本物?」
『信頼性の無いオークションに人は集まらない』
「丹恒が出品されてる」
『何度も言わせないで。そこにあるものが商品なわけないでしょ』
わかっているが、腹立たしい。自分のせいで丹恒が巻き込まれるなんて……見かけだけで言うと、人身売買だ。
「どうすれば丹恒を助けられる?」
穹がそう聞くと、ヘルタは間髪入れずに答えた。
『何もしないこと。あなたはオークションに参加してしまった。その商品が競り落とされるまでそこからは出られない』
そんなこと、最初に説明してほしかったと穹はなんとも言えない顔をした。
「……」
『具体的に言うと、落札だけはしないで』
「ヘルタが困るからだろ」
『違う。落札した結果、そこにあるものがどうなるか私にも解らないの』
「ほかには? 今すぐ丹恒をここから出す方法は」
ヘルタはただ一言だけ返した。
『落札しないこと』
それだけ言って通話は切れてしまった。その後何度かけ直してもヘルタは出ない。
「なんだよそれ……」
落札すれば丹恒がどうなるのか保証はない。落札しなければ、オークションの終了まで彼がどうなるのか解らない。
「……」
いや、きっと大丈夫だ、と穹は自分を落ち着かせる。頭に血が上っている自覚は大いにあった。穹はじっと丹恒の顔を見る。体温も呼吸もある。ただひとつ、質量が存在しないだけ。それだけが不安を煽る。
「落札しない……」
穹はちらりとモニターを見る。これまで以上に白熱した競り合いが繰り広げてられ、いつ誰が買い取ってもおかしく無い雰囲気だ。ハラハラとしながら見守っていると、下からむずがるような呼吸が聞こえてきた。慌てて丹恒を見る。
「ん……」
「丹恒! 大丈夫か?」
「……穹……」
ぼんやりしたまなざしは、ここが何処であるのか理解していないように見えた。
「丹恒、俺のことわかる?」
穹は必死で問いかける。すると、丹恒は少し考え込むように沈黙してから口を開いた。
「……何を言っているんだ……当たり前だろう」
穹はほっとして胸を撫で下ろす。
「お前は俺の恋人の穹だ……そうだろう?」
「へ?」
丹恒はじっと穹を見る。まだ頭がぼんやりしているのか、あまり呂律が回っていない。
「どうした?」
丹恒は首を傾げる。
「いや……なんでも、ない……」
何故か飲月君の姿をしている、自分を穹の『恋人』と認識している『親友』。『落札しないこと』ヘルタの言葉。列車に居るだろう本物の丹恒。不味いチャーハン。
「穹?」
「……丹恒、よく聞いてくれ」
穹は丹恒を椅子に座らせて、自分も地面に腰かける。……やはり軽い。重さというものを一切感じさせない。
「お前は俺がヘルタに頼まれて奇物の闇オークションを見ていると、突然足下に現れた。同時に画面の向こうではオークションの主催者はこう言った。そこにあるものは、いずれも私どもが特別に用意させて頂いた品でございます、って」
ふむ……と丹恒は考え込むように目を伏せ、顎に手を当てる。
「そうか。俺は出品されたのか。……しかし、どうやって」
どんな真実だろうが提示されたヒントからためらいなく最短ルートで答えを出すのは見事だが、それは穹の心を容赦なくえぐる。穹は丹恒の両肩を掴んで訴えた。
「俺にも、丹恒が今ここに居る理由が解らない。ヘルタに連絡したら、落札しないでって言われた」
「ああ。俺も同じ意見だ。何があるかわからない。落札はしない方がいい」
「……うん」
丹恒が同意したことに穹は複雑な顔をする。
「オークションはどれくらいで終わる?」
「……たぶん、あと一時間くらい」
「穹?」
穹は目をそらして押し黙る。
「やっぱり中断してもらう。ヘルタだって、言うほど執着してないだろうし」
この品が落札されるまで、出られない。
そんなことを言われたって穹にはどうしようもない。大事な親友が巻き込まれているのだ。
「……俺のことを気遣っているのか? 別に、構わないのに……」
丹恒は呆れながら小さく笑う。その笑顔にすら穹は不安を感じる。丹恒の様子がいつもと違う。外見は全く変わっていないが、何かが『決定的に』違う。それは多くが彼が口にしたことに由来する。
「……俺ってお前の恋人なの」
「……先ほどからお前は何を言っている。まさか忘れたのか?」
「どっちから告白した? いつから俺のこと好きだった? 俺お前に何した?」
矢継ぎ早な質問に、丹恒は僅かに動揺したように視線を揺らす。しかし穹の不安そうな表情に気が付くとその両手を優しく握った。
「……俺たちの関係は、恋人では無いのか」
「……親友だ。少なくとも俺はそう認識してる」
「そうか……」
丹恒は穹の手に自らの頬をすり寄せる。その感触はやはり柔らかい。滑らかな肌にどぎまぎしながら穹は硬直する。
「なあ穹」
視線が妙に絡むような。
「な、なに?」
「少し膝を借りたい」
言うな否や丹恒は返事も待たずに立ち上がり、床にあぐらを掻く穹の上に跨がる。
「丹恒?」
穹が驚いた声を上げると、丹恒はうっそりと眼を眇めた。そして両手で穹の頬を包み、口づけを落とす。
「……!」
「ふふ……やはり、きっと夢を見ているんだな。お前がそんな風に動揺するのは、初めてだ」
荒唐無稽だと思っていた。と、呟く丹恒に反論しようとしたが、ちゅ、ちゅ、と顔中にキスが降り注いで、思考までフリーズする。
「お前はいつも、俺をからかって、翻弄して……俺だってそれなりに思うところはある……、ン……♡」
「た、丹恒……っ」
ちらりと扉に目を配る。それが癪に障ったのか、丹恒はわずかに眉を顰めると指先をそちらに向け、ぴっ、と何かを『張った』。
「だめだ。穹……俺から目を反らすな。ほら、舌を出せ。キスに集中しろ……♡」
「な、なんで……こんな……」
泣きそうな顔で穹が問いかけると、丹恒はちろと舌なめずりをして穹の唇に吸い付いた。
「……っ」
問答無用にもほどがある。柔らかい唇がふにふにと押しつけられて、その中から厚い舌が穹の唇を割る。
「んむ……♡」
丹恒の舌が穹の口内をまさぐるように舐っていく。穹にはこんな経験一切無い。思いのほか荒々しい口づけに翻弄される。
「ぁ……んっ、ふ……♡」
すりすりと舌を擦られる度に言いようのない悪寒が背筋を這っているのが解った。穹は丹恒の肩に手をついて、彼を引き剥がそうとする。
「だ、だめ……」
「嫌だ」
丹恒は穹の後頭部を掴んで引き寄せる。口づけがさらに深くなって、穹はぎゅっと目を閉じる。
「ん…っ」
丹恒の舌は無遠慮に動き回り、穹の口内を蹂躙していく。だんだん身体から力が抜けて、穹が後ろに倒れ込むと同時、丹恒の身体も穹の上に伸し掛かって、まるで押し倒されるような形になった。
「ふ……はぁ……♡」
この丹恒、変だ。俺の知っている丹恒と全然違う。いつもの丹恒ならこんなことは絶対にしない。こんな顔しないし、こんな声も出さない。
「ここまで俺がやっているのに、どうして躊躇う……♡」
こんなことも、言わない。
キスなんて、絶対しない。
こんな、ドキドキして、蕩けるような、顔。
「丹恒……なんで、こんなこと……」
「お前にも事情があるのは解っている。だが、よりにもよって恋人という関係を否定されるのは、不愉快だ」
「いや、それは……」
「お前が、壊したんじゃないか。親友だけでは足りないと、お前が言ったんだ。穹」
言ってない。記憶にない。そんなこと。
「だから、お願いだから、つれなくしないでくれ……胸が苦しくて、その苦しさで、頭がどうにかなりそうになる……」
潤みきった丹恒の視線に穹は何も言えなくなった。それを良いことに、丹恒はまた穹の唇に吸い付いた。
「はむ…♡ ん……♡♡」
丹恒が穹に甘えることは少ない。その甘えだって、『過去を知ることに同行する』『調査への付き添い』程度の甘えとも呼べない甘えだ。寄りかかるどころか押し倒してくる勢いのこの丹恒の甘えっぷりは、穹にとって思考停止をも引き起こす威力があった。しかし穹が停止する度に、丹恒は今がチャンスだとばかりに大胆な行動に出る。
すりすりと丹恒の不埒な舌でつるりとした上顎を擦られた。その途端、穹の喉からくぐもった声が上がる。
「んうッ」
「ふ、ぅ……♡」
丹恒は穹の舌を絡め取り、ぬるぬるとこすり合わせ始めた。唾液が混ざり合い、丹恒の舌を伝ったそれが穹の口の中に注ぎ込まれる。
「んぐ……」
「は、ぁ……♡ ん……♡」
穹が飲み込むまで丹恒は唇を離してくれない。口の中で丹恒の唾液が水音を立てる度に、穹の頭の中では警鐘が鳴った。これ以上はいけないと本能が告げていた。なのに、逃げられない。
穹の喉仏が上下して、ようやく丹恒は満足したように穹を解放した。
「はあ…ッ…はぁ……っ」
穹は息を荒げて丹恒を睨みつける。……しかし、濡れた唇に上気した頬、悩ましげに寄せられた眉根を見ればその迫力も半減してしまう。丹恒は目を眇めて自分の服に手を掛ける。穹はおもわずきょとんとしてしまった。
「丹恒、何してるんだ?」
「服を脱いでいる」
「なんで?」
「脱がないとお前と繋がれないだろう」
丹恒は照れる様子もなく淡々と言ってのけた。その言葉にいよいよ穹は青ざめる。今までも充分すぎるくらい衝撃的だったが、まだ上があるというのだろうか? 上着を脱いだ丹恒の胸を見て、穹は自分の心臓が凍り付いたような錯覚を起こした。そこには、おびただしい数の歯形とキスマークが刻まれていたからだ。
「丹……恒……?」
「なんだ、穹」
「そ、その歯形とか、跡は……」
「……ああ」
丹恒は僅かに目を逸らす。それから恥ずかしそうな顔で小さく口をひらいた。
「お前が昨夜つけた跡だ。……だが、そうだな。まだ足りない」
「た、足りないことはないと思う……」
「足りない。お前からの印はいくらあっても足りない」
回らない頭で、おそらく目の前の丹恒が平行世界やら何やらから来ている存在だという仮説を穹は立てた。とはいえ、この丹恒は全く人の話を聞いてくれないので、今から話して信じてもらえるか、それは半々として、しかしこれが本当に穹の知っている丹恒ならば冷静さをいくらか取り戻して、この意味不明な状況について話し合いが持てるはずだ。
「……俺が、お前の知っている俺じゃないかもしれないから、一応言っておくけど、多分これ、浮気だ。丹恒」
その台詞に丹恒は不思議そうに瞬きをした。
「浮気……?」
「う、うん。俺の親友の丹恒は、今列車でアーカイブの整理をしてるはずだ。お前は多分、俺のせいで平行世界から巻き込まれた……っていうか……たぶん、そういう、仮説なんだけど」
「――……そうか」
丹恒はすうと目を細め、納得したように頷く。
「お前には悪いことをした……誠意をもって謝ろう。勘違いをして、わるかった」
「うん……」
「だが、それは今俺が止まる理由にはならない。……巻き込んだことを悪いと思うのなら、今だけ俺の好きにさせて欲しい」
「う、うん……いや、駄目でしょ」
穹の手を自分の手で掴み、指を絡める。その間も丹恒は服を脱ぐ手を止めない。穹が止める声もむなしく、彼は全裸になった。
「……」
胸元も酷いものだが、下半身は更に酷い。彼の世界の穹はとんでもない奴らしい。
「よし、では続きを」
「ちょちょちょ! 待って丹恒!」
穹の制止も無視して、丹恒は有無を言わさず口づけてくる。この丹恒が穹のことを好いているのは解ったが、このまま流されるわけには行かない。穹は歯を食いしばって丹恒の唇から逃れた。
「駄目だって。浮気だぞ! お前の所の俺が……お、怒るかも!」
「自分に焼くなんて、かわいらしい所もあるんだな」
「いや、そういう問題ではなく……」
穹は必死に丹恒を引き留める方法を考える。
「丹……っ」
声をかけようとして、ふと妙なことに気がついた。彼の様子がおかしいのだ。先ほどまでの冷静さが嘘のように切羽詰まった顔をしていて、熱い吐息を吐いている。その頬は紅潮して、明らかに何かに耐えている様子だった。
「た、丹恒?」
「穹」
はあ……♡ と熱い息を吐いて、丹恒は穹にしがみついた。
「……すまない。もう駄目だ」
丹恒は己の腰を押し付けるように穹にしがみついたまま前後に腰を揺らす。それはまるでセックスの最中の腰使いのようで、穹は思わず赤面した。
「発情期が終わるまで、列車にこもっているはずだった。これ以上は限界だ」
「発情期って何!? しらないしらない、何!?」
「お前が、俺の所に毎晩やってくるから……っ」
丹恒は穹にのしかかる。そのまま穹の腰を抱き寄せた。
「今、自分の理性が飛んでいるのは解っている♡ お前が言っていることは、おそらく正しいのだろう♡ だが今の俺にはそれを聞き入れるだけの余裕がないんだ♡ すまない♡」
穹のズボンに爪を立てて、じーっとチャックを下ろしていく。その間も腰をへこへこと揺すっている。
「た、丹恒! お前、変だぞ!?」
「俺もそう思う♡ でも、もう我慢できないんだ……っ♡」
チャックが開くと、丹恒は無遠慮に穹の下着の中に手を突っ込む。そしていきなりペニスを強く握った。
「ひッ」
「ああ……っ♡ すまない、穹……お前が怯えているのに……解っているのに、俺は……♡」
丹恒は穹のズボンを下着ごとずり下ろす。そして現れた穹のペニスを自分の尻に擦りつけるように動いた。くちゅ、と吸い付くようにそこはぬるぬると穹を受け入れていく。穹は愕然とした顔でその光景を眺めていた。
「お、お前、何して……っ」
穹の問いかけにも答えず、丹恒は尻をぐりぐりと動かす。
「だ、駄目だ……我慢できない♡ もうがまんできない……っ♡」
丹恒の尻の穴は柔らかく、ずっぽりと穹のペニスを咥え込んだ。互いの熱を感じて、ふたり同時に息を詰めた。
丹恒は腰を動かし続ける。丹恒が穹の上で跳ねる度に、彼の長い髪もふわふわと揺れる。
「ん……っ、は、あぁっ……♡♡」
丹恒は切なげに眉を寄せて、甘く喘ぐ。小さく舌を突き出して、穹の胸にすがりつく。その目は快感でどろどろに蕩け切っていて、穹が初めて見る表情だった。
「た、丹恒……っ」
「すまない♡ すまない……っ♡」
何度も謝って、何度も腰を押し付ける。穹は驚きながらも、丹恒の痴態から目を離せない。こんなエロ漫画みたいな展開が現実に起こりうるのかと、目の前の光景が信じられなくなる。
「……やらしい……」
穹が思わず呟くと、丹恒はこくこくと頷く。眉根を困らせて、ますます腰を動かす。
「そう……♡ 俺は♡ すごくやらしいんだ……っ♡」
丹恒は穹の耳元で甘く囁く。その声には媚びるような色が混じっている。
「お前が俺を知る前の穹だと知って、たまらなくなった♡ 『俺』を知る前に、俺を教え込んでしまいたくなったんだ♡ すまない……っ♡」
「うわ、ちょ、待……っ!」
先ほどよりも密着した体勢で丹恒は切なげに荒い息を吐く。
「許さないでくれ……♡ 恋人ではない相手に媚びを売る、こんな俺を……♡」
「こ、媚びって……っ」
「お前に媚びているんだ♡」
腰を前後に揺すりながら、丹恒は穹にすがりつく。互いの腹で擦れたペニスから先走りが漏れて、ぬるぬると腹を汚す。
「お前にとっては不快なことかもしれないが……♡ 俺にとっては興奮する材料でしかないんだ♡」
はぁ……っ♡ と熱い吐息を零して、丹恒はとろけきった顔で腰を動かし続ける。その動きが次第に小刻みになってきた。絶頂が近いのだと穹にも解る。
「あ……♡ あ……♡ く、くる……♡ クる……っ♡」
「く、来るって……」
穹の問いに応える余裕もなく、丹恒はがくがくと腰を震わせる。
「んっ♡♡ あ……っ♡ ああぁっ……♡」
そのまま小刻みに痙攣して、ぎゅっと目を瞑った。ピンと足先が伸びて、丹恒が背筋を伸ばす。穹にしがみつき、ペニスを深く押し入れて、息を詰める。
「はぁ……っ♡ ああ……♡」
やがて脱力して、丹恒は穹の上に倒れ込んだ。彼の肩が大きく上下している。どうやら達したらしいと理解はしたものの、やはりこの状況に頭が追いつかない。童貞を奪われた。親友に。
「ん……♡ もう一度、だ♡ 穹……♡」
「……た、丹恒」
彼は止まってくれない。
大慌てで丹恒がその部屋の前にたどり着いたとき、ヘルタは呆れたような顔でそのドアを眺めていた。中からはひっきりなしに嬌声と肌を打つ音が聞こえてくる。いたたまれないまま丹恒はヘルタに声を掛けた。
「状況を、詳しく聞きたい」
「競りがなかなか終わらないの。そうこうしている内に、あなたと彼が盛りあがっちゃって、おかげで一部フロアは水を打ったように静まりかえってる」
ヘルタの言うとおり、フロアは静まり返っていた。周囲の職員たちは皆、頑なに丹恒と視線を合わせないようにしている。
「……」
「あなたの到着が遅れたから、そろそろ『終わる頃』だと思うけれど。……どうする? 中の様子、見る?」
「……一応、声は掛けよう。すまない、あなたたちには迷惑を」
「ええ」
コンコン、とドアをノックして、丹恒は声を掛けた。
「穹、俺だ」
ぴたりと音がやんで、部屋の中はしんと静まりかえった。ややあって、声が返ってくる。
「……た、丹恒?」
「そうだ。俺だ」
「な、なんで……」
戸惑う穹の声を聞いて、丹恒は少しばかり安心した。ヘルタの声も聞こえていなかっただろうことを考えると、少しは中の様子も落ち着いたらしい。
「ミス・ヘルタに呼ばれた。詳細はお前の方が詳しいだろう、飲月君の姿をした俺がそこにいると聞いた。一度顔を合わせたい。ここを開けてくれるか」
「だ、だめ」
「……穹。お前が混乱しているのは解る。無理もない。……競りはどうなっている?」
「あ、ええと、そろそろ終わりそう……」
「そうか。ではそれまで待とう」
丹恒がそう言うと、あからさまに安心したようなため息が聞こえてきた。丹恒はヘルタを見る。彼女はドアから目を離して、丹恒を見上げた。
「静かになった」
「……ああ」
「ルアン・メェイから連絡が入っていたの、油断してしばらく席を外していた間に、あんなことに」
「……そうか」
それはさしものヘルタでもおどろいたことだろう。丹恒は同情した。
「こんな場所で盛るなんて、どうかしてる」
丹恒も同感だ。人目があると解っていて、あんな行為をもう一人の自分はよく出来たものである。可能ならば息の根を止めてやりたいほどだ。丹恒は思い詰めたような顔をして、ドアに向かって語り掛ける。
「穹」
「なに?」
「お前も嫌なら嫌だと、ちゃんと意思表示をしろ。拒まなければ相手の思うつぼだ」
「……う、うん……」
ドアの向こう側で穹が頷く気配がした。
「……穹。俺は何も聞いていない。そういうことにするから、お前も気にするな」
しばらくの沈黙のあと、蚊の鳴くような声で返事が返ってくる。
「ありがと……」
それから二十分が経って、ドアの中から歓声が上がった。競りが終わったのだと解る。丹恒はヘルタに礼を言った。
「部屋は俺たちで掃除していく」
「別に気にしない。あの部屋はもう二度と使わないから」
そう断言されるとどうにもやるせない気分だったが、丹恒は己の中の罪悪感には気付かないふりをした。
「穹、終わったか?」
「うん」
「そちらに居た俺は?」
「競りが終わったのと同時に消えた」
「そうか。解った」
丹恒が部屋に入ると室内はひどい有様だった。穹はすっかりへそを曲げて丸まっているし、もう一人の自分は見当たらなかった。一度くらい顔を合わせて、絞めておきたかったところだ。
「大丈夫か」
「……うん」
目元が赤くなっている。泣いていたのだろうか。心がきゅっと引き絞られるような気分になって、丹恒は穹を抱きしめた。
「た、丹恒」
「すまない。怖い思いをさせたな」
「ううん……別に、丹恒のせいじゃないし」
珍しく殊勝な態度だ。よっぽどな目に遭わされたと見えた。
「……穹、体は大丈夫か?」
「……大丈夫……」
恥ずかしそうに目をそらす。
「み、……見た?」
上目遣いに穹が問いかける。
「見た、とは」
丹恒が問い返すと穹は言い辛そうに口をまごつかせた。
「ヘルタのことだから、モニターはずっとつけっぱなしだったんだろ。……だったら丹恒の目に入らないはずが無い」
「……」
はあ、と無言でため息を吐いた丹恒に決まりが悪そうな顔でやっぱり、と穹は呟く。
「その、引いた?」
ああ。泣きそうな顔をしている。丹恒は心が引きちぎれそうなほど痛んだ。望まない性行為は暴力だ。少年は間違いなく先ほどその暴力に晒されていて、なのにその相手と瓜二つの人間に気を使えてしまう。やはり声を掛ける前に、部屋に押し入って問答無用で殺すべきだったかもしれない。丹恒は無表情で、頭に血が上った思考のまま、穹の頭をなでる。
「引かない。お前に怒っているわけでもない」
「……そう、か」
ホッとしたような声で、まだ泣きそうな目をしている。その目を覗き込んで、丹恒は言った。
「ただ、お前を傷つけた自分が許せない」
「あ、あれは丹恒であって丹恒では無いというか……」
穹が解釈するに先ほどの飲月君は平行世界の丹恒だという。穹を恋人と定義し、穹の痴態に興奮し、その体をもてあそんだ彼。そしていまここにいる丹恒とさして変わらない存在。
「だがお前にとっては同じ『丹恒』だろう」
「う……」
言葉に詰まる穹に、丹恒は続ける。
「俺は、自分であろうと他人であろうと、お前にそんな顔をさせる奴が許せない」
「……っ」
ぽろりとその目から涙がこぼれ落ちる。穹は慌ててそれを袖で拭った。
「ありがと……でも、ごめん……」
「なぜ謝る?」
「それは……だって」
その次の言葉が出てこない。丹恒はそんな穹を黙って抱きしめる。やがておずおずと、穹の手が背中に回った。ぎゅっと服を掴む感触がして、丹恒も穹の背中をなでる。しばらくそうしていると、落ち着いたのか穹が顔を上げた。
「……もう大丈夫」
「そうか」
「うん……」
そう言ってからまた少し間があって、穹は言いにくそうに口を開く。
「あの、さ」
「なんだ」
「……何でもない。気にしないで」
――発情期って、何? とはさすがにすごくシリアスぶっている丹恒に向かって聞けないわけで。
穹はなんだかんだとヘルタのお使いミッションを失敗していた。そして予定より早めに丹恒と列車に戻ると、結局その日は上の空で過ごすことになった。丹恒は心配してあれこれと世話を焼こうとしていたが、穹が心苦しいままあまり構わないでほしい旨を説明するとぴたりと寄りつかなくなった。今は資料室でアーカイブの整理をしている。
「あー……」
アプリをタップしてゲームにログインする。だが、ずっと思考が散漫なままでは、もちろんゲームにも集中できるはずもなく、すぐに落とすと目を閉じて頭を抱える。
もしも丹恒があの飲月君と同じ身体をしているなら、発情期なるものもあるのだろうか。
『穹……♡』
色っぽい流し目で、穹を見下ろしていた飲月君が瞼の裏に焼き付いて離れない。あんな彼が存在するという事実を、穹は受け止められずにいる。しかも、それが自分によって生み出された存在となれば、なおさら。
「う……やば……」
ラウンジの椅子に腰掛けたまま勃起しそうになって、穹は慌てて立ち上がり、火照った身体を冷まそうとシャワールームに入った。
服を脱いで、中に入るとシャワーのコックをひねる。すぐに熱いお湯が降り注いで、穹はほうと息を吐いた。それでもじんじんと張り詰めた先端は落ち着かないままだ。
「は……っ」
軽く勃起した陰茎を握って、少し乱暴に扱く。
「く……っ」
それだけでぞわぞわとした感覚がせり上がってくる。穹は目を瞑ったまま、無心で快感を追った。そうしていればいずれ収まると経験則として知っていたのだ。だが今日は、どうしても上手くいかない。
「はあっ、はあっ……」
身体の奥が熱い。丹恒を想うだけで指先にまで甘い痺れが走るような感覚がある。とてもではないが自慰では発散できそうに無いそれに、穹の視界がにじむ。
『中に出してくれ♡ んっ♡ お前の子種が欲しい♡ 穹……♡』
「た、丹恒……」
『孕むまで♡ いっぱい出してくれ……♡』
「う……っ、はあっ」
妄想の中の飲月君が穹に種付けをねだる。あの硬質な顔を蕩けさせて、静謐な声に甘さを滲ませて。穹はたまらずシャワールームの壁に背を預けた。そして陰茎を扱きつつ、丹恒を抱く妄想に浸る。
「はあっ、丹恒っ……」
『ああっ♡ 穹っ♡』
妄想の中の丹恒が甘い声を上げる。穹の陰茎から先走りが溢れ出して、扱く手がぬるぬると滑った。その滑りを借りてより強く握り込み、激しく上下に動かす。
『あ…はぁあっ♡』
妄想の中で丹恒が達する。あの白い腹を精液で汚すところを想像するだけで、穹の興奮も高まっていった。
『ん……♡』
妄想の中では丹恒の乱れた髪が汗で頬に貼り付いていて、それは気持ちよさそうに目を眇めて穹を見る。
『上手だ、穹……♡』
「うう~っ、俺……おかしくなっちゃった……ごめん丹恒……」
そう言いながらも、穹の手は止まらない。妄想の中で丹恒に褒められると嬉しくてたまらないのだ。それもこれも、穹を恋人と自称したあの丹恒がよしよしと穹を撫でながら、見たこともない優しい笑顔で良い子だ、えらいな、上手だな、などと絶対に『親友』が言わないワードを繰り返すからだ。普段が破天荒な問題児の穹に、その尻拭いに奔走する丹恒は文句こそ言わないがいつもため息を吐くばかりだ。あからさまな『褒め』言葉など貰ったことがないせいで、穹はすっかり調子に乗ってしまった。
『ああ……、俺の可愛い穹……♡』
妄想の中の丹恒が甘い吐息をこぼす。
「はー……っ」
もう限界が近い。早く達して楽になりたいと、穹の手がより激しく動く。
「あっ、イく……っ」
びゅるっと先端から精液が飛び出る。それはシャワーのお湯に流されてすぐに見えなくなった。
「はあ……」
射精したことで頭が冷えてじりじりと穹は小さくなっていく。丸まって体育座りのようになり、膝に額を押し付けた。
「俺って最低だ……」
丹恒に顔向け出来ない……と穹は落ち込んだ。だが、それでもまだ体の奥でくすぶる熱がある。
「うう~……」
シャワーに当たったまま、端末を起動する。そして検索サイトで『人間の発情期』について調べ始めた。
それまで穹はさほど性欲が強い方では無かった。好奇心は旺盛だったがそれは至って健全なもので、性的なことに関してごくごく普通の青少年だった。それが今やどうだ。まるで猿のように興奮している。
「発情期……」
画面に映し出されたそれを見ながら、穹はのろのろとした手つきで自分の股間に触れる。そこはすっかりまた硬くなってしまっていた。
「丹恒……」
はあっと熱っぽい息を吐く。それからぎゅっと目を閉じて、穹はそこを再び握り込んだ。
『俺の可愛い穹……♡』
「……っ」
もうやめようと思うのに、妄想の中の丹恒が許してくれない。頭の中を好き放題する丹恒に、穹は涙目で抗議した。
「もう無理、許してよ丹恒……」
『許すも何もない』
妄想の丹恒が言う。
『俺はただ、お前を愛しているだけだ』
「……っ」
その声があまりにも甘いので、穹は一瞬すべてを投げ出して身を任せてしまいそうになった。だがすぐにハッと我に返る。これはあくまで妄想だ。
「うう~……、丹恒のばか……いや……丹恒はばかじゃないけど……」
穹は観念して再びそこに手を伸ばす。先ほど出した精液がまだ少し残っていたのか、指を絡ませるとくちゃくちゃと粘着質な音がした。その音がまた、どうしようもなく穹を興奮させる。
「ん……っ」
たまらず声が漏れた。そして妄想の中の丹恒が耳元で囁く言葉を想像する。普段よりずっと優しく甘い言葉の数々に、穹は脳が蕩けそうな気分になった。
『可愛い穹……♡』
「あっ、は……っ」
口元を手で押さえて、穹は腰を跳ねさせる。
「あ……ん、く……っ」
妄想の中の丹恒が頭を撫でてくれる。その妄想に縋るように、穹の手は止まらず動き続けた。くちゃくちゃと粘ついた音がひっきりなしに聞こえてくる。
「丹恒ぉ……」
「……呼んだか?」
「ひっ」
「大丈夫か? ずっとお前がシャワー室にこもっていると、三月からクレームが……」
「あっ、大丈夫! 大丈夫だから!」
穹は慌ててシャワーを止めて扉越しに丹恒に答える。全身が熱くてたまらない。穹は顔を真っ赤にしたまま、ぼやけた扉越しに丹恒に話しかける。
「ごめん……もう上がるよ」
「そうか」
「……あの、丹恒……」
「なんだ?」
「……いつからいた?」
丹恒は沈黙した。
「た、丹恒……」
「……」
沈黙に耐えかねて、穹は少しだけ扉を開く。そこには当然丹恒が立っていて、彼は無表情にじっと穹を見つめていた。
「……丹恒」
丹恒はただ黙ってそこに立っている。穹の次の言葉を待っているのだろう。だが穹は何を言っていいのか分からないまま、ただ口をぱくぱくとさせるばかりだ。やがて痺れを切らしたかのように丹恒が言った。
「発情期か……とお前が呟いたあたりから。……発情期とは、何のことだ?」
訝しむように聞いてくる丹恒に穹は今日何度目かの泣きたい衝動に駆られた。自分を恋人と称した丹恒が法螺を吹いていた可能性が高まった。穹の性癖を歪ませるだけ歪ませて行った彼に恨めしい気持ちがわき上がる。だが、もはやどこにも居ない影だ。責めてもどうしようもない。
「なんでもない……」
「……そうか」
丹恒は呑み込んだように一呼吸置いてから答えた。そして背を向けて言う。
「ラウンジで、待っている」
「……うん」
丹恒が扉を閉める。その扉に寄りかかって穹はずるずると座り込んだ。
『俺の穹……♡』
現実の丹恒とは裏腹に、妄想の丹恒は甘い囁きをくれる。穹は両手で顔を覆ったまましばらく動けなかった。
「う~……っ」