テクラスに到着してから三日目。結婚式の前日。
俺たちは以前と同様に、伯爵邸の離れの部屋に宿泊していた。
ルーナと俺に割り当てられた部屋の窓からは、ゆっくりと落ちていく夕日が見えた。
ルーナは鏡に向かって現在化粧をしている。
俺は、荷物からドレスを引っ張り出し、それを着る。
今夜は伯爵邸の大広間で、結婚の前夜祭、つまりパーティーがある。
「どう? ドレスきつくない?」
ルーナが化粧をしながら、鏡に映った俺を見て言う。
「だいじょうぶ」
「ならよかったわ」
ルーナは鏡の前から離れて俺の髪を整えると、慣れた手つきで自身もドレスを着る。
「じゃあ、行きましょう」
「うん」
ルーナがドアを開けると、廊下にはメイドが待機していた。
「それではご案内いたします。こちらへ」
俺たちはメイドの後に続いて、廊下を進んでいく。
ドレスに慣れない靴だから、かなり歩きにくい。浮遊魔法で浮いて楽に進みたいな……。
しばらく進むと、到着初日に顔合わせを行った大広間までたどり着いた。
以前ここに来た時とは全然雰囲気が異なっている。会場は明るい雰囲気に包まれていて、大勢の人が談笑していた。
「シャルは?」
「まだ来ていないようね」
と、その瞬間、大広間の奥の方から大きな声が聞こえた。
「あーあーあー」
余りにも大きな声に、俺たちは思わず耳を塞ぐ。
数秒後、拡声の魔道具を調節したのか、ちょうどいい声の大きさになった。
「えー、大変失礼いたしました。本日はお越しいただきありがとうございます」
耳から指を外して前を見ると、そこにはハルクさんの姿。その隣にはシャルもいる。
それからハルクさんが演説を始める。その隣でニコニコしているシャルをぼんやり眺めながら、俺はいよいよ明日か……と別の意味で緊張していた。
俺のお願い通り、シャルは到着初日に、ハルクさんに二人きりの状況で、俺が聞いた内容を話してくれた。
それはいいのだが、その後、ハルクさんは忙しそうにしていたようで、あまり会えなかった、とシャルは言っていた。
確かに、俺もハルクさんの姿を見たのは初日以来だ。やはり、結婚式の前というとだけあって、忙しいのかもしれない。
俺の言葉を受けてもなお、何も備えていない、ということはないはずだ……たぶん。それでも、やはり心配だ。
ちょうどハルクさんの話が終わり、会場からは拍手が湧き上がる。それから、彼の号令で乾杯し、パーティーが始まった。
俺は近くの子供用の椅子に座って、チビチビと飲み物を飲んだり、ご飯を口にする。だが、いつものようには喉を通らなかった。
「フォルゼリーナ嬢」
すると、後ろから声をかけられた。その声を誰が発したのかを瞬間的に理解した俺は、思わずビクッとしてしまう。
「……フリードリヒさん」
「やあ、楽しんでいるかい?」
彼は笑顔のまま、ワイングラスを片手に、こちらに近づいてきた。
本当に、あの遺跡で密談をしていた人と同じだとは思えない。今の表情からは、あの邪悪な笑みを浮かべる様子はまるで想像できなかった。
「ええ、まあ……」
「そうか、それはよかった」
楽しんでいるわけないだろ! 主にお前が変なことを企んでいるせいだよ!
彼の俺に対する態度に、変わったところはない。前回お互いが『会った』と認識している時と同じような雰囲気だ。
どうやら、俺がフリードリヒの計画を聞いていたことは、まだバレていないようだ。
だが、警戒を緩めてはいけない。もしかしたら、あえて知っているが黙っていて、これから揺さぶりをかけてくるかもしれない。
「それにしても、あの、ハルクが結婚か……」
「あの?」
「ああ、いや、ちょっと昔のことを思い出してね……。今では立派だが、昔はちょっと違ったんだよ。なんというか、自信過剰というか、ね。とにかく周囲の話をあまり聞かない奴だったんだ」
「へ、へぇ……」
「それが、シャルゼリーナ嬢と出会った頃からなのかな、少しずつ変わってきたんだ。もしかしたら、今のハルクがあるのは、彼女のおかげなのかもね」
フリードリヒは、壇上の二人の様子を見つめる。表情はとても暖かみのあるものだったが、その目だけが極めて冷たく見えて、俺は思わず身震いした。
「ま、とにかく、君の叔母上とハルクが結婚したら、僕らは晴れて親戚というわけだ。これからも、よろしく頼むよ」
「……こちらこそ」
「また、時間ができたら魔法の話をしよう。それでは、僕はこれで」
「あ、はい……また」
そう言って、フリードリヒは去っていった。
やっぱり話してみて感じたが、何も知らなければ、本当に人当たりのいいイケメンなお兄さんだ。あの時、遺跡で恐ろしい計画を話していたのは、本当にフリードリヒなのか? と今更ながら疑いたくなってくる。
しかし、そうは言っていられない。仮に見間違いだったとしても、ハルクさんを陥れようとしている何者かがいることは確かなのだ。
不安を内包した夜は、ゆっくりと更けていった。
※
パーティーでは特に何も起こることなく、無事にお開きとなった。
俺たちは部屋に戻ると、寝る支度をする。
だが、俺の不安は拭えない。シャルを疑っているわけではないが、本当に正しく俺の情報がハルクさんに伝わっているのだろうか?
……やはり、ハルクさんと直接話すのが一番だろう。
そのためには、まずはシャルの部屋を訪ねて、ハルクさんのところへ案内してもらわないと。
「ねえママ」
「なにかしら、フォル?」
「シャルのとこいきたい」
「わかったわ。あまり遅くならないようにね」
「うん」
ルーナに断ってから、俺は部屋の外に出る。
そして、シャルが泊まっている、俺たちの隣の部屋へ向かう。
シャルはまだ嫁入り前なのでお客さんという扱いだ。そのため、俺たちと同じく、来客用の部屋に泊まっている。
俺はシャルの部屋の前に到着すると、ノックしようとする。
だが、次の瞬間、ガツッ! と向こう側からドアが勢いよく開いた。
この建物のドアは外開き。よって、開いたドアは俺の鼻の先にクリーンヒット。
俺はその勢いでひっくり返り、鼻先を抑えながら廊下を転がる。
「ごめんハル……じゃなくてフォル⁉︎ 大丈夫⁉︎」
「だ、だいじょうぶじゃないよおおぉぉ……」
俺は呻きながらそう答えた。
「わっ、フォル! 鼻血! 鼻血出てる!」
え? と思って反射的に鼻の下を抑えると、ぬめっとした感触。間を空けずに、鼻腔を満たし、口の中に広がるのは、かすかな鉄の味。
「とりあえず中に入って!」
立ち上がるや否や、俺は腕を掴まれ、強引にシャルの部屋へと連れ込まれた。
「早くガーゼ用意しないと!」
シャルは俺をベッドの上に座らせると、部屋にある荷物をがさがさと漁る。
「え、あ、だいじょうぶだよ、シャル」
「大丈夫じゃないでしょ!」
「いや、『ヒール』でなおせるから……」
「あ、そっか」
「『ヒール』!」
俺は鼻をつまみながら、『ヒール』を行使する。
鼻にかざしたもう片方の手から紫色の魔力の残滓が迸り、ものの数秒で、俺の鼻血は収束した。
「よ、よかったぁ……ごめんね、フォル」
「ううん。ところで、ハルクさんがくるの?」
「ああ、うん。実は、この時間にハルが来てくれることになっててさ……。そしたら、足音がして、私の部屋の前で止まったから」
なるほどね。シャルがハルクさんに会いたいあまり、早とちりしてしまったのだと。
「で、どうしたのフォル?」
「え?」
「いや、私の部屋を訪ねてきたってことは、何か私に用があるってことじゃないの?」
「ああ、うん」
実は、ハルクさんのところへ案内してもらおうと思って、と口に出しかけた次の瞬間。
コンコン、とドアがノックされた。
俺たちの視線がドアに向けられる。すると、シャルが立ち上がって声を出した。
「はーい」
「俺だ、ハルクだ」
「ハル!」
その声に、シャルはわかりやすく声を上擦らせると、ウッキウキでドアを開ける。
その向こうには、ハルクさんが立っていた。
「やあ、シャル。来たよ」
「ハルー、遅いよー」
「すまん」
そして、ハルクさんが部屋に入ってくるなり、俺に視線が向けられる。
「お、先客か?」
「あ、うん。私の姪のフォルゼリーナだよ」
「どうも、フォルゼリーナ・エル・フローズウェイです」
「ああ、知ってるよ。シャルの婚約相手のハルクだ。よろしくな、フォル嬢」
ハルクさんは嫌な顔一つせず、近くの椅子に座った。
二人きりでこの部屋で会う約束だっただろうに、俺という部外者がいて申し訳なく思う。
だが、このチャンスを逃すわけにはいかない。なにせ、目的の人物が向こうからやってきてくれたのだから。
「きゃー! 婚約者なんて、もう! フォルの前で恥ずかしいよっ!」
「いいだろ別に。事実なんだし。なんで恥ずかしがるんだよ」
バシバシと肩を叩いてくるシャルに、うっすら笑みを浮かべるハルクさん。
くっそ、リア充どもめ……。俺はいったい何を見せられているんだ……。
でも、二人とも幸せそうだ。だからこそ、それをぶち壊すような計画は、絶対に阻止されなければならない。
「というか、フォル嬢がシャルに用事があったんじゃないか? 俺、ちょっと外すな」
「ああ、まって!」
気を利かせて立ちあがろうとするハルクさんを、俺は慌てて呼び止める。その行動に、シャルもハルクさんも不思議そうな顔をした。
「じつは、ようがあるのは、ハルクさんなんです」
「俺に……? なるほど……そういうことか」
ハルクさんは不思議そうな顔から、何かを悟ったのか、真剣な表情になる。そして、再び椅子に腰を下ろした。
「え、どういうこと? ねえ、どういうこと?」
この場では、シャルだけまだピンときていないようだった。
俺は小声でシャルに伝える。
「シャル、ここにくるまえのよるに、おうちでつたえたはなし」
「あ、なるほど……」
シャルはようやく悟ったらしく、俺の隣に腰を下ろした。
「……ところで、このへやでだいじょうぶですか? あのひとたちにきかれることは」
「大丈夫だ、問題ない」
そう言うと、ハルクさんは立ち上がってカーテンを閉め、さらに部屋のドアの脇のスイッチを押した。
「何をしたの、ハル?」
「実はこの部屋には、『サイレント』という防音の魔法陣がついているんだ。客に快適に過ごしてもらうためにな。今そのスイッチを押したから、ここでの会話が外に漏れることはない」
「へー! そんなすごい機能があったんだね!」
つまり、この部屋は今、防音状態になっているわけだ。
「それに、今フリードリヒたちは外出しているから、安心して話していい。それで、フォル嬢、俺に話とは?」
「うん。えっと、シャルをうたがっているわけじゃないんだけど、ちゃんとわたしのくちからせつめいしたほうがいいかなって」
「なるほど。それなら、聞かせてもらうか」
俺はハルクさんに、フリードリヒとディートリヒの話をする。顔合わせのために滞在した際、遺跡で不審な話を聞いてしまったこと。その詳しい内容が知りたくて、もう一度遺跡を訪問し、二人の会話を盗み聞きしたこと。
それらの諜報活動から得られた内容を、俺はできるだけ詳しく、正確にハルクさんに話す。
全てを聞き終えたハルクさんは、目を閉じると俯いて、何かを考えるようなそぶりを見せる。
「……なるほどな」
「ほんとうに、ハルクさんはだいじょうぶなのかなって。あした、なにかがおこるのは、かくじつだから」
「……そうだな。実は、だ。元々あいつらが俺のことをよく思っていないことには気づいていたんだ」
「……そうなの、ハル?」
「ああ。多分、俺が気に入らなかったんだろうな。今思えば、以前の俺は結構自分勝手だったような気がする。そのくせして、能力はイマイチだったから、あいつら、特にフリードリヒからしたら、『なんで僕じゃなくてあいつが次期当主なんだ』とか思ってただろうな」
さっき、パーティーで似たようなことをフリードリヒが話していたな。
「嫉妬しているだけならまだしも、悪事を働いているとなれば話は別。しかもシャルに危害を加える可能性まである。それは到底許されないことだ。
でも、二人とも安心して欲しい。もう既に手は打ってある。おそらく、ほぼ確実に奴らの悪事を暴いて捕らえることができると思う。俺を信じてくれ」
そう言ったハルクさんの目は据わっていて、自信で満ちていた。
「……わかりました。よけいなしんぱいして、ごめんなさい」
「いや、いいさ。むしろ俺は感謝しているんだ。フォル嬢の情報はとても重要だったからな。明日何かが起こるとわかったからこそ、今日までにいろいろ手が打てたんだ」
「そうだよ、お手柄だよ、フォル」
「これで、話は大丈夫か?」
「はい」
「じゃあ、フォル嬢は早く寝な。明日はきっと早いだろう」
「うん。じゃあ、ふたりともおやすみなさい」
「おやすみ〜」
どうやら、俺の心配は杞憂だったみたいだ。
少し気持ちが軽くなった俺は、足取り軽く自分の部屋に戻ったのだった。