服を着て、装備を身につけたエルフは、改めてラーンに向き合った。そして、コホンと咳払いをすると、ラーンに問いかける。
「それで、あなたが人間ではないことはわかったけど……いったい何者なのよ?」
「私は、六……ラーンといいます。あ、今のは名前で、ホムンクルスです」
「ホムンクルス? そんな種族、聞いたことがないわ」
「あ、えと、種族じゃなくて、あ、でも、種族なのかな? うーん、どっちだろう……と、とにかく人間ではないんです。私は、人工的に作られた生命体なんです」
「はぁ……」
エルフは胡散臭い目を向ける。ラーンは早口になった。
「だって、ほら、短剣を見てください! 短剣の先が若干溶けてませんか?」
「え? ……あーっ! ほんとだ!」
「これは、私の体の中には、血ではなくてミスリルが流れているからなんです」
「お気に入りの剣だったのに~」
「え、あ、ごめん、なさい……」
ラーンは消え入りそうな声で謝罪の言葉を述べた。
残念そうな顔をしたエルフは、少し不満げな顔をしながら剣を鞘にしまうと、まあいいわ、と呟いた。
「それにしても、体の中にミスリルが流れているなんて……とんでもない種族もいるものね。ミスリルって生物には猛毒のはずなのに」
「あはは……」
ラーンは自分でも、なぜ体内に猛毒のミスリルが流れていても無事なのかは知らなかった。施設では教わらなかったのだ。
「ところで、ラーン……だっけ? あなたはなんでこんなところに来たのよ? 道にでも迷ったの?」
「え、いや、そういうわけじゃないです」
「じゃあどうして? ノルトバルトの街に入りたいんだったら、大きな道が城門に続いているから間違えようがないし……この辺は目ぼしい魔物もいないし珍しい薬草も取れないから、入る理由がないと思うんだけど」
その問いに答える前に、ラーンはエルフの格好を観察する。少なくとも軍関係の人間ではなさそうだ。それに、軍の人間がこんな場所で呑気に水浴びをしているとも考えにくい。
なら、話しても大丈夫だろう、と判断してラーンは発言する。
「実は今、軍に追われていて……逃げている最中なんです」
「は? え? あなた、軍に追われているの?」
「はい……たぶん」
「どんな悪いことをしたらそんなことになるのよ……?」
「ただ脱走しただけです」
「刑務所から?」
「いえ、施設からです」
「施設?」
「あ、えと……私は元々、軍の兵器として作られて、その施設で暮らしていたんです。だけど、そこでの生活はとても厳しくて……それで、同じ境遇にいたホムンクルスが国外に脱出していることを知って、脱走したんです」
「な、なるほど、だから軍に追われているわけね……」
エルフはラーンの話を聞いて、引き攣った表情をした。
「……大変ね」
「そうですね……」
ここで、ラーンはふと気になった。
さっき、このエルフは、こんなところで何をしているのか、と聞いてきた。
それでは、このエルフはこんなところで何をしていたのだろう?
確かに、水浴びをしていたのはわかっている。それはラーンもばっちり目撃していた。
だが、それをわざわざこんな森の中で行う必要はないのではないか? ノルトバルトの街の中に入れば、公衆浴場や宿にお風呂はあるだろうし、そちらの方が環境は整っている。
それとも、森の中で沐浴するのが趣味なのだろうか? そういう可能性もなくはないが……。
「あ、あの、あなたは、なんでここで水浴びをしていたんですか……?」
「ああ、それはね……ってか、私の自己紹介がまだだったわね」
エルフは、先ほどよりもいくばくか柔らかい表情になる。
「私はフレデリカ。……まあ、見ての通りエルフよ。純血のね」
「え、エルフ……」
「そ。エルヴルン『国』出身よ」
『国』の部分を、フレデリカはやけに強調した。
「それで、フレデリカさんが水浴びをしていた理由は……?」
「それは……うーん、簡単に言うと、エルフであると、人間にはバレたくないから、ね」
「バレたくない?」
「そう……そもそも、ラーンは、エルフについてどれくらい知ってる?」
突然の質問にラーンは言葉を詰まらせる。少ししてから、施設で詰め込まれたエルフについての知識を思い出して話し出した。
「ええと……帝国南部のエルヴルン州に住んでいる種族で、数が少なくて、あまり州から出てこなくて、長命で、耳がとんがっていて、風魔法の使い手で……」
「そうそう。まあ、そんなところよね」
はぁ、とフレデリカはため息をついた。
「昔、エルヴルン州は独立した国だったことは知ってる?」
「あ、はい。でも、百年くらい前に戦争が起きて、帝国の一州になったんですよね」
「そうね……私の両親は、その戦争で帝国に殺された。私の目の前でね」
「え」
「……」
「……」
突然重い話になって、ラーンは黙り込んだ。
少しの沈黙の後に、フレデリカは続ける。
「……併合された後の、エルフたちの扱いって知ってる?」
「……いえ」
「まずは、大人の男のエルフの多くが殺されたわ。反抗されたら困るっていう理由でね。
そして、女や子供のエルフの多くが連れ去られた。目的は……言わなくてもわかるわよね。
それから、帝国から移民が大量にやってきたわ。そして、元々エルフが住んでいた土地に、次々と人間の街を作り上げていった」
「……」
「エルフの動きは二分されたわ。諦めて、帝国の社会に吸収される一派。対して、昔ながらのエルフの生活を続ける一派。もちろん、私は帝国社会に溶け込めるはずがなかった。両親を殺した人間共のルールに従うなんて、まっぴらごめんだったから。
帝国に馴染もうとしたエルフは、人間共が開発した街に移り住んだ。それに対して、昔ながらの生活を続けるエルフたちは、どんどん森の奥へ奥へと追いやられた」
「……」
「最初は昔ながらの生活を守ろうとしたエルフは多かったけど、百年も経つと、さすがに皆疲れてきちゃったわ。今では、街で暮らすエルフの方が多数派なの。
知ってる? 今、純血のエルフってとても貴重なのよ。エルフの男は少ない上に、多くのエルフが人間社会で暮らしているのだから、混血が進んでいるの。ハーフエルフ、クォーターエルフが増えてる、っていうわけ」
だから、先ほど自己紹介の時に、『純血』であることを強調していたのか、とラーンは納得した。
純血のエルフ、というのが、フレデリカにとってはある種のアイデンティティとなっているのだ。
「人間に私がエルフだとバレたくない理由は、そこにあるのよ。エルフとバレたら、何をされるかわからないもの。エルフを狙う人攫いや奴隷商なんかもたくさんいるのよ? それに、純血のエルフなんて、さっき話したように森から滅多に出てこないからとっても珍しい。だから、余計に狙われるっていうわけ」
「そうだったんですか……」
ラーンの予想以上に、エルフは大変な立場に置かれているようだった。そして、帝国に対してあまりいい感情を抱いていない、という点で、ラーンはフレデリカに少し共感していた。
「ラーンはこれからどうするの? 確かさっき、お仲間が国外に脱出しているとか言っていたけど……その人たちの後を追うわけ?」
「あ、はい。王国に、私より前に生まれて脱走したホムンクルスたちが暮らしているみたいなので、ひとまずそこを目指しています」
「王国ね……」
フレデリカは少し険しい顔をした。ラーンは少し不安になった。
「……軍に追われながら、王国に向かうのは難しいんじゃないかしら」
「……やっぱりそうですよね」
「ええ。王国に行くにはブラウ河を渡らなければいけないわけだけど、その渡れる場所は限られているわよね」
「ちょっと待っててください」
ラーンはバッグの中を急いでゴソゴソと漁ると、昨日買った帝国の地図を取り出してバッと広げた。二人でその地図を覗き込む。
フレデリカが地図の一点を指差した。
「ここから一番近いのは、ズーデンベルク州の南西部、エルヴルン州との州境近くの街、ミッテブラウね。でも、軍から追われながらここまで行って、かつ王国へと渡るのは至難の業ね」
「そうですよね……現に、この街に来るときも、すでに城門のところに軍の人がいて、私の話をしていました」
「げ、そうなの?」
「え、はい」
「じゃあ、ミッテブラウに行くのは余計に難しいじゃない……軍はラーンが王国に行こうとしていることは」
「予想していると思います。前に、同じ施設から脱走したホムンクルスが、王国へと逃げてしまったので」
「それなら尚更じゃない! 同じようなことが起きないよう、軍は絶対に国境の警備を万全にするわ」
「でも!」
ラーンは堪えきれずに大声を出した。すぐにハッとなって周りを見渡すと、俯いて声量を落とし、それでも語気を強めながら言う。
「でも、私は逃げなきゃいけないんです。王国に、絶対に行かなきゃいけないんです。軍には見つかってはいけないんです。もう、あんな生活に戻るのは、嫌なんです……!」
脳裏を駆け巡る施設での日々。施設で作られてからずっと、死ぬよりも辛い、過酷な環境で過ごしてきた。
もし、外の世界を知らなかったら、施設の中だけが自分の世界だったら、それはある意味で幸福だったのかもしれない。
だが、ラーンの部屋からは、鉄格子の外に月が見えた。
ベッドの柱の中に、ホムンクルスが残したメモがあった。
遠い記憶の中に、声を聞いた。
「絶対に、絶対に私は、王国へと脱出したい……何にも縛られずに、自由に生きたい!」
「……」
ラーンの言葉を、フレデリカは黙って聞いていた。ラーンを、真剣な眼差しで見つめる。
フレデリカは、地図に置いた手を動かした。そして、道も街も何もない場所を指差す。
「……エルヴルン州の南西端。そこに、かつてエルフたちが河を渡るのに使っていた場所があるわ」
「……え?」
「でも、帝国の支配下に置かれてから、ここを使うエルフはいなくなった。この場所を知っているエルフが軒並み死んでしまって、利用者がいなくなってしまったからよ。それに、私が聞いた限りでは、この場所が人間に見つかったり、そこに街ができたっていう情報も聞いたことがない」
「じゃ、じゃあ……!」
「ここまで辿り着ければ、もしかしたら誰にもバレずに、河を渡って王国にたどり着けるかもしれないわね」
「本当ですか……⁉︎」
フレデリカの口から出た情報に、ラーンはまるで、自分の目の前に希望の光が差し込んできたかのように感じた。
「あ、ありがとうございます! とりあえず、ここに行くことにします!」
これを聞いたら、うかうかなどしていられなかった。ラーンは急いで地図を畳んでバッグの中にしまおうとする。
「ま、待って!」
「……え?」
「あなた、一人で行くつもり?」
「え、あ、はい。……私の事情に、フレデリカさんを巻き込むわけにはいきませんから」
「でも、あなた一人で本当にその場所に行けるの? 道もないし、目印となる街もない。エルフの中でも知っているのは少数なのよ?」
「……」
絶対に道案内なしにその場所にたどり着けるかと聞かれて、断言できる自信は、ラーンにはない。
先ほど、フレデリカは、『知っている人が軒並み死んでしまって、利用する人がいなくなってしまった』と言った。つまり、人に聞いてもどこにあるか教えてもらえない可能性が高い。時間をかければ到達できるかもしれないが、追われている身である以上、そうすることはなるべく避けたい。
ラーンがどうしようもなくて俯いていると、フレデリカははっきりと宣言した。
「だから、私が連れていくわ」
「えっ! そんな……フレデリカさんが私にそこまでしなくても……」
「いいのよ。私、ちょうどエルヴルン州に戻るところだったし」
「で、でも……」
「……あのね、ラーン。あなたを放っておけないのよ。あなたの行動が危うそうなのもそうだけど……何より、同じ、帝国に抑圧された者としてね」
フレデリカは、グッと拳を握りしめた。
「だから、協力させて。お願い」
「フレデリカ、さん……」
ここまで言われてしまったら、ラーンはフレデリカの好意を無碍にすることはできなかった。
フレデリカは明らかに軍の人間ではない。帝国に強く恨みを持っているのに、軍と協力関係にあるとは考えられない。
もしラーンがこの申し出を断ったら、フレデリカが先ほど述べた、エルフの渡り場に自力でたどり着ける可能性はとても低くなる。
結局、ラーンは、フレデリカのことを信用することにした。
「……よろしく、お願いします」
「うん、よろしく」
二人は、固く握手を交わした。
「とりあえず、まずは軍から逃げることを第一に考えましょう。この街の北側の入り口には、すでに軍の兵士たちがいたのよね?」
「はい……」
「だったら街の中に入るのはやめておいた方がいいわね。それに、街道を歩いていくのも、できれば避けておいた方がいいわ。移動中の軍と鉢合わせをする可能性があるから」
「だったら、どうやって移動するんですか?」
「簡単よ。道じゃないところを進めばいいのよ」
地図を見せて、とフレデリカはラーンに頼んだ。ラーンは荷物の中から地図を取り出すと、目の前に広げる。
「今私たちがいるのはここ、ノルトバルト。その東側の外の森の中にいるわ。南を目指すのなら、普通は街の南側から伸びる街道を利用したいところだけど……」
そう言って、フレデリカはノルトバルトを差した指を、街道に沿って南へ沿わせる。その先には、『ミッテブラウ』の文字。かつてラーンが目指していた場所だ。
「そこは通るのは、軍に見つかってしまう可能性が高いんですよね」
「そうね。だから、私たちが行くのは、こっちよ」
フレデリカは指をノルトバルトへ戻すと、南東方向へ指を一直線に動かす。
「『黒い森』……?」
「そう。『黒い森』を一気に突き抜けるのよ」
「ええっ、そんな……!」
ラーンはそのあまりのも大胆な計画に、無謀さを感じて思わず声を上げた。
「だって、『黒い森』と言ったら、強い魔物が出るんですよね? それに、森に入った人間が正体不明の魔物に襲われて、行方不明になるって聞いたことがありますよ……!」
「大丈夫よ。だって私、エルヴルン州からここに来るときに、『黒い森』を通ってきたんだもの」
「え⁉︎」
あっけらかんとそう言うフレデリカに、ラーンは驚きを禁じ得なかった。
しかしながら、他に方法はない。街道を避けたいならば、『黒い森』を通ることは避けられない。二者択一だった。
フレデリカは、『黒い森』の踏破経験がある。一緒にいれば、自分も通過できるかもしれない。ラーンは、決心した。
「……わかりました。フレデリカさんの言う通りにしましょう」
「決まりね。だったら、早速出発するわよ」
二人は、荷物の支度を済ませると、早速行動を開始した。