王立学園に帰ってきて一ヶ月が経過した。
もう晴の月も末になり、通常ならば三年生としての生活にも慣れてくる頃だ。
しかし、新年度になってから学校の授業は一度も行われず、クリークの活動も全て中止。さらに、不要な外出も禁じられていた。
唯一の楽しみは食堂での食事だ。俺は、実習施設に避難するために残っているレイ先輩とフローリー先輩と一緒に食堂に通っていたが、実家に避難する人が増えていったため、時間が経つごとに食堂はどんどんスカスカになっていった。
そして、今日。ついに俺もラドゥルフへ出発することになった。
玄関で大量の荷物を抱え、俺は二人の方へ振り返る。
「では、いってきます」
「気をつけてね!」
「くれぐれも、流行り病にはかからないでくださいよ」
「はい!」
俺は二人に見送られて寮を出発する。
そして、正門付近で、守衛室の側のベンチに座っていたジュリーと合流した。
「おはよう、ジュリー」
「おはよう、フォル」
「それじゃ、行こっか」
「うん」
結論から言えば、ジュリーは俺と同行することになった。
というのも、数日前、バルトから返信が届いたのだが、そこにジュリーの同行を認めるどころか、むしろ一緒に来てほしいとまで書かれていたのだ。
なんでも、アルベルトさんが俺とは別に、ジュリーを預かってくれないか、とバルトへ要請したらしい。孫がお世話になった恩もあるし、昔の可愛い部下の頼みだ、ということで、了承したそうだ。
ちなみに、ラドゥルフでは流行り病はまだ流行していないらしい。何でも、王都で流行し始めた時に、いち早く検疫体制を整えたからだとか。州知事のバルト……いやルーナが有能すぎる。
俺たちは正門から外に出ると、転移施設へ歩き始める。いつもならそこそこ人や馬車の往来があるこの通りだが、今はほとんど誰も歩いていないし、馬車は一台も走っていない。本当なら転移施設まで馬車に乗って行きたいところだったが、辻馬車は走っていないので捕まえられないし、ジュリーの家は今それどころではない。
というわけで、いつもなら馬車ですぐに着くところを、俺たちは時間をかけて徒歩で転移施設まで移動した。
転移施設は、先月よりもさらに人が少なくなっていて、ほぼ開店休業状態だった。そのせいか、いつもなら絶対に待たされるのに、今日は料金を払ったらすぐの案内になった。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
職員のそんな声を背に、俺は転移魔法陣の部屋に入っていくのだった。
※
ラドゥルフに転移してからすぐに、俺たちは転移施設に併設された検疫所に誘導され、そこで四日間を過ごした。
どうやら、今流行っている病はインフルエンザのようなものらしく、経験上、隔離してから四日間発病しなければ感染していないと判定されるようだった。
検疫所ではそれぞれに個室が与えられ、人との接触は最小限だった。
観察した限りではかなりの人が検疫を受けているようだ。最初に受けた説明だと、身分や職業にかかわらず、ラドゥルフに入ってきたほとんどの人が例外なく検疫の対象になっているらしい。
そして、検疫開始から四日目。ついに自由な外出が許された。
「フォルゼリーナ・エル・フローズウェイ様と、ジュリアナ・ドン・ガレリアス様の検疫が完了いたしました。こちら証明書でございます。ご協力ありがとうございました」
俺たちは証明書を受け取ると、久しぶりに外に出る。
ラドゥルフの街は、俺の記憶の中のそれと何も変わっていなかった。懐かしい景色に心が落ち着く。
人通りは転移前に見た王都に比べるとビックリするくらい多く、まるでここが首都かと錯覚してしまうくらいだった。
「ここが……ラドゥルフ」
「おそくなったけど、ようこそラドゥルフへ。じゃあ、わたしの家に行こっか」
「うん」
俺たちは徒歩で俺の家を目指す。
しばらく歩くと、見覚えのある佇まいの家が見えてきた。懐かしの我が家である。
俺ははやる気持ちを抑えて、門を潜ろうとすると、門番に呼び止められた。
「フォルゼリーナ様……でいらっしゃいますか?」
「うん、そうだよ」
「失礼いたしました……大きく、なられましたね」
「……ただいま。ジュリー、行こう」
「うん」
ジュリーは門番に会釈をすると、俺についてくる。そして、玄関のドアを開け放って、開口第一声。
「ただいまー」
「お、おじゃまします……」
少しドキドキしながら、玄関のドアを開けて入る。
入ってすぐ、独特の匂いが鼻の中を満たす。そうだ、家の匂いってこんな感じだったな。
そのまま廊下を進みリビングに入ると、ついに懐かしい人の後ろ姿が見えた。
その人は、俺が部屋に入るなり、こちらへ振り向き、そして微笑んだ。
「お帰りなさい、フォル」
「ただいま!」
俺は思わずルーナに抱きついた。
あー……安心する匂いだ……。帰ってきた、って感じがする。
俺は顔を上げる。ルーナの見た目はほとんど変わってない。強いていうなら、なんだか雰囲気が以前にも増して落ち着いているように思える。
「後ろの子は、ジュリアナちゃんかしら?」
「うん、そうだよ。わたしの友だち!」
「は、はじめまして、ドン・ガレリアスはくしゃく家とうしゅアルベルトのじじょ、ジュリアナ・ドン・ガレリアスともうします」
「ジュリアナちゃんね。私はフォルの母親のルーナ・エル・フローズウェイ。今はラドゥルフの州知事をやっているわ。ラドゥルフへようこそ、ゆっくりしていってね」
「これからおせわになります」
「いえいえ、こちらこそ、フォルと友達になってくれてありがとう。この子、学園に入るまでずっと一人にさせてしまったから……友達ができて、本当に良かったわ」
ルーナは本当に嬉しそうだ。俺、そんなに友達ができそうにないと思われていたのかな……。
「ところでジージは?」
「今は私の代わりに州庁舎に行っているわ。夕方には帰ってくるはずよ」
「そうなんだ」
「いろいろ話したいことはあるだろうけれど、まずは二人の部屋を案内するわね」
そうして、俺たちは荷物を持つと、ルーナに二階へと案内されたのだった。
※
その日の夜、俺とジュリー、ルーナにバルトを加え、俺たちは夕食のテーブルについていた。
シャルのところの夕食に比べれば、品数も少ないし料理を出してくれる執事もメイドもいない。だが、俺にとってはこの世界での原風景そのものだった。
「初めまして、ジュリアナちゃん。私はバルト・エル・フローズウェイ。ルーナの父親で、フォルの祖父だ。君のお父さんから話は聞いているよ」
「ジュリアナ・ドン・ガレリアスともうします。今回はわたしをうけいれてくださり、ありがとうございます」
「こちらこそ、入学試験の時には世話になったね。それに、フォルと仲良くしてくれてありがとう」
「いえ、そんな……」
「いやいや、本当に嬉しいんだ。学園に入るまで、フォルをずっと一人にさせてしまったから……正直、学園でうまくやっているか、不安だったんだ。こっちに全然帰ってくれないから」
「う……ごめん」
手紙は何通か書いて送っていたけど、やっぱり帰った方がよかったな……。
「ところで、フォルの学校での様子はどんな感じかしら? 魔法や剣で、周りに迷惑かけてないかしら?」
なんかシャルと同じこと言ってるよ……。
「さすがにわきまえてるよ!」
「そう? でも、学園に入るまで、フォルは周りのレベルなんて知らなかったでしょう?」
「……そうだね」
他の同年代の人と触れ合ったことがなかったからな。
「それは私たちも悪いところがあるのだけれど……とにかく、迷惑をかけていないのならいいのだけど」
「めいわくはかけてないです。ただ、フォルはすごい人なのは、まちがいないです」
「例えば、どんなところがすごいと感じたんだい?」
「いろいろありますけど……」
ジュリーはテクラスの時と同様のことを挙げていく。
「なるほど……虹の濫觴か。それは俺も知っているぞ。宮廷魔導師団に入るためには、まず魔導師にならなければならないから、そのために入ったのか?」
「まあ、そんなところ」
その存在を知ったのは偶然だけど、結果的に良い方向に転がった感じだ。
「それに、竜を斃すなんて……やはり本当にフォルだったのね」
「知ってたの?」
「竜が斃されたという話は聞いていたわ。具体的に誰が斃したとは言われていなかったけど、幼い子供だったという話だったわ。だから、もしかしたらフォルかもしれない、とはちょっと思っていたわね。なんにせよ、無事で本当によかったわ……」
「竜とはどんな姿の魔物なんだ?」
「えっとね……」
こうして、夕飯の時間は、互いの約二年間の報告会となったのだった。
※
「フォル、ちょっとこっちに来なさい」
夕飯を終え、風呂に入った後、自室に戻ろうとしたところで、俺はバルトに呼び止められた。
すでに二階にいるジュリーのところへ行きたいのだが……いったい何の用だろうか?
バルトの表情は真剣だ。真面目な話なのだろう。その隣にはルーナもいる。
俺はバルトの向かい側に座った。
「どうしたの?」
「さっきの竜の話だが、斃した竜は宮廷魔導師団が持っていったんだよな?」
「うん、そうだけど……」
「それなら、国から補償金をもらっているんじゃないか?」
その言葉に、俺の脳内にさまざまな考えが駆け巡る。
数秒の沈黙の後、俺は口を開く。
「知ってるの?」
「それが慣例だからな。俺が内務省に勤務していたときもそうだった」
そうか、バルトは元々中央の人間だったな。それなら、制度を知っていても不思議ではない。
「……それで、いくらもらったの?」
俺は散々迷った後、正直に答えることにした。
「……二千万」
「「に、二千万⁉︎」」
目玉がポーンと飛び出しそうな表情をして、二人は素っ頓狂な声を出す。
「……その金は使ったのか?」
「ううん、ほとんど使ってない」
多少旅行の足代やお土産代として使ったが、それでも俺の口座には二千万セルがほぼそのまま残っている。
「誰かに話したりはしたかしら?」
「ううん、知っているのはわたしたち三人だけ」
「そうか……」
バルトが安心したように息をつく。
俺はかなりドキドキしていた。
大金を持っているのは危ないから預けなさい、と言ってくるのではないか? 『お年玉、預かっておくね』とい取り上げられるのと同じように。
幼い子供が大金を持つのが危険だ、という主張は理解できる。
だが、預けたお金が後々返ってくるのならまだしも、勝手に使われるかもしれない。俺は二人がそんなことをするとは思えないし思いたくもないが、とにかく、もしお金を預けろと言われたら、かなりの抵抗感を抱くだろう。
ドキドキしながら二人の言葉を待っていると、やっとルーナが口を開いた。
「……フォル、お金を無闇に使ってはダメよ」
「うん」
「そうだぞ。あと、このことは誰にも言ったり知られたりするなよ。聞かれてもごまかすんだ」
「うん……」
「話はそれだけだ」
「……え、それだけ?」
「そうよ」
「……お金、とりあげたりしないの? わたしが大金をもってるとあぶないから、って」
「もしフォルが不安なら、私たちが管理するけど……フォルはしっかりしているから、大丈夫だと思っているわ」
「今のところ問題はなさそうだしな。それに、フォル自身が稼いだ金の使い道はフォルが決めることだ。俺たちが干渉するようなことじゃない」
「……そっか」
その言葉を聞いて、俺は安心すると同時に、嬉しさも感じていた。
二人は俺のことを信用してくれている。それならば、俺もその信用にこれからの行動で応えていこう。
「じゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい、フォル」
俺はリビングを背に、階段を上がっていくのだった。