入会試験が始まり、受験者は一斉にローガン先輩の方へ走り始めた。
だが次の瞬間、この場にいた誰もが目を疑い、思わずその場に立ち止まった。
「き、消えた……⁉︎」
ローガン先輩の姿が、いつの間にか先ほど立っていた場所から消失していた。
周囲を素早く見回すが、どこにもその姿を見つけることはできない。
俺を含め、この場の全員が足を止めて、辺りを見回していた。
だが、この奇妙な均衡した状況は、わずか数秒後に崩壊した。
「ヴア゛っ‼︎‼︎」
突然、どこからか声にならない叫びが響き渡る。そして、どさりと地面に倒れる音。
「ああっっっ‼︎‼︎」
何が起こったのか理解する前に、次の叫び声。そして、またもやどさりと地面に倒れる音。
ここでようやく、彼らがローガン先輩に魔法陣を貼り付けられ、麻痺させられたのだ、ということをその場の全員は理解した。
しかし、相変わらず先輩の姿は見えない。それなのに、次々とそこかしこから誰かが倒れる音が、断続的に聞こえてくる。
受験者は、完全にパニックになっていた。
「おいおい、どうするんだよこれ!」
とりあえずその場で声をあげる者。
「うわああああああ! 来るなあああ!」
シールを貼り付けられないようにするためか、ブンブンと腕を振り回し、その場でぐるぐると回転しながら、奇妙な踊りを披露する者。
「…………」
静かにその場でゆっくり周囲を見回す者。
すると、どこからか叫び声が聞こえた。
「皆、協力しよう! 大人数で輪を作って取り囲めば、追い詰めることができるはずだ!」
確かに、その作戦はある程度有効かもしれない。上手く人の輪の中にローガン先輩を閉じ込めることができれば、輪を小さくすることで先輩を追い詰めることができる。
そして、もし先輩が脱出しようとして内側から誰かを麻痺させた場合、その両隣の人でカバーすることができるだろう。
しかし、この状況で皆がそれに協力することはないだろう、と俺は予想していた。
そして予想通り、その叫び声に賛成する声はどこからも上がらない。
「皆、どうして協力してくれないんだ! これなら彼を捕まえられる!」
なおも訴えかけるその声に、誰かが反論した。
「それでオレが犠牲になったら元も子もねえだろ!」
ローガン先輩は、『最初に、自分にシールを貼り付け麻痺させた人を、入会試験に合格とする』と言った。
当然、この場にいる人は、その一枠を争っている、いわば完全に敵同士。そのため、協力するメリットは全くなかった。
そもそも、姿が見えないローガン先輩を輪の内側に閉じ込められるかどうかも怪しい。閉じ込められたとしても、浮遊魔法か何かで輪を越えられてしまうかもしれない。それに、作戦の最中、自分が犠牲になってしまい、しかもそれが誰かの合格の手助けになってしまうかもしれない。
だったら、一人で戦った方がマシだ。この場の人はそう判断しているようだった。
「それでも、まだ協力うううううううっっ‼︎」
次の瞬間、提案していた人がその場にどさりと倒れ込んだ。ピクピクと手足を痙攣させている。明らかに麻痺状態にかかっていた。
それを見て、残った人たちは一斉にその周囲から離れる。
俺は、壁に背をつけて周囲を警戒しながら考えていた。
まず、ローガン先輩はこの空間の中にいて、受験者に次々と麻痺魔法の魔法陣のシールを貼り付けている。これは間違いないだろう。
問題は、彼がどのような方法で姿を隠しているのか、ということだ。
今のところ、俺が考えられる範囲での仮説は二つ。
一つ目、目に見えないほどの超高速で移動している。
極限まで極めた身体強化魔法、あるいは、高速で移動できる効果を持つ魔法を使用しているのだろう。
だが、正直この可能性は低いと思う。なぜなら、そのような魔法を使用して超高速で移動すれば、大きな音や激しい風など、彼が移動した痕跡が残っていないとおかしいからだ。
そして、彼がそばを通った、と認識しているような人はいないようだ。もしかすると、音や風を抑制するような魔法を重ねがけしているのかもしれないが……それよりかは二番目の仮説の方が可能性としては高い。
その二つ目の仮説とは、透明になって移動している、という説だ。
つまり、彼は自分自身に『インビジブル』をかけており、周りに自分の姿が見えないようにして、こっそりとシールを貼り付けている、ということである。
これならまだ可能性は高そうだ。『インビジブル』は光系統の上級魔法。魔力消費量は少なめだし、人に気づかれにくい。発動難易度は鬼ムズだが、虹の濫觴に属しているローガン先輩なら、精霊の助けなしでも発動することはできる……かもしれない。
ともかく、まずはローガン先輩を見つけなければ何もできない。
こんなことを考えている間にも、次々と受験者は麻痺で倒れていき、あれだけたくさんいた受験者も、今では両手の指で数えられるくらいになってしまっていた。
砂時計を見ると、時間はあと半分くらい。それまでになんとかして、このシールを貼り付けなければならない! もたもたしている時間はない。
エル、『ソナー』を発動して!
『了解っス!』
次の瞬間、俺の頭の中にこの部屋の立体形状が浮かんできた。
平らな地面、湾曲している壁、動いている受験者の動き……。
もし、『インビジブル』で姿を隠しているならば、視界には映らないが、この場にはいるから、『ソナー』には映るはず! もしそのような人がいれば、それがローガン先輩だ。
俺はゆっくりと辺りを見回しながら、『ソナー』の情報を視界と照らし合わせていく。
「うっ!」
また一人倒れた。
チャンス! 受験者を麻痺させた直後なら、まだ倒れた人のすぐ近くにいる可能性が高い。俺はすぐにそちらに目を向ける。
すると読み通り、『ソナー』には映っているのに視界には映らない人影を発見した。間違いない。ローガン先輩である。
その間にも、時間は過ぎていく。そして、残り人数もかなり少なくなってきた。このペースなら、俺が麻痺させられるのも時間の問題だろう。
──ならば、こちらから仕掛けるっ!
俺は身体強化魔法を発動すると、倒れている人を避けながら、ローガン先輩のところへ一直線に向かう。
すると、こちらに気づいた先輩は、急にこれまでの倍以上のスピードで動き始めた。
どうやら、先輩も身体強化魔法を使い出したようだ。逆に、今までは身体強化魔法を使うまでもなかったのだろう。
絶対に捕まえてやる!
俺と先輩は追いかけっこを始める。とはいえ、鬼は不可視。初め、周りの人は訳がわからないようで、俺を奇異の目で見つめる。
だが、すぐに俺には鬼が見えているようだ、ということを察したのか、俺と同じ方向に動き出す。
それでも、他の人にはローガン先輩が見えていないようで、先輩の動きに反応できず、むしろ逆に利用されるかのようにシールを貼られて倒れていく。
「残り一分です!」
場外から声が聞こえる。気がつくと、広いフィールドには俺一人だけが残されていた。
もう時間がない。このままでは、ただ追いかけっこをするだけで終わってしまうだろう。もっと、先輩の逃げるコースを追い詰める必要がある。
俺は左手を前に出すと、無詠唱で『ファイヤーボンバー』を発動する。
生み出された火球はすぐに飛んでいき、壁に当たって霧散する。
先輩に当たったわけではないし、一見すると意味のないような魔法だが、これでいい。
なぜなら、先輩の行動を妨害し、次に動く方向を限定することができたのだから。
その後も、俺は次々と火球を発射していく。
もちろん、むやみやたらに放っているわけではない。先輩の動きを予測し、その延長線上を火球で遮るようにしている。これを短いスパンで連続して行うことで、先輩が動ける方向を制限していく。
──将棋か、あるいはチェスか。俺と先輩はプレイヤーであり、盤上の王でもある。俺は、先輩を、火球という手駒を使って、理論的に追い詰める。
こういう知略の光るゲームは、得意分野だ。
すると、次の瞬間、先輩がフッと姿を現した。
その顔には笑みが浮かんでいる。それは余裕の笑みか、それとも諦めの笑みか。
俺は『ソナー』を解除すると、浮いた分の魔力を身体強化魔法に注ぎ、一気に距離を詰めるために飛びかかる。そして、右手を伸ばしてその手に持ったシールを貼り付けようとした。
次の瞬間、先輩は再び姿を消す。だが、姿を消しても俺にはわかる。俺は、先輩がいるであろう空間へそのまま手を伸ばし──
「あ」
空を切った。
即座に悟る。姿を現したのは、俺の動きを釣るためのフェイント!
俺は慌てて『ソナー』を再起動させる。だが、先輩の姿はない。
ということは、俺の耳で聞き取れない後ろだ──!
次の瞬間、俺の腰あたりにポン、と何かが触れた。
「あ゛っ゛っっ゛‼︎」
直後、全身が痺れ、俺は立っていられなくなり、その場にドサリと倒れた。
そして、ゴーン! という重低音が会場内に響き渡った。
「ふぅ……危なかった……」
後ろから、ローガン先輩の声が聞こえる。痺れていて動けないため、直接見ることは叶わないが、やはり後ろに回っていたようだ。
俺の目から、涙が滴り落ちる。
試験終了。
先輩が姿を現したとき、油断せずに『ソナー』を解除していなければ。自分の判断ミスが後悔の波として押し寄せ、それはとめどない涙に変わる。
その場にいた誰もが気づけなかったであろう状況下で、俺だけが唯一先輩を追い詰められた。それだけに、自分の判断ミスが際立って、余計に悔しかった。
後ろから先輩が歩いてくる音がする。体を動かせないので直接見ることはできないが、彼はちょうど俺の背中側に立ったようだった。
そして、彼は俺のそばにしゃがみ込むと、一拍おいた後、予想外の一言を発したのだった。
「うん! 君、合格」