「止まれ止まれーっ! ゴブリンの、襲撃だーっ!」
その声で、馬車が急停止する。慣性力で前に投げ出されそうになるが、なんとか耐えた。
馬車、止めちゃうのか⁉︎ 全速力で逃げれば振り切れそうなものだけど……。
すると、バルトが窓を開けて声を張り上げる。
「ゴブリンの位置と数は⁉︎」
「前後からそれぞれ三十体ずつほど……いや、その後ろにもまだ集団が……!」
前後から挟み撃ちにされているのか……! 道の左側は巨大な川で、右側は丘。どちらも馬車が走るのには適していない。それなら止まるのも無理はない……のか?
「姑息な奴らめ……丘の後ろで待ち伏せしていたのか……」
バルトが外を見て、怒ったように舌打ちする。どうやらゴブリンには、狡猾な作戦を思いつくだけの知能があるようだ。
外を見ると、複数の人が別の馬車から出てきているところだった。皆それぞれの武器を持って、俺たちの馬車と、その後ろのジンクたちの馬車を中心に、外側を向いてぐるっと右半円状に展開した。バルトがさっき言っていた、護衛のハンターだ。
「あっ、あれがゴブリン……!」
シャルの声で、俺は右前方からこちらに走ってくる何かの集団を視界にとらえた。濁った緑色の肌、身長は小さく、あっても一メートルくらいだろう。各々が太い木の棒や、金属の棒を持っている。右後方からも、同じような生物が同じような道具を持って走ってきていた。
かつて読んだ絵本の挿絵では、目の前のものより少し誇張されていたが、大まかな特徴は一致していた。
こちら側の護衛の人数は六人ほど。全滅させるには、一人当たり十体以上斃さないといけない計算になる。
いくらハンターとはいえ、本当に大丈夫だろうか……。個々の戦闘能力はこちらの方がはるかに上だろうが、数ではゴブリンらの方が圧倒的に上だ。押し切られてしまわないだろうか。
そんな心配をしていると、バルトが馬車のドアを開けて降り立った。手には剣を携えている。
「行くぞ、シャル。フォルは絶対に馬車から出るんじゃないぞ」
その声で、シャルも慌てたように座席の下から剣を取ると、バルトに続いて降りようとした。
え、二人とも降りるの⁉︎ 護衛に守ってもらうのだから、馬車の中に引きこもって邪魔しないようにするのが正解なんじゃないの⁉︎
「シャル!」
「どうしたの?」
「どうしておりるの? なかにいないの?」
すると、シャルは慌てたように車外に一歩出した足を戻して、こちらに振り返った。
「フォルは出なくて大丈夫! 馬車の中で大人しくしてて!」
「じゃあなんでシャルもジージもでるの? なかでまってようよ」
すると、シャルは俺をギュッと抱きしめた。そして、しゃがんで俺の目を見ると、訴えかけるように言う。
「今、ゴブリンがわたしたちを襲おうとしているでしょ?」
「うん」
「それで、強いハンターがわたしたちを守ってようとしているんだ。だけどね」
「だけど?」
「もしかしたら、ハンターでは、ゴブリンを全部やっつけられないかもしれない。だから、わたしとパパは『応援』しにいくんだよ」
つまり、ゴブリンが多すぎて、ハンターだけでは対応しきれないから、バルトやシャルたちも戦力として加わる必要がある。シャルはそう言っているのだ。
率直に言って、とても心配だ。もちろん、魔物との戦闘に遭遇するなんて初めてだから、どういうふうに戦うのか知らないし、シャルとバルトがどのくらい強いのかも知らない。ただ、万が一、戦いにいった二人がやられてしまうなんてことがあったら……。
そんな俺の不安を察したのか、シャルがニカッと笑顔を浮かべる。
「だいじょーぶ! パパはフローズウェイ流剣術をマスターしているし、わたしも免許皆伝貰ってるから! 絶対にやられないよ!」
バルトもシャルも、なんか強そうな剣術の使い手らしい。
確かに、剣の心得があるのと無いのとでは全然違うけどさ……。
「だから、フォルはおとなしく待っているんだよ? 絶対に馬車から出ちゃダメだからね!」
「……うん」
俺たちがこうして話している間にも、ゴブリンらは迫ってきている。これ以上話を長引かせて、シャルの足手纏いになってはいけないと思い、俺は言いたいことを飲み込んで頷いた。
シャルは俺の頭をやや雑に撫でると、踵を返して急いで馬車の外に出た。そして、剣を抜いてバルトの隣に並ぶ。
後ろを見ると、ジンクさんとアリーシャさんも馬車から降りていた。ジンクさんの手には剣、アリーシャさんの手には、複雑な装飾が施された杖が握られている。どうやら二人も戦うみたいだ。ちなみに、ルークの姿は見えなかった。
「皆さん、魔法を撃ちます!」
すると、アリーシャさんが杖を掲げながらそう宣言した。杖の先に魔力が集まっているのを感じた次の瞬間、詠唱が響き渡る。
「『ブラスト』!」
次の瞬間、後方から迫ってきていたゴブリンの集団のど真ん中から、土煙が半球状に膨れ上がった。間髪入れず、ドオオォォンン! という音とともに、衝撃波が馬車を叩き、ズゥゥゥン! と地面が揺れる。
衝撃が収まった後に再び視線を戻すと、空中を舞っているいくつもの影が見えた。爆風で巻き上げられたゴブリンらだ。クラッカーを鳴らした後に舞い落ちる紙片の如く、ひらひらと風に煽られながら墜落していく。
火系統と風系統の複合魔法『ブラスト』。爆風を発生させる魔法で、魔力消費量は千五百。昨晩宿で読んだ『魔法の使い方(中級編)』に載っていた。
魔法のおかげで、当初三十体ほどだった後ろのゴブリンの集団は、その数を半分以下にまで減らしていた。
「でかしたー!」
「アリーシャ様、さすがです!」
護衛やバルトたちが歓声を上げる。一方アリーシャさんは、青い顔をして馬車の中へ戻っていった。おそらく魔力切れだろう。
しかし、ゴブリンが殲滅されたわけではない。後方からは残りの数体がしぶとく迫ってきているし、前方からは三十体ほどの集団が、無傷でこちらに向かっている。
「来るぞ! 構えろ!」
誰かの掛け声で喜びムードから一転、場にピリッとした緊張感が戻る。
「グログガグヤガギグギャギャガ!」
意味のわからないことを叫びながら、ゴブリンらが飛びかかってくる。
ついにゴブリンとの戦いが始まった。
「ウルアァ!」
棍棒を振り回すゴブリンの脳天を、斧使いが真上から叩き潰す。
「グギャ!」
断末魔をあげて、ゴブリンは脳天から赤黒い血を吹き出しながら、その場に倒れた。
「くらえっ!」
槍使いが、その長いリーチを生かして、馬車に近づくゴブリンを片っ端から弾き飛ばす。吹き飛ばされたゴブリンが後続のゴブリンに衝突して、それがビリヤードの如く連鎖していく。
「ハアァッ!」
そこに剣士がトドメを刺す。首を刈ったり、胸を突き刺したり。あるゴブリンは断末魔をあげて、また、あるゴブリンはそれすらなく、無言のまま死んでいく。
そして、活躍しているのはハンターだけではない。
「ふんっ! ぬううん!」
バルトは華麗な剣捌きで、向かってくるゴブリンらをバッタバッタと薙ぎ倒していく。一体、二体、三体。綺麗にコンボを決め、ゴブリンらの死体で道を作る。
シャルも、バルトには及ばないものの、ゴブリンらを斃している。二人とも、実力はハンターと互角……もしかしたら、それ以上かもしれない。
「うっ……」
ゴブリンらの死体から出た、生々しい臭いが漂ってきて、俺は思わず鼻をつまんだ。しかし、戦闘から目を逸らせない。自分のゲロより遥かに凄惨な死体がいくつも転がっているのに、俺は視線を動かせなかった。
目の前で、命が軽々しく散っていく。前世では考えられなかった、あまりにも非日常的な光景に、俺の感性は完全にバグっていた。
しかし、思考は不思議と混乱していなかった。むしろ、頭の芯が冷たくなるような感覚がする。こんな状況にもかかわらず冷静な思考ができていることに、俺は自分でも驚きをもって受け止めていた。
俺の予想通り、個人の戦闘能力はこちらの方がはるかに上だ。一方、ゴブリンらは数で押し切ろうとしている。だが、こちらの奮闘により、ゴブリン軍団の第一波は壊滅させられようとしていた。
すると、ハンターの防衛ラインを突破した一体のゴブリンが、横からシャルに向かっているのが見えた。一方、シャルは別のゴブリンとの戦いに手間取り、横から自分に向かっているゴブリンには気づいていないようだ。周りを見ても、シャルのピンチに気づいている人はいない。
そのゴブリンは金属製らしき棍棒を持っている。あんなもので攻撃されたら、タダでは済まない。
俺が、殺るしかない。
俺は素早くドアを開けると、咄嗟に思いついた魔法を放った。
「『アイスランス』!」
水系統中級魔法『アイスランス』。氷でできた槍を生成し、それを目標に向けて勢いよく放つ魔法だ。魔力消費量は二百。
俺の真横の空中に生成された氷槍は、ビュッと風を切ってゴブリンへまっすぐ向かい、その側頭部を貫いた。
「ガガガァァ……!」
血飛沫を撒き散らして、ゴブリンがその場に斃れる。それにシャルがギョッとして、戦っていたゴブリンを弾き飛ばすと、一気に後退した。
な、なんとかピンチを救えたようだ。俺はホッとため息をつく。
そして、シャルが弾き飛ばしたゴブリンをジンクさんが処理したところで、ゴブリンの第一軍は全滅した。一瞬の安寧が訪れる。
ハンターも、俺たちフローズウェイ家も、全員無事だ。しかし、戦いはまだ終わりではない。
「第二軍が来るぞ……!」
丘の向こうからは、再びゴブリンの軍団が迫ってきていた。その数は先ほどよりも明らかに多く、三桁に届きそうだ。
人々が剣を握り直す。しかし、敵の数は多く、先ほどの戦いの疲労もある。さっきより勝率は明らかに低い。
俺は、己の無力さに歯噛みする。
皆が戦っているのに、俺は馬車の中でただ隠れているだけ。本当に情けない。たとえ、俺が三歳児で、一般的には守られる立場であると理解していても。
少しでもこの戦いに勝つ可能性を上げるために、俺にも何かできることがあるはずだ。
俺は皆のように剣や斧、槍を握ることはできない。でも、攻撃手段はそれだけではない。
俺の得意な魔法で、この状況を打開できるんじゃないか?
ピンときた俺は、本をパラパラとめくり、あるページを開く。そして、そこに栞を挟むと本を閉じ、そっと馬車のドアを開けて降り立った。
生臭い臭いが一層強くなって吐き気を催すが、なんとか我慢して、急いで馬車の前方へ回る。出っ張りに足をかけて御者台に上ると、さらに馬車の屋根の上へよじ登っていく。
「フォル⁉︎ 何してるの⁉︎」
「おい、フォル! 戻りなさい! 危ないぞ!」
シャルに気づかれたらしく、素っ頓狂な声が聞こえる。焦ったバルトの声も続く。だが、俺はその声を無視して屋根の上に到達した。
立ち上がると、戦場がよく見えた。ゴブリンらはもうかなり近くまで迫ってきている。俺は、改めてゴブリンの集団の大きさを感じた。これを今から十人弱で相手をするのは、さすがにキツいだろう。
だが、俺にはこの戦況をひっくり返す力がある。実際できるかわからないが……いや、俺ならできるはずだ。
俺はフーッ、と息を吐いて心を落ち着かせると、魔力を練り上げていく。
体の内側から力がゾワゾワと沸き立ち、手のひらへ集まる。体から漏れ出た魔力がチラチラと光を放つ。十分に集まったところで、本の記述をもとにイメージを構築する。
そして、詠唱。
「『バースト』」
魔力消費量二千五百の火系統上級魔法。
これにより引き起こされるのは、大爆発だ。
俺の手のひらから明るい光がピュンと放たれた直後、ゴブリンの集団のど真ん中で、赤い火の玉が発生した。
刹那、煙の黒と地表の緑とその下の土色を混ぜながら、火の玉はインフレーションを起こし、急激に膨張する。ゴブリンの集団は、この突然の出来事になす術もなく、あっという間に全員が飲み込まれた。
そして、襲い来る轟音と爆風。『ブラスト』よりも格段に強い揺れと衝撃が馬車を襲い、俺はその場にしゃがみ込む。
「うおおおッ⁉︎」
「きゃああっ!」
馬車の下からも、人々の悲鳴が聞こえた。
ものすごい威力のドライヤーに当てられたかのような熱風が収まってから、俺は顔を上げる。
目の前には、えぐれて土がむき出しになった丘の斜面と、黒焦げになったゴブリンがゴロゴロと転がっていた。見たところ、動いているものはいない。
無事、殲滅できたか──
そう思った途端、急に体から力が抜ける。その場に倒れ込み、その勢いでバランスが崩れ、馬車の上から空中へ投げ出される。頭から地面へ真っ逆さまだ。
あ、ヤバい……。俺、死んだかも……。
「フォルっっ!」
地面に激突しそうになり、目を閉じた次の瞬間、誰かに乱暴に抱き止められる。生臭い匂いに混じって、いつものシャルの匂いがして、俺は彼女がキャッチしてくれたのだと理解した。
た、助かった……。
それを最後に、俺は意識を失ってしまった。