風を切りながら、俺は頭を下にして、真っ暗な穴の中をひとりぼっちで落下していく。
ここでようやく、俺は今、自分がとてもマズい状況にあることを認識した。
やばいやばいやばい! このままでは、頭を打って、確実に死ぬ‼︎
死にたくない! こんなところで第二の人生を、終わらせたくないっ!
何かできるはずだ。この状況をどうにかするアイデアを思いつけ! 考えろ考えろ考えろ!
「そうだ、ふゆうまほう!」
やっとのことで、俺はアイデアを捻り出した。モタモタしている暇はない。すぐに実行だ!
「『フロート』っ!!!」
細かい調節は後! 今はとにかく、この勢いを減衰させることだけに集中する! 俺の体を、できるかぎり上へと加速させて、落下の勢いを殺す!
次の瞬間、確かに浮遊魔法は発動した。自由落下状態だった体に上向きの加速度がかかり、逆さまになった頭に血が流し込まれる。落下が緩やかになっていく。
しかし、完全に落下がとまる時間的余裕は存在しなかった。
「ぶあぼぼぼぽげぼぼ」
次の瞬間、ザブーン! という音と共に、俺の体が冷たいものに包み込まれた。体が重くなり、手足が動かしにくくなる。息ができない。鼻に何かが入ってきてツーンとする。
どうやら俺は今、水の中にいるようだ。
そして、落下の勢いがほとんど削がれたおかげで、やっと浮遊魔法の効果が現れる。俺の体は加速しながら上昇していき、ついに上下逆さまの姿勢のまま、ザバアア、と水の中から抜け出した。
俺は水面から五十センチほど離れたところで浮遊しながら、体勢を整える。
どうやら、助かったようだ。
浮遊魔法で落下の勢いをある程度和らげられた。その上、幸運なことに、落ちたところが地面ではなく、ある程度の深さのある水たまりだった。
どちらか一つでも欠けていたら、大怪我か、最悪死んでいただろう。
この世界に生まれてきてから、最大のピンチだった……。
「はーくしょん!」
それにしても寒い。冷たい水に飛び込んだせいで、体中がびしょ濡れだ。気化熱で体温が奪われ、大きなくしゃみをする。
一旦、どこか落ち着けるところに向かいたいな……。
そう思って、俺はここでようやくこの空間の状況を把握し──思わず声を出した。
「おお……」
先ほどまで俺がいた場所には、光源が壁際のランプしかなかった。しかし、ここはランプが一切ないにもかかわらず、それよりも明るかった。
その原因は、洞窟の壁や天井の至るところから生えている水晶だ。クォーツアントの体から生えていたものよりもずっと大きい。色も、無色透明なものだけではなく、赤、青、黄、緑、白、紫と、バリエーション豊かだった。
そんな水晶がぼんやりと光を発していて、この空間を柔らかく照らしていた。
足元を見ると、俺が先ほど落っこちた水面が見える。それは水晶の光に照らされて青く透き通っており、深くなるにつれ濃くなり、底は見えない。そして、水面はかなり遠くまで続いていた。
どうやら俺は、幻想的な地底湖の上にいるようだ。
確か、この洞窟は魔水晶の採掘をしているんだっけ……。とすれば、この壁から生えているのが、その魔水晶っていうことなのか?
俺は首にかけているペンダントを右手に取る。去年、ルークからもらった魔水晶のペンダントだ。そして、右手の指にはめている指輪にも、青色の魔水晶が嵌め込まれている。
これの加工前の姿が、そこら辺に生えているやつなのかな。
思わぬ形で知見を得ていると、不意に俺の視界を何かが横切った。
黄色の小さい光る球体だ。直径は一センチにも満たないだろう。ふよふよと漂いながら、緩やかに俺の方へ向かってくる。
周りを見ると、今度は緑色の球体。同じような大きさのものがこちらに向かってきている。その向こうには赤色、青色、黄色、白色、紫色、また赤色……。
気づけば、大量の光る球体が、俺の周りにうようよと集まってきていた。
「ほ、ほたる……?」
宙を漂う光る生物といえば、俺は蛍くらいしか知らない。もしかして、この世界の蛍は黄色だけでなく、色んな光を発するのか……?
俺はその正体を確かめるべく、一番近くに漂ってきた光を手でキャッチ。何体か捕まえられただろうと思って手を開くが、その中には何もいない。
「ほっ、ほっ!」
その後も俺は何回かチャレンジしてみたが、一向に捕まえられない。というか、手をすり抜けてしまう。もしかしたら、この光には実体がないのかもしれない。
そうこうしているうちに、俺の周りには大量の光球が集まってきていた。綺麗な地底湖の風景は、光球のおかげで虫食い状態でしか見えない。しかも、光球はまだまだ俺に近寄ってくているようだ。
このままでは光に埋め尽くされて、何かマズいことが起きてしまうんじゃないか⁉︎
恐怖に駆られた俺は、急いで移動を始める。一旦休憩できるような地面を探して、浮遊しながら移動し始める。
俺の移動に合わせて、光たちは尾を引くように俺の後ろをゆっくりとついてくる。きっと、側から見たら、色とりどりの尾を持つ彗星のように見えるだろう。
洞窟の壁に沿って地底湖を周回していると、やっと足が付けられそうなところが見つかった。地底湖に水が流入しているところで、棚田のような構造になっている。
一応周囲を確認するが、どうやらクォーツアントなどの魔物はいないようだ。俺は慎重に着陸すると、ようやくホッと一息ついた。
「『ウォームウィンド』」
魔法の熱風で、俺は体についた水分を吹き飛ばす。服と体がだいたい乾き、やっと過ごしやすい状態になった。ずっと左手に持っていた刀を、鞘にしまう。
一方、先ほどまで俺についてきていた光球の集団は、散り散りになりつつあった。さっきまであんなに俺にまとわりついていたのに……。
もしかして、俺の魔法に反応していたのだろうか?
それにしても、一体あの光は何なんだろうな……。実体がないのに光っているって、なかなか奇妙な存在だ。まず間違いなく蛍ではないだろう。それに、そんな魔物の話は聞いたこともないし、本でも読んだことがない。
まあ、魔物ではなさそうだけど……。特に害はなさそうだったし。
すると、地底湖の奥の方から、水面から滑るように、先ほどの小さな光とは比べ物にならないほどの大きさを持つ光が、こちらへやってきているのが見えた。
直径二十センチはあるんじゃないだろうか。
それぞれ違った色をした六色の光である、赤、青、黄、緑、白、紫の球。
その周囲を漂っていた小さな光たちは、そいつらが来るとさーっと避けていく。
もしかして、この光たちの親玉的な存在なのだろうか。
俺は一気に警戒レベルを上げると、刀の柄に手をかけ……たがやめた。
小さい方と同じ性質を持つなら、大きい方にも物理攻撃は効かないはずだ。
そうこうしているうちに、俺の目の前にそれらはやってくると、俺の周りをゆっくりと周回し始める。なんだかんだで迂闊に動けなくなっている。
目の前で赤の球が通り過ぎ、次に青が、さらに黄色、緑と続き……。
あああ、じっくり見ていると目が回ってきた。
待て待て、落ち着け……。さっきの小さい光球のように、こいつらが害をなす存在とは限らないだろう? だが、正体がわからない以上、いつでも戦えるように準備しなくちゃならない。
それに、動きから推測するに、小さい方とは違って、少なくとも何かしらの『知性』は持っているようだ。ワンチャン、対話できるかもしれない。
しかし、囲まれているこの状況は明らかにマズい。もし強い敵だったら確実にやられる!
緊張のせいで、汗が頬を伝う。
さて、こいつらはどう出てくるか……。
得体の知れないものを前に、最大限の警戒の糸を張り巡らせて構える。
すると、不意に光球が周回を止めて、一箇所に集まる。
そして、次の瞬間聞こえてきたのは。
『ねーねー、どうするー?』
『なんか警戒してるっスね』
『う~~ん、はなれる〜〜?』
『妾(わらわ)はどうすればいいのじゃ? 何か話しかけた方がいいかの?』
『よーし、今度こそ話しかけりゃっ! また噛んじゃった……』
『もう! 皆、思考垂れ流しですよ! しっかり!』
「……は、へ?」
俺は突然の様々な声に、辺りを見渡す。
しかし、この地底湖には俺以外の人が存在するはずもない。
この声はどこから聞こえてきたんだ?
しかも、頭の中に直接響いてきたような。
考えられるとすれば……。
俺は目の前の大きい光球らに目を向ける。
『あー、ウチが話しかけるっス』
『いやいや、そこは妾じゃろ』
『ボクも話しかけたいりゃっ』
『あたしこそー!』
『だれでもいいよ〜〜』
『もう、ここは私が話しかけますから‼』
『『『『『どうぞどうぞ』』』』』
『えっ!』
「ぷっ……」
俺は笑いを堪えきれずに、つい声に出してしまう。
なんか俺抜きでコントみたいなことが起こってるな。
「で、だれがはなしてくれるの?」
『はい、私が』
そう言って、青い球体が一歩分俺に近づく。
『あと、わざわざ声に出さなくても、私たちとは念じるだけで会話ができます』
あ、そうなんだ。
……ということは、これまでの思考も全部聞かれていたってことだよね?
『そっスね~』
『そうだよー』
『そうなのじゃ』
『そ~〜だよ~〜』
『そうでちゅっ! また噛んだ!』
ちょっと恥ずかしいな……。
今更だけど、ここにいる光の球たちが、それぞれ話しているってことだよね。
『あたしが赤でーす!』
『私が青色の光です』
『はいは~い、ウチが緑っスよ~』
『黄色で~~す』
『妾こそが白じゃ!』
『ボクが黒でしゅっ! 噛んじゃった……』
なるほどね。それぞれに特徴があってわかりやすい。
『それで、あなたは人間ですか?』
正真正銘の人間です。
『キャー、マジでー⁉』
『これが今の人間っスか……。興味深いっスね……』
『ふん! 妾は最初からこやつが人間だとわかっていたぞっ!』
『人間なんでしゅか⁉』
『へ~~、人間なんだ~~……ZZ……』
おう、多種多様の反応だ。っていうか黄色は寝るなよ。
『あ~~、ごめ~~ん』
『ごめんなさい、地精霊さんは寝坊助さんなんです』
地『精霊』?
精霊って君たちのこと?
……もしかして、そこら中にいる光の球も、精霊っていうこと?
『あー、それはウチに説明させてほしいっス』
『そうだね~~』
『エルは説明上手いからね!』
『むう……。妾もできるんじゃが……。仕方ない、今日は譲るとしよう!』
『ボクじゃ噛むのでお願いしましゅ』
『エル、お願いします』
そんな声が頭の中で聞こえると、緑の球が青に代わって前に出てくる。
これが、俺と不思議な光の球──精霊たちの出会いだった。