ジェラルド先生のテスト開始の合図の直後、俺は身体強化魔法を発動し、瞬時にキャサリン先輩に迫る。
こういうのは先手必勝! 相手が行動を起こす前に、バッジを取ってしまえばそれで終了だ! 時間も限られているし、突ける隙は全て突いていかなくては。
どうやら、先輩は反応できていないようだ。魔力視で視ても、魔法を発動する様子はない。この調子なら、もしかしたらこのテストはすぐに終わるかもな……!
だが、あと少しで先輩の胸元に手が届くというところで、俺を凄まじい衝撃が襲った。
ドオオオオン! という盛大な爆発音と共に、俺はまるで大きな拳に殴られたかのように跳ね飛ばされる。
「こ……はぁっ……」
足が地面からふわりと浮いて、体中がミシミシと軋む。
そして、なすすべもなく俺は練習場の壁に叩きつけられた。
幸いにも、練習場の壁はある程度柔らかい材質でできているようで、想定していたほどのダメージはなかった。しかし、あまりの衝撃に呼吸が一瞬できなくなる。
これ、身体強化魔法を発動していなかったら、間違いなく大怪我してたぞ……。
いったい何が起こったんだ……? 俺の真横で、爆発……?
でも、それはあり得ない。だって、先輩は俺が爆発に巻き込まれる瞬間まで、魔法を発動させる素振りすら見せなかったのだから。
どんな人でも、あれだけの事象を起こす魔法を発動するときは、必ず魔力の流れが現れるはずだ。しかし、俺にはそれが全く見えなかった。
テストの性質上、あの爆発が魔法以外に由来するとも考えられない。でも、どこから魔法が発射されたのか、俺にはわからなかった。
すると、先輩が俺に声をかけてきた。
「……開始早々突っ込んでくるなんて、あんた、バカ? もっと周りを見なさいよ」
「うっ……」
ぐうの音も出ない。こうして見えていないところから攻撃されているのだから。
もしかしたら、先輩に隙があるように見えたのは、あえて先輩が隙を見せたから、なのかもしれない。
「それに、あたしはまだ、一歩も動いてないわよ。まずは、あたしを動かして見なさい」
めっちゃ煽ってくるじゃん!
バッジを取るだけなら、先輩を必ずしも動かさなくてもいいわけだが、ここまで言われた以上、やらないのは俺のプライドが許さない!
上等だ、やってやるよ!
俺は立ち上がると、今度は左右を絶え間なく見て警戒しながら、再び先輩に向かって走り出す。
だが、またしても俺の意識の外から爆発が襲いかかった。
「ぅあぁっ!」
今度は背後からだ。俺は前に吹っ飛ばされ、ゴロゴロと地面を転がり、壁にぶつかって止まる。
マジでいったいなんなんだよ……。さっきから俺を襲う謎の爆発。魔法によるものなのは間違いないだろうが、その発生原理が全くわからない。
これをどうにかしない限り、バッジを取ることも、先輩を動かすこともできないだろう。
「『フロート』!」
俺は起き上がると、浮遊魔法を発動する。そして、かなりの高さまで上昇すると、先輩を見下ろす。
さっきまでは、ある程度の距離まで先輩に近づいたら爆発が起こった。もし先輩からの距離が爆発魔法の発動条件なのであれば、十分距離を取った状態でそれが発動することはあるまい。
問題は、先輩がそれをどんな手段で発動しているのか、ということだ。
さっきの二回の攻撃でも、先輩は全く魔法を発動する素振りを見せなかった。それなのに、魔法は発動した。
あらかじめ、魔法陣をどこかに配置していた、ってことか? 実際、フリードリヒがシャルたちの結婚式で使用した、遠隔スイッチ型の魔法陣というものは存在する。
だけど、それは戦いに用いるにはあまりにも不便だ。魔法陣の性質上、特定の相手を捕捉し続けることは困難だから、特定の位置まで相手を誘導するか、偶然相手がいい感じの方向から突っ込んでくるのを待たなければならない。
いずれにせよ、かなり限定された条件下でしか効果が発揮できないだろう。
それとも、魔法の発動を遅延させるような魔法、あるいは技術を用いているのか。だが、それも可能性は低いだろう。さっきからずっと俺は魔力視で先輩を視ているが、魔力は全く視えない。それに、戦闘開始前にそういう仕掛けをするのはさすがに卑怯だし不公平だ。
うーん……やっぱり、どうも先輩が魔法を発動しているようには思えないんだよな。
このフィールドに俺と先輩以外のもう一人の人間がいて、その人間は俺に見えないように立ち回りながら、適当なタイミングで俺に爆発魔法を発動している、と考えた方がよっぽど合理的だ。
そんな思考に至った時、不意に頭の中に何かが降りてきた。
……待てよ。もしかしたら。
「何ボーっとしてるのよ! やる気無くしたの? 油断しているとまた爆発に巻き込まれるわよー」
そんな先輩の声が飛んできた次の瞬間、背後で盛大な爆発。
『あ、危なかったっスね〜』
しかし、俺は間一髪でエルに空気の壁……『ウィンドウォール』を形成してもらっていた。
そのため、多少飛ばされたくらいで、さっきほどのダメージは喰らわなかった。
そして、この爆発の直前、俺の頭にはある仮説が思い浮かんでいた。
それを確かめるべく、俺は素早く反転して爆発した空間の周辺を魔力視で見る。
そこには空気以外何もない。さっきまでの俺なら、そう思っていただろうが……。
「やっぱり」
俺の目には、人型の魔力の塊がはっきりと映っていた。
このフィールドには、俺と先輩以外のもう一人の人間がいる。実際に俺の考えは、合理的どころか、ほぼ正解だったのだ。
ただし、それが人間ではない、という点は仮説と異なっていたが。
一度辿り着いてしまえば、どうして思い至らなかったのか、不思議にさえ思えてくる。こんなに身近に見本がいるというのに。
「気づいたようね」
先輩はふんぞり返りながら、ニヤッと笑っていた。
「確かあんた、精霊と契約しているのよね。上級精霊六体、だっけ? それは素直にすごいと思うわ」
だけどね、と先輩は言葉を続ける。
「精霊と契約しているのが、あんただけとは思わないことよ」
すると、先輩とは反対方向の空中に、精霊が姿を現した。
真っ赤な全身の輪郭が炎のように揺らいでいる。かろうじて人のように見えるそれからは、表情は読みれなかった。
「火せいれい……?」
「そう。火の王級精霊の『ガーネ』よ」
王級精霊……⁉︎ そういえば、エルが前に言っていた気がするな。上級精霊よりも上位の存在に王級がいるって。
上級精霊は、あくまで俺から魔力を提供して魔法を発動するが、王級精霊ともなると、自分自身の魔力で魔法を使えるのだろう。それならば、先輩ばかりに注目していた俺の魔力視にもひっからなかった理由も説明できる。
『ひえっ……王級精霊……』
いつもは元気いっぱいのルビが、同系統の上位存在に萎縮している。
やはりそれだけ強大な存在なのだろう。
それにしても、正体がわかったところで、厄介なことには変わりない。
実質一対二じゃねーか! こちらの圧倒的不利だ。
対症療法的だが、とりあえず爆発魔法の対策として、エルに、俺の体の周りに『エアウォール』を発動し続けてもらうか。
もしガーネが爆発魔法を使ってきたら、その部分だけ『エアウォール』を厚く調節してもらおう。
これで俺の受ける爆発の威力はだいぶ軽減されるはずだ。
よろしくね、エル。
『了解っス』
さて、もう一度攻撃に挑戦してみるか。今度はさっきよりもうまく行くはずだ。
俺はルビに足裏に小爆発を起こしてもらって、勢いよく加速する。
横からガーネによる爆発が襲いかかるが、『エアウォール』のおかげで体が若干揺れるだけにとどまっている。
これなら……!
「ガーネ!」
そう思った次の瞬間、先輩が叫んだ。そして、彼女の体に魔力の流れが生まれる。
いったい何の魔法を発動してくるんだ⁉︎ 俺は咄嗟に身構えて減速する。
「『スプラッシュ』!」
先輩は、火系統ではなく水系統の初級魔法を、それも俺に向けてではなく全然違う方向へ発動した。
どういうことだ⁉︎ と視線の端で水流の先端を目で追う。先輩の狙いがわからない。
だが、その先にガーネが放った炎の魔法が見えて、俺はその意図を察した。
次の瞬間、先輩が放った水が、ガーネの放った高温の炎に触れて、一瞬で水蒸気になった。
およそ千七百倍もの体積の膨張が瞬時に起こり、周囲の空気を圧して衝撃波を作り出す。
水蒸気爆発。
「うわっ……!」
さっきまでとは規模の違う爆発に、『エアウォール』ではさすがに対処できずに吹っ飛ばされる。
慌てて体勢を立て直すと、周囲一面は白い蒸気に包まれて、視界が非常に悪くなっていた。
俺は魔力視を発動したまま、周囲を見渡す。
すると、視界に二つの魔力源が浮かび上がった。どっちも同じくらいの魔力の大きさで、俺には区別がつかない。
刹那、霧の中から『ファイヤーボンバー』の火球が飛んできた。
「のわっ!」
俺はギリギリで避ける。しかも、それで終わりではない。いろんな方向から、絶え間なく火球が飛んできている。
そうか、先輩はこれを狙って、自分が特定されにくい状況を作り出したのか……!
だが、先輩にもできるということは、俺にもできるということ。精霊と契約しているのは先輩だけではなく、俺もだ。
つまり、俺も全く同じことをやり返せる。
精霊の皆、協力してくれ!
『いいよ!』
『承知いたしました』
『了解っス!』
『お〜〜け〜〜』
『妾の出番じゃ!』
『ボクも活躍しゅるですよ!』
俺は精霊を体の中から出すと、俺を含めて同じくらいの魔力になるように、魔力を分配する。
そして、魔力のパスがギリギリ切れない程度に散らばってもらう。
これで、先輩が魔力視をしたら、まるで俺が七人に分裂しているように見えるはずだ。
実際、『ファイヤーボンバー』がさっきよりも明らかに分散している。効果はバツグンだ!
そして、最後の一押し。
先輩が持っていなくて、俺が持っている武器──『ソナー』で、実体のある先輩を割り出す!
『あれっス!』
エルのおかげで、ついに先輩の位置を捕捉した。
あとは、慎重にフェイントを入れながら近づいて……。
「もらった!」
浮遊魔法で地面から数センチ浮いて足音を消し、先輩に後ろから近づいた俺は、そのまま勢いよく抱きついた。
そして、手の感覚だけで胸ポケットを探り当てると、勢いよくバッジを抜いた。
「ちょ、どこ触ってんのよっ!」
「ぬあっ!」
次の瞬間、視界がひっくり返った。
ビターン! という音と衝撃で、俺は先輩に背負い投げされたと悟った。
「あああ、あたしの胸を揉むだなんて……! あんたいい度胸ね……! 殺す……!」
ただでさえつり目気味な目をさらにつり目にして、ブチギレた先輩は俺にズカズカと迫ってくる。
だが次の瞬間、練習場に響き渡る声。
「そこまで!」
そんな先生の声に、俺たちは動きを止めた。
「……テストはこれで終了だ。時間は……ちょうど今時間切れか」
いつの間にか練習場はクリアになっていた。
先生の視線を追うと、砂時計の砂がちょうど落ち切ったのが見えた。
「フォルゼリーナ、バッジは持っているな」
俺は左手に持っていたバッジを掲げて、それに応える。
それを見て、先生はにぃ、と口角を上げた。
「合格だ」