みやびの言葉の意味を飲み込むのに、俺は少し時間がかかった。
「……つまり、俺がコンピューターウイルスに感染してしまったのは、誰かが意図的に俺にウイルスを送りつけたから、ってこと?」
「うん」
「……俺は、ウイルスのことはよくわからないんだけどさ、ただ俺のセキュリティが弱くて、感染しちゃったんじゃないの?」
「それはないよ!」
みやびは強い口調で断言する。
「お兄ちゃんの頭脳部分は、何重にも厳重にセキュリティがかかっているから、よほどスゴいウイルスでない限り、感染しないんだよ」
「でも……」
「それに、そもそもの話、お兄ちゃんは普段、インターネットに接続していないでしょ?」
「あ……」
俺には、インターネットに接続できる機能が搭載されている。だが、セキュリティ面やパフォーマンス向上、そして通信料金の節約のため、緊急時以外はOFFにしていた。
「でも、だったらどこから感染したんだよ?」
「家のWi-Fi」
そんな俺にも、唯一インターネットに接続できる場所がある。それは、自宅。自宅にいるときは、基本的にインターネットに接続できる設定になっているのだ。
「お兄ちゃんが倒れた時、怪しいと思って家のWi-Fiを調べてみたんだ。そしたら、ビンゴ。ウイルスがお兄ちゃんの頭脳に感染していたの」
「そ、そうだったのか……ということは、そのウイルスの出所もわかったのか?」
「うん」
「どこだったんだ?」
「ロシア」
その単語を聞いて、俺はゾクっとする。嫌な想像が頭の中に浮かぶ。
「もしかして……」
「……お兄ちゃんも薄々わかっていると思うけど、明らかにサーシャが絡んでいると思うんだ」
「だよな……」
文化祭の前に発覚した、俺の部屋の盗聴器。それをサーシャが仕掛けた可能性が極めて高いことを考えると、今回の事件にもサーシャが絡んでいるように思えてしまう。
「それに、これはお兄ちゃんには言ってなかったんだけど……実はロシアからの攻撃は初めてじゃないの」
「え、そうなのか⁉︎」
「うん。あ、お兄ちゃんにじゃないよ。夏休みが終わるくらいに、研究所の方がハッカーに攻撃されたんだ」
「そ、そうだったのか……」
これは、ほぼ黒確定じゃないか?
それにしても、サーシャがこんなことをするなんて……。彼女は、語尾がデスで、陽気で、テンション高くて、ちょっと空気が読めなくて、俺にベタベタくっついてくるような奴だ。とても考えられないが……。
「あ。そうか、そういうことか……?」
「どうしたの?」
「いや、サーシャって、俺にやけにベタベタくっついてくるよな? それってもしかして、アンドロイドがただ珍しいからとか、俺に好意を持っているとか、そんなんじゃなくて、ただ俺からどうにかして機密情報を抜き出したくて、その隙を探っていたんじゃないかって……。ほら、前にみやび、言ってたじゃん。俺は『歩く機密技術の塊』だって」
そう考えると納得がいく。そして、同時に恐ろしくもある。俺の予想が本当なら、俺は今までどれだけ無防備だったのだろうか、と。
俺は不安になってみやびに尋ねる。
「なあ、今のところ、俺から機密情報が漏れたりはしていないんだよな?」
「たぶん、大丈夫だと思う」
「そっか……」
とりあえず、俺が危惧していた事態は避けられているようだ。
現時点では、サーシャが関わっているとはまだ確定できていない。俺たちはその尻尾を掴んでいるわけではなく、微かにシルエットが見えているだけだ。
だが、これからもサーシャがこの家にいる限り、このようなことが何度も起こる可能性は高い。いったいどうすれば……。
幸いにも、サーシャは今部活に行っていて家にはいない。だが、もうすぐ帰ってくる。それまでに、ひとまず今後の方針をまとめておく必要があった。
「みやび、これからどうすればいい……?」
「まずは、サーシャが関与している、っていう証拠を掴まないとね。でも、これはすぐに掴めると思うよ」
「そうなの?」
「うん。だって、ほら」
そう言って、みやびが俺に見せてきたのは、アンテナのついた小型の機械。ドラマで警察がよく持っているような、レシーバーのような見た目をしている。
「……これは?」
「盗聴器のレシーバー」
「盗聴……⁉︎ どこに仕掛けたんだ?」
「サーシャの部屋」
やられたらやり返せ、の精神を、みやびは見事に実践していた。いつの間に仕掛けていたようだ。
「数日前からこれで盗聴していたんだけど、三日後に何かをするらしいよ」
「何か、っていうのは?」
「そこまでは聞き取れなかった。サーシャ、めっちゃ小声で話すし早口のロシア語だから全然聞き取れないんだよ……。それに、別の手段も使っているから、完全には内容はわからなかった」
「でも、何かやる、ってことはわかったと」
「うん」
「じゃあ、それを追求することになるね。今夜、問い詰めてみる?」
「いやいや、気が早いよお兄ちゃん」
「え? ……だって、俺に何かしてくるんだろ? だったら、それを防止しなきゃ。何かされるの嫌だし」
「そりゃそうだけど……でも、サーシャが関与している証拠を、なるべく言い逃れできないように押さえなきゃ。今のままじゃ弱いんだよ」
「……確かに。でも、このまま何かされるわけにもいかないよな」
「うん、だから、お兄ちゃんには囮になってほしいんだ」
「囮?」
俺は眉を顰める。
「そう、囮。サーシャをトラップに引っ掛けて、言い逃れできないように現行犯で押さえる。お兄ちゃんには、サーシャをおびき寄せる役をしてもらいたいんだ」
「……作戦はあるんだよな?」
「もちろん」
俺はみやびから、作戦の概要をひととおり聞く。
「……なるほど。でも、サーシャはそううまくはまってくれるかな?」
「お兄ちゃんの機密データを盗むのが目的なら、手段は限られてくる。だから、さっき話したみたいにその手段を減らしてやれば、サーシャの行動をコントロールできると思うんだ。確約はできないけど、九十九パーセントくらいの確率で、罠にはまると思うよ」
「……まあ、仮にサーシャがそういう行動をとったとして、だ。俺は大丈夫なのか? かなりリスキーだと思うんだけど」
「大丈夫大丈夫。お兄ちゃんの体は、思っているより強いんだよ?」
「…………」
いまいち信じきれないが……。しかし、いつかはサーシャの白黒をはっきりつけなければならない。もしサーシャが関わっているのだとしたら、今日みたいに俺の存在自体が危ぶまれる事態が、再び起きてしまうかもしれない。それはなんとしてでも防がねば。
「もしサーシャが三日後に行動を起こしてこなかったら?」
「そのときはそのときで考えよう」
「わかった」
「あ、わかっていると思うけど、くれぐれも今の話はサーシャの前ではしないでよ。サーシャに気づかれるのもマズいから、態度も変えないこと!」
「わかってる」
「それに、この話は二度としないからね。絶対に忘れないでよ」
「うん」
そして、俺たちは、三日後の作戦決行の日を待つのだった。