翌週。俺は試合開始十分前にクリークに入ると、掲示板を眺める。
カンネ先輩の列と俺の行がぶつかるところには、○印が書かれていた。
結局、俺より先に、先輩が魔力切れになったため、俺が勝利した。とはいえ、その時の俺の残り魔力もギリギリ。かなり危ない戦いだった。
俺は他の試合の結果も確認する。
第二試合、ジョン先輩対リンネ先輩は、ジョン先輩の勝利。
第三試合、キャサリン先輩対ダイモン先輩は、キャサリン先輩の勝利。
第四試合、アーチェン先輩対シャーロット先輩は、アーチェン先輩の勝利。
第五試合、エリック先輩対ローガン先輩は、エリック先輩の勝利。
以上より、暫定順位はエリック先輩が単独一位で四勝。俺とアーチェン先輩、そしてカンネ先輩がともに三勝一敗で二位タイ。ジョン先輩、ローガン先輩が二勝二敗で五位タイ。キャサリン先輩が一勝三敗で単独八位。最後にダイモン先輩とリンネ先輩が四敗で九位タイだった。
今日から五回戦が始まる。早いもので、会員戦ももう折り返しだ。
今回の俺の相手はローガン先輩。俺が入会試験を受けた時の試験官である。
先輩はその時からすでに強かった。この一年で俺も成長しているとはいえ、全然敵う気がしない……。
「やあ、フォルゼリーナさん」
「……ローガン先ぱい」
すると、ちょうどローガン先輩がこちらにやってきた。そして、俺の隣で掲示板を見る。
「君はここまで三勝一敗で二位タイ……すごい成績だね」
「あ、ありがとうございます」
「いやー、僕なんて二勝二敗だから、敵わないかもなぁ~」
先輩はそんなことを言っているが、俺は勝てそうだなんて微塵も思っていない。
先輩はこれまでに戦った人よりもさらに強い相手なのだ。今までで一番厳しい戦いになるだろう。
それに、成長しているのは俺だけではなく、先輩も同じだろう。入会試験の時よりもさらに戦闘力や技術が上がっているに違いない。
とはいえ、先輩の戦闘スタイルはある程度割れている。
主に光系統と身体強化魔法を使った戦いを仕掛けてくるはずだ。実際、入会試験では、『インビジブル』を使った、視覚を惑わす戦闘を展開していた。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
「はい」
俺たちは練習場に入る。観客席を見ると、今回もリンネ先輩、ダイモン先輩、シャーロット先輩がいた。
「フォルちゃ~ん、ローガンく~ん、頑張れ~!」
「ありがとうございます、リンネ先輩」
「がんばります!」
そして、俺たちにジェラルド先生が声をかける。
「んじゃ、時間になったことだし、試合を始めようと思うが……」
「準備は大丈夫ですよ」
「わたしもです」
「ならよかった」
俺たちは数メートル空けて、向かい合って立った。
一瞬の静寂の後、先生が声を張り上げる。
「それでは、第五回戦第一試合、ローガン・ガルシア対フォルゼリーナ・エル・フローズウェイを始める!」
次の瞬間、ゴーン! と鐘の重低音が響き、試合が始まったのだった。
※
真っ先に俺は『ソナー』と身体強化魔法を発動する。先輩相手には、魔力視をするよりも『ソナー』が有効だ。
一方、その時先輩は驚くべき魔法を発動していた。
「ぶ、ぶんれつした……⁉」
目の前の先輩が、三人に分裂した。三人とも横に並んで、全く同じ格好、全く同じ動作をしている。
光系統の魔法だ。きっと、光の経路を弄って分裂しているように見せているのだろう。
『ほう、なかなかやりおるな、あの小僧』
光精霊のレナも感心している。
ただし、言うは易し、行うは難し。実際にこれを発動するのはかなり難しいだろう。きっと精密な調整が必要に違いない。もしやってみてと言われても、できる気がしない。
『妾ならちょちょいのちょいじゃ! やるか、フォル⁉︎』
後でゆっくりやろう、レナ。今は戦いに集中するべきだ。
また、この魔法は視覚を欺くだけではないようだ。魔力視を発動すると、分裂して見える先輩三人の周りに魔力がぼんやりと分散しているのが見える。例えるなら、魔力の霧がかかっているようだ。これにより、魔力視による本体の正確な位置の特定が困難になっていた。
だが、それも『ソナー』の前では無力。本物の先輩以外は、所詮、実体無き陽炎にすぎない。俺の『ソナー』には、先輩の本体だけが浮かび上がっていた。
「『ロックパイル』」
俺は先輩本体に向かって魔法を発射する。しかし、やはりというべきか、先輩は身体強化魔法を発動し、回避する。
「『ファイヤーボンバー』!」
俺は先輩に向けて次々と魔法を発動する。しかし、どれも避けられてダメージが入る様子がない。
「くっ……」
この先輩、動きがすばしっこすぎる! 入会試験の時よりもさらに動きが速くなっていないか⁉︎
やはりこの時期の一年という時間は、身体能力や魔力、魔法の技能を大きく向上させたようだ。
そして、そのすばしっこさは、『ソナー』の弱点を的確に突いてきていた。
『ソナー』が行っているのは、反響定位だ。つまり、風系統の魔法で超音波を発生させ、物体に当たって跳ね返ってきたそれを、跳ね返るまでの時間と方角から解析して、周囲の状況を把握するという一連の作業である。
確かに『ソナー』は、自分の周囲十数メートルの範囲であれば、視覚とほぼ同等の性能を誇る。しかし、その一方で明確な弱点があった。
それは、『タイムラグ』だ。
現状、俺は自分で反響定位ができないので、全部エルにやってもらっている。つまり、魔法で超音波を発生させ、跳ね返ってきた音波を解析する、という作業を、エルが一手に担っているのだ。
そのため、どうしても周囲の状況を把握するのが遅れてしまう。具体的には、音を受け取ってからコンマ三秒からコンマ五秒ほどの遅延が生じてしまっていた。
さらに、『ソナー』の仕組み自体にも遅延要因が存在する。
光に比べて音があまりにも遅すぎるのだ。
音の速度は、摂氏十五度の空気中で秒速約三百四十メートルである。
一般的に見れば、これはとても速い。しかし、瞬間ごとに状況が大きく変化していくような場合、音を用いての観測ははっきりとわかるほどの遅延をもたらす。
例えば、秒速十メートルでレーンに沿ってまっすぐに走る人間を、レーンからちょうど十メートル離れたところから『ソナー』で観測するとしよう。
このとき、自分の目の前に走者が来たときに、その人に『ソナー』の音波が当たって跳ね返ったとする。このとき、その音波が自分に返ってくるのはおよそコンマ〇三秒後。この間にその人は三十センチは進んでいる。しかも、その音波が自分から発射されたのは、『ソナー』の音波が跳ね返るコンマ〇三秒前。
まとめると、この場合は、視覚のおよそコンマ〇三秒後の状態が、さらにそのコンマ〇三秒後に届くのである。
もちろん、相手がこれより速かったり、自分と相手の距離が遠かったりすれば、このラグはさらに広がるし、逆なら縮まる。
ただ忘れていけないのは、これに処理のラグ、最大コンマ五秒が加算されるということだ。これを踏まえれば、この例では最大六メートル近くのずれが生じることになる。
つまり、『ソナー』は互いにほぼ静止している状態でしか効力を発揮せず、互いに激しく動き回るような状態では、どうしても正確性が落ちてしまうのだ。
今回の試合は、まさに後者のような状況だった。
魔法を撃てども、先輩には全然当たらない。周りの観客から見れば、俺は少しズレた位置にいる幻影に向かって必死に魔法を放っているように見えるだろう。
それなら、動きを予測して先回りした位置に撃てばいいではないか、と思うかもしれない。
だが、先輩は身のこなしがとても上手だった。フェイントを織り交ぜつつ、予想外の動きをすることで、するすると俺の予測を見事に外していく。
このままでは埒が開かない!
今の俺は先輩の土俵で戦っているような状態だ。これをどうにかして、自分の土俵に引き摺り込まなければならない。
先輩にできなくて、俺にできるもの……。それならば、あれが一番効果的だろう。
「『フロート』!」
俺は先輩から距離をとると、浮遊魔法を発動する。
さすがの先輩も、宙に浮いている相手には攻撃できないだろう!
上からじっくり一方的に魔法で爆撃してやるぜ!
そう思ったのだが。
「浮遊魔法を使われると、困るんだよね」
次の瞬間、俺の近くの天井へと伸びる柱を、上へと走る先輩の姿があった。
垂直な柱の側面を走ってるよこの人⁉︎ 斜度九十度なのに⁉︎
しかし、身体強化魔法のおかげか、強力な足のグリップ力と凄まじい勢いで、難なく上っている。
ち、チートすぎる……!
それに、判断も恐ろしく速い。俺が地面を離れてからノータイムで、近くの柱を駆け上がるなんて……。普通の人なら、まず見上げるだけで、何もできないだろう。
とにかく、俺は柱から離れようとする。だが、その前に先輩は柱を蹴って、俺の体に掴まった。
「捕まえた」
「いやああぁぁああ!」
掴まられた勢いで俺の姿勢が乱れ、頭を前にして意図しない方向へすっ飛んでいく格好になった。
俺はどうにかしようとするが、次の瞬間、ゴン! と凄まじい衝撃が俺の脳天を襲う。
「ごっ゛!」
そして、鈍い痛みを最後に、俺は意識を失ってしまった。