「姉ちゃんって、バイトしたことあったっけ?」
夕食の時間。姉ちゃんと、俺と五十嵐の三人で食卓を囲む。
「あるわよ……もしかして、バイトしたいの、慧?」
「うん。五十嵐と一緒にバイトしようかなーって」
「あー、そうなのね……」
そう言うと、姉ちゃんは微妙な顔をする。
どうしたんだ? てっきり姉ちゃんのことだから、『バイトは絶対やるべきよ!』と強気で推してくるかと思ったのだが。何かあったのだろうか?
「慧、それにひかりちゃん」
「ん?」
「どうかしましたか?」
すると、姉ちゃんは珍しく、真剣な声色で俺たちに呼びかける。
「あのね……バイトはね、あまり悪いことは言いたくないけど……これは私の友達の友達の話なんだけど」
随分と遠い関係性だな。この辺で起こった出来事なのだろうか?
「その子は、女子で、とある飲食店のチェーン店でバイトをしていたんだけどね。なんとセクハラにあったの」
「ええ……」
五十嵐は『セクハラ』というワードを聞いて、嫌な顔をする。
バイトにセクハラなんてするのか……。そのチェーン店はかなり労働環境が悪かったのだろう。
「厳密にはセクハラまがいのことなんだけどね……。なんでも勤務中に、同じアルバイトの男にわざとぶつかられたり、偶然を装ってお尻を触られたりしたんだって」
「うわ……」
「そんな店が今時あるのかよ……」
「それがあるのよ。ホント、最悪だわ」
姉ちゃんはググっと拳を握り締める。
「……それで、その女子はどうしたの?」
「えーっとね、男が次にセクハラしてきたときに耐えられなくなって殴って、そのままバイトを辞めたわ」
「そりゃまた豪快だな」
コレ、もしかして姉ちゃんの体験談じゃないか? 友達の友達って、姉ちゃんの友達から見たら姉ちゃんは友達だし。バイト先でキレて殴るなんて姉ちゃんくらいしかしそうにないし、姉ちゃんならしかねない。
それだとしたら、姉ちゃんはいつバイトをしていたんだろう……?
「だから、バイトをするなとは言わないから、バイト先を選ぶときは充分に気をつけてね……ひかりちゃん」
「は、はい」
「それと慧、同じバイト先ならひかりちゃんを守ってあげなきゃだめだからね!」
「お、おう」
しばらく、食卓の上が静寂に包まれる。
そして、向かい側に座っている五十嵐がポツリと。
「慧、わたしやっぱりバイトするのはやめようかな……」
「心変わりするの速いな!」
まだ決心してから二十四時間も経っていないぞ⁉
「バイトは人によるからね……じっくり考えた方がいいわよ」
「はい……」
「そういえば、どうしてひかりちゃんはバイトをしようと思ったの?」
「えっと、わたしの部屋の中に勉強机が無くて……それを買うお金が欲しくて」
「そうだったのね。でも、それだったら、物置に使っていない机があるから言ってくれれば出すわよ」
「机あるのかよ!」
てっきり無いものだと思ってた!
ということは、机の問題が解決するから、バイトをする動機は失われる……のか?
「どうするひかりちゃん?」
「あ……じゃあ、お願いします」
ということで、バイトの話は一旦保留になったのだった。