一回戦の第二試合は、案外早くやってきた。
「それでは、第一回戦の第二試合です!」
興奮気味の司会の声に応えるような観客の歓声。それに飲み込まれそうになりながら、俺はステージに上がる。
司会の人は相手と俺の紹介をしていたようだが、俺は緊張のせいでその内容がいっさい頭に入ってこなかった。
目の前にはすでに対戦相手が俺を待ち構えている。見た感じでは、俺と同い年くらいだろうか。
しかし、スカートとソックスの間から見える太ももや、腕まくりにより見える二の腕には、筋肉がしっかりついているのが見える。簡単に勝てる相手ではなさそうだ。
すると、彼女は俺のことを見ると、鼻をフンと鳴らして薄ら笑いを浮かべた。
「勝たせてもらうぜ」
「な……こちらこそ!」
その態度に、思わずカチンときた。
相手は俺の体つきを見て舐めてきている。
確かに俺は華奢で、とても力があるようには見えない。十人に聞いたら十人がそう答えるだろう。
しかし、このまま舐められたままでは非常に不愉快だ。ならばどうするか? 相手がそのような態度であれば、圧倒的な力で叩き潰すのみだ。
俺は腕まくりをする。そして、相手と俺は同時にステージ中央のテーブルに歩み寄ると、右肘をついて、準備を整えた。
「それでは、第一回戦の第二試合を開始します!」
舞台袖から店長さんがやってくると、俺たちが組み合った手の真横に立ち、そこに軽く自分の手を乗せた。審判役をするらしい。
司会の人も、観客も静かになる。それに比例するように、俺の集中力は増し、感覚が鋭くなっていった。
そして誰も喋らない静かな空間が生まれた直後、店長さんの声が鋭く切り裂いた。
「始め!」
店長さんが勢いよく手を離す。勝負開始だ。
俺は瞬間的に最大限の力を込める。常人が引き出せないような領域まで、一気に引き上げる。
「うおおおっ⁉︎」
最初のコンマ数秒は、俺たちの腕は拮抗していた。しかし、強くなり続ける俺の力に対抗できなくなったのか、徐々に相手の腕が下がり始める。
俺は勝負を終わらせるために、一気に畳みかける。体を捻り、体重を乗せる。
勝負が始まってから時間にして二秒半。ほぼ一方的な展開の後、相手の右手の甲がテーブルに接触した。
それを確認した店長さんが、「そこまで!」と叫ぶ。
大したドラマもなく、あっけなく勝負が終わったからなのか、勝負が終わっても観客席からは盛り上がった声は聞こえなかった。そんな中、司会の人が慌てたように発言する。
「おっと、あっという間に決着がついてしまったー! 勝者は、『カフェ・ルミエール』のほまれちゃんです!」
司会がそう言うと、観客席から拍手が起こる。
「強い、圧倒的に強い! ほぼ一方的な展開でした! とても力があるようには見えないが、間違いなく、今回の大会のダークホースです!」
勝負が終わり、ホッと一息ついているところで、相手がこちらに近づいてきた。
「……いやあ、負けた負けた。強いな〜」
「ど、どうも」
「あたしの分まで、頑張ってくれよ」
「もちろん」
俺たちは握手を交わす。言われなくても、もともとこの大会で優勝するつもりで参加しているのだ。これからも手加減はいっさいしないつもりだ。
ただ、俺には気になる点が一つだけあった。
俺は右腕を見つめる。
なんだか奇妙な感覚がする。本来の腕の感覚と今の感覚が微妙にズレているような気がするのだ。
何か嫌な予感がして、俺はおそるおそる自分の右腕に触れる。そして、左手で右腕を軽く掴むと、肘関節を動かさないようにして動かしてみる。
「……!」
ガタガタと何かが軋むような音を立てて腕が揺れる。明らかに普通ではない。
俺は比較のために右手で左腕を同じようにしてみるが、全然ガタガタしない。当たり前だが、ガッチリと固定されているので動かない。
……腕が外れかけている。肘関節の部分が不具合を起こしているのだ。
これの原因は一つしか考えられない。もちろん、腕相撲だ。
腕相撲では腕を外側に捻るという、普通に生活していたら滅多にしないような動きをする。
ここで俺がこの体になって初めて目覚めた日を思い出す。みやびは俺がアンドロイドになったことを示すために、腕を外側に捻って接合部分を外し、中の機械を露出させた。
その時は左腕だったが、右腕も同じようにすれば外せるはずだ。
つまり、腕相撲をすることによって、腕を外すような方向に力が加わってしまい、意図しない形で腕の接合部分が緩んでしまった……。おそらく、こういうことなのだろう。
しかし、腕がガタガタ鳴るだけで、まだ実害は起こっていない。本当ならみやびに診てもらうのが一番なのだが……残念ながらみやびは今日は研究所にいる。イベント会場までは遠すぎて来てもらうのは大変だし、そもそもチケットもないのに会場に入れるかどうか。
……まあ、そこまで心配しなくてもきっと大丈夫だろう。
要は、自分の腕が外側に捻られないようにすればいいのだ。つまり、一方的にぶちのめすような勝負をすればいい。そして、俺にはそれだけのパワーが備わっているはずだ。
……そう思っていた時が俺にもあった。
「うぬぬぬぬ!」
「ふぬぬぬぬ!」
二回戦、第一試合。
俺は相手と激戦を繰り広げていた。
俺の対戦相手は、目の前にいるメイドさん。年齢は俺より年上だ。褐色の肌をしていて、身長も高い。おそらく外国の血が入っている人だろう。
そして、なにより目を引くのは、その筋肉だ。腕はもはやボディビルダー並みにムキムキに隆起していて、とても太い。第一回戦の人もかなり強かったが、この人はそれとは比べものにならない。ものすごいパワーで俺をねじ伏せようとしてくる。
しかし、俺だって負けていられない。アクセル全開、フルスロットルで腕に力を込める。
「おーっと! これは凄まじい激戦だ! はたして、勝利の女神はどちらに微笑むのかー!」
司会が煽ると、会場のボルテージも最高潮に達する。
俺たちの腕は一進一退を繰り返す。相手の腕がちょっと倒れたかと思うと、今度は俺の腕がちょっと倒れる。その度に力を込め直す。これがずっと続いていた。
俺は歯を食いしばりながら、自分の右肘を見る。
さっきから違和感が大きくなっている。今もガタガタと震えていて、皮膚にはうっすらと線が見えてきている。腕のが外れるのも、時間の問題だった。
どうする、俺! このままでは俺が人間ではないとバレてしまう。こんな不特定多数で衆人環視の状況でバレるのがマズいのは当然だ。
ではわざと負けて強引にバレるのを回避するか? いや、そんな理由で勝負を諦めたくはない!
だったら、俺が取るべき行動は一つしかない。
とっとと勝負を終わらせて、勝つ!
「うおおおおお!」
俺は叫びながら、自分の限界まで力を込める。
すると、腕が少しずつ動き出した。今度は相手に押し返されることなく、わずかずつではあるが、ジリジリと相手を押し込んでいく。
相手の腕を倒す速度は、相手の腕が深く倒れるほどどんどん増していき……。
「そこまで!」
テーブルに相手の手の甲をつかせることに成功した。
「ここで勝負は終了です! 勝者は、カフェ・ルミエールのほまれちゃん!」
俺はホッとため息をついた。よかった、まだ腕は外れていない。
そう思って、テーブルについていた肘を離した……その瞬間だった。
「う……⁉︎」
腕に決定的な違和感が生まれた。そこにあるべきはずの感覚が、別のところにある感覚。俺は咄嗟に左手で右肘を掴んで、ギュッと握った。
こ、これはマズいかもしれない……!
そんな俺の様子を不審に思ったのか、店長さんが訝しげに聞いてくる。
「ほまれ、どうしたんだ?」
「ああ、いや、なんでもないです……ちょっと、トイレに行ってきますね〜」
俺はそう言い残すと、強張った笑みを浮かべながら、ステージを下りて早足でトイレに向かった。