数日後の放課後。この日は部活がなかったので、俺は帰ろうとバッグを持って席を立つ。
「ほまれ、帰りましょう」
すると、俺にみなとの声がかかる。声のした方を見ると、教室のドアのそばに、バッグを持った彼女が立っていた。
「あ、うん」
今日はみなとの部活もない日だ。俺は立ち上がってみなとのところへ向かおうとしたのだが。
「ほまれ! 一緒に帰るデス!」
「おぅふ⁉︎」
突然、背後から衝撃。俺はその勢いにつんのめって倒れそうになったが、辛うじて耐えた。
背中に当たるもにゅんとした感覚。それからなるべく意識を逸らしながら、俺は文句を言った。
「サーシャ……危ないだろ」
「ごめんデス! でも一緒に帰るデスよ!」
そうか、今日はコイツも部活がない日だったっけ……。
サーシャは留学してから最近まで、この学校の部活動を見て回っていた。
その中で、彼女が最も興味を示していたのが、女子バレーボール部だった。ロシアはもともとバレーボールがとても人気な国だ。サーシャもロシアではバレーボールをやっていたらしく、その腕前はなかなかのものだった、と俺は人づてに聞いていた。
最終的に彼女はそこに入部することになり、今では他の部員たちと一緒に、同じメニューをこなしている。
それにしても、歩きにくい……。サーシャが俺にぴったり抱きついて離れないせいで、体の動きが制限されてしまっている。
あと俺の頭の匂い嗅ぐのやめてもらっていいかな……。頭の匂いフェチですか? 使っているトリートメントは同じだから、自分の頭と同じ匂いしかしないよ?
ズルズルとサーシャを引きずり、俺は教室の外に出ようとする。
「み、みなと……」
そして、みなとの前に辿り着くと、俺は彼女の顔を見上げる。が、そこで俺の言葉は止まった。
みなとは笑顔だった。笑顔なのだが、いっさい笑っていない。ものすごい圧を感じる。
俺はわかってしまった。今、みなとはものすごくイライラしているのだと。
すぐに俺はサーシャを引き剥がしにかかるが、彼女はなかなか離れない。体幹と力が強いのか、うまいこと体勢を変えることで俺にぴったり密着している。
前々から思っていたのだが、サーシャ、実はものすごく運動神経がいいんじゃないか……?
そうこうしていると、みなとがこちらに近づいてきた。俺に何かしてくるのか、と思って一瞬身を固くするが、彼女の狙いは俺ではなかった。
みなとはサーシャに顔を近づけると、囁くように言った。
「サーシャ……? ほまれが嫌がっているから離れた方がいいんじゃないかしら?」
「……」
有無を言わさぬ謎の迫力がこもった声。その表情は見えないが、声だけでちびりそうになる。
次の瞬間、俺の背中にのしかかっていたものが消え去る。サーシャが俺から離れたのだ。
「さ、ほまれ、帰りましょう?」
「あ、うん……」
みなとに右腕を掴まれて、今度は俺がズルズルと引きずられていく。
しかし、サーシャは俺と一緒に帰ることを、そう簡単に諦めてはいなかった。
みなとに引っ張られる右腕。しかし、反対の左腕にも同じくらいの力がかかっている。
見ると、サーシャが俺の左腕を両手でがっしりと掴んでいた。
はたから見たら、俺は両手に花状態。俺の右はみなと、左はサーシャという美少女に掴まれている。すれ違う男子たちがこっちを羨望の眼差しで見ている。
だが、そんな優越感に浸れたのは一瞬だった。
みなとはサーシャが俺の反対の腕を掴んでいることに気づいているのか、無言で歩く速度を加速させる。それに伴って、俺の右腕が引っ張られる力がいっそう強くなる。
そして、同時に左腕を引っ張る力も同じくらい強くなった。
「ちょちょ、二人とも、引っ張るのやめ……!」
次の瞬間、バキ、と鳴っちゃいけないような音が俺の肩のあたりから聞こえた。しかし、それでも二人が俺の腕を引っ張ることはやめない。
「腕取れる! 取れるって! 二人とも止まってくれ!」
俺が叫ぶと、やっとみなとが止まった。サーシャも止まる。
二人が止まったところで、俺の腕にかかる力はやっとなくなった。俺は二人の手の中から自分の腕を外すと、何か異常がないか確かめる。
どうやら今のところは何もないみたいだった。腕も肩も普通に動くし、異常はない。一応、帰ったらみやびに診てもらうか……。
そんな俺たちをよそに、みなととサーシャの二人は睨み合っていた。
「サーシャ? なんで手を離さなかったの?」
「それはみなともデスよ! みなとが引っ張るからほまれが引きずられていたデス!」
「まあまあ、二人とも落ち着いて……」
言い争いを始める二人を止めようと俺が口を挟むと、二人は一転してこっちを見てくる。
「ほまれ、ちゃんとサーシャに言いなさいよ。私と一緒に帰るんだって」
「しょうがないじゃないデスか! だってほまれとワタシ、住んでいるところ同じデスよ⁉︎」
再び言い争いを始める両者。なんで二人ともこんなに仲が悪いんだよ……。
しかも、廊下のど真ん中でやっているせいで、他の生徒の注目を集めてしまっている。その視線に耐えられなくなった俺は、二人の話を強引に遮った。
「わかったよ! じゃあみなともうちに来て! 三人で一緒に帰ればいいでしょ⁉︎」
もはややけくそ気味に、俺は強引な解決策を示すのだった。
※
「…………」
「…………」
後ろをチラリと振り返ると、みなととサーシャが向かい合って座っている。
みなとはサーシャをじっと見つめていた。背後からはスゴいオーラが出ている。
一方、サーシャはそんなオーラをニコニコと受け流していた。メンタル強すぎだろ……。
俺はそんな二人の様子を確認すると、意識を目の前に戻す。
我が家に帰ってきてから、俺がAIを使って半自動的に作っているのはたこ焼きだった。
二人を連れて家に帰ってきたはいいものの、みなとは俺の家に何か用があったわけではない。
そこで、俺は二人にたこ焼きを振る舞うことにした。
そろそろ文化祭も近づいてきている。普段から何度か練習していて、みやびやサーシャに何度か意見を聞いていたが、二人だけではまだ客観的だとは言えない。
そういうわけで、俺はみなとにも食べてもらって、感想を聞こうと思ったのだ。ついでに、家に連れて来た大義名分を作りだす、という狙いもあった。
数分後、俺は完成したたこ焼きを、食卓へ持っていった。
「おまたせ〜……」
俺は、食卓の上にはまだ険悪な空気が漂っているものだと思っていた。だからちょっと戦々恐々として、たこ焼きを持って行ったのだが。
「おお〜うまそうデス!」
「……ごくり」
あれほど険悪だった雰囲気はどこにいってしまったのか、二人とも目の前に出されたたこ焼きをキラキラした目で見つめていた。
「食べていいよ」
「いただきます!」
「いただきマス!」
二人は早速たこ焼きを食べ始める。おいしそうに俺の作ったたこ焼きを食べる二人を見ると、なんだか俺までもおいしいたこ焼きを食べた気分になってくる。
「味はどう?」
「ばっちりデス!」
「おいしいわよ!」
二人からも好評だ。これで文化祭も安心だろう。俺はほっと一息をついた。
二人はあっという間にたこ焼きを食べ終わってしまった。
「ごちそうさまでした……」
みなとは背もたれに寄りかかった。とても満足げな表情をしている。
「ほまれは料理が上手デスね〜」
「そうなのよ、私の『彼氏』はとても料理が上手なのよ」
ふふん、とみなとが得意げになる。なんで俺じゃなくてみなとが自慢気なんだよ……。
「それに気遣いもしてくれるし優しいし……」
「ちょっと、やめてよ恥ずかしい……」
なんだか俺のことを評価し始めたので、俺はみなとを止めようとする。だが、みなとはチラリと視線をこちらを向けただけで、そのまま俺のいいところを列挙する。
その目が『考えがあるから静かにしてて』と言っているように感じて、俺は口を閉ざした。
みなとの褒めラッシュが一段落したところで、サーシャが呟く。
「みなとは、ほまれのこと好きなんデスね」
「もちろんよ。ほまれは、どうなの?」
「え、俺⁉︎」
突然話を振られて、俺はたじろぐ。まさか会話のキャッチボールがこっちに飛んでくるなんて、微塵も想像していなかった。
しかも、問われている問題が問題だ。いや、もちろん、答えは一つに決まっているけど……こんな他人の前で、自分のことをどう思っているかなんて恋人に尋ねるか?
しかし、みなとがじっとこちらを見ていることから、俺は察した。ここは恥ずかしくなって答えを濁している場合ではない。
このまま、みなとが描いている筋書きに乗っかれば、この面倒な問題も少しは解決に近づくかもしれない。
俺は素直に心の中を打ち明けた。
「俺も、みなとのことが大好きだよ」
……やっぱり本人がいる前で、他人が居合わせている中、好きだと言うのはなかなか恥ずかしいな! 肝っ玉が太ければこんな気持ちにはならないのだと思うが、俺がそうなるにはまだ時間がかかりそうだ。そもそも今の俺に肝はないし。
そして、俺の言葉を聞いたみなとは満足そうに頷くと、サーシャの方をチラッと見た。そして、おもむろに立ち上がった。
「それじゃ、私はこれで帰るわね。たこ焼き、ごちそうさまでした」
「ああ、うん。お粗末さまでした」
彼女は自分の荷物を持って、玄関で靴を履く。俺はそれを見送り、サーシャもその後ろから俺たちの様子を眺める。
「あ、そうそう、ほまれ」
「なに?」
みなとが手招きしていたので、俺は何かと思って彼女に近づく。
すると、彼女は俺のほっぺたに手を回すと、自分の顔を近づけてキスをした。
「⁉︎」
「じゃあ、また明日学校でね」
マウストゥーマウス。一瞬のことだった。
俺が混乱している中、彼女はそう言い残して家から出ていった。
玄関のドアがバタンと閉まるのを、俺は呆然と見つめていた。