翌々日、午後三時。ついに、メイド喫茶で腕相撲大会に向けた予選が始まった。
「……でも、まさかお客さんがいる前でやるとは思わなかったよ」
「店長さん、商魂逞しいからね〜」
俺と飯山が会話を交わす目の前では、俺と同じくバイトの人が本気の腕相撲をしていた。両者とも腕力は同じくらいらしく、一歩も譲らぬ展開。美少女が、ふぬぬ……とか言いながら、体をプルプルさせて踏ん張っている。
それを見ている客。勝負をしている二人の名前があちこちから聞こえ、店内は応援合戦の様相を見せていた。
その一方で、勝負の順番待ちをしている他のメンバーは、腕相撲をしているテーブルを避けて、忙しなく料理を運んでいる。それもそのはず、この勝負を一目見ようと、常連を中心にたくさんの客がこの店に押し寄せてきていたからだ。
壁には『腕相撲予選会』のポスター。それだけではなく、店の公式SNSにもこのことは事前に告知していた。すべて、店長さんがやったことだ。用意周到だな。
「すいませーん」
「は〜い、今行きま〜す」
すると、飯山が客のところへ向かっていった。俺もぼーっとしている場合ではない!
俺も接客したり料理を運んだりしていると、背後からおおっ、という声。どうやら一勝負あったみたいだ。
しかし、それに気を配る暇はない。俺は忙しなく動き回り、料理を運んだりチェキを撮ったり、大忙しだった。
しばらくすると、飯山が俺の袖を引っ張ってきた。
「ほまれちゃん、出番だよ!」
「う、うん!」
俺は一時的に接客から抜けると、勝負の舞台へと向かう。
相手は一つ年上の人だ。身長は俺より高く、スポーツでもやっているのか、腕にはそこそこ筋肉がついているようだった。
俺も、腕まくりをする。そして右肘をついた。
準備ができたところで、右手をガッチリ組み合う。
「準備はできた〜?」
「うん」
「いいよ」
どうやらレフェリーは飯山が務めるようだった。
準備は万端だ。
「全力で行かせてもらうよ!」
「こちらこそ」
手加減はしない。一瞬でケリをつける!
「それではレディ〜、ファイト!」
飯山が俺たちの右手から手を離す。次の瞬間、俺は最大限の力を腕に込めた。
当然、相手の腕力がこちらに敵うこともなく……。
「ふん!」
「あっ!」
ガン! という音とともに、相手の右腕はしっかりとテーブルに接触した。
一秒にも満たない勝負。あまりにもあっけなく試合が終わったためか、店内はシーンと静まり返る。皆、こちらをみて唖然としていた。
「勝負あり〜、ほまれちゃんの勝利!」
この状況で最初に声をあげたのは、飯山だった。俺の手を取り、ボクシングの試合後に勝者を宣言するかのごとく、高々と掲げた。
それを皮切りに、店内からは拍手が起こる。俺は少し恥ずかしくなった。
「いや、強すぎ! 反則級でしょ〜」
「あはは、どうも……」
相手が俺に対して声をかけてくる。実際俺はアンドロイドなので、なんだか反則をしているような気分になる。俺からは変な笑みしか出てこなかった。
その後も俺は順調に勝ち続け、ついに決勝戦に進出した。
この場に来た客も、バイトの皆も、俺が本当に勝ち進むとは思っていなかったようだ。
会場は大盛り上がり。俺はすっかり、ダークホース的な存在として祭り上げられていた。
さて、次の相手は誰だろう?
飯山は途中からずっとレフェリーをしていたし、それまでは接客をしていて一度も勝負に参加していない。どうやら、腕相撲大会には参加していないようだった。
「それにしても、次の対戦相手は誰? もしかして、ひなた?」
「いいや、私だ」
そんな声とともに、キッチンから現れたのは、店長さんだった。
なんと、店長さんはメイド服姿をしていた。店長さんのメイド服姿を見るのは初めてだ。いつもキッチンに篭って料理を作っているので、ホールに出てくるのは俺の知る限り初めてだった。
客の一部からは歓声が上がる。どうやら店長さんの熱烈なファンも一定数いるらしい。そんな人たちに店長さんはキリッとした顔を崩して笑顔を浮かべる。
「お待たせっ、この店の主、店長さんだぞっ♡」
「「「「おおおおおおお!」」」」
店長さんの可愛い姿に、客は大盛り上がりだ。俺は、いつものクールそうな姿とのギャップに、脳がまったく追いついていなかった。
「て、店長さんだったんですね」
「ああ。ちゃんと勝負を勝ち抜いてきたぞ」
店長さんはニヤリと笑うと、肘をテーブルの上に置いた。
「本気で行きますよ」
「もちろんだ、さあ来い!」
俺も同じように、勝負の体勢を整える。
「それでは、決勝戦を始めま〜す。準備はいいですか?」
「うん」
「ああ」
飯山が両手を俺たちの右手の上に置く。
「それでは、レディ〜、ファイト!」
飯山がパッと手を離した。
「んおおっ⁉︎」
次の瞬間、俺の腕は一気に持っていかれそうになった。体が傾く。
店長さんの腕が、俺の腕をほぼ倒しかけていた。今にも、手が机についてしまいそうになっている。
俺はこれまで以上に力を込めて耐える。そのおかげか、ギリギリのところで俺の腕は止まった。ヒヤヒヤする。
店長さんの姿勢を見る。テーブルの端を左手で掴み、手首はまっすぐに、体ごと腕を右に倒している。体重を乗せている格好だ。
「んぬうぅ……!」
店長さんは苦しそうな声を出す。その腕はブルブル震えていた。おそらく、俺を短期決戦で仕留めるつもりだったのだろう。
しかし、その目論見はあと少しのところで俺に阻まれた。
さあ、ここからは逆転の時間だ!
俺は店長さんの真似をする。
まずは手首に力を入れて腕と手をまっすぐにする。ギギギと音が鳴りそうな動きをしながらも、無理やり俺は体勢を整えた。
次に、テーブルの端を掴む左手に力を込める。俺の百キロオーバーの握力がテーブルに加わり、ギシギシと音を立てた。
最後に肘を動かさないようにして、体重をかけて腕を倒す。
すると、少しずつだが腕が動き始めた。同時に店長さんが歯を食いしばってものすごい顔になりながら踏ん張る。
しかし、俺の腕が止まる気配はない。店長さんの腕はゆっくりと、ゆっくりと倒れていった。
「おおお〜」
呑気に飯山が感嘆の声をあげる。
いける! これなら、勝てるぞ!
そんなことを思ったその瞬間だった。
パキ、と俺の右肘から、嫌な音が鳴り響いた。
何かが外れたのだろうか? そう思って目線だけ音のした方を向けるが、特に何も変化はない。腕や手の挙動にも変化はなかった。
ならば、そのまま押し込むまでだ!
「んんっ!」
俺はよりいっそう力を入れると、店長さんの腕をテーブルに押し付けた。
彼女の手から力が抜ける。
「勝負あり! 勝者、ほまれちゃん!」
「「「「おおおおお!」」」」
会場から拍手が鳴り響いた。俺は客に向かってペコリと頭を下げた。
「いや〜、おめでとうほまれ。本当に強かった」
「あ、ありがとうございます」
「晴れて、ウチの店の代表だ。私たちの分まで、頑張ってくれよ」
「はい!」
店長さんは悔しそうな、それでいてどこかスッキリしたような表情をして、俺の頭をポンポンと叩いた。
「ほまれちゃん〜、スゴかったよ〜!」
「へへ……でも、ひなたとも戦ってみたかったな。出場しないんでしょ?」
「え? わたしも出るよ?」
「え?」
俺には、飯山の言っていることの意味がよくわからなかった。
「でも、店の予選会には参加していなかったよね?」
「うん」
「じゃあなんで?」
すると、店長さんが衝撃の事実を告げてきた。
「ああ、ひなたは、前回大会のチャンピオンなんだ。だから、予選免除なんだ」
「え……え⁉︎ チャンピオン?」
俺は飯山の顔を見る。
彼女は、驚く俺を不思議そうに見ていた。
「前に言っただろう? 本戦は各店の代表七人と、前回優勝者の一人を加えた八人だと。その前回優勝者が、ひなたなんだ」
「うそー⁉︎」
「ホントだよ〜!」
俺は思わず大きな声を出してしまう。
飯山が……前回チャンピオン? とても信じられない。
腕がムキムキであるわけでもないし、飯山が何か運動をしているという話も聞いたことがない。部活をしていないことは、以前聞いた。
しかし、彼女は謎に運動神経がいいので、腕相撲が強いと言われても納得はできる。
「とにかく、本戦ではお互い頑張ろうね!」
「う、うん……」
にっこりと笑ったその笑顔は、いつもと何らか変わらないはずなのに、その時はなぜか少し怖く見えた。