「ヤバイ……」
俺は今、猛烈に焦っていた。
左を見る。高級そうなカーペットが敷かれた廊下、そして落ち着いた深みのある色の扉が壁に整然と並んでいる。
右を見る。高級そうなカーペットが敷かれた廊下、そして落ち着いた深みのある色の扉が壁に整然と並んでいる。
自分がどこへ行こうとしているのかは分かる。しかし、自分がどこから来たのか、ここはどこなのかは全く分からない。
つまり、端的に今の状況を表すならば。
「道に迷った……」
黒服にトイレの場所を教えてもらい、そこで用を済ませたところまではよかった。しかし、どうやら、トイレに出る際に、うっかり来た時とは逆方向に廊下を進んでしまったらしい。何かおかしいと思って立ち止まった時には、もう後の祭り。俺は完全に水無瀬邸で迷子になってしまっていた。
「水無瀬ん家広すぎだろ……」
階段などで上り下りはしていないので、一階にいることは確かだ。しかし、それ以外の情報が無い。進んでも進んでも同じような景色ばかりで、窓の外は明かりが届かないので暗く、高い塀があるせいで遠くの景色を目印にすることもできない。
腕時計を見ると、解散から既に十五分が過ぎていた。きっと今頃、五十嵐たち三人は外で俺が合流してくるのを待っているだろう。
これ以上俺を待ってもらうのはとても悪い気がする。寒いだろう、というのももちろんだが、もう夜も遅いし、五十嵐以外は早く家に帰って学年末考査の勉強もしたいだろう。先に帰ってもらった方がいいと思う。
俺はスマホを取り出すと、もっちー宛にLIMEでメッセージを送る。
とりあえず、先に帰っていいこと、アリスに、五十嵐を家まで送ってもらうように頼むこと……これらを打ち込んで、送信ボタンを押す。
……その前に、水無瀬邸で迷子になったので、黒服の人に捜索してもらうように頼んでもらう、ことも追加しておく。この年で迷子になって探してもらうよう頼むなんて恥ずかしいが、仕方あるまい。背に腹は代えられないのだ。
「あ」
送信した途端、画面が暗転する。充電切れだ。寒さで予想以上にスマホの充電残量が減っていたようだ。くそぅ、ちゃんと家で満充電しておくべきだった……。
俺はスマホをしまうと、これからどのように行動すべきか思案する。
まずは優先順位を考えよう。まず第一に建物から脱出すること、そして第二に人を見つけること、第三にトイレに戻ること。これが俺が今やるべきことだ。
俺は壁に左手をついて進み始める。迷路必勝法の一つである、左手法だ。最早ここは邸宅などではなく、迷路だ。絶対にゴールに辿り着いて脱出せねば。
「……お」
周りに注意しながらしばらく歩いていると、目の前に一つだけ開きっぱなしのドアが現れた。周りは全て閉まっているのに、それだけが何故か開いている。不気味さを感じると同時に、人がいるのかもしれない、と淡い期待がこみあげる。
「……失礼しまーす」
小声で断って、中を覗いてみる。足を一歩踏み入れると、突然暗かった部屋の照明がつき、びっくりして心臓が跳ねる。ビビった……。ハイテクだなぁ……。
部屋の中には誰もいなかった。見回してみると、ベッドに机、本棚、バッグ……。どうやら誰かの私室のようだった。無断で入って悪いとは思いながらも、何か有益な情報、例えば現在地を示す地図、みたいなものが無いか観察する。
と、俺の目に、机の上に広げられている一冊のノートが目に留まった。どうやらそのページを頻繁に開いているらしく、綺麗に開ききっている。
ページにはぎっしりと文字が書かれているらしく、遠くから見ると真っ黒だった。
普通ノートにここまで書くことがあるだろうか? いったい何が書かれているのだろう? 好奇心がとまらない。
ほんのちょっとだけ。俺はそう言い訳をして、そっとノートを覗き込んだ。
「……十二月二十五日、一回目。午後六時二十四分、雨宮慧、死亡」