「「「『竜』?」」」
俺たちは異口同音にカヤ先輩に聞き返す。
初めて聞く生物の名前だ。魔物だろうか?
「それはどんな生物なのですか?」
「伝説の魔物だね。少なくともワクワクではそう伝わっている、ってお父さんは言ってた」
伝説の魔物⁉︎ なんだその冒険心をくすぐるような二つ名は⁉︎
「もっとくわしくおしえてください! カヤせんぱい!」
「く、食いつくねぇ〜」
ちょっと引き気味になりながらも、カヤ先輩は説明してくれる。
「竜はワクワクでは伝説とされる魔物だよ。蛇のような長くて太い体をしていて、頭にはツノが生えているんだ。手足は体に対して小さめかな。
普段は陸地から遠く離れた海のどこかに住んでいるって言われていて、人前には滅多に姿を見せないんだ。だから、生態についてはあまりよくわかっていない。言い伝えによると、なんでも強力なブレスを口から吐くんだってさ」
「何かすごそう!」
「そんな魔物がいるのですね」
どうやら、前世で空想上の生き物として考えられていた竜にかなり似ているようだ。
ただし、一つ心配な点がある。
「ひとにきがいはおよぼさないんですか?」
「どうだろう? 一応、ワクワクでは吉祥の印とされているらしいけど」
俺はもう一度竜を見る。それとほぼ同時に、凄まじい唸り声のようなものが聞こえてきた。
「……先ほどよりも近づいてきていませんか?」
「確かに……」
こうしている間にも、竜は雷と黒雲を引き連れて近づいてくる。
明らかにさっきよりも風が強くなっているし、雨の匂いもしてきた。
このままでは巻き込まれるかもしれない。一つ確実なのは、このまま浮遊魔法で海上を浮遊し続けるのは危険だ、ということだった。
「とりあえず、うみべにもどりましょう」
「うん、頼んだよ、フォルちゃん」
というわけで、俺たちは急いで建物のそばのビーチへ引き返す。
しかし、俺たちが戻るスピードよりも、竜の移動スピードの方が速いようで、ビーチに着陸したときには、会場にいたときよりも、風の強さも竜の鳴き声も、不気味な雰囲気も、ずっと大きくなっていた。
「皆!」
「お父さん!」
「良かった……無事そうだね」
ビーチに着陸するや否や、サスケさんが砂浜を走ってこちらに合流する。
その手には望遠鏡のようなものを持っていた。
「お父さん、あれって……」
「おそらくだけど、『竜』で間違い無いと思う。僕も見るのは初めてだけどね」
そう言うと、サスケさんは手にしている望遠鏡で、竜の方を見る。
「どんどん近づいているな……天気も荒れ始めているし、一旦建物の中に避難しよう」
そう言って、サスケさんが望遠鏡から目を離した、次の瞬間だった。
チカッ、と何かが暗雲の間で瞬いた。雷とは異なるその光が消えた数秒後、気づいたときには何かが一直線にこちらに向かって伸びてきていた。
弾丸のような塊ではない。ビームのような、何かの流れだ。
それに対しての俺たちのアクションは鈍かった。突然のことに動けないまま、猶予時間が無くなっていく。
しかし、この場の誰もが同じような気持ちを抱いていたはずだ。
あれが直撃したら、ヤバい、と。
そんな中、俺の体は幸いにもギリギリのところで動いてくれた。
リン! 頼む!
『りょ~~か~~い』
伸びきった声とは裏腹に、俺たちの目の前のビーチから、すぐに巨大な砂の壁が出現した。それは何重にも俺たちを守るようにそびえ立ち、半ドーム状に俺たちを囲む。
それに、ただの砂の壁ではない。リンの魔法によって、さらさらの砂ではなく、固い岩へと変化していた。もはや、砂岩の壁と言うべきだろう。
そこに、俺はさらに保険をかける。
エル、よろしく!
『ういっス!』
エルの力を借りて、壁の手前の俺たちを囲むように、空気の壁を形成する。もしあの攻撃によって砂岩の壁が砕かれて破片が飛んできても、ある程度は守ってくれる……はずだ。
「みんなふせて!」
俺の声に全員が伏せた次の瞬間、ドンッ! と鈍い音が響いた。ビームが壁にぶつかったのだ。
数秒おいて、ドカン! と別の音が響く。さっきよりも大きな音だ。どうやら、一番外側の壁が破られたらしい。
リン、壁は何枚張った⁉︎
『五枚だよ~~』
ドンッ! とまた破られる音。音が大きくなるにつれ、空気を震わせる振動もまた、俺たちに伝わってくる。
ご、五枚で足りるのか……? 俺は祈るような気持ちだった。
「お、おさまった……?」
しかし、その心配はどうやら杞憂だったようだ。それから壁が破られる音はせず、ビームのぶつかる音も聞こえなくなった。
俺はエルに空気の壁を解除してもらい、腰をあげると、慎重に砂岩の壁の横から前方を窺う。
「うわっ……」
次の瞬間、びょぉぅっ! という凄まじい風が俺の髪を巻き上げた。
それに対抗して目を開けると、先程までの平和だった海は、もうそこには無かった。
黒雲が俺たちの真上まで迫ってきていて、風は大荒れ。雷もゴロゴロと鳴り、竜の唸り声も断続的に聞こえる。雨も降り出していた。
そして、砂岩の壁を見ると、五枚のうち三枚までが見事に破壊されていた。岩の破片は、無事な四枚目の壁に刺さっていたり、俺たちの遥か後方まで飛ばされたりしていた。
これが竜のブレスか……。もし直撃していたら、即死だっただろう。
それにしても、これ何のブレスだったんだろう……。レーザーみたいな光だったのか、水のような液体だったのか、はたまた岩のような個体だったのか……。
「フォルちゃん、もう大丈夫そう?」
「ひとまずは」
「皆、避難しよう。もはや猶予はない。馬車に乗って、どこか遠いところへ」
サスケさんが発言している中、またしてもブレスが飛んできた。幸いにも俺たちのところには来なかったが、少し離れた丘に直撃する。
ドドオオン! と凄まじい轟音がして、土砂が飛び散る。
え、えぐすぎる……。
「どどどどどうすんのどーすんの⁉︎」
レイ先輩が半ばパニックになりながら叫ぶ。
サスケさんの言う通り、避難するべきだ。竜の進行方向とは異なる方へ遠くに逃げるのが最善だ。しかし、この調子ではそれまでに竜のブレスに巻き込まれてしまいかねない。
今俺たちに足りないのは何だ?
今俺たちに最も要るのは何だ?
時間だ。
ごちゃごちゃしたことを考えるよりも先に、俺の体は動き出していた。
「フォルちゃん⁉︎ どこ行くの⁉︎」
「じかんをかせぎます! あとでいくから、みんなはさきににげて!」
「そんな! 無茶ですよフォルゼリーナ! ここは大人しく逃げて、軍やハンターに……!」
「わたしも、ハンターです!」
俺は浮遊魔法を発動して勢いよく上昇すると、続いて『マニューバ』を発動してさらに勢いをつける。
あっという間に地上の四人は声も聞こえなくなった。そして、暗雲がすぐ目の前に迫る。
その次の瞬間、雷鳴とともに雲の中から巨大な体が現れた。
直径数メートルの蛇のような体だ。グネグネとくねって雲から出て、雲の中へと消えていく。
そして、雲に続くその体の延長線上に、うっすらと頭部が見えた。
大きな一対のツノに、勇ましい顔。それはまさに、前世の古代中国の巻物に出てきそうな竜そのものであった。
「で、でかい……」
前世を含め、今まで見てきた生物の中で、トップクラスに大きい。
もしかしたら全長は百メートルにも達しているのではないか。そんな巨体が宙に浮いて移動していることに、俺は驚きを禁じ得なかった。
しかも、移動速度はかなり速い。巨体を前にしてついつい鈍ってしまいそうになるが、俺たちが発見してからものの数分で海岸に到達している。
それでいて、あの恐ろしい威力のブレスを放つことができる。
ゴブリンやクォーツアントとは、全く比較にならないほど強い。
軽いミスを一つでも犯してしまったら、次の瞬間、死ぬ。
……落ち着け! 確かに竜は強大だ。だが、俺の目的はコイツの討伐ではない。あくまで、先輩たちが逃げるための時間稼ぎをすることだ。
ダメージなんて与えなくていい。低コストでその場に留まらせる、あるいは別方向に誘導させる方法を考えろ!
見た感じ、竜は一直線に西の方向に進んでいるみたいだ。まずはそこから進路を外す!
俺は『マニューバ』を解除して浮遊魔法で自身を浮かせると、その代わりにある魔法の発動をエルに頼んだ。
『思いっきりやるっスよ!』
当然だ。この魔法は、俺の頑張りに比例して効果が大きくなるからだ。
俺は一旦大きく息を吐き、肺の中を空っぽにする。そして、大きく息を吸った。
そして、叫ぶ。
「あ あ あ あ あ あ‼︎」
出したことないほど大きな声で、空気を震わせる。
それが、エルの発動した風系統中級魔法の『ラウド』で爆発的に増幅され、空気の衝撃波となって竜に襲いかかった。
声を出し切った後、目の前に広がっていた光景に、俺は息を呑む。
あれだけ広がっていた黒雲は散り散りになり、すっかり視界は良くなっていた。そして、肝心の竜は、見えざる巨大な手に薙ぎ払われたかのような格好をしていた。
こっちに注目を集められればいいな、くらいに思っていたのだが、まさか竜をも動かしてしまえるとは。予想以上の効果があったようだ。
すると、竜はすぐに体勢を立て直すと、こちらに頭を向けた。
「ギャアアアァァァアアアアアァァ‼︎‼︎‼︎」
ビリビリと空気を震わせる咆哮。俺の叫びに負けじと、声を張り上げているのだろうか。
こちらを見ているのは、さっきのが俺の攻撃だと完全に理解している目だ。
とりあえず、第一段階はクリアといったところだろう。
これからは、第二段階として足止めを実行する。そして、頃合いを見計らって戦いから離脱する第三段階へ移行する、という算段だ。
さて、これからどうやって足止めをしようか。
とりあえず、竜は俺にターゲットを変えたみたいだし、追いかけてくるのを期待して、『マニューバ』で付かず離れずの距離を保って引きつければいいかな……。
『フォルゼリーナ様! 危ない!』
そう考えていた時、脳内に切羽詰まったイアの声が響き渡る。
え? と思って現実に意識を戻すと、俺の目の前には、こちらに大きく顎を開いた竜。
そして、その口から発射されるブレスの奔流が、俺を飲み込もうとしていた──