明治 43年 多摩川大洪水(蒲田・大森の低地水浸し)
昭和 4年 10月 東京府荏原郡調布村が町制施行で東調布町になる
昭和 7年 10月 東京市に編入、町名は大森区調布嶺町二丁目となる
昭和 9年 4月 東京中学校(現東京高等学校)千代田区から移転開校
〃 9月12日 町会創立総会にて「嶺和会」として町会設立
〃 9月 「嶺和会」を「嶺町二丁目町会」と改称して「町会整備完了届」を提出
昭和 16年 11月 大森嶺郵便局(現・大田鵜の木郵便局)開局
〃 11月 「第1回町内運動会」開催。33年まで11年間継続
昭和 18年 6月 「嶺町二丁目町会」は東西に分割「嶺町二丁目東町会」として再発足
昭和 22年 4月 「東嶺会」として町会事務引き継ぎ
〃 7月 ポツダム宣言により政令をもって「東嶺会」解散
〃 8月 文化団体「多摩文化会(親睦会・多摩川クラブを改称)」
〃 11月 「第1回旧・二丁目東町会、西町会合同運動会」開催
昭和 24年 8月 キティ台風により町内西南部被災
昭和 26年 2月 「多摩文化会ニュース第1号」発行(現「町会報」)
昭和 30年 11月 多摩堤通りバス開通(当時は渋谷~大森間)
昭和 37年 4月 町会名を「多摩文化会」から「嶺町二丁目東町会」と改称
昭和 39年 10月 東京オリンピック(前夜祭に婦人部が民舞に参加)
昭和 43年 12月 「第1回子ども餅つき大会」開催・現在まで継続
昭和 44年 10月 「多摩老人クラブ(55年に多摩クラブと改称)」発足
昭和 46年 8月 住居表示が嶺町二丁目から鵜の木二丁目となる
昭和 49年 4月 町会名を「嶺町二丁目東町会」から「鵜の木二丁目町会」と改称
昭和 57年 12月 「鵜の木二丁目町会市民消火隊」誕生
昭和 58年 8月 現「鵜の木二丁目町会会館」落成
昭和 61年 町会有志により結成された「鵜の木ふれあい太鼓連」が
平成 元年 7月 鵜の木商店連合会主催・「第1回全国鵜の木まつり」開催
平成 29年 12月1日 町会が「地縁団体法人」としての認可取得
平成 30年 11月 町会掲示板19カ所10数年ぶりに補修
令和 元年 7月 町会報800号がリニューアルされて発行
令和 2年 4月29日 ウイルス感染予防のため定期総会が初めて書面表決