数時間後。竜の死体が押し潰した保養施設の倉庫の周りには、多くのハンターが野次馬となって集まっていた。
ざわめき、少しでも竜に近づこうとする群衆を押し止めるように、軍の兵士が竜から十数メートルの間隔を保ってぐるりと囲んで警備している。
その内側には、ハンターギルドの職員と、魔法省の役人が、竜の死体の周りを歩き回り、何かを話しながら検分を行っていた。
戦いの直後、竜の死体の近くに着陸した俺は、まず竜の生死を確かめた。
その後、先輩たちとサスケさんを探そうとしたのだが、その場から見回した限りでは、その姿を見つけることができなかった。
かといって『マニューバ』で空を飛んで、上空から探す気力もない。そのため、俺はその場にとどまっていた。
彼らがこの場に戻ってきたのは、戦いが終わってから三十分ほどしてからだった。
どうやら、四人は馬車に乗って、ハンターギルドや軍へ応援を要請するために、ドルディアへ向かっていたところだったらしい。道中、サスケさんの望遠鏡で俺と竜の戦いを観察していたところ、竜が墜落していくのを見て、急いで引き返してきたのだという。
当然というべきか、倉庫を押し潰した竜を見て、四人はビックリしていた。
俺が戦いの顛末を説明したところ、サスケさんは後処理をするために、一人で急いでドルディアへ馬車を走らせた。
その間、俺は患部を冷やしつつ、レイ先輩に脱臼の応急措置をしてもらった。
しばらく経って、サスケさんが戻ってきた。その際、彼はハンターギルドの職員と魔法省の役人、そして大勢の野次馬ハンターを引き連れてきたのだった。
まず俺は、医者に整復してもらった後、自分自身に『ヒール』をかけて即時回復した。
そして早速現場検証が始まり、ハンターギルドの職員と魔法省の役人から取り調べを受けた。それはそうだ、わずか七歳の女児が竜を斃しただなんて、にわかには信じられない話だからだ。
かなり長い時間拘束されたが、先輩たちやサスケさんの助けもあって、つい先ほど、ようやく解放された。マジで、心身ともに疲れが半端ない……。
そして、現在腰を下ろして休んでいる俺たちを尻目に、いろいろと竜の体について調査しているところだった。
「それにしても、フォルちゃんが竜を斃すなんてね……」
「すごいや、フォル!」
レイ先輩がわしゃわしゃと俺の頭を撫でる。
本来なら照れたり喜んだりするべきところなのだろうが、俺の心の中の大半は別の気持ちで占められていた。
「サスケさん」
「ん? なんだい?」
「りゅうって、よいことのしるしなのに、たおしたらマズかったですか……?」
カヤ先輩曰く、竜は吉兆とされているらしい。魔物といえど、そんな生物を斃してしまったら、周りの人から良く思われないのではないか?
「そんなことはないさ。少なくともこの国では竜への信仰はなされていないみたいだし……」
俺はその言葉にホッとする。
「それに、もしそうだったとしても、僕らにとって危険な存在だったことには変わりない。だから、フォルゼリーナちゃんが斃してくれて、僕らはとても感謝しているんだよ。ありがとう」
「そうそう! フォルちゃんには感謝してもしきれないよ~」
「フォルゼリーナ」
すると、フローリー先輩が他とは違う声色で語りかけてくる。
「あなたには、竜を斃せる確信があったのですか?」
「……いえ、たおせるとはおもいませんでした」
「そうですか……」
フローリー先輩は言いたいことをぎゅっと堪えるような表情をする。そして、やっとといった様子で言葉を絞り出した。
「あなたが、生きていてよかった……」
それは、紛れもなくフローリー先輩の本心から出た言葉だった。
俺はなんだか申し訳ない気持ちになった。確かに無謀な行動だったかもしれない。あの場ではああするしかなかったとはいえ、心配をかけてしまった。
その原因を追求していくと、一つの結論にたどり着く。
俺が弱いからだ。
あの場でああするしかなかった以上、フローリー先輩や他の人に心配をかけられないようにするためには、俺が十分強くて『たとえ竜と戦っても勝てるだろうな』と思われなければならなかった。
間近で体験した竜との実力差は、恐ろしいものだった。どれだけの高みに到達すれば、張り合えるようになるのか。果てしない道のりに感じてしまう。
しかし、フローリー先輩のみならず、身近な人を安心させるには、そうするしかない。今回は勝つことができたが、百回戦ったら百回勝てるようになるまで、俺は強くならなくてはならない。
そんな決意を固めていると、遠くから勢いよく馬車を走らせてくる音がした。それはどんどん大きくなると、急停車したようで、野次馬の外でパッタリと止む。
すると、野次馬をかき分け押しのけ、一人の男性が最前列に躍り出てきた。
白髪交じりの五十代から六十代くらいの人だ。サスケさんと同じような薄い顔立ちをしていてる。身なりは上品で、いかにも都市部を悠々と闊歩していそうな紳士然としていた。
彼はさらに前へ進もうとするが、警備の兵士に押し止められる。
「ここは関係者以外立ち入り禁止です!」
「ワシぁ関係者じゃ! この建物を所有する会社の社長じゃい!」
「そ、それは失礼いたしました」
そして、男性は輪のなかにズカズカと入ってくる。
この保養施設を保有する会社の社長……ってことは、もしかして。
すると、サスケさんが男性の姿を認めると、驚いたような声をあげた。
「しゃ、社長⁉︎ どうしてここに⁉︎」
「そらぁ、サスケよう、竜がウチの施設の近くに出たと聞いたらよう、いてもたってもいられねぇってもんよ」
男性は、潰れた倉庫と竜の死体を見る。
「それんしても、まさかこんなことになるとぁ……倉庫はグチャグチャだが、それ以上のモンが降ってきたというべきか」
そして、こちらに向き直る。
「この竜を斃したなぁ、いったいどいつなんだ?」
「わ、わたしです……」
恐々と俺は手を上げる。ももも、もしかして損害賠償とか請求される……?
すると、男性は目をひんむいた。
「お前さんがかい? 冗談キツいぜ」
「いえ、社長。本当です」
「こんな年端もいかねぇ嬢ちゃんがかぁ?」
「はい」
「……マジかよぉ」
すると男性は俺のそばまで来ると、しゃがんで目線を合わせる。
「お前さん、名前は?」
「フォルゼリーナ・エル・フローズウェイです」
「ワシはケン・トーリ。エスタニア商会の社長だ」
「ど、どうも」
「お前さん、サスケのことを知っているのか?」
「あ、はい。えっと、サスケさんのむすめさんのルームメイトで……サスケさんにしょうたいしてもらって、そこのたてものにとまっていました」
「ああ、客人だったのか。そらぁ、失礼した」
さて、本題だが。と言って、ケンさんは真剣な顔つきになる。
「お前さん、ワシにこの竜の死体を売ってくれねぇか?」
「りゅうを……うる……?」
「そうだ。お前さんが斃したものだから、現状、この竜はお前さんの所有物だ。それをワシの商会に売ってくれないか?」
そうか、確かハンターギルドの規則では、斃した魔物の死体の所有権は、事前の取り決めがある場合を除き、個人なら斃したハンター、パーティーならそのパーティーに所有権があるんだよな。
だから、ケンさんは竜の所有権を持つ俺に、直接交渉しに来ているのか。
「……竜っていうなぁ、高級品だ。鱗は誉れ高い頑丈な武器に、肉は珍味として高級料理に、内臓は貴重な薬に用いられる。それが、ほとんど傷のない状態で、丸々一匹ここにあるわけだ。その価値ははかりしれねぇ。もしワシの商会に売ってくれたら、普通に暮らすのに一生困らねぇ金額を出す」
「そ、そんなに⁉︎」
「ああ。商人の矜持にかけて、保証するぜ」
そう言ったケンさんの目は、真剣そのものだった。
まさか竜がそんな高級品だとは……。これが、一生暮らしていけるほどの金になるなんて、まるで宝くじに当たったかのようだ。
そして、俺がその提案に『はい』と思わず頷こうとした、その時だった。
「お待ちください!」
声の方へ顔を向けると、慌てたようにこちらに歩いてくるハンターギルドの職員の姿があった。
「困りますよ、勝手にお取引されては」
「ちっ……」
ケンさんは職員には聞こえないほど小さく舌打ちをした。
「フォルゼリーナさんは、ハンターギルドに入っていらっしゃいますよね」
「はい」
「でしたら、クエスト外で斃した魔物の取り引きは、ハンターギルドに優先権があるんですよ」
「そうなんですか」
じゃあ、俺はこの竜をギルドに売ればいいのかな?
そう思って職員に向き直ると、今度はまた別の方向から別の声が飛んできた。
「待たれよ」
そう言ってこちらに歩いてきたのは、魔法省の役人だった。
「この『竜』という魔物だが、個体数が少なく、それ故討伐事例も滅多に無い。この度その全身がほぼ完全に残っているのは唯一無二と言っても過言ではない事例であり、それ故これを国として保護し、研究しなければならない。
フォルゼリーナ殿、どうか国に譲ってはくれぬだろうか」
第三勢力が参戦してきた。しかも、今までで最も権力が大きい。
普通なら、役人の言う通りに国に渡すべきなのだろうが……。しかし、一生暮らせるほどの値打ちがあるものを易々と譲るのは、さすがにちょっと……。
予想外に斃してしまった竜は、エスタニア商会、ハンターギルド、王国の三者による取り合いの様相を呈していた。
次の瞬間、遠くから低い音が聞こえてきた。大きくなるにつれ、それがドドドドという地響きのような音で、こちらに近づいてきているのがわかる。
野次馬のハンターたちが騒がしくなる。俺の不安も増大していく。
「とうっ!」
そして、その音が十分近づいたところで、男性の野太い掛け声がその場に響く。同時に、野次馬の頭上を一足に飛び越していく大きな影。
数秒後、ズザザザと派手な音を立てながら俺たちのそばに着陸する人影……いや、人影たち。
この場の誰もがあっけにとられて何も言えなくなっている中、人影の片方──筋肉ムキムキの男が発言する。
「なんだ、本当に斃されているじゃないか」
その間に、男の肩の上からするすると降りるもう一人の人物。男か女かよくわからない、中性的な顔立ちの人だ。
そんな彼ら二人に、俺は見覚えがあった。そして、それは彼らの服を見て、確信に変わる。
共通のデザインの軍服。そこに際立つ胸の色違いのエンブレム。男は赤、もう一人は緑。
およそ二年前の記憶がよみがえり、俺は思わずその名を口にする。
「『宮廷魔導師団』……!」