数日後の朝、俺とジュリーは伯爵邸の玄関ホールにいた。
やはり、砂漠地帯特有の気候のせいか、夏なのに朝は結構寒い。しかし、今日も晴れて昼間は暑くなるだろう。寒暖差で体がバグりそうだ。
「お待たせー」
俺たちが集合してから数分後に、シャルがリルちゃんを抱えてやってきた。
リルちゃんはシャルの腕の中でぐっすり寝ている。寝顔超可愛いな、おい。
「それじゃあ、出発しようか!」
シャルが出発を宣言すると、俺たちは外に出て、目の前の通りに停まっていた馬車に乗り込んだ。
動き出した馬車は、賑わう朝の市場を通り抜け、どんどん南へ向かう。
城壁を通過し、しばらく進むと目的地が見えてきた。
異彩を放つ黄褐色の巨大な錐形の建物。周りと比べて、明らかに年季が違う。
「あれが『遺跡』だよ」
今日は、ジュリーの希望でテクラスを観光することになっている。そして、テクラスの最大にして唯一と言っていい観光スポットといえば、『遺跡』だった。
俺たちは馬車を降りると、入場料を払って敷地内に入る。
「おっきい……」
「王都でこれより大きい建物は王城くらいだと思うよ」
遺跡は、前回入った時とほとんど変わっていないようだ。俺たちは四つの部屋を順に巡っていく。
ジュリーはシャルの解説を熱心に聞いている。しかし、俺は三回目の訪問であるということ以外にも、あまりこの遺跡の観光に集中できない理由があった。
俺にとってこの遺跡は、フリードリヒとディートリヒが悪事を練っていた場所という印象が強い。本当は貴重なすごい施設なのだが、ここにいるとどうしてもそのことが頭をよぎってしまう。
三十分くらいかけて、遺跡内をじっくり見た俺たちは外に出る。
シャルの腕の中で眠っていたリルちゃんは、途中で目を覚まして、今はシャルと手を繋いで歩いている。
「これで遺跡の中は全部巡れたかな。二人とも、もう行ってもいいかな?」
「うん」
「はい! とてもべんきょうになりました」
「それはよかった! ま、わたしの説明は全部ハルの受け売りなんだけどね〜」
俺たちは遺跡を出ると、馬車で伯爵邸に戻る。
そして、建物に入ると、俺たちが泊まっている部屋の前まで進む。
「じゃあ、また昼ごはんの時にね」
「ありがとうございました」
「ありがとう、シャル」
ジュリーは早々に自分の部屋に引っ込んでしまった。俺も部屋に引っ込もうとすると、廊下の奥から使用人がシャルに駆け寄ってきた。
「若奥様、実は……」
二人は何やら小声で話をする。そして、それが終わるとシャルが俺の方を向いた。
「ごめんフォル、ちょっと頼み事していい?」
「なに?」
「リルをここで見ていてほしいんだ。フォルの部屋の中に入れててもいいから」
「わかった」
「すぐ逃げちゃうから、絶対に目を離さないで、ここに留まらせててね! ……リルちゃん、そこのフォルねーちゃんと遊んでるんだよ」
「あい!」
「じゃあ、行ってくるね! すぐ戻ってくるから! よろしく〜!」
そう言うと、シャルは使用人とともに小走りで廊下の向こうへ消えてしまった。
残された俺たちは、顔を見合わせる。
すると、リルちゃんはトテトテと俺の方に歩いてきて、俺の服をぎゅっと掴んできた。
うわ、超可愛い……。
「ふぉうねーちゃ! ふぉうねーちゃ!」
「ふふ……」
俺の名前をうまく言えていないところも愛らしいな。
俺も、三歳の頃はあまり上手く発音できなかったっけなぁ……。
「リルちゃん、お部屋いこっか」
「あい!」
俺はリルちゃんを自分の部屋の中に入れる。すると、リルちゃんは早速、ベッドに上って遊び始めた。
「きゃっきゃ! ぴょんぴょん! ジャンプ!」
大はしゃぎしている様子を見て、俺は自分がこの世界で三歳だった頃を思い出す。
俺がリルちゃんの年齢くらいの時って、『魔法の使い方』を読んだり、無詠唱魔法を練習したりしていたんだっけな。遊び回るというよりかは、家で大人しく本を読んでいるタイプだった。
一方、リルちゃんはおそらく俺とは真逆のタイプだろう。もしかしたら、本来三歳児とは普通こんな感じなのかもしれない。
そんなことを考えた後、ふっと意識を目の前に戻すと、いつの間にかリルちゃんの姿が消えていた。
「リルちゃん……?」
俺は慌てて周囲を見回すが、どこにもその姿が見当たらない。
慌ててベッドの下や棚の奥の隙間など、リルちゃんが入れそうなところを見ていくが、やはりいない。
神隠しにでも遭ったのか……⁉︎
どどどど、どうしよう! シャルに目を離すなって言われていたのにいなくなってしまった!
俺は部屋のドアに目を向ける。すると、さっきまで完全に閉まっていたはずのドアが微かに開いていた。
まさか……!
そう思って部屋の外に出ると、リルちゃんが廊下をトテトテと歩いていた。
俺はホッと胸を撫で下ろし、声をかける。
「リルちゃん! 戻ってきて!」
「あゃぁ! ふぉうねーちゃ、おいかけっこ!」
すると、リルちゃんはこちらを振り向いたかと思うと、一目散に廊下を走っていく。
おいおいおいおい! 早速フラグ回収じゃないか!
『おいかけっこ!』じゃないんだって! 見失ったら俺がシャルに怒られるんだよ!
「ま、まって!」
「キャッキャッ!」
俺が追いかけ始めると、リルちゃんは嬉しそうな声を出してさらにスピードを上げる。ヤバい、と思った俺は、身体強化魔法を発動してスピードを上げる。
三歳児だし、簡単に追いつけるかと思ったのだが、俺とリルちゃんの間の距離はいつまで経っても縮まらない。
想定よりもリルちゃんの足は速いものの、さすがに俺の本気には及ばない。それでも追いつけないのは、リルちゃんの方が小回りが利き、この邸の構造をよく知っているからだろう。
実際、直線では結構縮まってきているのだが、角を曲がるときなどはどうしてもリルちゃん有利となってしまう。だからトータルではほぼ同じくらいの速さになってしまっている。
マジで追いつけない……。やっぱりシャルの血を色濃く受け継いでいるせいだろうか。
もう何度目になるかわからない直線に入って追いかける俺は、そんなことを考えていたせいで、リルちゃんがある部屋の中に入ったことに気づくのが遅れた。
「おっとっとおぉぉおー⁉︎」
床のレッドカーペットを削るかのように、俺は身体を後ろに倒して足を前に急停止する。
そして、俺はすぐにリルちゃんが入った部屋へと突撃する。
「リルちゃん!」
「キャッキャッ‼」
照明のついていない、暗めの部屋の奥には、確かにリルちゃんがいた。
しかし、ここにいたのは彼女だけではなかった。
「……フォルゼリーナ嬢か?」
そう俺を呼んだのは、リルちゃんを膝の上に乗せている椅子に座った人物。
その強面に俺はひっ、と小さく悲鳴をあげそうになるが慌てて我慢する。
そして代わりに別の言葉を口にする。
「……ギ、ギルベルトさん?」
ハルクさんの父親、そしてリルちゃんの祖父である、ヴァン・フロイエンベルク伯爵家前当主にして前テクラス州知事、ギルベルト・ヴァン・フロイエンベルクだった。
「こんなところで何をしているんだ?」
「いや、ええと……」
なんか責められているように感じる……。
やっぱり声が低くて、強面からだろうか。
いや、実際怒っているのかもしれない……。
どう答えようか考えていると、先にギルベルトさんが口を開いた。
「……もしかしてリルと遊んでいたのか?」
「は、はい」
やっぱり怒られるのだろうか? リルちゃんの面倒をきちんと見られていなかったということは、ここに入ってきた俺の様子からわかるだろう。
いや、この口ぶりからすると、俺がリルちゃんと廊下を走って追いかけっこをして遊んでいた、と思っているのかもしれない。廊下を走るのは言うまでもなく危ないことだ。
しかし、次にギルベルトさんが発した言葉は、俺の想像の斜め上のものだった。
「リルは可愛いよな?」
「……え?」
……この人、今何て言った? 『可愛い』? いやいやこの人からまさかこんな言葉が飛び出すことなんて。
「可愛いよな?」
「は、はい!」
半ば脅迫しているかのように思える口調で聞かれて、俺はそれに押されるように、しかし本心から肯定する。
「そうだよな~、リルちゃん可愛いよな~」」
すると、ギルベルトは、その強面をにっこりさせてリルちゃんを抱き上げた。
キャッキャとリルちゃんも楽しそうにはしゃぎだす。
「リルちゃ~ん、今日も可愛いでちゅね~」
「あいあー!」
「ハハハハハ!」
「あはは……」
俺の中のギルベルトさんのイメージがガラガラと崩れていく。
……もしかして、この人、孫バカ?
俺は、ギルベルトさんの意外な一面を発見したのだった。