自然と歴史のコース
自然と歴史のコース
鵜の木の街並み 、自然、歴史ある寺院等を堪能するコース。
西向庚申塔の近くでは鯉が池で泳いでおり、少し進めば、六郷用水の復元水路や豊かな自然に癒されます。
松山公園では鵜の木の街並み を見下ろし、その後は増明院、光明寺と歴史を感じられる寺院を巡ります。
鵜の木松山公園
クロマツ、アカマツが多く植えられています。
見晴らしの良い丘の上にあり、豊かな自然と鵜の木の街の眺望を楽しむことができます。
また「横穴墓」と呼ばれる古墳時代から奈良時代にかけての有力者とその家族のお墓が7基発見され(鵜の木一丁目横穴墓群)、このうちの1基が保存公開されています。
鵜の木一丁目横穴墓群
「横穴墓」とは、古墳時代と呼ばれた6世紀末から、奈良時代に入った8世紀前半にかけて、当時の有力者を埋葬した墓が多く建造されており、遺跡の一種です。
増明院
真言宗智山派の寺院です。
寺伝では、寛永2年(1625)長誉阿闍梨が高野山から下向し、青山因幡守の信頼を得て開創したとされています。
境内には享保12年(1727)建立の供養塔があり、当寺中興の際、境内域から仏具が出土したことなどが記されています。
光明寺
阿弥陀三尊像を本尊とする浄土宗寺院です。
行基開創、空海再興と伝わる真言宗寺院でしたが 、寛喜年間( 1229~1232) に浄土宗に改宗し、関東弘通念仏最初の道場となりました。
境内の梵鐘は享保 2年(1717 )鋳造で、区内では稀少な江戸時代に造られたものです。
六郷用水 嶺の切通し(女堀)
徳川家康の命により、小泉次大夫が計画した六郷用水の開削工事の中で 最難所と言われました。
名前の由来は、高低差がある地盤を掘り下げる必要があったため、女性が作業に加わったという説や、小泉次大夫の夢に木花咲耶姫が出てきたという説などがあります。
現地には「六郷用水の由来」などの看板が立っています。
嶺の四庚申
旧嶺村との境 に建てられた庚申供養塔。
村に悪疫が入らないようにという思いが込められ、「四方除けの庚申」とも呼ばれています。
(注釈)
南向き(東嶺町42-1)は、マップ外にあります。