「フォル、ちょっといいか」
「どしたの、ジージ」
片付けを終え、休憩していると、バルトが声をかけてきた。
「帰ってきたところで悪いが、今から一緒に銀行へ行けるか?」
「ぎんこう?」
「ああ。フォルが一緒じゃないとダメなんだ」
「……わかった」
ということで、俺とバルトは再び外に出た。
片付けにだいぶ時間がかかったので、太陽はかなり西に傾いている。しかし、思ったほど、その位置は低くない。
王都で体内時計が順応した状態で、急に西に数百キロ移動したから、時差で日を長く感じているのだろうか。そう考えると、この国の広大さと、一瞬で移動できる転移魔法陣の凄さを実感する。
俺たちはさっき通ってきた道を逆に辿る。
「ジージ、どうしてぎんこうにいくの?」
「フォルの口座を作るためだ。本人がいないと開設できないからな」
この世界にも銀行はあるようだ。まあ、以前バルトが小切手を受け取っていたから、あるだろうとは思っていたけど。
それにしても、どうしてこのタイミングで俺の口座を開設するんだろう?
俺には特にお金を使う予定はないし、もっと俺が成長してからでもいい気がするが……。
しばらく歩くと、大きな建物の前に辿り着いた。白い石造りの立派な建物だ。入り口には屈強な警備員二人が立っていて、通行人に鋭い眼光を向けている。その視線が俺にも向けられて、思わず心臓が縮み上がった。
バルトにも向けられるが、彼はそれをサラッと受け流すと、俺の手を引っ張り建物の中に入る。
中は、外見と同じように立派だった。入るとすぐに大きなホールが現れ、高級そうな長椅子がたくさん並んでいる。奥にはカウンターがあり、壁際には、入り口と同じように警備員が間隔を空けて数人立っていた。
お金を扱う場所とだけあって、高級感も、警備も万全なようだ。
バルトはカウンターに直行する。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「この子の口座を作りたい」
そう言って、バルトは俺をひょいと持ち上げた。カウンター越しに受付嬢の顔が見える。
「かしこまりました」
ハンターギルドとは違い、受付嬢は、全く表情を動かさず事務作業に入る。
「身分を証明できるものはございますか?」
「これだ」
「……確認いたしました。当銀行での口座の開設は初めてですか?」
「ああ」
二人のやりとりはどんどん進んでいく。
これ、俺がいる意味あるのかな……? でも、バルトは『本人がいないと開設できない』って言っていたしなぁ……。
ここで、俺はピンとくる。そして、背中に冷や汗が流れ始める。
いや、まさか……。ここでもまた、あれをやらなきゃならないのか……?
俺は恐る恐るバルトを見上げる。すると、ほぼ同時に、バルトが再び俺を持ち上げた。
視線が上がり、視界にカウンターに置いてあるものが見える。
そこにあったのは、いつの日か見た、細長い針と一枚のカードだった。
俺が暴れる間もなく、バルトは俺の手を掴むと、その指を針でプスっと刺した。
「い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛‼︎‼︎」
「うっ……耳が……」
俺の喉から、反射的に高周波の金切り声が出た。それにはさすがのバルトにも堪えたようだ。受付嬢も耳を塞いでいる。
しかし、俺が叫んだときにはもう、カードの上に、指から出た血が一滴落ちていた。
そして、カードが一瞬光を放つ。
「もう大丈夫だ、フォル。よく頑張ったな、偉いぞ」
「ふーっ、ふーっ、ふーっ……」
床に下ろされた俺は涙目になって、針で刺された指先を見る。すでに血は収まりつつあった。
「それにしてもすごい声だ……やはりルーナの子だな」
その口ぶりだと、昔はルーナも俺と同じような反応をしていたのだろうか。いや、ルーナに限らず、子供は大抵こういう反応をするものだと思うけど。
「口座の開設が完了いたしました」
受付嬢が、俺の口座を作り終えたことを報告する。ここで終わりかと思いきや、バルトは自分のカードを出した。
「では、俺の口座から三万セルを移してくれ」
「かしこまりました」
ささ、三万セル⁉︎ 日本円に直すと、約三十万円。大金だ。
なるほど、バルトは俺の口座にお金を移すために、俺をここに連れてきたのか……。
しかし、その理由がわからない。
「ジージ、どうしておかねをうつしたの?」
「ああ、これはゴブリンを討伐したときの報酬だ」
「ほうしゅう?」
そういえば、バルトがハンターギルドで、小切手で受け取っていたような……。てっきり、そのまま自分の口座に納めたものだと思っていたんだが。
「あのとき、フォルが魔法で斃しただろう? だから、その分の報酬だ。フォルのお金だぞ」
「えー! やった!」
俺は無自覚にも、お金を稼いでいたようだ。
当時は、『バースト』の後に魔力切れで倒れたため、自分がゴブリンを何体斃したのか、正確に把握できていなかった。しかし、今の金額から推察するに、どうやら六十体葬り去っていたようだ。
それにしても、三万セルか……。スライムシャーベットが百五十個も買えちゃう金額だ。思わず顔がニヤけてしまう。
ただ、今のところお金を使う予定は特にない。もしものときのために、貯めておこう。
お金があったほうが、無いよりも心の余裕も生まれるだろうし。
「よし、帰るぞ、フォル」
「うん!」
思わぬ収入を得た俺は、ウッキウキでバルトと帰路についたのだった。
※
その日の夕食は、久しぶりに四人揃っての食事だった。
俺はルーナの料理に、安心感を覚えていた。王都の屋敷でのコックの料理も、王城でのパーティーでの料理も美味しかったが、やっぱりこの味が俺の一番だ。
当然、食卓の上の話題は、王都への旅行についてだった。
「フォル、パーティーはどうだった?」
「たのしかった」
「それは良かったわ」
「こんどはママもいっしょにいこうね」
「そうね」
もし同じような機会があれば、次こそはルーナと一緒に行きたいものだ。
「シャルはちゃんと朝起きられた?」
「ん〜もちろん起きられたよ〜」
ルーナの問いに、シャルは思いっきり目を泳がせる。
俺はジト目を向けて一言。
「うそつき」
「はぁ……やっぱりね」
ルーナはため息をついた。
「やどでおこすの、とてもたいへんだった……」
「シャル、十八にもなって、フォルに起こしてもらうなんて恥ずかしいわよ。フォルの方がよっぽどしっかりしているじゃない」
「うう……」
シャルは赤面したまま俯いた。ルーナの出発前の心配は、大当たりだったな。
ルーナはそんなシャルの様子にため息をつくと、話題を変える。
「ところで、麦街道で貴族の馬車がゴブリンに襲われたと聞いたのだけれど、お父さんたちは大丈夫だったかしら? 出発して少し後のことだったから、かなり心配だったのだけれど」
「……そのゴブリンに襲われたのは貴族の馬車というのは、俺たちだ」
「……やっぱりそうだったのね」
バルトが返すと、ルーナはまるでそれを予想していたかのような反応をする。てっきり、もっと大きなリアクションをするかと思っていたが……。
すると、シャルがさっきとは打って変わって、勢いよく喋り始める。
「そうなんだよ! でもね、フォルがすごかったんだ! 魔法でゴブリンをドーンって、一撃で吹き飛ばしちゃったんだよ!」
「まさか、あそこまで魔法を使えるようになっているとは、思いもしなかったな」
「そのあと、フォルの魔力総量を測ったら、二千七百もあって、もうビックリだよ!」
すると、ルーナは少し感心しながらも、納得したように言う。
「じゃあ、そのゴブリンの群れを爆発する魔法で葬り去った幼女、というのはやっぱりフォルのことだったのね」
「知っていたのか」
「ええ。巷では『爆殺幼女』なんて呼ばれていたけれど」
俺がそう呼ばれていることは、ルーナの耳にも入っていたのか。王都でオルドー翁にも言われたし、相当広まっているようだ。どうやらしばらくは、その名で呼ばれることを覚悟しなければならなさそうだ。
「自分の娘がそう言われるのは、なんだか複雑な気持ちね……」
そう言って、ルーナは俺に視線を向ける。彼女の表情は、なんとも言えない微妙なものだった。
※
「フォル、寝るわよ」
「うん」
その夜。俺はルーナに声をかけられ、彼女が座っているベッドに向かう。俺がベッドに上がってルーナの隣で横になると、彼女は掛け布団を優しくかけた。
以前、俺はベビーベッドで寝ていたが、それはもう過去の話。体がある程度大きくなってからは、毎晩ルーナと同じベッドで寝ていた。
とはいえ、最近まで王都に出掛けていたので、こうして一緒に寝るのはおよそ一ヶ月ぶりだ。
俺の精神年齢はすでに二十歳を超えている。それでも一番近い血の繋がった人と寝る安心感は、何にも代えられない。それに、こうしてルーナと一緒に寝られるのも、あと数年だろう。ルーナも、外見上は幼い俺を守るために、なるべく近くで寝たいと思っているだろうし。
照明はすでに消えて、辺りは真っ暗だ。しかし、旅行から帰ってきたばかりでまだ興奮覚めやらぬせいか、俺の目はまだパッチリと冴えていて、眠れる予感がしなかった。
俺は寝返りを打って、人の温もりを感じる方へ体を転がす。百八十度回転すると、目の前には目を閉じてじっとしているルーナの姿があった。
ここで不意に、シャルの『それは、お姉ちゃんから説明してもらった方がいいかな』という言葉を思い出す。
あれは何の話だっけ……?
俺は少し過去の記憶を辿ると、ルーナに話しかけた。
「ねえ、ママ」
「……どうしたの?」
やっぱり起きていたようだ。ルーナがゆっくりと目を開ける。
「あのね、パーティーのときにいわれたんだけど……」
俺は夕食の席ではしなかった、パーティーでの出来事を、ルーナに打ち明けた。
「シャルにきいたら、『ママにきいて』っていわれた」
「…………」
「ねえ、ママ。『ちゅうおうからついほうされた』のはどうして?」
すると、ルーナは無言のまま、俺の背中に手を回した。そして、俺を自分の胸の方に抱き寄せた。
その体が小刻みに震えていることに気付いたのは、数秒後のことだった。
「……ママ?」
「ごめんなさい、フォル……そんなことを言われてしまうなんて……全部ママのせいなの」
俺の前でルーナが泣いている姿を見るのは、初めてだった。
俺も馬鹿ではない。フローズウェイ家が王都からラドゥルフに左遷されたのは、ルーナが何かをやらかしたからだ、と薄々勘づいていた。
だから知りたい。どうしてこんなことになったのか。ルーナは、俺が生まれる前に、何をしたのかということを。
「ママ、いったいなにがあったの?」
俺は再度、ルーナに問いかける。
しかし、俺の期待とは裏腹に、ルーナは答える。
「ごめんなさい、フォル……今は、話すことができないわ……」
「なんで?」
「……今のあなたには、まだ早いのよ」
その言葉に、一瞬俺はイラッとしたが、すぐに気持ちを落ち着ける。いくら俺の精神が大人でも、ルーナや周りの人からすれば、ただの三歳児。子供扱いされるのは当然だ。
先ほど、ルーナは『まだ早い』と言った。つまり、それを俺が知るには、まだ知識も経験も足りていない、と思っているのだ。実際、この世界、いや、この国についてさえ、まだよくわからないことがたくさんある。それに、経験も全然足りていない。
ルーナが教えてくれないのは、決して意地悪ではなく、いろんなことを考えた結果なのだろう。今は、知らないことがいいこともある。
それならば、深追いすることは、むしろ俺にとってマイナスになりうる。
でも、せめてこれだけは知りたい。
「……じゃあ、いつになったらおしえてくれる?」
「……大人になったら」
「やくそくだよ」
「……ええ。わかったわ。約束」
俺たちは互いの薬指を、そっと合わせ、眠りについた。