列車に戻ってくるなり、ヘルタからまたもや無理難題を押しつけられたと愚痴りながらも、穹は疲れ切った様子で資料室にある丹恒の布団へと直行した。アーカイブの整理をしていた丹恒は顔を上げ、のろのろと奥へ歩む彼を視線で追いかける。もはや全てが煩わしいとでも言いたげに、口を挟む間も与えず、穹はおやすみと言って丹恒の寝床に倒れ込んだ。掛け布団を引っ張り上げることもなく即座に夢の世界へ潜り込んだ彼に丹恒はそっとため息を吐いて、そのままアーカイブの整理を続けた。
行きすぎた好奇心とは、もはや病に近いのだ、と思う。それはヘルタのような天才たちにも言えたし、行く星々でたくさんの物事と関わりを持たずにいられない穹にも言えた。そんな病を抱えたヘルタと穹が衝突すれば、盛大な化学反応が起きるだろう。星核という大いなるつながりで二人は深く関係し、それは自由奔放を体現するような彼には珍しく、どうもやりづらいモノらしい。彼女の元から戻ってくると、必ずと言っていいほどふてくされ、むくれたような顔をしているか、疲れ切って今のように丹恒の布団で寝てしまう。列車の椅子で寝るより安心するのだと言って。それは丹恒にとって少々の喜びを与える言葉だった。この、過去と世界の一切を無くしている、空白という孤独を抱えた年若い友人の、数少ないよりどころに自分がなれているのならそれはなによりだと思う。ヘルタとの間にどんな言葉が交わされているのかは知るよしもなかったが、この時間が存外丹恒は嫌いではなかった。穹の寝息をBGMに聞きながら、アーカイブを見たり、本を読んだり……。
そして。
すうすうと聞こえる小さな寝息に、丹恒は目元を緩ませる。視線を向ければいとけない顔が目に入った。しばらくして作業を中断し、足音を立てず、気配を消して丹恒は穹の側にしゃがみ込む。起きているときはあれだけころころと表情を変えるのに、寝入っている姿はどこまでも端正で静謐だった。その容姿も相まって、精巧な人形のようだ。
丹恒は穏やかな寝顔を眺めたあと、そっとその頭をなでる。フワフワとした猫っ毛が、指先に絡んで心地良い。
「ん……」
すりすりと猫のように頬を手にすり寄せる姿を見て、丹恒は傍目ではわからない程度に、僅かに口角を上げた。一度寝てしまえば簡単には起きない習性だ。それを悪用している自覚はある。普段の丹恒であればこのようなことは本人の許可を取ってするべきだ、と考えるし、他人がしようものならひとまず口を挟むだろう。しかしどうにもこの時間は手放しがたかった。丹恒は穹を甘やかしたいという欲望を、いつしか身のうちに飼ってしまっているのだ。
その始まりはずいぶん前になる。今のように丹恒の布団で寝入っていた、穹の寝言からだった。
『おいて、いかないで……』
聞いているこちらが切なくなるような、胸が締め付けられるような切望。ふらふらと空中を彷徨う右手。悲しげに紡がれた言葉に、衝動的に丹恒は彼の手を握ったのだ。
『大丈夫だ、誰もお前を置いていかない』
『ほ、んとう』
『ああ』
『なら……あたまを……なでて、だきしめて……どこにも行かないって……』
通常の彼からは聞けない言葉。多弁なくせに決して自分を語らない少年が心の奥底に一人きりで抱えているもの。その相手が、誰か。丹恒には見当もつかない。いや、もしかするとついている。しかしその推論を真実にすることを本能が拒否した。求められているのが誰であろうと、今にその手を握れるのは自分しかいなかったから。それからこの蛮行は彼に求められずと続いている。
「穹……」
頬を撫で、親指で唇に触れる。指の腹に掛かる吐息は小さく、湿った熱を持っている。穹の唇は柔らかくみずみずしい果実のように弾力がある。ふにふにともてあそんでいると、押し出された舌がちろりと小さく丹恒の指を舐めた。ぬるりとした感触に丹恒は無自覚に熱っぽい呼吸を吐き出し、視線を細めた。ただの庇護欲に収まっていたのなら、丹恒は理路整然と理屈で固めてその後ろめたさに目隠しが出来ただろう。だがもはやそれは、今では行きすぎた欲望にすり替わっていて、直視するほか無い。
彼が寝入ってすぐ、一度は我慢する。しかし時間が経つにつれて、どうしても触れたくなる。最初に手を握ったときに生まれた感情は、穏やかで優しい眠りを与えたいという気持ちだったはずだ。だがいつのまにか、その寝顔が柔らかく蕩ける様を観察したいという欲求が生まれている。そのために丹恒の理性はだんだんと、歯止めを失っていた。
どこまでも甘やかしてやりたい。それがどこから由来する感情なのかはわからないまま、丹恒はそっと穹の首に手を滑らせる。少年らしくほっそりとした首だ。そのまま浮き出た鎖骨をなぞって、とくとくと脈打つ心臓の上に手を当て鼓動をその手のひらで聞く。丹恒に比べて薄い胸板だった。この成長しきっていない身体に、星核などという爆弾が埋め込まれていると思うとどうにもたまらない気持ちになった。
さらに手を下ろしていき骨盤を撫でると、むずがるように穹が横を向き、頬を敷き布団にこすりつける。丹恒はそこから太ももを愛撫して膝の皿を撫でる。彼が望むようにしたいなら、ただ抱きしめて共寝をすれば良い。それだって十分な甘やかしになるだろう。
丹恒は自分でもはかりかねて持て余している。この矛盾だらけで破綻した行動原理は、丹恒の知識には存在しない。由来がわからないから、それを知るためにしているというのもある。否、それすらこの不用意な欲を肯定したがるだけの、言い訳なのかもしれない。
「んぅ……」
長いまつげが震えている。それでも起きないのはこれまでで実証済みだったから丹恒は焦ることもせずに、穹に触れ続けた。細いウエストをつかむように触れて、その肉付きを確かめる。以前より少しばかり、筋肉が付いたかも知れない。ずれたシャツの下からへそが見えていた。好奇心からそこに指を入れる。指先をくるりと優しく回転させると、ぴくぴくと腹筋が跳ねるのがかわいらしかった。
「は、……ぅ」
鼻に掛かったような甘い呼吸が、丹恒の内側にこもった熱をさらに上げるようだ。夢見心地といった気分で、シャツをめくり上げる。呼吸に合わせて上下する、胸にある小さな突起を軽くつまむと彼は小さく愛らしい声を漏らす。切なげに下げられた眉を見て丹恒はそっと自身の乾いた唇を舐めた。触れれば触れるほどに彼の呼吸は、表情は、とろとろと蕩けていく。もっと見たい。その気持ちで丹恒は彼の下履きを押し上げているそれを視界に入れる。
ここからだ。間違いなく一線を越えていると、強く自覚するのは。
穹のそれは丹恒の布団で眠ると、いつもすぐに反応を示していた。疲れマラというやつなのだろう。いつ何時、何があってもいいように、この姿では細部まで『人』を精密に模しているとはいえ、丹恒には経験が無い事象だ。なにせ性欲というモノを知らない。とはいえ知識としては知っているので、丹恒はいたわるように穹のそれを締め付けるズボンから解放する。緩やかに勃起したそれは清潔な色をしていて、空気に触れたためか、頼りなさげにぴくぴくと震えている。その健気な姿は丹恒の愛心を愛撫するようにくすぐった。首をもたげた先端を指の腹でつつくように軽く叩く。
「ぁ……んん」
指で筒を作り、ゆっくりとそれにくぐらせるように先端から根元までを扱く。あくまでその動きはゆったりとしていて、ぬるま湯に浸からせるように丹恒は快楽を与えようとする。その行為の原動はどこまでも献身からくるものだった。穹はもどかしげに腰を動かす。それを見て丹恒はひそやかに、細く息を吐いた。性急で強い刺激を求める若い身体にとってその緩慢さは酷であり、毒にすらなりうるのだが、丹恒はまったく気がつかないまま、ひたすら『良く』してやろうと穹の顔をのぞき込む。目に焼き付けるようにその官能による苦悩に満ちた顔を眺めた。表情は煩悩するようにしかめられていたが、頬はほんのりと赤く染まり、薄く開いた唇の端から唾液が一筋こぼれている。それを知って丹恒の心は弾んでいた。弛緩した表情は、どこまでも丹恒に身を委ねて寄りかかっている証だと……ここでいつも思い込み始めてしまうのだ。
「穹」
口の中で名前をそっと転がす。音にしてその愛着が残酷な甘さを伴うことを恐れていた。本来ならば、渇望するからこそ手を出すべきなのだ。それが良いか悪いかは別として、相手と同じ欲求を伴ってするべき行為だと丹恒の理性は判断している。だからこそ行き過ぎた好奇心とは、もはや病にほかならないのだ。治すすべのない奇病だ。
ふるふると震える身体を丹恒は心底慈しむようにまさぐった。頭のてっぺんから、指先、足の先に至るまで、一切をその厚くほっそりとした手で優しく触れる。穹の呼吸が荒くなるにつれて彼の陰茎も力強く熱を持った。手がべとべとと彼の先走りで濡れている。くちゅ、くちゅ、と粘ついた水音が静かな資料室に響き渡るなか、丹恒は穹のそれを一心に慰めた。裏筋をつつとなぞるとたまらないとでも言いたげに首を振るのがかわいい。陰嚢をそっと揉むだけで短く息を詰めるのが、かわいくてたまらない。その感情はいわば『微笑ましい』と言うのが適切だろうかと丹恒は分析する。淫靡な空気にあって、それを作り上げた当の本人である丹恒には、全くそのような意図は無い。ただ目覚めているときには、数分とてじっとしていられない友人への労りであり、一時の慰めであり、丹恒の、身にとどめておけない有り余る慈しみであった。
手のひらで先端を覆うようにして擦ると、穹の手がうろうろと宙を彷徨い、探るように丹恒の手を上から握る。
「も、っと……」
その甘えるようなおねだりに、丹恒も酔いしれながら声を返す。
「ああ……もちろんだ」
小刻みに擦るようにてっぺんを撫でると、穹の腰が少し浮く。そして断続的に発される芳しい声が、丹恒の聴覚を満たしていく。ふうふうと荒い呼吸を繰り返す穹の顔は首筋まで真っ赤に染まっていて、酷く苦しげだった。絶頂が近いのだろうと丹恒は判断して、そっと手をそこから離すと今度は顔を近づけていく。
彼が目覚めたとき、僅かな違和感、痕跡さえも残さないためだ。
根元を手で支えると唇を開け、舌を伸ばし、その熱を迎え入れる。無臭ではあるが、やや塩味を感じ、唾液が知らずと分泌される。下から上まで舌先でねっとりとなめ回しながら唇では大きく吸い上げた。頬をすぼめて、深くまで咥え込むと頭上から一際高い声で穹が鳴く声を聞いた。呼吸と一緒に掠れた声で吐き出される官能帯びた悲鳴たちにうっとりと眇めながら、丹恒は性器への愛撫を続けた。いつしか口内は苦みのある、粘ついた体液に浸食されていく。びくびくとこわばった腰が、丹恒の口内を小突くように前後する。時々、喉奥に刺さり嘔吐きそうになるのをこらえながら丹恒はその瞬間を待つ。穹の高まりを感じるだに丹恒の口淫は激しさを増していき、ついには射精の瞬間に直接咽喉でそれを受け止めた。
「ン……ぐぅっ」
生臭く苦々しいどろりとした液体をこぼさず飲み干すのは至難の業であったが、何度も経験すればさすがに慣れてくる。丹恒は眉をひそめ、鼻息を荒くしながら穹の射精に耐え、一通り精液を食道に通すと、先端に少しだけ溜まったそれもちゅるちゅると唇の先で吸い上げる。その間も、喉が妬けるように熱い。
丹恒は目を伏せて、口の中で舌を動かす。穹の味がして、濃い臭いが鼻の奥につんと残っている。その残り香を味わうように舌先で転がした。決しておいしいものではない。けれど、それすらもかわいい。この執着は間違いなく不健全だ。その判断こそ下せているにもかかわらず、ブレーキをなくしたように、行動はエスカレートしていくばかりだった。
舌先で先端をれろりと一舐めする。名残惜しさを感じながらも、それで行為を終わらせるつもりで、顔をそこから上げようとして――後頭部をぐっ、と押さえつけられる。
「……!?」
「続けて」
荒い呼吸に混ざった、かすれた声が頭上から聞こえる。上目遣いに彼の様子をうかがうと、穹は鋭い目で丹恒を見ていた。思わず怯む。
「……っ」
「丹恒」
唇に萎えた性器が押し当てられて、丹恒は声に従うまま再び口腔にそれを迎え入れる。責めるような視線に萎縮するように、愛撫を始める。
謝罪の代わりに口淫を求められたことは明白だった。しかし丹恒はまるで穹に許されたような気分に陥っていて、反省も何もない。いっそ舞い上がっていた。彼の呼吸は浅く、時折こぼされる声は丹恒の脳をびりびりと震わせる。まるで暗示に掛けられたように、頭がぼうとしていた。
「ふ、ッう、ぐっ……」
「いやなら……ッ、はぁ……、やめてもいいよ」
丹恒はふるふると首を振る。離したくない。媚びるように舌で裏筋を掠めると穹の腰が大げさに震える。
穹がここまで感じてくれるのなら、丹恒はこのまま窒息してもいい。本気でそう思い、深く咥え込むと喉の奥をぐっと締める。すると穹のものが質量を増して、丹恒の口内を圧迫する。苦しさに涙がにじみ、唾液が口元からだらりと伝った。
「で、そう……」
穹の切羽詰まった声が降る。丹恒はいっそう愛撫を激しくした。違えようもなく、興奮していた。胸が酷く高鳴っていて、思考が焼き切れるかのような感覚。丹恒は穹に気持ち良くなってほしいのか、それとも自分が『気持ちよく』なりたいのかわからなくなっていく。ただひとつだけわかるのは、今この瞬間に、彼に求められていることがどうしようもなく幸福だということだけだった。
「出る……ッ!」
ぐっと頭を押さえつけられ、逃げることも出来ず、丹恒は喉奥に液体が叩きつけられるのを感じる。口内に溜まった唾液と精液を嚥下するのはたやすいことではなかったが、穹が自らの意志で自分を使って絶頂を迎えてくれたという事実に感動すら覚えて、必死に嚥下を繰り返す。二度目の射精にもかかわらず、量は多かった。
「はっ、はぁ……はー……」
穹は放心したように上を向き荒い呼吸を繰り返していたが、おもむろに丹恒の頭を固定していた手を離した。名残惜しい気持ちで彼を見上げると、穹は困ったような顔で丹恒を一瞥し、両腕で顔を覆ってため息を吐く。
「悪い……」
「謝らなくていい」
丹恒は即答する。穹が謝る理由などない、むしろ丹恒こそが謝罪するべき事案だ。だがその声からにじむ罪悪感は、丹恒に充足を与えた。
「……ごめん、カッとなって」
「いや、俺がしたくてしたんだ。気にするな」
淡々と告げると、穹はもう一度ため息を吐いた。彼がどんな感情を持て余しているか分からず、丹恒は黙って彼を見つめることしか出来ない。
「……どんな気分?」
「口の中が苦い。だが、お前の一部だと思うと、……悪くはない」
丹恒は己の感情をなるべく正確に伝えようと言葉を探り探り口にする。行為を許容された段階で、丹恒は開き直っていた。いっそこの行為を正当化してやろうとすら思っていた。丹恒は意外に図太いところがある。
穹は腕で顔を覆ったまま、今度は長く深く、ため息を吐く。そして我に返った様子で、小さく「無理……」と呟いた。開き直ってはいるが、それはそれとして、つきりと、わずかに残る良心が痛む。
「絶対初犯じゃないだろ」
「……すまない」
「あー……うそだろ……もう……そこは否定して……」
穹は気だるげに起き上がると、半目で丹恒を睨み付けた。
「悪いと思うなら、二度とするなよ」
「……」
「なんで黙るんだ……。無言(あらて)の犯行予告か?」
穹は投げやりに言うと、手近にあったティッシュで丹恒の口元を拭う。それまで気にする暇も無かったが、精液と唾液で顎はべとべとだった。丹恒はされるがままになりながら、胸の奥がざわめき始めているのを感じていた。
穹の望むことをしたい。穹の言うことは何だって聞いてやりたい。けれど、この行為をもうしない、と断言することはどうしても出来なかった。丹恒のそのよこしまな逡巡が、穹には伝わっていたらしい。
「大体何で寝込みを襲うんだ」
「……」
「だんまりは無しで頼む」
丹恒は穹の顔をじっと見つめる。視線に圧されるように、穹はたじろいだ様子であったが、負けじと丹恒を威圧するようにねめつける。丹恒は口を開いた。
「俺は……穹に触れたいと……要するに、好奇心だ、と……思う……」
「同意もなく」
「それについては、すまないと思っている」
「謝罪じゃなくて、根本的な理由。悪いと思うなら最初からするなって話だし……」
穹はぴしゃりと言い放つ。丹恒がその強い言葉に耐えかねて目をそらすと、両頬を包まれ正面を向かせられる。
「何のために? 好奇心の由来は?」
「……それは……」
――……。
「だんまりはなしって言った!」
穹は厳しく言い放つと、丹恒の両肩をつかみ、勢いを付けてその身体を押し倒した。油断していた丹恒はされるがままに床に倒れ、困惑しながら穹を見上げる。穹はそっと丹恒の顎をつかんだ。
「丹恒」
穹は丹恒を冷たく見下ろした。先ほどまで火照った身体を持て余していたはずなのに、彼はもういつも通りで、息も切らしていないし汗も引いている。丹恒がごくりと唾を飲むと、穹はうっそりと笑う。その笑みには確かな怒りが含まれている。
「俺が寝てる間、いつも何してたわけ?」
丹恒は目をそらす。言葉にするのがはばかられた。穹はそれを許さず、再び両手で丹恒の頬を包んで自分の方を向かせる。
「言って」
「……寝ているお前に……手を……出した……」
声が徐々に小さくなっていくが、穹は容赦なくそれを詰る。
「最低だな。……具体的には?」
「先ほどのように、触れて……擦り上げたり、口に含んだりした……」
「どこを?」
「……」
「悪い子だな、丹恒は……ちゃんと説明することも出来ないんだ」
穹はそう言って、丹恒の服の中に手を差し込む。突然のことに身を固める丹恒をよそに、穹は手で固い腹をそっとなぞると、くっ、と軽くそこを押す。
「それで? その証拠は今ここにあるわけだ?」
あまりにも、な言動だ。けれど丹恒はそれに脳髄が蕩けるような錯覚を覚えた。知らずと潤む目を伏せて、小さく頷く。
「何度も繰り返すほど、美味しかった?」
甘く意地の悪い響きを持った言葉に、丹恒は思わず視線を上げ、熱した吐息を絡めた声で答える。
「……とても、甘美だった」
それを聞いた途端、穹はきゅ、と口を固く引き結び、頬をじわじわと淡く染めていった。怒っている、というのは結局ポーズでしかないことは観察していればすぐにわかった。その恥じらいが可愛くて、あまりの愛しさにこらえきれず、丹恒は切なげに目を細め彼を見つめる。熱情を孕んだ視線を知ってか知らずか、穹は意を決したような表情をして、丹恒に顔を寄せた。
「報復してやる」
唇が重ねられる。丹恒は一瞬見開いておどろいたが、すぐに瞼を閉じて受け入れた。これは、好き合っているものがするべき行為だ。そんなことはわかっていたが、散々彼に対し狼藉を働いていた丹恒にこれを止める権利はない。そう思って、だからきっと。……おそらくは。
触れては離れ、離れては触れを繰り返す。それを幾度も繰り返されるうちに、舌先がそろそろと唇をなぞり始めた。隙間から侵入してきたそれはおそるおそると丹恒の舌を探し当てるとねっとりと絡みつくように愛撫を開始した。
「っん……」
柔らかくぬるぬるとして絡み合う粘膜は、丹恒の意識を酩酊させていく。いつもは小気味よい会話にせわしなく動く穹の舌がぎこちなくも丹恒の口内を蹂躙するたびに、背筋がぞくぞくして、全身の力が抜けていく。技巧は無いが、この触れ合いは丹恒の理性をぐずぐずに犯すには十分すぎるほどだった。
――なんていじらしい報復だろうか。こんな丹精込めた報復ならば、いくらでも受けたいとすら思った。
「ぁ、ふ……っんぅ、ふっ……」
「ん…ぅ…」
互いに不慣れな口づけは、息苦しい。酸欠で頭がくらくらとした。ただ舌をこすり合わせているだけだと言うのに、気が狂いそうになるほど心が気持ち良くなって、丹恒は穹の背に手を回して引き寄せた。かき抱くようにして、その体温を貪る。
穹も丹恒に応えるように口づけを深くする。互いに口内に溜まった唾液を音を立てて啜り、ごくりと飲み下す。まるで与えられた餌を飲み込む小鳥のようだった。
「っは、」
「はぁっ、あ……はぁ、っん……穹……ッ」
唇を離すと、丹恒はどろどろに融けた声を無自覚に漏らしながら、恍惚とした表情で、なお物欲しげに穹を見上げた。穹も頬を上気させて、息苦しそうに肩で息をする。お互いに、酸欠で頭が馬鹿になっている。
穹は唾液で濡れそぼった丹恒の唇を親指で拭うようになぞると、ぼうとした顔で深くその息を丹恒の頬に吐き出す。
気がつけばぽろぽろと、丹恒の目からはたえず涙がこぼれ落ちていた。全くもって原因のわからない涙に丹恒が内心困惑していると、それをどう思ったのか穹は傷ついた顔を隠しもせず、息のかかる距離のまま苦しげに丹恒に囁いた。
「……そんなに嫌なら、もう二度と、好奇心で俺の寝込みを襲ったりしないでくれ……次したら、これよりもっと酷いこと、するからな」
「……」
丹恒は少年のつたない脅しに答えなかった。代わりにその丸い頭を両手でそっと包み込むように撫でた。
「――……っ」
そんな無言の返答に、穹は信じられないとでも言いたげに唇を噛みしめると泣きそうな顔をして、一言かすれた声で罵倒する。
「丹恒のばか」
人の気も知らないで、と。言葉と裏腹な、期待と欲望にまみれた金色の瞳は、これ以上無いほどに丹恒の胸を高鳴らせた。