仰向けに倒れた俺の上に、見知らぬ幼女が乗っかっていた。
なにこれ、どういう状況?
俺は少々混乱しつつも、まずは幼女を観察する。
年齢は二歳か三歳くらいで、黒髪黒目だ。短めの髪を頭の下方両脇で結っていて、なんとも可愛らしい。
俺はこの子と以前会ったことがあるかどうか頭の中を検索する。が、ヒットはゼロ件だった。
それにしても、俺はいつまで幼女に押し倒されていなけりゃならないんだ? そろそろお腹が苦しいからどいてほしいんだけど……。
「ちょっちょ……ねえ、どいてくれないかな?」
「?」
俺がそう呼びかけると、彼女は反応して可愛らしく首をかしげる。
あーもう可愛いなこの子‼
可愛い仕草しなくてもいいから早く俺の上からどいて!
それにしても、どこか誰かに似ているような……。
俺がうーんと考えていると、廊下の向こうからドタドタという足音。
そして、キキーッ、と盛大な音を鳴らし、滑りながら廊下の角から音の主が姿を現した。
「あーっ、こんなところにいた! リル、ダメでしょー!」
「きゃっきゃっ!」
リルと呼ばれた幼女は俺の上で振り返り、嬉しそうな声を上げた。
「シャル……」
すると、リルちゃんをひょいと抱き上げた人物──シャルは、俺に視線を向ける。
「……あーっ! ……えーっと、名前が出てこない」
「おい!」
シャルは片手で器用にリルちゃんを抱えながら、ツンツンと自分のこめかみを押す。
忘れないでよ! というか、今日到着するって手紙を出したんだし、普通覚えてるでしょ!
俺が立ち上がって名乗ろうとすると、ようやく思い出したようで、シャルがズビシッ、と俺を指さす。
「フォルじゃん‼」
「……ひさしぶり、シャル」
ようやくシャルは思い出したようで、リルちゃんを抱えたまま俺に抱きついてきた。
うおっ、ちょっと危ないんですけど!
「おっきくなったね~。もう三年くらい会っていないんだっけ?」
「……そうだね」
「それになんか可愛くなってるし!」
「ちょっ、ちょっと、やめてよ~!」
シャルが頭をすりすりしてきたので、俺は慌てて引き離す。
シャルの中身は変わってないようだ。本当にラドゥルフで暮らしていた頃のシャルそのままだ。
ただ、見た目の面で言えばちょっと大人っぽくなったかな? もうシャルも二十代前半。少女っぽさはほとんどなくなり、すっかり大人の女性といった風貌だ。
「で、その子はだれ?」
俺はシャルに抱えられている幼女に視線を向ける。
なんとなく察しはついているけど、もしかして……。
「わたしの娘だよ」
「あいあー!」
やっぱりそうだったか!
リルちゃんも元気よく声を上げる。
リルちゃんの顔をよく見ると、どこかシャルに似ているような気がするし、どこかハルクさんに似ているような気もする。二人の子供なんだなぁ。
「名前はリル、っていうの?」
「それは愛称。本名はリルナディアだよ。もうすぐ三歳になるんだ。ねー、リルちゃーん」
「あい!」
うん、やっぱり可愛い。
「リルはフォルの従妹に当たるのかな」
「そうだね」
前世を通じても、実は初めての従妹だ。
「この子わんぱくでさ~、すぐにどこかに走っていっちゃうんだよね~」
「元気なのはシャルのいでんじゃん」
「ええ~そうかな~?」
大きくなったら剣をぶん回している姿が容易に想像できる。
すると、シャルが俺の後ろへ目を向ける。
「それで、後ろにいるのはフォルのお友達かな?」
「あ、うん……」
振り返ると、目を真ん丸にして固まっているジュリーの姿。一人だけこの状況から取り残されている様子だ。
「しょうかいするね。わたしの友だちのジュリーだよ」
「は、はじめまして……! ドン・ガレリアスはくしゃく家とうしゅアルベルトのじじょ、ジュリアナ・ドン・ガレリアスともうします」
俺の紹介でハッとして、ジュリーは自己紹介する。
「ジュリアナちゃん、初めまして。わたしはフォルの叔母……フォルの母親の妹で、ヴァン・フロイエンベルク伯爵家当主ハルクの妻、シャルゼリーナ・ヴァン・フロイエンベルクです。シャルって呼んでね~」
「お、おせわになります」
「で、こっちが一人娘のリルナディア。リルって呼んであげてね〜」
「わ、わたしもジュリーとよんでください」
「わかった。で、ジュリーちゃんにちょっと聞きたいんだけどさ、さっき次女って言ってたよね?」
「はい、姉と兄が一人ずついます」
「もしかしてさ、お姉ちゃんって『レジーナ』っていう名前じゃない?」
「! そうですけど、なんで……?」
「おーやっぱり! レジーナはわたしが王都の貴族学校に通っていたときの同級生なんだよ! 全然連絡できてなかったけど、元気にしてる?」
「はい、元気です」
「そっか~よかったよかった! 後で手紙書いとこ~」
ここで、使用人がそっと玄関のドアを閉める。それにより、シャルは俺たちが入ってきたばかりだということを思い出したようで、苦笑いをする。
「暑いから早くゆっくりしたいよね。早速部屋に案内するよ」
俺たちは領主邸の中を進んでいく。
先頭はシャルとリルちゃん、その次に俺とジュリー、さらにその後ろに俺たちの荷物を持っている使用人が続く。
すると、前から別の使用人が歩いてきた。廊下の脇に避けて一礼する彼に、シャルは話しかける。
「そうだ、今日、手紙にあった通り、姪とその友達が来たって、後でハルクに伝えておいてよ」
「かしこまりました、若奥様」
「よろしくね」
その堂々とした態度を見て、俺は改めて、シャルはもう立派な伯爵夫人になったんだな、と感じた。
しばらく歩くと、見覚えのある場所に出る。
シャルの結婚式の時に俺たちが泊まった部屋のある廊下だ。
「二人とも、それぞれ別の部屋でいいかな?」
「うん」
「だいじょうぶです」
「じゃあ、フォルはこっちで、ジュリーちゃんはこっちね」
早速、俺たちは部屋に入ろうとする。が、その直前で、俺はあることを思い出してシャルに声をかけた。
「そうだ、シャル」
「ん?」
「これ、おうとのおみやげ」
俺はシャルに持っていた袋を渡す。受け取ったシャルは、中を覗くと嬉しそうな声を上げた。
「お! スライムシャーベットじゃん! わざわざ買ってきてくれたの⁉︎ ありがとー! 早速冷凍庫に入れておかなくちゃ!」
シャルは袋とリルちゃんを持ち、廊下をダッシュで走っていき、消えてしまった。
……やっぱり、あの頃と変わってないのかも。
※
その日の夜、俺たちは伯爵邸での夕食に臨んでいた。
食事をとる部屋は三年前の結婚式前夜に使用した大広間ではなく、小さな部屋だった。
ただ、小さいとはいえ、大広間に比べて小さいというだけで、一般的に見れば十分にデカい。そんな部屋の中央にはドーンと長机が置かれていて、俺たちはそこに向かい合って座っていた。
俺の隣にはジュリー。向かい側にはシャルとリルちゃん。そして、ジュリーとは反対側の俺の隣にあるお誕生日席にはハルクさんが座っていた。
「あー……ゴホン」
すると、ハルクさんが咳払いをして俺たちの方を向いた。
「まずは二人とも、テクラスへようこそ。歓迎するよ。暑いところだが、ゆっくりしていってくれ」
ハルクさんは、以前会った時には下ろしていた前髪を上げて固めている。そのせいか、見た目の印象がかなり大人っぽいものになっていた。
それに、どうやら父親のギルベルトさんから家督を継いだようで、伯爵家の当主とテクラス州の州知事にもなっていた。この年齢で州知事に伯爵家の当主なんて、相当な出世じゃないだろうか。
「フォル嬢は久しぶり。かなり大きくなったね。元気そうでなによりだ」
「おひさしぶりです。ハルクさん、とってもすてきなかんじになってて、ビックリしました」
「はは、ありがとう」
「えー、フォルもハルの魅力に気づいちゃったー? ハルはかっこいいお父ちゃんでちゅもんねー、リルー?」
「あいあー!」
親バカと夫バカを同時に発病してるよ、シャル……。
ハルクさんは苦笑しながら、俺の隣に目を向ける。
「君は、フォル嬢のお友達かい?」
「はい。ドン・ガレリアスはくしゃく家とうしゅアルベルトのじじょ、ジュリアナ・ドン・ガレリアスともうします。これからおせわになります」
「ジュリアナちゃんか。私はテクラス州知事を務めている、ヴァン・フロイエンベルク伯爵家当主のハルク・ヴァン・フロイエンベルクだ。シャルゼリーナの夫、リルナディアの父で、フォル嬢の叔父にあたる。よろしく」
「よろしくおねがいします」
ここで、さっきから使用人が並べていた料理が一通り揃った。俺たちは早速食べ始める。
「いやー、それにしてもフォルに友達ができるなんて……わたし、嬉しいよ」
「シャル、おおげさ」
「だってラドゥルフにいた頃は、友達らしい友達なんていなかったじゃん。いつも家にいて本を読んでいるか魔法をぶっ放しているか、わたしと運動しているかのどれかだったでしょ?」
そんなことない! と否定したかったが……よく考えてみればその通りじゃね?
魔法関連の本を読んでいるか、庭や野原で魔法の訓練をするか、シャルと一緒に体づくりをしたり剣で戦ったりするか。ラドゥルフでの日常といえば、この三つしか思い浮かばない。
「そんなストイックな生活を送っていたのか、フォル嬢は……」
なんか、その年で自分を律してそこまでしていたなんて凄い、と思われていそうだが、実際はそれしかやることが無かったというだけだ。意図してそれだけしかやらなかったわけじゃない!
でも、あの頃の俺は、本当に友達とは無縁の生活を送っていたんだな……。
「……まあ、友だちができたのは、シャルのおかげでもあるんだけど」
「え、そうなの?」
「うん。だって、手紙に書いてくれてたじゃん。『学校では友達を作るんだよ』って」
「……そんなこと書いたっけな?」
「んもー!」
シャルはすっとぼけるが、どうやら本当に覚えていないようだった。
「ちなみに、ジュリーちゃんはさ、フォルとどうやって友達になったの?」
「えぇっと……」
ジュリーは俺と出会った経緯を話し始める。
「なるほど、そうだったんだ。フォルがお世話になりました」
「いえいえ……フォルは、わたしにとってもはじめての友だちなんです」
「そうなの?」
「そうだよ、フォル」
あら、運命的! 初めて同士だったんだな、俺たち。知らなかった。
「そういえば、君たちはどこの学校に通っているんだい?」
「わたしたち二人とも、王立学園のまほう科です」
「それは凄い! エリートじゃないか」
「へへーん、すごいでしょー」
「なぜシャルが得意げになるんだ」
ハルクさんは若干呆れながらもシャルにツッコミを入れた。
「……それはともかく、学校でのフォルはどんな感じなの? 魔法ぶっ放して暴れたり、剣……じゃなかった、刀をぶん回して暴れたりしてない?」
「わたしを何だと思ってるの⁉︎」
そんな、野生児じゃあるまいし……。というかそれ、ただ暴れているだけのモンスターじゃねぇか!
それに対して、ジュリーは少し考えてから答える。
「あばれる……というほどではないですけど、ときどきおどろくようなことをします」
それを聞いた瞬間、シャルが目を輝かせて身を乗り出した。
「どんな? 例えば?」
「たとえば、にゅうしのまりょくそくていで、あまりにもまりょくが多すぎてそくていふのうになったり、じつぎしけんではまとをとかしてけしたり、一方でひっきしけんもトップで、数学をいきなり四学年上からはじめたり……」
「す、すごいな……」
「他には⁉︎」
「え、えーっと……」
「ちょっとシャル、ジュリーがこまってるじゃん」
「あ、ごめんごめん……」
俺はため息をつくと、自分から話し始める。
「……きょねんの夏、『竜』がたおされたって話、聞いてる?」
「あー、そういえばそんなニュースあったね」
「あれ、たおしたのわたし」
「…………ホントに?」
「うん。先ぱいたちとドルディアへ旅行したときに出てきたから、たおした」
「いやいや、何その場のノリで斃しちゃったみたいな言い方してるの⁉︎」
だって、成り行きで斃したのは本当のことなんだもん……。
「まさか、それを斃したのがフォル嬢だったとは……」
「ひえー……これなら、大人になったら魔人にも勝てちゃいそうだね」
「まったくだ」
「えいあー」
シャルたちへの近況報告は、その後も途切れることなく続いたのだった。