スタートを知らせる号砲が寒い空気の中響き渡り、六百五十人ほどの人間が一斉に走り始める。俺は、その波に押されるようにして原っぱを駆け抜け、舗装された道へ入って行く。
とりあえず、俺は周りとほぼ同じペースで靴の裏を道路に打ち付けていく。まだ序盤、人が多すぎてまともに走れず、スピードは遅い方だ。全然キツくない。隣を見ると、五十嵐がぴったりついてきていた。
「ねえ慧、こんなに遅くて大丈夫なの?」
「前が詰まっているんだ。もうすぐ道幅が広くなるはずだから、一気に流れるぞ」
そんな会話のさなか、俺たちは陸橋を渡って左に曲がる。すると、道路が広くなり、さっきまでごちゃごちゃしていた集団がばらけ始めた。
何人かがペースを上げて、前の方へと走り去っていった。今も、俺の横を生徒がスッと駆け抜けていく。
自然と俺たちのペースも上がる。そして、朝のジョギングくらいのペースになったところで、俺は脚の回転を速くするのを止めた。
それを感じたのか、五十嵐が俺に尋ねてくる。
「……わたしはペースを上げるけど、慧はどうする?」
「そうだな……」
今はこんな風に走りながら話しても息が切れないくらいには余裕だ。だが、八キロ半の道のりは長い。終盤になると、こんな風に話していたのが嘘だと思えるくらいとても辛くなる。無理にペースを上げて体力を消費するより、このペースを保った方が俺にとっては得なんじゃないか……?
「俺は……このままのペースで行くよ。順位もそんなに悪くならないだろうし」
「そっか。じゃあ、わたしだけで先に行くね」
「おう」
そう言うと、五十嵐は俺の前に出て、さらにペースを上げて先へ進んでいった。流石は天使、身体能力の高さが窺える。このペースで走れるんだったら、最初からもっちーみたいに前の方にいた方がよかったんじゃ……。
いずれにせよ、俺は自分の走りを淡々と行うのみだ。
俺は、ただ同じペースで前に進むことだけを考えるのだった。
☆★☆★☆
「はぁ……はぁ……!」
息を切らしながら、俺はスポーツタイマーの横を最後の力を振り絞って駆け抜け、ゴールラインを越えた。
「お疲れ様で~す」
「はぁ……はぁ……どうも」
そして、タイマーのすぐ後ろで待ち構えていた堀河先生から順位が書かれた番号札を受け取ると、そのまま真っすぐ臨時に設置されている長机に向かう。
「一年C組三番、雨宮慧です……。記録は……四十二分ジャストです……」
目の前の名簿の俺の所に、見学の生徒が記録を書くのを見届けて、俺は番号札を手渡してその場を離れた。
なんとか、八キロ半を完走できた。タイムは四十二分。時速にすると十二キロちょっと。自分的にはまあまあの速さだ。
順位が書かれた札の番号は百五十四番。この札は男女別に手渡されている。このマラソン大会に参加している生徒の数はだいたい六百四十人、男女比がちょうど半々だと仮定すると、男子の人数は三百二十人。この順位は真ん中よりもちょっとだけ上だ。帰宅部にしては奮闘したのではないだろうか。
既に、原っぱにはかなりの数の生徒が集まっている。皆、俺よりも先にゴールした人たちだ。俺はそれを見つめながら整理体操をし、生徒の少ない原っぱの一角に腰を下ろす。
「マジで疲れた……」
まず日常生活ではこんなに長い距離を走ることはない。心地よい疲労感、と表現することは到底できそうにない、どさりと圧し掛かってくる疲労感が身体を襲う。それに、ずっと舗装された地面を走ってきたから、とにかく足の裏が痛い。攣りそう。
俺は足を延ばして、攣りそうなのが収まってきたところで仰向けに寝っ転がった。視界いっぱいに冬の空の綺麗な青が映る。
……なんだか急に眠くなってきた。まだ午前中なのだが。今日も早起きして、しかもこんなに激しい運動をしたから、身体が疲れてしまったのだろうか……。
俺は睡魔に抗う気力もなく、そのまま吸い込まれるようにして意識を失った。