培養ポッドから生まれた純組織のライとバーボン 成長期編
◎ライ 三歳
培養ポッドから生まれたライくん3歳。自分と同じように培養ポッドの中で人間の姿になり、今から生まれようとしている赤ちゃんをずっと見守っている。赤ちゃんの名前はバーボン。生まれたらすぐに組織の戦闘員として育てられる。ライと同じように。
バーボンはライとは肌の色も違うし、髪もきらきらと輝くような色をしている。ライの対になるようにデザインされたから、だそうだ。
ライには同じ環境で生まれた幼なじみが何人もいたが、どれも失敗作だと思う。言葉が通じなかったり、突然暴れたり、自分で自分の手を切ってケタケタと笑う奴もいた。そんな奴らと彼は違う。きっとバーボンはお利口で、少し難しい文学的表現も通じるだろうし、一緒に殺しの訓練をしたら楽しいだろうな、と思う。
「早く生まれてきて、お話しようよ」
◎バーボン 五歳
バーボンには3歳年上の兄がいる。二人とも親はいないし、兄弟というのは正確じゃない。でもライはいつもバーボンを守ってくれて、様々な世の理を説き、導いてくれる存在だ。彼のお陰でバーボンは5歳にして組織に忠誠を誓うことの馬鹿馬鹿しさを知ったし、ライと二人で生きていく術を身に付けようとしていた。
ライはいつでもバーボンを褒めてくれる。聡明で、戦闘のセンスもあって、それに天使のようにかわいいと。でもバーボンにはライの方が何倍も頭が良くて、まだ幼いのに射撃もできるし、何より緑の目がきれいだと思う。
バーボンには同じようにして生まれた幼なじみが何人もいたけれど、みんな自分で自分のことを刺してしまったり、銃の撃ち合いをして死んでしまった。ライとバーボンはふたりきり、組織に飼われながら大人になる日を待ち焦がれている。
◎ライ 12歳
とある男を待ち伏せて、撃ち殺す。それだけのごく簡単な仕事だった。だがライの銃口がターゲットの額を狙う一瞬のうちに、バーボンがさらわれた。ライは彼に持たせていたGPS発信器を頼りに地下倉庫を探し出し、迷い込んだ子どものふりをして扉が開いた瞬間に視界に入った全ての人間を撃った。倉庫の奥には手足を縛られてスーツケースに入れられそうになっていたバーボンの姿。右の頬が赤く腫れている。
バーボンに手を出したのは誰だ。子供相手に命だけはと懇願する大人たちを見据えながら、ライは手に余るような大きさのリボルバーで一人ずつ額を撃ち抜いていく。バーボンに汚い血が掛かるとかわいそうだから、太い血管を避けてトリガーを引く。
バーボンはライが助けに来たことをとても喜んだ。もうライと離れたくないと硝煙の匂いのする左手に縋ってきたから、ライもバーボンを固く抱きしめた。
◎バーボン 11歳
バーボンは9歳の頃に誘拐されて以来、一人になることを不安がるようになり、眠るときも、入浴時もライと一緒にいたがるようになった。24時間行動を共にしても、二人は息が詰まったり、解放されたいなどと思うことは一度もなかった。
バーボンはたまにライが夜中に目覚めて温度のあるため息をついたり、朝方になってベッドを抜け出してどこかに行くことに気付いてはいたけれど、それはライが大人になるために必要なことだとは理解していた。
そしてバーボンは人一倍の好奇心でもって、いつものように朝方ベッドを出ていったライの跡をつけようとしたが、音を立てないようにドアを開けた瞬間、ライに見つかった。
「こら、まだ暗いだろう?子どもは寝てなさい」
「だって、僕も早く大人になりたいから、ライがしてること真似しようと思って」
バーボンがそう言うと、ライは彼の頭を撫でて、「君はまだ何も知らなくていい。そうだな、君が大人になったら見せてあげてもいいよ」と言った。バーボンにはそれが何なのかひとつも想像できなかったけれど、わくわくしながらその時が来るのを待つことにした。
◎ライ 17歳
ライは相変わらずバーボンと同じベッドで寝ている。近頃はバーボンの身長も手足も伸びて、ひとつのベッドに二人で眠るのは窮屈になってきた。必然的にライがバーボンを抱き込む形で就寝するため、ライはうっかりバーボンに手を出さないよう、夜毎難しい論理問題を頭の中で展開しなければならなかった。
その日のバーボンはいつもと様子が違った。少し熱っぽい身体を震わせて、ライの胸部に顔を埋めて唸っているようだ。
「どうした?バーボン」
身体を擦りながら優しく声を掛けると、バーボンは仔猫みたいな声を出して、「ぼく、なんだかからだがおかしくて」と幼い口調で呟いた。ライは彼の異変の理由をすぐに察したが、バーボンに手ほどきしているうちにうっかり事に及んでしまいそうだったので、何年も培ってきた自制心を総動員してバーボンの背中を撫で続けた。
「朝起きたときには元に戻っているよ」
バーボンは何度もライの名前を呼びながら、いつの間にか眠ってしまった。
ライはため息をついて、明日からどうやってバーボンの無自覚な誘惑と戦うか考えることにした。
◎ライ 18歳 バーボン 15歳
バーボンを売却する。サングラスを掛けた横幅の広い男がライにそう言った。何でも組織のために最新鋭の研究施設を作る必要があるそうで、バーボンの売却益がその資金の大部分に充てられるのだと。
「バーボンはこの話に同意してる。今は買主と金額の交渉をしてるところだ。予想以上の高値で売れそうだぜ」
その場で男の脳天に穴を空けても良かったが、目立つ行動は今後の計画の破綻をもたらす。ライは無言でその場を後にした。
「ええ。知っています」
バーボンは飄々とした口調でそう言った。ライは怒りの矛先をバーボンに向けないように、慎重に理由を訊いた。
「だって、ライはバーボンの子守りが忙しくて女の人と遊ぶこともできないから可哀想だって…」
「誰が言っていた?」
「この前の会合に来てた人。ライは優しいから僕が大人になるまでずっと面倒見てくれるでしょう?でも僕が売られて、買主の元に行けばライは僕の子守りから解放…」
「バーボン」
ライは寂しそうな表情をした彼を抱き締める。バーボンは両手をライの背中に回し、きゅ、と彼のジャケットを握った。
「…ライを、解放してあげなさいって」
「上に言われたのか」
ライはこくりと頷くバーボンの頭を撫でて、それから彼の目を覗き込んだ。
「逃げるぞ」
ライはバーボンの耳元でそう囁く。この組織に将来はない。8歳の頃にそう感じてからライは周到に計画を立てていたのだ。バーボンが18歳になったら二人で組織を抜ける。実行予定より3年ほど早いが、協力者の確保は済んでいる。問題はバーボンだ。彼はまだ15歳。幼い彼がライに依存している状態で、庇護者の言うままに過酷な逃亡生活を選ばせることが本当に彼のために最善なのか、ライにはわからない。それでもこの子を手放すわけにはいかないのだ。
「俺たちはヒトの腹から産まれたわけじゃない。いつまで生きられるかもわからない。それでも、人として俺と一緒に生きてくれないか」
ライはバーボンの左手の薬指にキスをして、彼の愛を請う。
「うん。僕も、ライと一緒に生きたい」
「君は今、組織にとってとんでもなく価値のあるモノだ。奴らはどこまでも追いかけてくるだろう」
不安げに揺れるバーボンの目を見て、ライは微笑む。
「絶対に君を守りきる。俺を信じてくれるか?」
「僕も、一緒に戦う!」
二人は固く両手を繋ぎ合い、密やかに、速やかに計画を立てる。
その日の夜、二人は全身黒ずくめの服を着て、監視役の目の前で海の中に飛び込んで行った。
◎ライ 27歳 バーボン 24歳
「ほら、早く起きて!」
バーボンはシーツを勢いよくめくり、彫刻作品のようなライの肢体を眺める。
「君がキスしてくれたら起きるよ」
「もう。キスしたらまたベッドから出られなくなるでしょ」
ライは頬を膨らませるバーボンの腕を引き、強く抱き締める。
「なあ、バーボン」
「なあに?」
「君のことが好きなんだ。君が生まれる前から、ずっと」
フフ、と笑ったバーボンは「僕が生まれる前からだなんて、リップサービスが過ぎません?」と言った後、ライの期待に応えるようなキスをした。
培養ポッドから生まれた純組織のライとバーボン 逃避行編
ライとバーボンが飛び込んだ海は、幾艘もの船と、幾人ものダイバーによって魚の一匹、海草の一束まで回収された。人間の死体が出なかったことで、組織は裏社会にあの二人を『指名手配』するつもりだ。
ライはまだ15歳のバーボンの手を取り、手配していた偽装漁船で外の国を目指した。少ない食糧を二人で分け、バーボンに大きい方を渡す。すると青灰の目が数度瞬きをした後ライを見上げた。ライはこれから始まる逃亡劇の途中、きっとこの子の美しく艶のある髪が細り、縺れてしまうことを嘆きたくなった。ライの人生は彼が生まれてから始まったのだ。バーボンがいたことで世界に色があることを知り、言葉を紡ぐことを覚え、大切なものを触るときの力加減を学んだ。
「君はまだ成長期だろう?少しでも多く食べて、早く大人になるためだ」
バーボンは味のしない固いパンをかじり、「美味しい」と呟いた。
まずはどこに行こうか。新月の夜、彼らの逃避行が始まる。
何日かして、二人は大きな大陸の端にたどり着いた。人口が多いことは単純に隠れやすいということ。彼らはまず大きな繁華街を目指した。
バーボンは香水の匂いがするブランケットにくるまり、客の相手をし終えたお姉さんたちが休憩する部屋の端でうとうとしている。ライはこの店の用心棒として、店の目立つ場所に一晩中立っているはずだ。
「かわいい顔をしているのね、坊や」
若い、バーボンとそれほど齢が離れていないような女性が彼の頬をつついた。
「やめておきなさい。あの緑の目の男に殺されたくなければ」
彼女に比べれば年嵩の、別の女性が忠告する。すると饅頭を食べていた別の女性が振り向いた。
「え?あの格好いい長髪の男でしょ?貴方彼のオンナなの?」
僕は女じゃない、という意味でふるふると首を振ると、饅頭の彼女は「勿体ない。彼一人なら養ってくれる女はいくらでもいるのに」と肩を落とした。
バーボンはそれを聞いて、早くライに抱きしめてほしくなったけれど、わがままを言ったらきっとライが困ってしまうなと考え直し、黙ったまま目をつむり朝を待つことにした。
露天で買った胡麻団子を手渡すと、バーボンは「僕は弟じゃありません!」と力強く言った。ライはバーボンのことを弟だと思ったことは一度もないし、彼に性的な魅力も感じているから彼の発言は的外れなのだが、それをそのまま口にすることもできずに、もくもくと動く頬を眺めた。
「僕はまだ15だけど、身長も伸びたし、一般的なヒトよりも力が強い」
バーボンは団子を全て口の中に入れ、服の袖を捲ってライに上腕を見せた。ライはその成長過程のまだ細い腕を掴んで擽ってやろうかとも思ったが、それは想像だけで楽しむに留めた。
「仕事はまだ駄目だ」
「何で!」
「身元も証明できない者が働ける場所は多くない。昨日のように如何わしい店や、危険が伴う仕事が大半だ。まだ子どもの君にはできない」
そう言うとバーボンは手を握り込んで俯く。
「僕、ライの足手まといのままじゃ嫌だ!僕もあなたの役に立ちたい!」
真剣な顔をして言うバーボンに、どうすれば大人しく護らせてくれるのか思案しながら、そういう彼となら存外この逃避行も楽しくやれるのかもしれないな、などと思いライは口端をわずかに上げた。
一つの場所に長く留まることはない。世界中の悪者たちがバーボンを狙っているからだ。生きて捕らえたときの懸賞金は日を追う毎に跳ね上がり、バーボンは自分の価値がよくわからなくなっていた。
ライは時にバーボンを変装させ、隠し、死体を偽装した。そのうちにも二人は生活していかなければならない。高給で、しかも1日で金が入る仕事を何日かして、あとは移動。パスポートのない二人は国境を越えるときにかなりの困難を伴う。
今日は国境近くの、砂漠の砂が風に乗って入り込んでくるような廃屋で眠ることになった。
「ライ、寒い」
腕を伸ばすとすぐに黒髪が触れた。ライはあやすように、彼を抱き込んで背中を撫でる。
「僕、今日で16になりました」
「そうか」
おめでとう、バーボン。ライはいつもと同じようにして彼を寝かしつけようとする。バーボンは心外だ、とでも言うように頬を膨らませた。
「僕はもう子どもじゃない。ライ、あなたの手で、僕を大人にしてほしい」
精一杯の背伸びをして、目をつむり唇を突き出すと、押し殺したような笑い声のあと、少し冷たくて柔らかいものがバーボンの唇を掠めた。
「んうっー!はあっ、気持ちいいー!」
人の気も知らないで悩ましい声を出すんじゃない!
砂漠の中、現地で買い叩いた中古の4WDは呆気なく壊れ、今はラクダと共に放浪している。砂漠と言っても数年前までは森林だったようで、ところどころに点在する水場を渡り歩いている状態だ。砂埃と強い日射しで草臥れた髪や肌が、水分を補給して少しはマシになる。
ライの背後ではバーボンが裸で水浴びをしている。ライは強く自我を保って、決して振り返らないようにじっとしている。目の前に繋いでいるラクダの視線が水場の方を向いているのがもう気に入らない。
「あ、トカゲだ!ふふ、かわいい。ライ!見て!大きなトカゲ!」
名前で呼び掛けられて不意に振り返ると、キラキラと光を反射する水面の上に、天使か妖精かと見違えるような彼の姿があった。その姿が眩しくて、眩しくて。ライは突っ立ったまま歯を食いしばって、彼の命が尽きるその瞬間まで、傍にいて全ての厄災からバーボンを遠ざけようと心に誓った。
砂漠を通り抜け、また人の多い街に出ることができた。通りすがりに宝石強盗を取り押さえて店主に引き渡すと、豪華な食事と簡素な寝床を用意してもらうことができた。バーボンは人の良さそうな宝石商と目が合った瞬間に全てを悟り、その上で店の奥にある使用人用のベッドに横になった。今夜はライも疲れていたようで、寝息を立てて眠っている。
真夜中、人の気配。
バーボンは瞬きをして闇に目を慣らし、そろりとベッドを抜け出す。ライはいつもバーボンのことを大切にして、外敵から護り、行く先に導いてくれた。でもこれでは組織にいたときと同じだ。ライをバーボンに束縛して、彼の自由はひとつもない。追っ手から逃げ続ける過酷な生活は、特に矢面に立っているライにはどれほどの負担になっているのだろう。
最初からこうしていればよかった。バーボンは最後にもう一度彼と唇を合わせたかったけれど、そうしたらきっと彼は起きてしまうから。だからバーボンはライの寝顔を目に焼き付けてから、椅子に掛けていたジャケットを手に取り、音を立てないように足を運んでドアノブに手を掛けた。
「右手を下ろせ、バーボン」
ライはそう言って枕元のリボルバーのマズルをドアノブに向ける。バーボンの右手に力が入るのを見ると、ライは躊躇うことなくトリガーを引いた。「うぎゃ」という汚い声が聞こえた後、薄いドアの向こうで人間が崩れ落ちる音がした。
「そのまま、一歩も動くな」
固まったままのバーボンにそう命令して、穴の空いたドアを蹴り開ける。廊下に2人、その向こうにある店舗に3人。敵は銃を向ける時間も与えられずに頭を撃ち抜かれた。
バーボンの存在を密告したのだろう店主はここにはいないらしい。ライは髪を掻き上げて息を吐き、バーボンの元に戻る。
「…ライ?」
16年間も一緒に過ごしてきたのだ。バーボンの考えなど手に取るようにわかる。ライは彼の手首を掴み、そのままベッドに押し倒す。
「わからないなら行動でわからせてやってもいい。信じられないなら君が信じるまで何度でも」
しばらくそうしていると、目の前の青い目が怯えたように揺れる。ライは強く握っていた彼の手首を解放し、ベッドから下りて二人分の荷物を手にした。
「夜が明けるまでに街を出よう。すぐに追っ手が来る」
ライは無言のままバーボンの手を引いて、足早に街を後にする。バーボンはこの国の女性がそうするように、大きなスカーフを頭から被って首に巻きつけていた。ライは怒っているわけじゃない。僕の安全を考え、これからどこへ逃げるか考えているのだ。バーボンは叫びたくなった。諦めたくない。いつか、安住の地で二人で笑って過ごしたい。なのにこんなにも不安で、恐ろしい。
バーボンの不安を察したのか、彼は握った手に力を入れた。それから街の外れにある小さな礼拝堂に導いた。夜明けが近いのだろう。白み始めた空の光が、幾何学模様のステンドグラスを通して建物に差し込む。
「人間が人間を『造る』世界に、神の存在意義などあるのだろうか」
ライはドーム型になっている天井を見上げる。それからバーボンの手を引いて、自分の腕の中に抱き込んだ。
「俺が信仰するとすれば、それは君だ。君を生かし、安寧をもたらしたい。俺の隣でいつまでも笑っていてほしい」
「ライ」
「約束してくれ。絶対に離れないと」
バーボンはこれが二人にとって特別な意味のある儀式なのだと理解した。だから声に出して誓う。
「絶対に、あなたから離れない」
商店が並ぶ通りにあった土産物屋。豪奢な刺繍の施された民族衣装、細かい意匠の絨毯、アクセサリーやパイプが並べられている。ライは店主に目配せすると、店の奥に不遠慮に入っていく。今にも崩れ落ちそうな階段を下りると、そこにはステンレス製の棚と、その上にはあらゆる武器が整然と並んでいた。ハンドガン、スナイパーライフル、マシンガン、手榴弾。ロケットランチャーやバズーカまで揃っている。
「さて、バーボン?」
ライはよく他人から『ナメている』だとか『蔑んでいる』と言われる軽薄な表情を浮かべてバーボンを見る。バーボンはそれに応えて好奇心に冒された猫のような表情になった。
「先ずは密輸だ。これを全部、俺たちの生まれたあの国に持ち込む。バーボン、君が計画を立ててくれ」
バーボンはコクコクと頷き、目の前の銃器を眺める。
「これ、あなたが集めさせたの?」
「組織にいた頃から少しずつ、な」
組織のやり方に嫌気が差していた。だがバーボンを売ろうとするなんて馬鹿なことを考えなければ放っておいてもよかったのだ。
ライは彼を抱き上げ、口端を上げる。
「奴等を殲滅しよう」
培養ポッドから生まれた純組織のライとバーボン 壊滅編
この国でも有数の大きな港湾。夜中に突如発生した大規模なシステム障害のため、荷役の積み降ろしや検査が一時停止する事態となった。処理に追われる港湾職員の傍を、1台の大型トラックが行き過ぎる。
車内ではバーボンが助手席から窓の外を見ているが、ガラスに反射するその表情はどこか不安げだ。
「僕、今でも少し後悔しています。自分一人じゃ何もできないのに、あなたを焚き付けるようにして組織から逃げ出した。追われて、追われて、それでもあなたの手を取って。僕は、いつか報いを受ける」
因果応報。知ってる?バーボンは呟く。
もしも因果に報復されるなら、それは俺の方だろうとライは思う。守ってやると言いながら、その実、頼れるのは俺しかいないとまだ幼い心に植え付けて、決して離れないように誘導する。 情操が未発達なのかもしれない。執着ばかりが先立って、彼の平穏で幸せと感じる生活の中に自分が組み込まれないことが許せない。
「このミッションが終わったら、二人で暮らす家を借りよう」
外を眺めていたバーボンが振り返ってライの目を見る。真剣な顔をしていた彼は次の瞬間にはクスリと笑った。
「何だか不吉な伏線みたい」
「回収されないフラグだ」
目を合わせて笑う。さて、全ての憂いを晴らしに行こう。
下調べは入念に。行動は大胆に。
二人はまず自分たちが生まれた場所。『人間を造る』ための組織の研究所を訪れた。今は稼働していないその研究所は、それでも今までの実験データや研究の成果が書籍として、またはサーバーに大量に収められてそこにあった。
「全部、燃やすの?」
「ああ」
バーボンはデスクの上に乱雑に置かれていた研究成果を示したレポートを手に取った。人間と同じ細胞から造られた僕たちは、それでも人間とは違う生き物だ。きっともう、この世界にはたった二人しかいない人間の亜種。
そもそもこの場所を破壊しようと提案したのはバーボンだ。
「僕にはライがいるけれど、もし新しく造られた個体が独りぼっちじゃあ、きっと孤独で苦しいだろうから」
俯いてそう言うのにライが同意した。 時限式の発火装置を数ヵ所に置いて現場を離れる。
二人は何も言わず、ただ力を込めてお互いの手を握る。生まれた場所を失くした彼らは振り返ることもなくその場を後にした。
正面突破は愚行だ。混乱に陥れよう。
研究所が全焼したという情報が組織で一番力のある人間に届いた頃、ライとバーボンはビルの屋上にいた。
「風向変わらず、風速2メートルへ」
構えたスナイパーライフルから発射される弾丸は、1000メートル以上離れた場所にいた組織の構成員を次々に仕留めていく。
血を噴いて倒れた人物の様子を見に来た構成員、それを見に来た構成員。 とにかくボスに行き着く前に全体の戦闘力を削がねばならない。
「風向が変わる」
双眼鏡片手に小さなラップトップの画面を覗き込み、バーボンは必要な情報をライに伝える。
警戒しているのだろう。建物の影にいるのは幹部級だ。発射角度を変え、僅かな隙間を狙う。
「ライ」
いつの間にか大人の声になった、その甘い音に乗せて撃つ。
「バーボン」
オールクリア。決して外さない射手は、彼が信仰する神の名を呼び、その眉間に感謝を表すキスをした。ほう、と息をついたバーボンは熱に浮かされたような表情でライを見る。
「興奮したか?…でも、まだ。もう少しの我慢だ」
さっきまでトリガーを弾いていた左手の人差し指は、優しい仕草でバーボンの目の下を撫でる。目を細め、期待に震える彼の頬を見ていた。
作戦変更は命取りになる。
サブマシンガン、マシンピストル、手榴弾。予備のマガジンは腰に巻くタイプのホルダーに取り付ける。 馬鹿みたいな量の銃弾はテープでひとまとめにして背中に縛りつける。武器を積んだトラックの中で、ライは忙しなく手を動かす。
二人で何度もシミュレーションをした。考えて、考えて、それでも最終的にはこれしか勝てる見込みがないと判断した。
――バーボンを囮にする。
ライとバーボンが抜けて、特にバーボンという莫大な金になる予定だった個体を逃がしてしまい、その後弱体化し始めた組織。だが飛び抜けた戦闘力と洞察力を持った幹部は未だボスに忠誠を誓っている。
バーボンは金になる。組織は彼を傷つけたり、ましてや殺したりはできないのだ。バーボンを捕らえようとそっちを向いた瞬間に、全てを終わらせる。
バーボンが持つのは螺鈿の細かい装飾がなされた短刀だけ。
「怖いか?」
「怖くない」
長い髪が銃器のストラップに絡んでいる。バーボンは彼の黒髪を掬って、そこに慈しむようなキスをした。
「僕が髪を結んであげます」
僕のタイミングで。
組織の中で一番力を持った人間。それの前に立ったバーボンは、自らの首に短刀を当て続けている。少し動くだけで刃先が彼の皮膚を裂いて、そこから血が滲み出る。
真っ直ぐに前を見つめる少年を、クリスタル製のシャンデリアが見下ろしていた。
ライは天井裏で銃器を梁に固定し、ひたすらに伸びた銃弾ベルトを確認する。だいたい1000発、1秒間で終わらせる。
開始の合図はバーボンが。
言葉を交わし、相手が最大限油断したところで彼は踊るように刀を閃かせる。
合図と同時に雨のように銃弾を降らせたまま、ライは天井から飛び降りる。粉塵が舞う中、崩れる壁からバーボンを守らなければ。
マシンガンが建物を破壊する中、単発の銃声。
ふわりと舞う長い黒髪が目立って何者かの的になっている。どこから狙われているのかわからない。
「チッ」
「ライ!動くな!」
突如視界の端に現れる螺鈿の意匠。美しい刀紋が彼の長い髪を両断した。
「崩れる…」
煙に巻かれて視界が利かない中、ライは短刀が飛んで来た方向に向かって走る。体当たりしてそれを抱き抱え、弾丸で割れた窓から外に飛び出した。
人間のようでそうでない、強化された亜種。普通なら決して助からない高さも、世界で二人だけは耐えられる。 崩壊する建物に潰されないように、ライはバーボンの手を取ってその場を離れた。
「僕、あなたの長い髪好きです」
「髪だけ?」
バーボンが視線を上げると、肩の位置よりも短くなった髪が粉塵と風に乱されてぐちゃぐちゃになっている。よく見れば顔も白く汚れていて、頬と唇には切り傷。
「ふ…あはは」
「君もあちこち汚れてるぞ」
バーボンは口を開けて笑い、目尻を擦る。潤んだ目から涙が一筋溢れて。そうすると堰を切ったようにそれが止まらなくなった。
「うん。ぼく、」
そう言って子どものように泣きじゃくるバーボンの頭を、大きな手が撫でる。
もう、逃げたり隠れたりする必要はなくなった。この子が思い悩み、辛い思いをする必要もない。
「また、伸ばしてくれる?」
「君の望むままに」
ぐすぐすと鼻を鳴らして抱きついてくる彼の姿に、ライは懐かしいことを思い出した。
まだ二人とも子どもだった頃、誘拐されたバーボンを取り返しに行ったとき。彼は大人たちの死骸に囲まれて「もう放さないで」と抱きついてきた。
本当は不安や悲しみ、辛いことを一度も経験させたくなかった。ただ笑っていて欲しかっただけなのに、ここにたどり着くまでに随分と時間がかかった。
でも、もう何も憂えることはない。二人はヒトと同じように生き、ヒトと同じように愛し合う。そしてその時がくれば共に死ぬ。
ただきっと、それだけ。