小鳥の囀りで、俺の意識はゆっくり浮上する。
まだ重たい目を無理やり開けて、枕元の時計を見る。その針は、午前六時半を示していた。
「ん……あー……」
私は体を起こすと、しばらくベッドの上でぼーっとする。それから床に降りると、着替えて部屋を出た。
「おはようございます……」
「おはようございます、フォルゼリーナ」
リビングに行くと、フローリー先輩がソファーに腰掛けて紅茶を飲みながら本を読んでいた。
「……早おきですね」
「本の続きが気になっていたので、頑張って早起きしたのです」
いつもなら朝食の時間ギリギリまで寝ているのだが、どうやら今日は本を読みたいという欲求が打ち勝ったようだ。
「今日は学校ないんでしたっけ」
「ええ、午後からですわね」
王立学園の授業システム上、順調にいけば、学年が上がるほど授業の数は減っていく。現在九年生のフローリー先輩の場合、午前中に授業が入っていない日が三日に一回ほどあるそうだ。
「ただいまー!」
ここで、元気な声とともにドアが勢いよく開く。そして廊下の向こうから現れたのは、半袖姿でびっしょり汗をかいているレイ先輩だった。
「おかえりなさい、レイ」
「ただいま、フローリー先輩! それにフォル、おはよう!」
「おはようございます、レイ先ぱい」
レイ先輩は毎朝五時半ぐらいに起きて、学校の敷地内をジョギングするのが日課だ。本人曰く、これにより目が覚めてお腹が空くのだそうだ。
かつて、一回だけそれについて行ったことがあったが、ジョギングというには走るスピードが速すぎるし、距離も長かった。そのため、終わった時にはすっかり疲れ果ててしまい、授業中に爆睡してしまった。それをレイ先輩はケロッと走り切る上に、放課後もクリークでトレーニングをしている。マジで体力お化けだ。
「んじゃ、食堂へレッツゴー!」
「行きましょうか」
「はい!」
全員が揃ったところで、俺たちは朝食を食べに、食堂へと向かったのだった。
※
「……王暦四百五年、ドルディア半島にある、イール・ベルカナン伯爵領の街、マッキントンにて、『バルガザス』と名乗る強力な怪物が現れ、人々を蹂躙していきました。
バルガザスは、道中にある街を滅ぼしながら西へ進んでいきました。魔物のように人類へ仇なす存在でありながら、人と同等以上の知性を備えていたことから、バルガザスは『魔人』と呼ばれるようになりました。これが、記録が残っている限りでは王国史上初めての、魔人の出現です。皆さんも幼い頃、言うことを聞かないと『魔人が来るぞ』などと言われたかもしれませんが、その魔人です」
今は五時間目の『歴史』の授業中だ。
全学科で必修科目であるこの授業はレベル三まである。今はレベル二の前半をやっているところだ。
先輩たちによれば、レベル一ではざっくりと全体像を、レベル二からは国内のことを中心に、レベル三では国外のことを中心に学ぶらしい。授業は昔から今へと時系列順に沿って進んでいて、今日はだいたい王国成立と現在のちょうど中間くらいの時代をやっている。
さすが名門貴族も集う王立学園というべきか、授業ではたまに知ってる人の名字が出てくることがある。さっきも、リンネ先輩とカンネ先輩と同じ名字の人が出てきた。きっと彼女たちのご先祖様なんだろうな。
ちなみに、フローズウェイという名前はまだ出てきていない。これまでに習ったことから推測するに、昔は戦争で並外れた武功を立てたら叙爵されるようなので、もし俺の先祖が武人だったら、どこかのタイミングで出てくるんじゃないかな……。
「これを受けて、第三十三代国王マクシム・ラディウス・アークドゥルフは軍を率いて討伐することにしました。この戦いは約三年間に及び、最終的に軍が勝利し、魔人バルガザスを斃しました。この戦いを、第一次魔人討伐戦争、またはバルガザス討伐戦争、と呼びます」
先生は黒板に『第一次魔人討伐戦争(バルガザス討伐戦争)』と書いて、波線を引いた。
「ちなみに、これは覚えなくてもいいのですが、この戦いで魔人を斃した宮廷魔導師団の一員、ゼノン・フローズウェイは、その功績を讃えられて伯爵位を叙爵されました」
そんなことを思っていたら、早速出てきてしまった。爵位も同じだし、たぶんご先祖様なんだろうな。
すると、隣の席に座っていたジュリーが、コソコソと話しかけてくる。
「フォルのごせんぞさまかな?」
「……たぶん」
「フォルのごせんぞさまも強かったんだ」
「あはは……」
そういえば、私の先祖のことなんて全く聞いたことがなかったな……。後で手紙で聞いてみようかな。
「しかし、この戦争による王国の損害は莫大なものでした。三万人以上が死亡し、国力は大きく低下しました。戦争に参加した各地の貴族たちは政府に救済を求めますが、政府には貴族らを助ける余裕がありませんでした。
その結果、王国北部のアジム地域の領主たちが蜂起し、内戦が始まりました。この時代、土地の豊かさにかかわらず、税の取り立てを一律にしていたため、大半が砂漠や荒野である北部地域の領主たちには不満が溜まっており、それが討伐戦争による疲弊で爆発したのです。
こうして、王暦四百九年、国王派の南部地域と独立派の北部地域で内戦が始まりました。これが王国南北戦争です」
こうしてこの国の歴史を学んでいると、前世と起こっていることがさほど変わっていないことに気づく。どこの世界でも、人間は同じような行動をとるんだな……。
「二年間に渡る戦争の後、独立派が勝利し、王国の北部地域は独立を宣言しました。王国もこれを認め、メディラム連邦が成立しました。これが、今も王国北部に存在するメディラム共和国の前身です」
なるほど、こういう歴史があったから、王国と共和国は仲が悪いのか。納得だ。
「戦後、マクシム国王は『マクシム国王の改革』と呼ばれるいくつかの改革を実施しました。
まずは、国力を増強させるための人材を国自身が育成するために、王暦四百十二年、王都に王立学園──すなわち、この学園を設置しました。設置当時は魔法科と体育科の二つしかありませんでした。
また、税制改革を実施し、地域の実情により即した税制度に改めました。
さらに、四百十八年には、地方貴族の反乱を抑制するために、地方の行政区分として新たに『州』を設置し、十数年ごとに地方貴族を配置転換する、『マクシム国王法』と呼ばれる法律を定めました。これにより政府の権力が大幅に強くなり、地方貴族の権力は大幅に弱体化しました」
なるほど、この頃から中央集権体制に変わっていったのか。
すると、ちょうど鐘の音が聞こえてきた。
「今日の授業はここまでとします。それでは、ごきげんよう」
今日はこれで授業は終わりだ。その後、ホームルームでオリアーナ先生が連絡事項を告げ、放課後になる。
「じゃあね、フォル」
「うん、また明日」
俺は寮に向かうジュリーと別れ、クリークへ向かう。
練習場に入ると、そこには珍しくかなりの人数がいた。
「お、フォルちゃ~ん!」
「わふっ⁉」
真っ先に俺に気づいて抱きついてきたのはリンネ先輩だった。俺をよしよししてくる。
うへへ……いい匂いだし柔らかい……。
すると、パシーン! と頭上でいい音がする。
「あうっ! 何すんのカンネちゃん!」
「何すんのも何も、突然フォルちゃんに抱きついて……迷惑よ!」
「ごめんね~フォルちゃん」
「い、いえ……」
ああ、もうちょっと抱きついてくれていてもよかったんだけどなぁ……。
「ところで、リンネ先ぱいもカンネ先ぱいも、ここに来ているなんてめずらしいですね」
「まあね……リンネが練習に付き合ってほしいっていうから」
「何のれんしゅうをしているんですか?」
「『パラライズ』をかけられても『ヒール』で回復する練習だよ~」
「ほら、やるわよリンネ! 『パラライズ』!」
「んぁああっ!」
次の瞬間、リンネ先輩は床に崩れ落ちた。『パラライズ』の効果でビクビクと痙攣しているが、その表情はものすごく満足そうだ。
そういえばこの人、生粋のドMなんだった……。
次の瞬間、紫色の魔力光がリンネ先輩の体を覆い、痙攣が止まった。無詠唱の『ヒール』で回復したのだ。
そして、スックと立ち上がるとカンネ先輩に詰め寄る。
「カンネちゃん、もう一回!」
「……はぁ。『パラライズ』」
「あひぃっ!」
リンネ先輩は再び崩れ落ちた。
私も魔法の練習をするべく、辺りを見回してある人物を探す。
リンネ先輩とカンネ先輩の他には、反対側の壁際で魔力をそのまま放出する訓練をしているキャサリン先輩。しかし、俺が探しているのは彼女ではない。
すると、入り口の方から誰かが走ってくる音。振り返ると同時に、俺が探していた声が聞こえてきた。
「遅くなりましたわ……! 申し訳ございません」
「シャーロット先ぱい」
現れたのはシャーロット先輩だった。今日はサングラスをかけていた。
どうやらここまで走ってきたようで髪が乱れている。その髪を手で直しながら、サングラスを外して俺に近づいてくる。
「また寝坊してしまいました……本当に、遅れてすみません」
「いえいえ、こっちこそ、わたしのれんしゅうにつきあってくれてありがたいです。さっそく、はじめましょう」
「ええ、わかりました」
シャーロット先輩は私から距離を取ると、『ダークネス』を発動した。
周囲が完全な闇に包まれ、何も見えなくなる。そんな中、俺は魔力視を発動すると、目を見開いて周囲を見渡す。
「…………」
すると、徐々に遠くの方にぼんやりと微かな魔力が発せられているのが視えた。俺はそれに向かってゆっくりと歩いていく。
そして、それに十分近づいたところで、私の肩にポンと手が置かれる。次の瞬間、先輩が『ダークネス』を解除し、視界が一気に明るくなった。
「だいぶ、視えるようになってきましたね」
「これも、先ぱいがれんしゅうにつきあってくれたおかげです」
俺はここ最近、ずっとシャーロット先輩に、魔力視の練習に付き合ってもらっていた。
『ダークネス』で視覚をなくした状態で、『ソナー』を使わずに、魔力を発する先輩の位置を魔力視だけで当てるというものだ。
練習を開始した当初は多めの魔力を放出してもらっていたが、徐々に少なくしてもらっている。練習のおかげか、今は、当初に比べたらかなり小さい魔力も検出できるようになった。
「じゃあ、もう一回おねが……」
「来たぜー、オイ」
俺が先輩にもう一度頼もうとした時、入り口から男子生徒の声が聞こえる。
この場でそれに最も素早く、そして大きく反応したのは、壁際で一人で練習していたキャサリン先輩だった。
「エリック先輩! 待ってたわ!」
「はは、待たせて悪かったな、オイ」
「ううん、全然そんなことないわよ!」
キャサリン先輩はいつもより声のトーンを一段階上げて、エリック先輩のところへダッシュして話しかける。
もう見慣れた光景だが、やっぱりいつものツンツンした感じとのギャップがすごい。
「早く告白してしまえばいいのに……」
シャーロット先輩がぼそっとそう呟いた。
「……え、まだつきあってないんですか?」
「そのようですわね。以前尋ねたところ、『今のままでは彼と釣り合わない』とモジモジしながら言っていましたわ」
ずんずんいくタイプかと思えば、意外にも奥手なところもあるんだな……。
二人は、言葉を交わすとそのまま練習場を出て行った。
デートにでも行ったのかな……。
「……フォルゼリーナさん、もう一度やりますか?」
「あ、はい、おねがいします!」
シャーロット先輩の言葉で、私は現実に戻される。キャサリン先輩と張り合う気はないけれど、俺も彼女みたいにもっと強くなりたい……!
俺はしばらく、クリークで魔法の練習に励むのだった。
※
クリークから寮に帰り、夕食をルームメイトととって風呂に入り、俺たちは自分たちの部屋に戻る。
すると、レイ先輩がノートと教科書と筆記用具を持ってきて、俺に話しかけてきた。
「フォルー! 数学教えてー!」
「いいですよ。どこでつまってますか?」
「えーっとね、ここなんだけど……」
私とレイ先輩はリビングに移動し、机に教科書とノートを広げる。俺はレイ先輩の横からそれを覗き込む。
「ここの式がなんでこうなるのかよくわからなくて〜……」
「あー、ここはですね……」
数学は全学科共通の必修科目で、レベル五まである。俺は現在、レベル四を学んでいるところだ。一方、六年生のレイ先輩は現在、レベル三を学んでいる。
そのため、レイ先輩の方が学年が三つ上であるにもかかわらず、数学に関しては、俺の方が進んでいるという奇妙な逆転状態になっているのだ。
俺は一年前に学んだ内容を思い出しながら、レイ先輩に解説する。
しばらく時間をとって説明した結果、無事に彼女の疑問は解けたようだった。
「ありがとー! いやー、フォルが頭良くてよかったよ! これで今日の宿題も終わりだー!」
「おー、それはよかったです」
「あ、もうこんな時間! じゃあ、おやすみーフォル!」
「おやすみなさい、レイ先ぱい」
ドタドタと先輩は教科書とノートと筆記用具を持って、自分の部屋に戻っていく。
今日も一日、充実していたなぁ……。
明日も、良い日になればいいなぁ……。
私は部屋の照明を落とすと、レイ先輩に続いて自分の部屋に向かうのだった。