「なあ、その猫耳、どうしたんだ?」
授業の合間の休み時間に、俺は前の席に座っている佐田からそう尋ねられる。
「実は一昨日右耳が故障しちゃって、すぐには修理できなかったから、暫定的にこれで代替しているんだ」
「そうだったのか」
みやびの言うとおり、先生たちは事情を知っているらしく、担任の斎藤先生も、今日今までに授業をしにきた先生も、俺の猫耳ヘッドホンについては特に何も言わなかった。しかし、クラスメイトたちまでは知らないようだった。
「……なんか、髪の色と相まって、遠くから見ると本当に猫耳が生えているように見えるな」
「やっぱり?」
やはり、みやびの『ちょっと奇抜なヘッドホンくらいにしか皆思わないよ』という主張には無理がありそうだ……。
「聞こえにくくはないのですか?」
「……え、どうしたの越智?」
「以前と比べて聴力は変わらないのですか?」
「うーん、聴力自体は変わらないと思うけど……聞こえやすい方向と聞こえにくい方向があるかな」
現に、越智に後ろから話しかけられてもあまり聞き取れなかった。耳が前を向いているため、前の方からする音はとても聞きやすいのだが……。教室前方の教壇から音がする授業中なんかは特に問題はないものの、後ろから話しかけられると少し厳しい。首を回して、音のしてくる方を向かなければならない。
「本当に可愛いデスね〜。日本でネコミミガールを見たいと思ってたデスが、まさかこんなところで見られるとは……」
「コンセプトカフェとかに行ったらいくらでも見られるだrに゛ゃ゛ぁ゛あ゛あ゛」
突然何者かに耳を掴まれて、俺は強制的に奇声で言葉を中断することになった。しかし、何者かは俺の耳から手を離すことなく、ゴシゴシと荒っぽく撫でてくる。そのたびに、俺の背中になんとも形容しがたいゾワゾワした感覚が走り、奇声の発声が止まらない。
今すぐ体を投げ出して暴れたい衝動をなんとかセーブしつつ、俺は体を反転させて、俺の耳を掴んでいる元凶がいると思われる方を向く。すると、そこには体を乗り出して俺の耳をがっちりと掴んでいる檜山の姿があった。
俺は彼女の腕を掴むと、俺の耳から手を放させた。
「何するんだよ!」
「そこに猫耳があったから、触ってみよっかなーって」
「勝手に触らないでよ!」
「ごめんって……まさかそんなに嫌がるとは思わなかった」
なぜか俺の猫耳は異常なまでに敏感だった。この耳になってからこれで三回目。どうして人はこんなに猫耳に触りたがるのだろうか……。いっそのこと、『猫耳を無断で触らないでください』って書いたボードを首から下げてやろうか……。いや、それだとカリギュラ効果で逆に皆に触られそうだ。
「まったく……猫でもこんなことされたら怒るでしょ!」
「確かに……つまり、天野は猫だと思って扱えばいいってことか」
「俺は猫じゃなーい!」
だいたい、俺は自分の意思で猫耳になったわけではないのだ。部品が足りなかったから、たまたまこうなってしまっただけで、猫耳にしたくてしたわけじゃない。それに、もっとデザインのしようはあったはずなのに、わざわざこの形になったということは、これをつくった人の趣味が入っているに違いない。つまり、これはみやびの趣味だ!
「でも、ほまれちゃん似合ってるよ〜。猫耳かわいい〜」
「そ、そう? ありがとう」
でもまあ、褒められると悪い気はしないな……。
すると、続けて飯山が意味深なことを呟く。
「それに、猫耳でちょうどよかったかも」
「え、どうして?」
猫耳だと何か都合がいいことがあるのだろうか?
そう思って俺は聞き返すも、飯山はいつもどおりニコニコするだけで教えてくれなかった。
「それは、今日バイトに行ってみればわかるよ〜」
「え、気になるんだけど」
「ん〜、今はわたしの口からは言えないかな、ごめんね」
「そ、そっか……」
今日はメイドカフェでバイトをする日だ。前回シフトに入った時は、直近で何か特別なことをするとは特に聞いていなかったが……。何かあるのだろうか? 無茶振りとかなければいいんだけど……。
この後も普段どおりに授業があったが、意外にも猫耳が原因のハプニングは起こらず、俺は普段とほとんど変わらない学校生活を過ごすのだった。
※
放課後になってからすぐにいったん帰宅すると、俺は私服に着替えてすぐに家を出る。そして、すぐに自宅の最寄り駅から電車に乗ると、都心側の終点駅まで乗り通した。
いつ来てもこの駅は人で溢れかえっているなぁ。そんなことを思いながらも雑踏の中をバイト先に向かって歩いていると、ポンと肩を叩かれた。
「ほまれちゃん!」
「うお、飯山か……ビックリした。偶然だね」
飯山と俺はシフトが同じ時間帯に入っていることが多い。そういうときは店に到着する時刻は近いのだが、最初の面接以降、店に向かう道中で会うことは一度もなかった。こうして道中で遭遇するのは実は初めてである。
「今日も頑張ろうね〜」
「うん」
雑踏を抜けると、俺たちは人通りの少ない狭い道に入る。そしていつもの店の裏口から入ると、スタッフルームへ続く無機質な廊下を歩いていく。
「ねえ、そういえば今日の休み時間にさ、『猫耳だと都合がいい』みたいなこと、言ってたよね」
「あ〜うん、そうだね」
「それって結局どういう意味なの? 店の中に入ったんだし、教えてよ」
「……わかった。えっとね〜」
飯山が種明かしを始めようとしたタイミングで、俺たちはドアを開けてスタッフルームに入ろうとする。俺がドアノブに手をかけてドアを開けた次の瞬間、俺の視界にとんでもない光景とともに、耳にもとんでもない音声が飛び込んできた。
「おかえりにゃさいませ〜、ご主人様にゃぁ♡」
スタッフルームの中央に、店長さんがいた。
メイド服を着て、猫耳と尻尾をつけ、普段のクールさからは想像できないような甘ったるい声を出して、猫のポーズをしながら。
俺は唖然として固まってしまった。飯山も言葉を紡ぐことなく固まっている。俺たちは二人とも、その視線の先を店長さんに向けたまま、微動だにしなかった。
一方の店長さんも、俺たちがドアを開けた音に反応してこちらを向いたまま、固まっていた。
「…………」
「…………」
「…………」
無言で見つめ合う時間が流れる。俺のシステムで計測した実時間は一秒とコンマ七十八だったが、体感的にはそれより長く感じられた。
俺を衝撃が襲っていた。普段の様子とはあまりにもギャップがありすぎて、この人が店長さんであると認識するのを俺は拒んでしまっていた。確かに、メイド服で接客する店長さんの姿を見たことはある。だけど、今のような感じではなかったはずだ。この人は本当に店長さんなのか? もしかしたら店長さんではないのかもしれない。
スー、ガチャッ。
俺は、先ほどの動作を逆再生したかのごとく、無言で元どおりにドアを閉めた。
あれは……いったい何なんだ? いったん落ち着いてから、もう一度確認しよう。
「ふぅ……」
俺は一息つくと、もう一度ドアを開く。
スタッフルームの中央には、何のポーズもとっていない、無表情な店長さんが立っていた。
「おう、お疲れさま、ほまれ、ひなた。今日は早かったな」
何事もなかったかのように、いつものように挨拶する店長さん。やはり、さっきのは俺の見間違えか……。
「いやいやいや、店長さ〜ん、今の何ですか〜!」
そんなわけがなく、すかさず飯山がツッコんだ。
やはり扉の向こうにいたのは店長さんで間違いなかったようだ。現に今も店長さんはメイド服姿で、猫耳と猫の尻尾はつけたままだ。
「……やはり見られてしまったか」
「え、もしかして店長さんもやるんですか〜⁉︎」
「いや、そういうわけではないが……」
なんだか俺だけ蚊帳の外にされているようだ。話についていけない俺は、少々悪いと思いながらも二人の会話に割って入る。
「どういうことですか? もしかして、飯山が言ってたことに関係あるのか?」
「そうそう、そういうこと!」
飯山はすぐに認めた。ということは……なるほど、だいたい察しはついた。
すると、店長さんが説明を始める。
「今日全員に話す予定だったんだが、実は来週からうちの店で『キャットフェア』を始めようと思ってな……」
「『キャットフェア』?」
「名前どおり、猫をテーマにしたフェアだ。猫をモチーフにした期間限定メニューを出したり、商品を出したり……あとは、ホールスタッフに猫耳と尻尾をつけて、語尾を猫っぽくして接客してもらおうと思っていたんだ」
なるほど、だから飯山は俺の猫耳を見て都合がいいと言ったのか。
「それで、店長さんもキャットフェアのために、あーいうことをやってたんですね〜」
「あれは忘れてくれ! なしだなし!」
普段はクールな店長さんが、顔を赤くして手をブンブンを振っている。よっぽど恥ずかしかったのかな……。
「でも、店長さん可愛かったですけど」
「ほまれちゃんの言うどおりですよ! 店長さんも、やりましょう! ね!」
「えー……だけど……」
「普段とのギャップも相まって、ぜーったい! 人気出ますって! やりましょう!」
ふんす! と飯山は鼻息を荒げながら拳を握ってブンブンを振る。めちゃくちゃ熱意がこもっている。
その勢いに押されたのか、いまだ顔を赤くしながらも、店長さんは恥ずかしそうに押しきられた。
「そ、そこまで言うなら……検討しておく……」
「よしっ!」
飯山は、小さくガッツポーズをした。
「それにしても、ほまれは珍しいデザインのヘッドホンをしているな。猫耳がついているぞ」
「ヘッドホン!」
「違うのか?」
ここにきて初めてこれをヘッドホンだと認識してくれる人が登場した。ずっと猫耳猫耳言われ続けてきたので、ちょっと嬉しかった。
「実は……」
俺は店長さんに、今朝佐田たちにしたのと同様に、簡単に事情を説明した。
俺の説明を聞き終えた店長さんは、なるほど、と言葉を漏らした。
「つまり、今はこれで音を聞いている、と言うことだな」
「そうです」
「……触ってもいいか?」
「それは……ちょっと」
「ダメか?」
「実は変に感覚が繋がっているっぽくて、触られるとゾワゾワするんです」
「そうか……ならしょうがないな」
さすがは店長さん! 触ってもいいか事前に聞いてくれるなんて……! これまで無断で触られてばかりいたので、俺はちょっと感動してしまった。
「それじゃあ、ほまれの分の猫耳はいらなくて、尻尾だけ用意すればいいってことか?」
「そうですね、猫耳を二重にするのも変ですし」
もし猫耳フェアが始まる前に修理の準備が整ったら、みやびに言って延期してもらおう。
「そうか。じゃあそういうことで」
「お願いします」
「よし、そろそろ開店時間だ、今日もよろしく頼むぞ!」
「「はい!」」
というわけで、俺たちはロッカールームに着替えに向かうのだった。