翌朝、結婚式当日。朝食を食べ、支度を終えると、俺たちは伯爵邸の前の大通りに出る。
そこには、どこから持ってきたんだと思うほどの大量の馬車が、通りを埋め尽くしていた。
「エル・フローズウェイ伯爵家の皆様、こちらの馬車へどうぞ」
俺、ルーナ、そしてバルトは、そのうちの一つの馬車に、メイドに案内される。
本日の主役である、シャルとハルクさんは、また別の馬車に乗り込んでいるようだ。
全員が乗り込んでドアが閉まると、馬車はゆっくりと動き出す。
朝のテクラスの景色がどんどん前から後ろへ流れていった。
この世界で、人の結婚式に参加するのは初めてだ。前世では一度だけ親戚の結婚式に出席したことがあったが、この世界の結婚式はどんな感じなのだろう?
「けっこんしきって、どんなばしょでやるの?」
「そりゃ、結婚式場だ」
「きょうかいじゃないの?」
「いや、教会ではないな。そもそも我が国に教会はない」
「そうなの?」
驚いた。どの国にも形態はどうであれ、宗教くらいは存在するものだと思っていたのだが。
でも確かに、この世界に生まれてからというものの、宗教施設らしきものは見たことないし、人々が宗教的な仕草をしているところも見たことがない。
「大陸の西側の諸国には教会があるようだがな。その代わりというべきか、我が国では初代国王陛下が信仰の対象になっているフシがある」
「へー」
「今回の結婚式も、初代国王陛下の絵画の前で愛を誓うことになっているぞ」
実在した人物を神格化しているのか。その点では日本の神道に少し通じる部分があるな。
一方、西側にある国ではまた別の宗教が信じられているようだ。教会がある、という発言から、きっとキリスト教みたいな一神教が信じられているのかもしれない。
「フォル、結婚式場で魔法を使っちゃダメよ」
「うん」
「結婚式場には結界が張ってあるのよ。くれぐれも、結界を壊さないようにね」
「……わかってる」
ルーナに信用されていないようだ。確かに前科はあるけどさ……。あれはシャルを助けようとして仕方なくやったことだし……。そんな結界絶対壊すマンみたいな扱いはやめてくれよ!
というか、今の発言が本当なら、結婚式場では魔法を使えないということだよな。じゃあ、フリードリヒらが魔法を使って結婚式で何かをする、ということはできないんじゃないか?
だとすれば、どうやってハルクさんを陥れるのだろう? 魔法がダメなら、暴力ということになるのか?
でも、フリードリヒらが直接暴力を振るうとは考えにくい。結婚式の衆人環視の中でそんなことをしたら、むしろ彼らが立場を追われることになるだろう。きっと、第三者を経由することで、彼らが黒幕だということを悟られないような方法を取るはずだ。
俺がうーんと悩んでいると、いつの間にか馬車が停車していた。
「フォル、降りるわよ」
ルーナが馬車の外に降りて、俺に向かって手を差し伸べてくる。
「うん」
俺が降りると、馬車はドアを閉めてすぐに走り去っていく。
道の向こうから次から次へと馬車が来ているので、すぐにどかないと道がいっぱいになってしまうのだ。
「わあ……」
去り行く馬車から真っ正面に目を移した俺は思わず感嘆の声をあげてしまう。
まず目に入るのは白。
純粋な白に外壁が塗られているその建物は、教会のような形をしていた。壁には豪華な装飾が施されている。
俺たちは他の参加者と同様に、中に入っていく。
外見から予想できるように、中にも相当豪華な装飾が施されていた。
ステンドグラスとシャンデリアが天井と壁の上部を飾り、初代国王の絵画が前面をデカデカと飾っている。
周りには少なすぎず多すぎずの装飾品が配置されており、それぞれが放つ高級感がうまくマッチしている。
式場の一番奥は一段高くなっていて、そこから後ろの入り口まで、前を向いた長椅子がずらっと規則正しく並んでいる。
俺はルーナとバルトに従って、そのうちの一つに座った。
その間にも、どんどん馬車から人が降りてきて、式場の中に入っていく。
その中には、フリードリヒとディートリヒもいた。彼らは俺たちが座っている長椅子の横を通り過ぎ、斜め前の椅子に着席した。
俺の位置からは、フリードリヒを斜め後ろから伺うような形になる。今のところ特に怪しい感じはしない。
ハルクさんはすでに手を打った、と言っていたが……やはりここにきて心配が再燃してしまう。
そうこうしているうちに入場が終わり、式場は最終的に百人以上の人で埋まった。
シャル側の関係者は、俺たち家族三人だけ。つまり、残りは全員ハルクさん側の関係者となる。
単にフロイエンベルク家には親族が多いのか、それとも友人知人をたくさん呼んでいるのか……。テクラスで結婚式を行う以上、俺たちが少なくて向こう側が多いのは全然不思議ではないが、いささかアンバランスである。
すると、壇上に一人の男性が現れた。煌びやかだが威厳のある服装をしている。どうやら司祭のようだ。
彼が前に立つと、式場の騒めきは徐々に小さくなっていく。
『フォル』
司祭が話を始めると同時に、エルが話しかけてきた。
どうしたの?
『この式場は、魔法が使えないんスよね?』
うん。ルーナがさっきそう言っていたけど……。
『でも、この式場には、どうやら結界が張られていないみたいっスよ』
……え? でも、この結婚式場には結界が張られているって、ルーナが言っていたよな。
つまり、この式場では魔法が使えるっていうこと……だよな。
それって、だいぶマズくね?
暴力に加え、魔法も使えるとなったら、ハルクさんへの攻撃手段は大幅に広がる。
彼はこの事実を知っているのだろうか。
ここで、周りが万来の拍手に包まれたことで、俺はハッと意識を自分の中から外の世界へ向ける。
人々の視線を追って、左後ろに目を向けると、ちょうど後ろからシャルとハルクさんが二人で入場してきたところだった。
ハルクさんはタキシードのようなビシッとした服を着ている。髪も整えられていて、表情もキリッとしていた。前夜に会った人とは、いい意味で同一人物だとは思えなかった。
一方のシャルは、ウエディングドレス姿。今まで見た彼女の姿の中で、最も綺麗だった。
二人は俺たちの左を通過し、そしてフリードリヒの右も通過する。
何かするんじゃないか、と思ったが、特に何も起こらない。フリードリヒはニコニコと笑顔を貼り付けたまま、拍手をしているのみだった。
二人は壇上に登ると、司祭の男性の前で止まった。
「新郎ハルク・ヴァン・フロイエンベルク、あなたはいかなるときも、新婦シャルゼリーナ・エル・フローズウェイを愛し、生涯にわたって支えることを、初代国王フレデリカ・ラディウス・アークドゥルフの前で誓いますか?」
「誓います」
厳粛に、そして緊張した声でハルクさんは答える。
「新婦シャルゼリーナ・エル・フローズウェイ、あなたはいかなるときも、新郎ハルク・ヴァン・フロイエンベルクを愛し、生涯にわたって支えることを、初代国王フレデリカ・ラディウス・アークドゥルフの前で誓いますか?」
「誓います」
シャルも少し上ずった声で、誓約する。
「それでは、指輪の交換を」
まずはシャルが、赤色の宝石がついた指輪を取り出し、ハルクさんの指に嵌める。
今度は、ハルクさんが緑色の宝石がついた指輪を取り出した。シャルの手を取る。
刹那、前方のフリードリヒが、あの時の邪悪な笑みを浮かべたように見えた。
俺の背中を冷たいものが通る。もうすぐ何かが起こるのだと、俺は直感的に理解した。
俺はハルクさんに目を戻す。ハルクさんは指輪を、シャルの指に嵌めようとしているところだった。
その時、彼の動きが止まった。時間が止まったかのように固まったまま、指輪を凝視している。
次の瞬間、ハルクさんはその指輪を思いっきり投げた。こちらへ向けて、大きく高く弧を描くように、大遠投する。
誰も予想できなかったその行為に、シャルも、司祭も、俺も、ルーナも、バルトも、その場にいる誰もが唖然とする。
誰かが何かのリアクションを起こせないまま、指輪は宙を舞い、キラキラと照明の光を反射して飛んでいく。その途中で、一際大きく光ったような気がした。
その直後、指輪が大爆発した。