人間という生物は、『寝ろ』と言われてすぐに寝られる生物ではない。寝ようと思って布団に入った後でも、個人差はあるが少しの時間は目覚めている。某の●太君は例外だが。
つまり何が言いたいかと言うと、俺もその例外ではなく、すぐに眠れないということだ。五十嵐に遠回しに『寝ろ』と言われても、俺はすぐに眠れるわけもなく、ちょっとの間は布団を被ったまま起きているのだ。それに、さっき貼り換えたばかりの冷却シートが冷たくて、余計目が覚めている。
あー、早く寝ないとー……。俺は頭まで布団の中に隠れる。
そのまま静かにしていると、俺の耳に小さくくぐもった声が届いた。
「……めです……」
「……ん……?」
布団を通しているためあまりはっきり聞こえないが、どうやら俺の部屋の外の廊下で、姉ちゃんと五十嵐が何やら話をしているらしい。
どうせ寝れそうにもないし、ちょっと気になるから聞いてみるか。
俺は被っていた布団から頭だけを出す。たぶん、客観的に見たら今の俺の格好は亀のようになっていることだろう。
布団から出たことで、会話の内容がよりはっきり聞き取れるようになった。ドアのかなり近くで話をしているらしく、その内容が聞こえてくる。
「ダメですよ、慧は今インフルエンザだから」
「いいじゃ、ないの~」
姉ちゃん、ネタが古い……。しかもソレ、五十嵐には通じないぞ……。
「とにかく、マスク無しで入ったら、インフルエンザが舞さんにもうつってしまいますよ!」
「え~……でも、きっとお腹が空いているだろうから、これだけでも差し入れしてあげなきゃ……」
今の話の内容から推測するに、どうやら姉ちゃんが俺に夕食を持ってきて入室しようとしているが、五十嵐が姉ちゃんのマスク未着用を理由に入室を制止している、という状況らしい。そういえばもう夕食時か……。
うわ、意識したらなんだか急にお腹が空いてきたぞ……。
「じゃあ、わたしが持っていきます!」
「どう? でもひかりちゃんもインフルエンザに罹っちゃうわよ?」
「わたしはマスクを持っているので大丈夫です! それに慧はわたしが責任を持って看病するので!」
多分、五十嵐は勢いで言ったのだろう。だが、姉ちゃんはそこを聞き逃さない。
きっと扉の向こうでニヤニヤした表情でもしながら、姉ちゃんはこう言った。
「ひかりちゃん、まるでお嫁さんみたいだね」
「えぇ⁉ ……ん、そ、そうかもしれません、ね~」
五十嵐は驚いた声をあげ、そして恥ずかしそうに同意した。同意しちゃうのかよ!
俺は耳が熱くなるのが自分でも分かって、思わず布団の中に引っ込む。
「それじゃあ、よろしくね」
姉ちゃんは、トントントンと足音を響かせて階下へ遠ざかっていった。
しばらく五十嵐はドアの外で無言でいたようだが、やがて俺の所へ夕食を届けるという使命を思い出したのか、ガチャリとドアノブに手を掛ける音がした。
……この後、五十嵐が俺のこの姿を見てどう思うのか、想像することは難くなかった。